Chapter 2: “Load Game”

1話 紅

 バルバルを出た俺は、1人の女性と向かい合っていた。

 鮮やかな深紅の長髪と紅の瞳が美しい女性だ。

 その赤く艶やかな唇から愛を囁かれたのなら、一瞬で理性が崩され色香に惑ってしまうのではないか。そんなことを考えてしまう色気を繕っている。

 ただ、その小さな唇が紡いだのは――。


「ショタの魔王様をあんなことやこんなことを……。きゃっ、わらわったらはしたない。でも、イケナイ事だからこそ燃え上がるもの……」


 魔王は逃げ出した!

 しかし回り込まれてしまった!

 変態からは逃げられない!


「何処に行かれるのです、魔王様?」


 どうしてこうなった?



◇◇◇



 実のところ、バルバルはかなり広い。

 だが、バルバルが有する魔法の本質は「自身を異界に隠す」というもの。見えず、触れず、聞こえず、というどっかのお猿さんみたいな状態なので誰も気づかないだけだ。

 外周の一部は人間の住む街とも重なっているが、街の人々は当然気付かないし、バルバルの中にいる者からも外の様子は認識できない。そういう魔法である。

 故に。遠く離れた人気の無い場所から出れば、いつぞやのゴロツキ2人組のような出待ちファンがいても問題ない。いやー、人気者は辛いね。……冗談。本当に迷惑だから止めて欲しい。

 そして、俺の今の容姿は本来のモノとかなり変わっている。

 永続的に変装や幻覚の魔術を全身規模で発動する……というのは現実的ではないため、もっと地味な方法だ。髪を特殊な染料で紫色に染め、瞳は黒目を魔術で赤く染めている。

 片目にだけ発動し続けるならば魔力消費は微々たるもの。時間で回復する分が消費を大幅に上回る。

 髪が紫なのは師匠リスペクト。目が赤なのはウアに近付けた。俺、師匠と妹のこと好きすぎるな?

 特殊な魔術が施された、師匠特製のマフラーで顔の下半分は隠れているし、万が一にも正体が発覚することは無いだろう。追跡や看破の魔術に対する対抗魔術も常時発動中である。

 マフラーから師匠の香りがする気がして落ち着く……というのは少々HENTAI感が強いか?

 とりあえず、生まれた街……両親と妹と共に暮らしていた街を目指すべきだろう。

 あえて町の方向とは反対側からバルバルを出たので、かなりの遠回りになるけれど。ゆっくりでも着実に進んで行こう。

 そう考えて歩み始めた直後のことだった。


「5年間……正確には5年と36日13時間37分52秒、再開の時を待ち望んでおりました。魔王様」


 俺が真なるHENTAIと遭遇したのは。

 今後、否が応でも関わることになる女性。


「クリスティアーネ・マラクス・ガーネット。御身の前に推参致しました」


 「前回」において「四天王」の1人だったらしい、「吸血鬼」クリスティアーネ・マラクス・ガーネットとの出会いであった。



◇◇◇



 言動に少々の不安はあるが、即座に戦闘行為へと発展する様子ではない。

 むしろ友好的な存在と捉えて良いだろう。

 ならば、協力関係を構築……まで出来ずとも、情報を集めるくらいは最低でもしなければならない。

 どう考えても、彼女は魔王としての「俺」を知っているみたいだしな。

 ウアは「女は基本的に敵」などと言っていたが、そうとは限らないだろう。こうして友好的な女性だって……


「ショタの!魔王様!たれそ、絵師はらぬのか!」

「人違いです」


 あ、コイツはヤベー奴だ。関わっちゃ駄目な奴だ。


「たとえ姿形を偽ろうと、……全てが貴方様だと雄弁に語っています。有象無象は騙せようとも、妾が魔王様を見間違える訳が御座いませんわ」


 は?香り?骨格?仕草?

 え、そんなことも判断材料なの?そういうのも誤魔化さないとなの?

 ……5年前に遭遇した仮面の男が俺の匂いを辿っている光景を想像する。生理的に無理だ。

 まぁ、この女性だけの判断基準なんだろうけど。そう思いたい。


「魔王様の一大事に駆け付けられず、何とお詫びを申し上げれば。如何なる処罰でもお申し付け下さりませ」

「あ、あぁ、それは構わないけd……構わぬが」

「あぁ、なんと寛大なお言葉でしょう……!罰して頂けぬ事は少々残念でもありますが……」


 先程までの様子と打って変わり、膝をついて真剣な雰囲気で言葉を紡ぐ彼女「クリスティアーネ」の様子を観察する。

 どうやら、一先ず敵ではないと考えて良いだろう。

 警戒を緩めることは無いが、「前回」の事に関して情報源になることは間違いない。情報が嘘まみれでも、集められるモノはある。

 たとえば、先程の口調に彼女が何も言わなかったことから、「魔王エイジ」の口調が少しは推測可能だ。

 よし、さっそく幾つか質問をしてみよう。

 そう思って口を開こうとしたが、その前に女性が言葉を紡いだ。


「長い長い時間でした。一日千秋の想いとは正にこの事。あの日、魔王様の危機に間に合わなかった日から、この場所にあばを築き、ずっとずっとお待ちしておりました」


 ん?やっぱり何かオカシイよな、この女性。


「既に「ニュクリテス」に愛の巣は確保済み。ショタの魔王様を監禁してあんなことやこんなことを……。きゃっ、妾ったらはしたない。でも、イケナイ事だからこそ燃え上がるもの……」


 へ、HENTAIだ―――!

 やばいやばいやばい。

 ブツブツ呟いてる内容が犯罪でしかない。

 え?何コイツ。普通に関わったら駄目なタイプのヤベェ奴じゃん。

 ここは逃げの一手が最善!

 師匠との修行で鍛え上げた逃走技能をフルに活用して……!


「何処に行かれるのです、魔王様?」


 くっ!速い……!

 回り込まれた!逃走行動を選択するのが少し遅かったか!

 しかし、この程度で思考を止める俺ではない!

 あえて女性の方に大きく一歩を踏み出す。


「え、ま、魔王様……?」

「クリス。1つ聞け。俺には記憶が無い。故に期待には応えられん。すまんな」


 クリスティアーネが驚いて一歩下がった所を更に前進し、木に追いやって「壁ドン」のような構図になる。

 その上で「顎クイ」と呼ばれる動作で、女性の顎を指で軽く持ち上げ、互いの目線を合わせた。

 そこに「愛称呼び」と「記憶無しカミングアウト」。

 ここまでの観察で、この中の最低でも2つは彼女にとって衝撃的な情報になると判断。

 自身の処理能力を超えた情報に晒されれば……


「え、え、え……?」


 よしっ、動揺しているな。

 出来れば、ここで「記憶無し」という個別情報だけへの反応も確かめておきたかった。

 仮面の男は俺の記憶が無い事を既に知っているため、その情報が共有されているかの確認だ。それが確認できればクリスティアーネと仮面男が共通の陣営である可能性が高まるからな。

 だが、欲張り過ぎは良くない。魔王エイジの口調が分かっただけでも良しとしよう。

 あとは、相手が動揺している隙に乗じて逃げの一手!


「魔王様!?」


 ……よし、振り切った!

 疑ってごめん、ウア。お前の言っていたことは正しかったよ。



◆◆◆



 一方、エイジに置き去りにされた女は。


「魔王様の記憶が……無い……?それでは……」


 女は衝撃を受けたように、顔を伏せ――


「何も知らないショタ魔王様を妾専用に調教できる……?」


 ――恍惚とした笑みで平然と宣った。


 その女は変態だった。

 世界の仕組みさえも匙を投げた、正真正銘の変態だった。

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