第8話

 夕食後、一心は丘頭警部から貰った二つの調書を読み直した。

川の事故の調書では、遠辺野兼信の彼女を失った悲しみは想像を絶するものがある。自殺までしようとしている。桂林徹は彼女の手を掴んだ感触が忘れられないと話ている。相当悔いが残っているように感じる。故意に離したという感じには見えない。それに、そうする理由もなさそうだ。彼には後に結婚するみさきという彼女がいたのだから、三角関係ということもない。富永陽介は意識不明になったことへの衝撃を話している。川岸を走って流されている彼女を救っている。その際は転んで怪我をし手当を受けている。傷は大した事は無かったようだが、その際の必死さが窺われる。金谷登美子は後に、故意に川へ落としたと友人には話たようだが、調書には驚きと悲しみと祈りが綴られている。

 別の大学の蒼井蓮は、意識のない時世に人工呼吸をしている。その行為が彼女の命を救ったと救急隊員が述べている。同じく別の大学の女性二人もショックは大きかったようだ、直前まで談笑もしていたのに、目の前で川に落ち意識不明になったことをなかなか受け入れられなかったようだ。特に大曲との関係もなく追跡調査の必要性は感じなかった。

 後に死亡した大曲時世は、妊娠5ヶ月だった。彼氏に妊娠の話をしていれば、この事故は起きなかった。何故言わなかったのか記載はない。もう、知る術はない。

この調書からは読み取るものはないと感じた。


 桂林徹、みさき殺害事件の調書には、被害者の写真が証拠として添付されている。確かに美術館の写真と同じだ。水中に落ちた一瞬を捉えて写真が撮られている。

 土足で茶の間に上がり込み、持っていた鉄パイプで徹の頭を一撃、悲鳴を上げ逃げようと立ち上がった妻のみさきを、横殴りに頭を殴った。倒れたところを更に3発頭を殴った。ぐったりしたので、うめいていた徹の後頭部を3発殴り死亡させた。そして、遺体を軽のワンボックスの荷台に乗せ、会社が休日で誰もいない倉庫に予め水を張った水槽にクレーンで一人を吊り上げ、カメラを構えてから、投げ入れた。その瞬間をカメラに収めた。そして、遺体をクレーンで吊り上げ、地面に放置して、もう一体の遺体を同じようにして写真を撮った。その後遺体をブルーシートに包んで、奥多摩の山中に捨てた。

 一心は、写真を撮るために水槽に落とすのには、発見される危険性もあるのに、その手間をかけてまで何故?の疑問を調書は解決してくれなかった。

 改めて遠辺野憲重に会いたいと連絡を入れる。

 その日の夕方6時に浅草のカフェで待合わせた。窓際のボックス席に座ってコーヒーを啜っていると、約束時間より早く憲重がきた。手を上げて招く。

「何回も、しつけーなー」太々しい態度をする割には、きちんと会いにくる。心底悪人ではない気がする。

「20年前の事件で聞きたいことできて、申し訳ありません」下手に出て様子を窺う。そして調書を開いて、指で指し示しながら。

「ここの、水槽に遺体を投げ入れるところなんですが、写真撮るだけなら、地面に寝かせてポーズを取らせれば良かったんじゃないの?」

「だ〜から、こういう写真を撮りたかっただけだって言ったろ」イライラ雰囲気で貧乏揺りをしている。

「納得出来なんです。この写真以外に、こういった写真は貴方の部屋には無かった。どうしてでしょうか?それと、動きが必要なら、生きてる人間を投げ入れたほうが、良い写真が撮れるんじゃないでしょうか?」

「なによ、お前もそんな趣味あるのかよ」

「ははは、まさか、そんな趣味ありませんよ、で、どうなんです?」

「そこまで、考えてなかっただけだ。たまたま、水槽あったの思い出して、落としたら面白いかなって思っただけだ」

憲重のトーンが落ち着いてくる。目は妙に落ち着かない。何か隠していると直感した。

「ところで、その水槽は、どうして会社の倉庫にあったんですか?」

「客へ届ける日までまだ日数があったんだ」

「どこの客ですか?」

「忘れたよ20年近く前の話だぞ!」

「水はどうやって張ったんですか?」

「そりゃー、ホースでに決まってる」

「相当時間がかかったんじゃないですか?いつ入れたんです?」

「殺しに行く前に入れて、戻ってきたら8割以上入っていた。

「時間的に何時間くらい?」

「2時間くらい」

「ほ〜、高さ3メートル幅3メートル奥行き2メートル、それだけの大きさの水槽に通常の水道の蛇口から、2時間で一杯に近いくらい水を溜めた。そうなんですね!間違いないですね!」

「お〜、3時間だったかも」

「3時間ですね!間違いないですね」

「お〜、大丈夫だ」

「そこから現場では何時間かかりました。車ですよね?」

「軽で行った。片道20分だな」

「殺害にかかったのは?」

「30分」

「ほー、足すと70分で戻れますね。残りの1時間50分は何してたんですか?それと、風呂桶ひとつ20分くらいかかりますよね。サイズ的に20倍下らない。だと、400分、6時間半はかかるんじゃないですか?」

「知らねえよ、そんな事。俺は事実を言っただけだ!」

「貴方、写真を撮るように誰かに頼まれたんじゃないですか?お金でも貰って?」

「知らねえって、言っただろうが!」

そう言い残してプイッと出て行ってしまった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る