第7話 下舟

 話は戻って、2010年。東京ライジングタワーのレセプション会場。


 京介は耕太に目線をやり、後をついてくるよう指示し、二人は会場を出て控室に入った。

「どうして戻ってきたんだ。約束が違うじゃないか。君は死んだことにして海外で暮らしていくって決めたじゃないか。誰かに気づかれたらどうするつもりなんだ」

「話が違うのはそっちだ。僕の描いた絵は2億円で買ってくれるって言ったじゃないか。それが、あの時2千万円しか払っていないなんて約束が違うぞ。絵里は、子供たちは今どうしているんだ?」

 耕太は感情的になり、部屋の外にまで響くような大きな声を上げて、車いすに座る京介の襟元を掴み、すごんだその時、控室の扉が開いた。


「親父!どうした!大丈夫か?」「あんた何をしているんだ!父さんから離れろ!」

「空、陸。何も問題ない」


 大学の休みが重なったため、京介の手伝いで会場に来ていた空と陸の双子が控室に入ってきてしまった。


「そ、そんな。う、嘘だ」

 京介のことを父と言い、空、陸と呼ばれた成人男性二人を前にした耕太はそう言って、たじろいながら後ずさりし、控室から逃げるように飛び出していった。街中を全力で走り続け、ビルとビルの狭い隙間に身を隠し入れ、膝を地面につけて怒り震え考えた。そして、京介が双子を奪うために立てた計画であったと、20年経ってようやく気がつくのであった。


 その日の夜、権厳寺ごんげんじ家のリビングで6人が夕食をとっていると、陸が話し始めた。

「父さん。今日、控室に来ていたあの人は誰だったの?」

「陸。その話はするな。あのことは忘れなさい」

「いやいや、父さんの身が危険だったんだ。警察に相談した方がいいよ」

 心配になった妻の咲弥が、誰かと問いただしたが、やはり答えようとしない京介。

 その時、空が会場の様子をスマートフォンで記録用に撮影していた写真に、その男が映っていたのを思い出したので、咲弥と優子と絵里に見せた。

「この男だよ」

 誰か分からず首をかしげる咲弥と優子であったが、絵里は違った。


 20年という歳月がその人物へ、シミとシワを与えていたが、絵里にははっきりとわかった。それがかつて愛していた夫、耕太だということを。

「そ、そんな、まさか、生きていただなんて、、、ど、どういうことですか?京介さん!」


 京介は食事をする手を止めて、しばらく考えた後、ゆっくりと話し始めた。


それは、かつて絵里は耕太という人物と結婚していたということ。

それは、空と陸が二卵性二精子性双生児という珍しい症例だということ。

それは、空が、京介の子供で、陸が耕太の子供であるということ。

ここまで、すべて本当のことを話していたが、最後に京介は嘘をついた。

それは、耕太は絵里が浮気していたことを知って、愛想をつかし、京介からお金をせびって、自ら死んだことにして家族の前から姿を消すことを選んだということを。


 これらの話を聞いた空、陸、絵里、咲弥、優子の5人は、それぞれが違う思いでいた。


空は、陸とは父親が違うことに驚き、

陸は、慕っていた京介が本当の父ではなかったことに落胆し、

絵里は、耕太が生きていたことの喜びと、耕太を傷つけてしまっていた罪悪感を同時に感じ、

咲弥は、優子と空を結婚させようとしていた本当の理由を、優子が知った反応を気にし、

優子は、これから京介が本当の子供でない陸を、どう扱かうかを気にしていた。


 この後リビングでは誰もが口を閉ざした。そして、気持ちを落ち着かせ、整理してから、翌日の夜に話し合おうと決め、それぞれの部屋へ帰っていった。


 翌朝、無言で朝食を済ませた京介が、いつものように出社しようと玄関を出てきた。見送りのため、京介の車いすを押しながら、絵里も後ろからついてきて、待っていた送迎車に乗り込もうとしたその時であった。家の敷地内の植え込みの影に隠れていた耕太が突如現れ、震える手にナイフを持ち、その切っ先を正面へ向けて、京介に向かって走り寄り、左胸を刺してしまった。


「うあっっ!」


 それは一瞬のことで、車いすの介助をしていた運転手も止めることができず、京介は苦しみながら地面に倒れこんでしまった。


「俺をだましたな。何もかも奪ったな。絵里も子供も、絵を描くことさえも。絵里、ずっと君を思っていたよ。この男の口車に乗って騙されてしまったことを許しておくれ」


 まじかで見ていた絵里は、耕太と20年ぶりに再会したその姿と、京介の苦しむ姿を同時に目撃し、言葉を失い固まった。その間、運転手は耕太を取り押さえ、大声で人を呼び、警察へ電話をした。

 騒ぎを聞きつけ、家の中にいた4人が玄関へ出て来ると、血まみれで横たわる京介に気づき、近づいて介抱した。

 救急車と警察が到着し、京介は病院へ、耕太は逮捕され警察署へと連行された。


 そしてその後、京介は帰らぬ人となってしまった。


 それは京介の四十九日法要の日に起きた。

 京介は遺言書を残していなかったため、財産分与として咲弥が1/2と権厳寺グループの大半を引き継ぎ、空と陸と優子の子供は1/6づつを現金で受け取った。そして、長年共に住んでいた絵里への遺産は、ただの居候として扱われたため、ゼロであった。

 空と陸は、優子との件から関係は悪くなり、さらに双子でありながら父親が違うと知らされてから、口を利くことはほぼなくなっていたが、この日、空が陸に話しかけた。

「陸。オレはお前のことを今まで兄弟として接していたが、父親が違うってことを知ってしまってから、なんだか気分が悪いんだ。しかも、お前の親父がオレの親父を殺してしまった事に、お前を憎いとさえ思うようになってしまっている」

「空。君が僕に対する気持ちは何となくわかっていたよ。それに僕はもう、権厳寺家とは何の関係もないと分かったから、咲弥さんとの養子縁組を終わらせてこの家を出ていくよ。もう会うことは無いだろう。さようなら」

 二人の話を聞いていた絵里も、陸を追って共に権厳寺家を出ていく決意をすると、空が言った。

「母さん。出ていかないで。残ってよ」

「私は陸を一人に出来ない。でもね、空。あなたも同じだけ愛しているわ」


 その後、陸は大学を中退し、優子との関係をも終わらせ、権厳寺家との関係を完全に終わらせた。


 今まで同じ舟に乗っていた双子は、ここで別々の航路へと旅立つのであった。


第二部 完


人物紹介

 権厳寺 京介 享年55歳 権厳寺グループ総裁 耕太に殺される

 権厳寺 咲弥 46歳 京介の妻 会社を京介から引き継ぐ

 権厳寺 優子 20歳 大学生 京介と咲弥の子だが、本当の父親は第三者からの精子提供によるもの

 権厳寺 空 21歳 大学生 京介と絵里の子 陸と双子の兄

 山下 耕太 51歳 元画家 偽装死亡によりタイで潜伏していたが、日本へ密入国し、京介を殺害して捕まる

 山下 絵里 48歳 耕太の元妻 権厳寺家に居候していたが京介の死後、権厳寺家を出る

 山下 陸 21歳 耕太と絵里の子 空と双子の弟 京介の養子であったが、権厳寺家を出る

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