呉越同腹

団田図

第1話 元カレからの手紙

第一部 1990年


 世間はバブル景気の真っただ中。そんな経済の騒音とはかけ離れた、静かな農村に暮らす一組の家族がいた。夫:山下耕太こうた31歳。妻:絵里えり28歳。そして、生まれて間もない双子の兄:そら1歳 弟:りく1歳。

 耕太は画家と名乗っているが、家族を養えるだけの稼ぎはなく、週刊誌やチラシのイラストを描いては小銭を稼いでいた。一方、絵里は近くの農業組合でキュウリの選別をするパートとして働きながら一家を支えていた。

 空と陸の名前の由来は、どちらの世界にいても、お互いに困ったときは協力して生きていってほしいとの願いから付けられた。


 耕太は毎年、グッド絵画展に挑戦している。ここで良い評価を得られれば、今後描く全ての絵が、高値で売れるためだ。このコンテストは新人画家の登竜門として、数多くの作品が並び、大賞を取るにはそれ相応の技術と先進的な発想が要求された。

 そしてまた、耕太は今年もグッド絵画展に出展する一枚の絵を完成させた。


題名【家族】


 それは決して新しい発想の絵ではなく、どこにでもあるような油絵だった。双子の1歳の誕生日を記念して描かれたその絵は、四つの輪が『田』の字のように少しずつ重なり合った抽象的なもので、色使いや筆のタッチはとても柔らかく暖かい印象だ。

 耕太はこれを絵里に見せて説明した。


「これはね、成長する絵なんだ。この四つの輪は僕たち家族。そして、今後僕たちの大切な人が増えるたびに輪が足されていくって算段なんだよ。何か良いことがあると、だるまの目玉に丸をかきたすだろ?それと同じようにさ。仮にどこかが欠けても、周りで補い合える。輪が多ければ多いほど支え合うことができるんだ。」


「とってもいい絵ね。でも、『どこが欠けても』なんて怖いこと言わないで。私たちはずっと一緒よ。準備できたわ、空と陸の一歳をお祝いしましょ」


 絵里はそう言うと、ケーキではなくお茶碗に盛られたご飯にローソクを立て、そこに火をつけ、歌い始めた。


「ハッピバースデートゥーユー♪ハッピバースデートゥーユー♪ハッピバースデーディア空と陸ー♪ハッピバースデートゥーユー♪」


 炎の熱で溶けて流れ出すロウを気にしながら、早口で歌い終わると、夫婦二人で子供たちを膝の上で抱えながらロウソクの火を吹き消した。

 この幸せがいつまでも続くようにと願いながら。そして、どんなに生活が貧しくても、夫の夢を支え、笑顔の絶えない家族でいつづけようと絵里は、心に誓うのであった。


 しかし、絵里には一つの不安があった。双子の髪が伸びるにつれ、目が開くにつれ、鼻筋がとおるにつれ、あごのラインが現れるにつれ、片割れだけが浮気相手に似ていくことに。兄の空だけが、二年前に別れた男に似ていくことに。



 定期健診で訪れた産婦人科にて、冗談交じりで主治医の高齢な先生に聞いてみた。

「先生、仮の話なんですけど、仮に、同時期に二人の男性と関係を持ったとして、仮に、双子が産まれたとして、その子たちが違う父親ってことはありえますか?」

「ふぁっふぁっふぁっ。面白い質問をしますね絵里さん。過去にそのような事例は聞いたことはありませんよ。ただ、、、」

「ただ?」

「ただ、仮にそうだったとしても、血液型以外、科学的に証明のしようが無いので、心配するだけ損ってものですよ。ふぁっふぁっふぁっ」

 絵里は、双子が自分と同じA型であったため、確かに先生の言う通りだと思い、これ以上考えるのをやめた。


 そんな時、絵里の元に一通の手紙が届いた。相手は、かつて絵里が働いていた不動産会社の社長であり、浮気相手でもあった権厳寺ごんげんじ京介きょうすけからだ。ちょうど郵便配達員が来た時に自分が受け取ったからよかったものの、もし夫が受け取っていたのなら、なんと言い訳をしようかと考えながら肝を冷やした。

 京介は絵里の7歳年上の35歳で、一代で不動産会社を大きくした敏腕経営者だ。

2年前の当時は秘書として京介に仕えていた絵里であったが、お互いに家族がいると知りながら惹かれ合ってしまった。何度か体を重ねるも、絵里は夫の耕太に対して罪の意識が芽生え、京介に別れを告げて会社も辞めた。

 私信で送られてきたその手紙の内容を想像はできなかったが、少なくともいいことではなさそうだと感じ、夫に気づかれぬよう、家の裏手に回って木の陰に隠れながら手紙を開封した。


………………

 絵里さん、お久しぶりです。君が僕の秘書を退いてから二年が経ちました。僕の会社がここまで大きくなれたのは君のおかげとも思っております。会社は今もなお、大きくなり続け、順調に業績を伸ばしております。

 実は、相談があって筆を執りました。君が会社を去ったあと、僕は交通事故にあってしまい、今は車いすで生活をしています。その時、生殖器を失ってしまい、女性と交わることのできない体となってしまいました。

 ここまで大きくした会社を、いずれは自分の子供に譲ってあげたいと思っておりましたが、今ではそれも叶わぬ夢となりました。

 ご存じの通り僕には身寄りが無く、施設で育ったため、養子をもらえるような身内もおりません。

 そこで相談ですが、絵里さんのお子さんを僕の養子にいただけないかと、かつて僕が愛した君に声を掛けている次第です。縁もゆかりもない、まったく知らない人の子供を育てるくらいならと、この件は妻も承知の上でのことです。

 もし、絵里さんにお子様がいて、その子を僕の養子として迎えさせていただけるのであれば、それ相応のお礼もさせていただきます。どうか、このことを旦那様と考えていただき、ご連絡をください。

 唐突なお願いで困るだろうが、僕は本気です。良いお返事をいただけることを願っております。


権厳寺京介

………………


 手紙を読み終わると絵里は、京介の置かれた状況に同情するも、この話を夫にしたら自分が浮気をしていたことを白状することにもなると思い、このことを誰にも言わず、返事も書かず、その手紙を細かくなるまで破り、捨てた。

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