第2話 交易艇員はたまにはゆっくり寝させてほしい
今見ているものが夢だということに気づくのに時間はかからなかった。手の行き届いた庭園の中で、少し年上の女の子と遊んでいる。顔は見えないが笑っているのが分かる。自分がその人を深く慕っていたことも。その女の子が、結ったばかりの花の輪を頭にかけながら、「小さなお花だけで作ってみたの。まるであなたみたいね」と少しいたずらっぽく笑っている。自分が座っている場所が色鮮やかな花に囲まれてることからここが現実でないことは明白だったが、なにより、夢の中で話しかけられている自分は小さな女の子なんだだとはっきり理解していた。楽しげなのに、夢は懐かしさと寂しさに満ちている。年上の少女から名前を呼ばれたが、よく聞き取れなかった。もう一度、と意識を集中したところで、けたたましい音と共に視界が薄汚れた天井に切り替わった。
「総員持ち場につけ!でかいぞ!」
天井からぶら下がった金属管からがなり声が聞こえる。反射的にベッドから飛び起きて、梯子の下に用意してある作業着に飛び込んだ。乱暴にブーツの先まで足を突っ込んだら袖を通しジッパーを上げてヘルメットを掴む。準備完了まで約40秒、我ながらなかなかスムーズだ。
「全員叩き起こせ!」
多分全員が甲板にでるまであの声は鳴りやまないだろう。あの心地よい夢をもっと見ていたかったが、こううるさくては夢見が悪い。さっさと終わらせてまた寝させてもらおう。
「なんだ艇長、ずいぶんご機嫌だな」
下のベッドの住人は慌てる様子もなくブーツを引っ張った。
「早くしろよジトー、またどやされんぞ」
のんびり準備している同僚がベッドから這い出る前に、僕はドア寄りに移動した。こいつが立つと急に部屋が狭く感じる。
向かいのバンクベッドの上段から、また一人、ぬぼっと毛玉のような頭をもたげた。
「先週逃したのがかなり痛かったからね。僕らのボーナス分がのこればいいけど」
そう言いながら毛玉、もとい第二の同僚はバンク下のベッドに手を伸ばして、乱雑に積まれた荷物から適当に服を引っ張り出した。ベッドの主が居ないことをいいことに好き勝手にしている。
「マイルズ。それは考えるだけ悲しくなるからやめておこう。そしておはよう」
僕はジャーキーを齧って同僚二人がのんびり準備しているのを見ていた。もう備蓄も少なかったし、ちょうどいいかなんて考えていたらドアが乱暴に開かれた。そして僕のヘルメットを強打し鈍い音が響いた。
「おい男どもさっさとこいよ!捕り物だ!」突然の来訪者は満面の笑顔で仁王立ちしていた。
「ああイツキか、で、なにが出たんだ?」
服を着終わったジトーが聞いた。
「まだ聞いてない!だから行こうぜ!」
「おいイツキ、うっきうきなところ悪いが、部屋は小さいんだ。もう少し慎重にドアをあけてくれると助かる。ヘルメットをしてなかったら大惨事になるところだぞ。ちょっと口の中噛んじゃったじゃないか」
僕はくらくらする頭を抑えながら抗議したが、おそらく微塵も届いていなそうだ。
「さすがにノックはしたほうがいいんじゃないの?イツキ」
乱暴な来訪者の背後からひょこっと顔を出してきた女の子は両手にパンをいくつかもっている。
「私達食堂にいたんだ。はい、みんなの分のパン。おかずは持ってこれなかったけど」
「おおアシマもいるのか。助かるよ、サンキュー」
なんて良い娘なんだ。僕はその眩いばかりの笑顔に腰が砕けんばかりだったが、鋼の精神で踏ん張り感謝を述べてパンを一つ下賜していただいた。同室の野郎どももパンを受け取る。もっと感謝しろよお前ら、女神が顕現くださってるんだぞ。
「お、ジャーキーなんてまだ持ってたのか、一本ちょうだい!じゃ先行くな!」
そう言うとその略奪者、いや来訪者、もといイツキという名の同僚は僕の瓶から一番大きい塊を引っ張り出して踵を返した。どかどかと進むその後ろをアシマがついていく。
「アンカーは4本、2対で使うんだってさ!射手も補助もマークスマンも足んないから早く来いよー!」
言い忘れてたらしい伝言を伝え終わるより早く角を曲がってしまったので最後はほとんど聞こえてなかった。
部屋の男どもは、長い黒髪のおさげと艶やかな茶髪が見えなくなるまでじっくりと、いやいや温かく見守ってから準備に戻った。
「まじか、そりゃでかいな」
さも思い出したかのようにコメントするジトーの口はもごもごしている。
「あ、こら。人のもん食うなよ。脂飴なら大量にあるからそれとパンを食え」
残り二切れしかないじゃないか。
ここでもまた抗議するが、同室の仲間たちはこともなげだ。
「脂飴は遭難時用非常食だろが。そもそもまずすぎて食えねぇ。イツキがいいなら俺らもいいだろ」
「イツキに見られたらどうせ後で全部食べられるよ。それにこれを捕ればまたビンいっぱいに作れるだろ」
こんどはマイルズにひょいっと一切れがまた接収された。僕は反論の弁が浮かばず、無言で最後の一切れをパンと共に頬張った。サワードゥのパンはスカスカで酸味が強く、肉の塩気も相まって口の中の水分がぎゅんぎゅん吸い取られていく。オレンジジュースかコーヒーが欲しい。
「ここで取れたら一番近い街はコスタロサか。いいねぇ、リゾートの海辺でビール」
「お酒弱いくせにね」
ジトーをマイルズが茶化した。
「うるせぇ。ほらリックいくぞ。イヤマフ忘れんなよ。」ジトーが最初に部屋を出た。
まったく、これで捕れなかったら大損だ。最初に準備を終えたはずの僕は、三人の最後尾で部屋を後にした。
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