第8話:ジラルディエールのお屋敷


 テーブルには軽食が並びティーカップからはふわっと紅茶の湯気があがっている。連れてこられた屋敷の一室でアンジェルと三人の男たちは円卓に着いていた。昨日までの絵本の中に入り込んだような生活が一転して一気に現実に引き戻された感覚になる。

さて、とオリーブ色の髪の青年が眼鏡をくいっとあげた。


「まずは自己紹介をせねばなりませんね」


アンジェルは塔の窓から飛び出たところからさっぱり記憶がなく、いつの間にかふかふかのベッドで寝かされていた。目が覚めたら眼前にはグリズリー…ではなく琥珀色の髪の青年のどアップが目に入ってきて悲鳴をあげそうになったがそれさえキスで塞がれてしまった。それから今の今まで隙あらば迫ってくる青年に、免疫のないアンジェルはすでにへとへとになっている。


「まず、ことあるごとにあなたへセクハラを働いているこの御方はティト・アコスタ王太子殿下。ジラルディエール国王の血を引く唯一のご子息です」

「えっ!?」


アンジェルが驚くと向かいに座っている琥珀色の髪の青年、ティトがひらひら~と手を振った。驚くのも無理はない。ペルラン王国の歴史によるとジラルディエールはもう存在しないはずの国だ。そう習ってきているし皆そう思っている。


「ジラルディエールは百年以上前になくなったのでは!?」

「ありますよ、まだ。といっても国というよりは集落、と言った方が良いのかもしれませんが」


彼が言うにはジラルの塔から見える海に島があって先の戦争で生き延びた人がそこで生活をしているのだという。中にはペルラン王国に残りそのまま生活している人もいるから同胞はあちこちにいるらしい。


「そして私はティト様に仕えております、アドルフィト・トレドと申します。アドとお呼びください」

「僕はルシアナ・エスピネル。みんなはルーシーって呼ぶよ」


ジラルディエール王太子殿下とその側近である二人。アンジェルはとんでもない場所にいるのではないかとたじろいだ。…当の本人たちは何も気にしていない様子で食事を始めているが。


「あ、私は」

「知っていますよ、アンジェル・セルトン侯爵令嬢」


名乗ろうとしたアンジェルの声をアドルフィトが遮る。


「周辺国の上層部では割と噂になっていました。まぁあなたが、というよりはクレール王子がアホだという話でしたが」


ということは異母妹に婚約者を取られてクレールに捨てられたということは知っているのだろう。何となく情けなくて下を向いてしまう。


「ですがここひと月近隣諸国をうろうろしている間にこんなことになっているとは思わなかったです。生け贄にされた経緯を聞いても?」


ここで嘘を言っても仕方がないのでこれまでの経緯をすべて話した。聞き終わった三人はふう、と大きなため息を吐く。


「王家もあなたの家族もアホと言うことがよくわかりました」

「セルトン侯爵一家を屋敷ごと燃やしてやろうか?」

「も、燃やす!?」


ティトから出た不穏な言葉にアンジェルは盛大に首を横に振った。心なしか残念そうに見えるがさすがに燃やすのは気が引ける。


「あの…聞いても良いですか?」

「どうぞ」

「どうして塔ではグリズリーとモルモットになっていたのですか?」


それが一番気になっていた。歴史書には“ジラルディエールの国民は不思議な力を持っていた”としか書かれておらずその力がどういうものかまではわからなかった。妃教育を受けていたアンジェルにとってこの国の歴史は誰より叩き込まれている。しかし占領したジラルディエールの事はほとんど出てこなかったのだ。


「ジラルディエールの歴史書がほとんどないのは恐らく先祖が口伝を重んじ書き残す事をしなかったからかと。それとペルラン王国にしたら潰した国の事はあまり触れたくないでしょうし」

「なるほど…」

「だから俺も力について言葉では説明できないかな。遺伝ってくらいで」

「そうなのですか。では皆様は理由はわからないけど生まれながらにして魔力を持っているということなんですね」

「そうなります」


三人が頷く。


「ただしジラルディエール出身だからと言って強い魔力を持った人ばかりではないのでほとんどの人は鳥獣に姿を変えることはありません」


言い換えれば鳥獣に変わる人は魔力も強いということだ。ジラルディエールで生まれた人間は三才になると神殿で儀式があり、そこで魔力の能力を調べるのだとか。


「魔力の強い人間は新月の日を挟んだ三日間だけなぜか急激に魔力が弱まるのです。その三日間だけ鳥獣の姿になることで体力などの消耗を防いでいます」

「逆にその三日間無理に人間の姿でいると…まぁ高熱で寝込んだりするな」


弱まると言ってもああしてかまどに火をつけたり灯りをともしたりという基本的な事は問題ないのだろう。


「私はフクロウ、ルーシーはモルモット。この屋敷にいても何ら問題はないのですが」

「ティト様がグリズリーだからね。グリズリーが街にいることがうっかりばれたら大騒ぎになっちゃう」

「だからひと月の内三日間だけジラルの塔で過ごしてるってわけだ。あそこはこの国で言う“呪い”がかかってるからな」


なるほど、とアンジェルは頷いた。生け贄となる儀式が新月の夜であったから彼らに会えた。もし儀式が満月の日であればアンジェルはあの塔で餓死していた可能性が高い。


(私は本当に運が良かったんだわ…)


アンジェルは幸せな偶然に心から感謝した。


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