第2話 天才超能力赤ん坊、ウワン
ぼくは、スーパーでいつものように大量の買い物をして、両手一杯に抱えられない食材を持って帰宅した。
「ただいま」
そう言ってドアを開けた。見ると、リビングのソファの上のゆりかごで、
ウワンは寝ていた。
「相変わらず、よく寝るよな」
ぼくは、ウワンの寝ている様子を見ながら呟いた。
ぼくは、そんなウワンが寝ている隙に、食事を作ることにした。
今日の夕飯のオカズは、しょうが焼き五人前、レタス丸ごと三個、トマト五個のシンプルサラダ、豚汁五人前とご飯は五合だ。食事の用意をするだけで、
一苦労なのだ。
もっとも、それは、全部自分で食べるわけだから、手を抜くわけにはいかない。
ご飯が炊けて、オカズをテーブルに並べ始めたところで、ウワンが目を覚ました。
「食事か?」
「ビックリさせるなよ。いきなり起きるな」
「昼寝をしてただけだ。睡眠期間は、三日後だ」
「昼寝にしては、ずいぶん長い昼寝だったな」
イヤミをこめて言い返したけど、ウワンには通じない。
「腹減ったのか? ミルクを飲むか」
ぼくは、そう言って、ウワンのミルクを作り始めた。
何のかんの言って、ウワンはミルクだけで済むので、簡単でいい。
ウワンにミルクを飲ませているときだった。玄関のチャイムが鳴った。
こんな時間に誰だろうと思いながら、玄関を開けた。
「来ちゃった」
そこにいたのは、彼女だった。
「えっ! どうして……」
「慎一くんちの住所を調べて、来てみたの。ごめんね、勝手に来ちゃって」
「別にいいけど……」
「ちょっと、上がっていい」
「イヤ、その……」
ぼくが返事に困っていると、彼女は、靴を脱いですでに玄関から上がって
しまった。
「誰か来たのか?」
そこに、タイミング悪いことに、ゆりかごに乗ったウワンがやってきた。
「えっ!」
「あっ!」
彼女とウワンの驚いた声が重なった。しかも、ウワンは、ゆりかごを宙に
浮かせている。
決定的な衝撃の対面だ。もはや、どう言い訳を繕っても無駄だ。
「なに、この子? なんで、宙に浮いてるの?」
「あぁ、イヤ、その、なんだ……」
この状況をどう説明したらいいのか、頭が混乱していた。
「見られた以上、仕方がない。可哀想だが、この娘の記憶を消す」
ウワンがテレパシーで話しかけた。
「待ってくれ。話をさせてくれ、ウワン」
「ダメだ。慎一の秘密を見られた以上、このままにしてはおけない」
「頼むよ、ウワン。ぼくが話すから」
「ダメだ。このまま放置すると、キミ自身がどうなるか、想像できるだろ」
「わかってる。わかってるけど、話をするくらい、待ってくれよ」
ぼくは、ウワンを無視して、彼女をリビングに案内した。
「驚いただろ」
「ちょっとね」
「えっと、話を聞いてくれるかな?」
「いいよ。ちゃんと話してね」
そして、ぼくは、自分の秘密を話して聞かせた。ウワンのことも、父の事も
話した。
彼女は、ぼくが話している間は、ずっと黙って聞いていた。
話し終えると、彼女は、なぜか、涙を零した。
「慎一くん、ずっと、一人で、我慢してたんだね。つらかったね」
そんなことを言われるとは思わなかった。
ぼくは、慌てて傍にあったティッシュの箱を彼女に差し出した。
彼女は、涙をそっと拭くと、こう続けた。
「安心して、ウワンちゃん。あたし、慎一くんの秘密は、誰にも言わないから。あたし、断然、慎一くんのファンになっちゃった」
今度は、ぼくが驚く番だった。こんな展開は、想定外だった。
「だから、いつもあんなにたくさんご飯を食べてたのね。だから、あの時も、
今日も、あたしを助けてくれたのね」
彼女は、静かに言った。
「おい、慎一、今日もって、また、なにかしたのか」
ウワンが横から口を出した。仕方がないので、植木鉢の一件を話した。
「まったく、キミって言う人は…… 相手が、この子だからよかったものの、
違う人だったら、どうするつもりだ」
「なにを言ってんだよ。ぼくが呼んでも、昼寝してたじゃないか」
ぼくは、ウワンに言い返した。
「とにかく、そう言う事だから、ぼくのことは、学校でも秘密にしてくれ。この通り、お願いします」
ぼくは、両手を合わせて、深々と頭を下げた。
「慎一くん、あたしを信じてくれてありがとう。このことは、あたしだけの秘密にするから」
「ありがとう、美樹ちゃん」
「それから、ウワンちゃんも、これからよろしくね」
ウワンは、彼女を見下ろしすだけで、何も言わない。
「わかっただろ。だから、美樹ちゃんには、手を出さないでくれ。頼むよ、
ウワン」
すると、ゆりかごをスッと、ぼくの膝の上に下りると、顔を上げて
こう言った。
「仕方がない。その娘のことは、信用するとしよう。ただし、少しでも、慎一の秘密をしゃべったら、記憶は消すから」
「わかった。誰にも言わない。約束するわ」
そう言うと、彼女は、ゆりかごからウワンを抱き上げた。
「よく見ると、可愛い赤ちゃんね。とても、超能力がある赤ちゃんには、見えないわ」
彼女に抱かれて、ウワンも満足そうな笑みを浮かべている。
まったく、調子がいい赤ん坊だ。
「なんか、いいニオイしない?」
「あっ、いけない、ご飯を作っていたんだ」
ぼくは、慌てて立ち上がると、キッチンに戻った。
「食事中だったの? あたしも手伝うわ」
「いいって……」
「いいから、あたしにやらせて。だって、邪魔しちゃったのあたしだもん」
そう言って、彼女は、ウワンをゆりかごに戻すと、キッチンに入ってきた。
「なんか、悪いね」
「急に来た、あたしの方が悪いんだから、気にしないで。それにしても、ホントにたくさん食べるのね。これ、全部、慎一くんが一人で作ったの?」
「まぁね」
「料理を作るのが好きなのね」
「そう言うわけじゃなくて、自然に作れるようになっただけだよ」
「料理上手な男子は、嫌いじゃないよ」
そんなこと言われたら、照れるじゃないか…… しかも、学校一の美人に。
彼女は、手際よく料理を手伝ってくれた。おかげで、時間も短縮できた。
いろんな意味で、彼女に感謝だ。
「こんなに一度にいろんな料理が並んだのなんて、見たことないわ」
テーブル一杯に並んだ料理は、ぼくにとっては、いつものことだけど、
彼女には珍しい光景なんだろう。
「よかったら、美樹ちゃんも食べない?」
「いいわよ。だって、慎一くんが食べなきゃいけないんでしょ」
「大丈夫だよ。美樹ちゃん一人分くらい。それより、二人で食べる方がおいしいから」
ぼくは、そう言って、彼女の前にお皿とご飯をよそって置いた。
「それじゃ、少しだけ、いただくわ」
「少しだなんていわないで、一杯食べてよ」
ぼくは、早速、食事を始めた。彼女は、ぼくの食べっぷりを見て、箸が
止まっている。
「そんなにおいしそうにたくさん食べる人、初めて見たわ」
「そうかな? ぼくは、ただ食べるだけだから」
彼女もぼくに釣られて、箸を伸ばした。
「あら、おいしい」
彼女からの、その一言に、ぼくは、うれしくなった。
何しろ、料理というのは、自分のためだけに作って食べるもので、他人に作ったことはない。
だから、うまいとか、まずいとか、しょっぱいとか、甘いとか、そんな感覚は
考えたことがない。
体の中にいる動物たちのために、ぼくは、ひたすら食べるだけに徹している。
「ホントに、おいしいわ。この豚汁なんて、あたしのママよりおいしいもん」
「そうなの?」
「それに、こんなにたくさん作らないしね」
彼女がゆっくり食べている間に、ぼくは、すでにご飯を二回お代わりして
いる。
「あたしは、パパとママと弟の四人家族でも、こんなにご飯を作らないしね」
「普通は、そうだよ」
ぼくは、言いながらしょうが焼きを三皿目に突入した。
結局、ほとんど自分で食べてしまった。
「やっと、お腹一杯になったよ。今日は、いつもより、おいしかったな」
「それは、あたしの台詞よ。ねぇ、これからも料理を作りに来てもいい?」
「そんなの悪いよ」
「あたしがやりたいの。迷惑じゃなかったら、少しは、慎一くんの手伝いがしたいの」
ぼくは、なんて言ったらいいかわからなくて、頭を掻いていると、ウワンが
口を出してきた。
「いいじゃないか。人は、一人で食べるより、複数で食べた方が、おいしさが増すらしい。それに、これだけの料理を毎日作るとなると、一人より二人のが時間の短縮になる」
「ありがとう、ウワンちゃん」
彼女は、ウワンを抱き上げると、ギュッと抱きしめた。
なんか、ウワンが羨ましい。その後、二人で洗い物を片付けた。
「それじゃ、帰るね。今日は、ホントにごめんね。急に押しかけて、ご飯まで
ご馳走になって」
「そんなことないよ。こっちこそ、ぼくの話を信用してくれてありがとう」
「安心して、誰にも言わないから。それじゃね」
そう言って、笑顔で帰っていく、彼女を見送った。
「慎一、送って行かなくていいのか」
「そうか、そうだよな」
ぼくは、慌てて靴を履いて、彼女の後を追った。
「美樹ちゃん!」
「どうしたの?」
「送っていくよ。夜だし、暗いと危ないから」
「大丈夫よ。もう、子供じゃないんだから」
「でも…… それじゃ、途中まででもいいから、送っていくよ」
「慎一くんて、優しいのね」
そんなことを言われると、またまた照れる。
「それで、美樹ちゃんのウチって、どこら辺なの?」
「アソコよ」
そう言って、指を刺したのは、最近出来たばかりの、駅前のタワーマンションだった。
「あのタワマンなの?」
「しかも、最上階なの」
ぼくは、ビックリした。彼女は、お金持ちのお嬢様なのか?
「あたしのパパが、設計したのよ。だから、そこに住んでるってだけなの」
「す、すごいんだね、キミのパパって……」
「慎一くんのが、すごいわよ」
ぼくたちは、そう言って、二人で並んで歩いた。
駅まで来ると、目の前がタワーマンションだ。明るいし、もう大丈夫だろう。
「ここでいいわ。送ってくれて、ありがとう」
「うん。それじゃ、さよなら」
「バイバイ、また、明日ね」
ぼくは、そう言って、彼女を見送った。
帰り道は、いつにもまして、足取りが軽く感じた。なんとなく、ニヤニヤして
くる。
これって、もしかして、恋ってやつなのか? ぼくが女の子に恋をするなんて、
信じられない。
自分でもビックリだ。これから、学校にいくのが、楽しみになってきた。
翌日もいつものように、学校に行く。教室に入って、自分の席に着く。
斜め右に座っている彼女を確認する。でも、声をかけたりはしない。
いつでも彼女の周りには、誰かがいる。
男子のときもあれば、女子のときもある。
仲がいい友だちがいるから、ぼくは、離れてみているしかない。
明るくて、人気がある彼女とは、一定の距離を取る。
ぼくみたいな友だちがいない、空気みたいな男と、口を聞かないように気を
使ったつもりだ。
彼女も、みんなのいる前で、ぼくに近づくようなことはしてこない。
そして、今日も、いつものように授業が始まった。退屈な授業だ。
でも、今日は、体育がないので、気を使わなくていいから、楽といえば楽だ。
昼休みになり、給食の時間だ。これまた、いつもと同じく、あっという間に
給食を平らげるとクラスの人たちに見つからないように、こっそり教室を
抜け出して、屋上に向かう。
かばんの中からドカ弁を取り出して蓋を開ける。
すると、後を追いかけてきたのか、彼女が屋上にやってきた。
「慎一くん、これ、あたしが作ったの。よかったら、食べて」
そう言って、ぼくに包みを渡した。
「ありがとう」
ぼくは、それを受け取ると、包みを開けた。中から出てきたのは、爆弾の
ような大きなおにぎりだった。
「足りないと思ったから、大きなおにぎりよ。中身は、いろんな具材が入ってるから」
「いいの?」
「もちろん。味の保証はしないけどね」
そう言って、彼女は、笑った。ぼくは、うれしくなった。
人からこんなことをしてもらったことは、一度もない。
まして、こんな可愛い女の子から、おにぎりをもらうなんて変な意味で、
変身人間になってよかったと思った。
早速、一口食べてみる。当然、おいしかった。
「おいしいよ」
「よかった」
そう言うと、ぼくの隣に座ると、おにぎりにかぶりついているぼくに話しかけてくる。
「教室じゃ、余り話しかけなくてごめんね」
「別に、気にしてないから」
「慎一くんて、余りクラスの友だちと話すところを見たことないから、もしかして、みんなと距離を取ってるの?」
「そういうわけじゃないけど、ぼくは、普通の人間じゃないだろ。だから、余りかかわらないようにしてるだけ」
「そんな事、気にすることないと思うけどな。だって、見かけは、普通の男の子だもん」
確かにそうだけど、今までが今までだったから、急に他の人たちと仲良くなるなんて、どうやったらいいかわからない。
「もしかして、あたしが、友だち第一号かしら」
「そうかもね」
ぼくは、おにぎりを食べ終わり、自分のドカ弁を食べ始める。
「慎一くんの趣味ってなに?」
趣味なんて聞かれても、特にない。他の人たちみたいに、ゲームをするとか、アニメを見るとか、スポーツをするとか、そんなことはしたことがないので、
答えに困る。
「特にないかな。学校が終わると、毎日、実験台になってたから、人と付き合ったことがないんだ」
「そうか…… そうよね。それじゃ、これから、あたしと友だちになって
くれる?」
「えっ!」
思わず、箸が止まった。ぼくと彼女が友だちなんて、そんなバカなことがあるわけがない。
「ダメかな?」
「イヤイヤ、全然。こちらこそ、よろしくお願いします」
ぼくは、急いで首を横に振って、それから今度は何度も頷いた。
「今日も、料理を作りに行ってもいい?」
「そんな、悪いよ」
「いいのよ。だって、友だちだもん。それに、あたし、慎一くんの役に立ちたいの。だって、ファンなんだもん」
ぼくの頭が、改造されてなくてよかった。思いがけない一言に、
頭がオーバーヒートする。
「どうしたの?」
「イヤ、その、なんだか、うれしくて。心臓がドキドキしてるよ」
これも事実だ。ぼくの心臓は、ライオンの心臓なのだ。
油断すると、胸からライオンが飛び出してきそうだ。
「ウワンちゃんは、今頃なにしてるのかな?」
「さぁ、寝てるんじゃないかな」
「寝る子は育つっていうけど、ウワンちゃんは、ずっとあのままなの?」
「アレ以上、大きくはならないらしいよ」
「大人になれないのは、ちょっと可哀想よね」
「いいんだよ。ウワンは、アレで」
ぼくは、今までウワンにされてきたことを思い出しながら言った。
そして、昼休みが終わるチャイムが鳴って、ぼくたちは教室に戻る。
その途中だった。階段を降りようとすると、三年生の先輩が三人やってきた。
この三人は、学校でも持て余すような、乱暴な人たちで有名なのだ。
出来れば関わりたくない。ぼくは、軽く会釈して、横を通り過ぎようとすると、
その中の誰かが足を出して、ぼくを引っ掛けた。
ぼくは、思いっきり転んで、階段から転げ落ちた。
「慎一くん!」
彼女が、慌てて駆け下りて、ぼくを助け起こす。
「大丈夫?」
「平気だよ。転んだだけだから」
この程度のことは、今のぼくにとっては、かすり傷にもならない。
ぼくは、何もなかったかのように立ち上がって、落としたかばんを拾う。
「ちょっと、謝りなさいよ」
彼女が、階段の上から見下ろす三人に言った。
「ふん、イチャイチャしやがって。目障りなんだよ」
「なによ、人を転ばせて、怪我したらどうするのよ」
「関係ねぇよ」
三人は、そう言って屋上に行く。どうやら、午後の授業をサボるらしい。
「待ちなさいよ。謝らないと、先生に言うわよ」
「やってみろよ」
そう言うと、三人は、階段を降りてこっちにやってきた。
まずいぞ。ここで、なにか問題を起こすと目立ってしまう。
「ちょっと、可愛いからって、いい気になるなよ」
そう言って、彼女の腕を掴んで来た。
「離してよ」
「うるせぇ、ちょっと来い」
そう言って、腕を引っ張っていく。
「慎一くん!」
彼女を見捨てるわけにはいかない。だって、友だち第一号だから。
ぼくのファンといってくれたから。
「ちょっと待って下さい」
「なんだ、やる気か?」
「その手を離して下さい」
「離さないと言ったら、どうする?」
しょうがない。軽く相手をするか。
「美樹ちゃん、目を瞑ってて。大丈夫だから」
そう言うと、彼女は、目を閉じた。それを確認してから、ぼくは、制服の上着を脱いだ。
「やる気か、彼氏か何だか知らないけど、痛い目に合いたくなかったら、
逃げたらどうだ」
そういい終わらないうちに、ぼくは、右手をゴリラに変身して、三人を軽く
殴った。ホントに軽くだ。でも、ゴリラに殴られたら、ひとたまりもない。
三人は、壁に激突して、そのままズルズルと落ちていった。
勢いで放り出された彼女を、ぼくは、両手で抱きとめる。
「もういいよ」
ぼくは、そう言って、ゆっくり彼女を床に立たせた。
「慎一くん……」
「ケガはない?」
「うん、ありがとう」
そのとき、音に気がついて、先生がやってきた。
「なにしてるんだ?」
「あの、先輩たちが、ケンカしてるみたいで」
ぼくは、そう言って、伸びている先輩たちは、先生たちに任せて、彼女と教室に戻ることにした。
そして、床に落ちている制服の上着を着る。右手だけ、ワイシャツがビリビリになっている。
「シャツをダメにして、ごめんね」
「いいよ、これくらい」
「でも……」
「いつものことだから、気にしない、気にしない」
ぼくは、笑って言った。彼女は、教室に戻っても、すまなそうな顔をしている。
ぼくは、心配かけないように、笑って返す。実際、このくらい、どうってことはない。帰ったら、ウワンに怒られるけど……
学校が終わって、いつものようにスーパーに買い物に行く。
「待って、あたしも行くから」
彼女が後から走ってきた。
「さっきのお礼がしたいの。あたしが、余計なことを言ったから、あんなことになって」
「別に気にしなくてもいいのに」
「あたしは、気にするの。だから、あたしも行く」
彼女の真面目な顔を見ると、それ以上拒むことは出来ない。
「それじゃ、行こうか」
「うん」
そう言って、彼女は、ぼくと並んでスーパーに行った。
「今日は、なにを作るの?」
「う~ん、どうしようかな……」
これもいつものことだけど、夕飯のオカズは、毎回特に考えないで、買い物に行った先で決めるようにしている。
「カレーとかどう? すき焼きとか、鍋物なら、たくさん作れそうよ」
「そうだね。それじゃ、鍋でもしようか」
ぼくは、何気なく言った。実際、鍋物なら、いくらでも食べられるし、
バランスもよく野菜も肉も食べられる。
ぼくたちは、二人でスーパーまでの道のりを話しながら歩いた。
すると、すぐ先が、通行止めになっているかのように、人でごった返していた。
なにか事故かなにかかと思っていると、誰かが上に向かって叫んだ。
「やめろーっ!」
ぼくたちも上を見た。すると、ビルの屋上の手すりから、女性が一人、今にも落ちそうだった。まさか、飛び降り自殺か……
「やめなさい」
下から、誰かが叫ぶ。でも、屋上の手すりにいる女性は、何も言わない。
「慎一くん……」
彼女も心配そうだ。どうする…… これは、すごくまずい状況だ。
これだけの人だかりの前で、変身するわけにはいかない。助けに走っても、
間に合わないだろう。
ぼくは、ウワンに助けを求めた。珍しく、すぐにウワンから返事が来た。
そして、すぐに何をやったのかわかった。ウワンが時間を止めたのだ。
ぼくは、彼女に上着を脱いで渡す。
「慎一くん、しっかりね」
「えっ!」
ぼくは、ビックリした。ウワンは、時間を止めた。周りの人々は、一人残らず止まっている。なのに、彼女は、動いている。
「美樹ちゃん、動けるの?」
「何のこと?」
彼女が、聞き返す。そして、やっと、今の状況を飲み込んだらしい。
「えっ、どういうこと?」
「説明は、あと。とにかく、これを持ってて」
ぼくは、制服の上着を彼女に渡すと、背中に精神を集中させる。
そして、背中から翼を取り出すと大きく羽ばたいて一気に屋上まで飛び上がった。そして、飛び降りる寸前の彼女を掴んでそのまま下まで降りた。
ほんの数秒の出来事だった。
ぼくが制服を着ていると、時間が戻ったのか、回りの人たちが動き出した。
そして、地面に倒れている彼女を見て、驚いている。
「おい、大丈夫か? 」
ぼくは、彼女を連れて、人ごみの中から逃げた。
「美樹ちゃん、信じられないけど、ウワンが時間を止めたんだ」
「ウワンちゃんが…… そんなことできるの?」
「ウワンは、超能力が使えるからね。ちょっとくらいなら、できるんだよ」
「すごい、すごいわ。でも、なんで、あたしは、動けたのかしらね?」
「きっと、ウワンが美樹ちゃんを認めてくれたんじゃないかな。だから、ぼくと同じように、動きを止めなかったんだよ」
「そうだったら、うれしいわ。でも、シャツの背中、破けちゃったね」
まぁ、いいさ、これくらい。ぼくは、そう思いながら、笑った。
いつものように大量の買い物をして、彼女と帰宅した。
「まったく、何枚、シャツを無駄にすれば気が済むんだ」
早速、ウワンから怒られた。
「ウワンちゃん、許してあげて、慎一くんは、人助けをしたのよ」
「それとこれとは別問題なのだよ。慎一は、ヒーローでも正義の味方でもない」
「わかってるけど、それじゃ、あの人は、そのまま飛び降り自殺して死んじゃうのよ」
「仕方がないことだ。それが、その人間の運命であり、その人間が選んだ人生
なんだ」
「ウワンちゃんて、冷たいのね」
彼女は、そう言って、横を向いてしまった。
「でも、私の動きは、止めなかったのよね。それは、ありがとうね」
それに対して、ウワンも何も言わない。
その後、彼女に甘えたぼくは、買ってきた食材で、大鍋を作ってもらった。
「まるで、相撲取りのちゃんこ鍋みたいだね」
「それより、すごいわよ」
ぼくは、彼女と作る料理の時間が楽しくなってきた。
グツグツ煮えてくる音が、おいしそうだ。ぼくは、テーブルに向かい合って
座る。
「いっしょに食べようか」
「うん、それじゃ、いただきます」
こうして、今夜も楽しい夕食が始まった。ぼくの食欲を見て、彼女は、目を
パチクリさせている。
「なんか、慎一くんと食べていると、あたしも食べ過ぎちゃう」
「無理しないでいいからね」
ぼくは、そう言って、彼女を安心させる。
食事を済ませて、後片付けも一段落したところで、彼女の帰宅時間だ。
「送っていくよ」
「いつもありがとう」
ぼくは、並んで駅まで歩く。すると、彼女が突然足を止めて振り向いた。
「ねぇ、無理だったらいいんだけど、一つお願いがあるんだけど……」
「なに?」
「空を飛んでみたいの。マンションの屋上まで、空を飛んで送ってくれない?」
まさか、そんなお願いとは思わなかった。どうする、どうする……
ぼくがちょっと考え込んでいると、彼女は笑いながら言った。
「やっぱり、無理よね。ごめん、困らせて」
そう言って、歩き出す彼女を見て、なぜだかこう言った。
「いいよ」
「ホントに?」
「でも、危ないよ。それでもいいの?」
「大丈夫よ。慎一くんを信じてるから。それに、ちゃんと捕まってるから。
でも、後でウワンちゃんに怒られない?」
「う~ん…… たぶん、怒られるかも」
ぼくは、首を捻って言うと、彼女は、困ったような笑みをもらす。
「それじゃ、やっぱり、いいわ。あたしのせいで、怒られたら、悪いもの」
「イヤ、大丈夫。その代わり、ちゃんと掴まってないと、落ちるからね」
「うん」
ぼくは、そう言って、上着を脱いだ。さて、Tシャツは、脱ぐべきか……
脱がないと、また、背中が破けてシャツをダメにするから、確実にウワンに
怒られる。
だからと言って、シャツを脱いだら、裸で彼女を抱くことになる。
いくらなんでも、そんな恥ずかしいことは出来ない。ぼくが迷っているのを見た彼女は言った。
「いいよ、シャツも脱いで」
「イヤイヤ、それは、いくらなんでも、裸の男に抱きつくのは、まずいでしょ」
「でも、そうしないと、シャツが破れるよ」
「それは、そうだけど、しょうがないよ」
「ダメよ。あたしのせいで、シャツを一枚ダメにするのよ。だったら、空を飛ぶのはやめよう」
そう言って、彼女は、ぼくの先を歩き出した。
「待ってよ。わかった。それじゃ、シャツも脱ぐけど、余り見ないでよ。人様に見せられるような体じゃないから」
「うん。あたしだって、嫁入り前の女の子が、裸の男の人に抱かれるんだから、お互い様よ」
それは、お互い様って言うのだろうか…… でも、そう言った以上、
やらなきゃいけない。
シャツが破れてなければ、ウワンにいい訳も出来るだろう。
ぼくは、後ろを向いてシャツを脱いだ。風が素肌に涼しい。
てゆーか、人前で服を脱ぐなんて、初めてだ。
しかも、好きな女の子の前で、それも屋外で。知らない人が見たら、確実に
変質者だ。
脱いだ服は、彼女に持ってもらって、ぼくは、彼女を抱き上げた。
「ちょっと失礼するよ。しっかり掴まっててね」
ぼくは、そう言って、背中に精神を集中する。背中から大きな翼が飛び出す。
「行くよ」
ぼくは、翼を何度か羽ばたくと、勢いよく空にジャンプした。
そのまま上空に舞い上がる。あっという間に、地面が遠ざかる。
「す、すごい……」
「怖くない」
「うん」
彼女の長い髪が風でバタバタとはためく。夜のネオンを空から見下ろすと、
すごくきれいに見える。
駅までなので、実際に飛んでいる時間は、ほんの数分だ。
短い時間だけど、彼女にとっては、何時間にも思えるような空の旅だろう。
「もう、着くよ」
ぼくは、彼女を落とさないように注意しながらゆっくり空を飛んだ。
「もう少し、飛んでいたいな。気持ちいいんだもん」
彼女は、下を見たり、上を見たり、楽しんでいるようだった。
今夜の夜空は、月がよく見える。月明かりが眩しいくらいだ。
ぼくは、彼女の家がある、高層マンションの屋上の、さらに高く舞い上がると、何度か旋回した。
そして、ゆっくりと屋上に着地する。彼女を静かに地面に下ろす。
「怖くなかった」
「全然。楽しかった。ありがとう、慎一くん」
彼女は、ぼくの手を握って、笑顔でぼくを見た。
「そ、それじゃ、また、明日……」
そう言って、帰ろうとすると、彼女が笑いながら言った。
「忘れ物よ」
そう言って、差し出したのは、ぼくのシャツと上着だった。
これを忘れて帰ったら、ウワンになにを言われるかわからない。
「なんか、舞い上がってたみたいだね」
ぼくは、照れ笑いを浮かべて、シャツを受け取った。
「それと、明日は、日曜日で学校はお休みよ」
「あっ、そうか……」
そんなことすら忘れている。かなりのぼせているようだ。
「ねぇ、明日、予定がなかったら、遊びに行かない?」
「えっ……」
「なんか、予定とかある?」
「イヤ、特にないけど……」
「それじゃ、明日のお昼に駅前で待ち合わせしない?」
「わかった」
「それじゃ、アドレスを教えて」
ぼくは、屋上で上半身裸のまま、お互いにアドレスを交換する。
いったい、ぼくは、なにをしてるんだろうと思う。
「それじゃ、また、後で。メールするね」
「うん」
「気をつけてね。送ってくれて、ありがとう」
彼女が手を振るのを見ながら、ぼくは、翼をはためかせて空に飛び上がった。
屋上で小さくなっていく彼女を見ながら、ぼくも手を振りながら夜空を飛んだ。
名残惜しい気持ちを我慢して、ぼくは、月に向かって白い翼を羽ばたかせた。
「ただいま」
ぼくは、ちゃんとシャツを着て、上着も羽織って玄関に入った。
「遅かったな、慎一」
「ちょっとね。美樹ちゃんを送っていって、少しおしゃべりしてたから」
ウワンを騙せるとは思っていなかったが、ウソをついた。
「なるほど。まぁ、シャツをダメにしなかったのから、よしとしようか」
やっぱり、ウワンには、バレていたらしい。でも、ウソをついたことより、
シャツのが優先なのか?
なんだか釈然としないけど、怒られなかったから、よしとしよう。
その後、風呂に入ってから、ベッドに横になったところで、携帯電話を
見ると、着信があった。
開いて見ると、それは、彼女からのメールだった。
『今日は、無理を言って、ごめんね。でも、楽しかったよ。ありがとう。明日は、12時に駅前で待ってます』
ぼくは、何度もその文面を読んだ。短い文章でも、うれしかった。
そして、次は、なんて返事をしようか考えた。
女の子から、こんなメールをもらったのは、当然、初めてなので、どう返事を
したらいいのかわからない。
かと言って、ウワンに聞くわけにいかない。ぼくは、何度も書いては消してを
繰り返し、何とか送った返事はこれだ。
『明日のこと、了解です。楽しみにしてます。おやすみなさい』
これだけの文章を考えるのに、20分かかった。すると、すぐに既読されて、
絵文字で『笑顔マーク』が返って来た。
もしかして、これって、デートなのか? 今更気がついた。
ホントに、鈍感で我ながら困る。
しかも、女の子の方からのお誘いだ。ぼくは、どう振舞ったらいいのか
わからない。何しろ、異性とデートするなんて、初めてなんだから……
待ち合わせの時間はいいとして、どこに行ったらいいんだ?
どこに行くとも言ってなかった。そんなことを思い出すと、デートするには、
どこに行ったらいいのか考える。
しかし、デートなんてしたことない、鈍感男のぼくには、考え付かない。
映画と言っても、どんな映画に行ったらいいのかわからない。
その前に、今、上映している映画を知らない。
おしゃれなレストランで食事でも…… イヤイヤ、食事はまずい。
ぼくの場合は、デカ盛りでもたらないんだから食事は、避けた方がいい。
せいぜい喫茶店でお茶を飲むくらいにしておいたほうが無難だ。
それじゃ、どこに行く? 買い物に行くか? 彼女になにかプレゼントをしよう。
でも、お金がない。学生で、バイトもしてないし、そもそも食費でウチの
場合は、お金が足りないくらいだ。
ダメだ、いくら考えても、いいアイディアが思い付かない。
経験値がないというのは致命的だ。
少しは、世間のことも勉強しないといけない。テレビも見なきゃいけない。
ぼくに足りないことばかりだ。ぼくの一日は、食って、寝て、学校に行って、
また、食って、寝ての繰り返しだ。
何の変化もない、つまらない毎日だということに気がつく。
なにか趣味を持ったほうがいいかもしれない。娯楽というのも一切、興味が
ないのも致命的だ。
結局、この夜は、何も結論が出ないまま、寝ることになった。
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