第六話 『死貴族たちは花嫁の祝歌に剣を捧げ』 その10


 恐怖。こいつと戦場はどうしたって切り離せないところがあってね。いつでも、その感情に戦場は囚われてしまう。お前たちは眠れたかな?帝国の兵士どもよ。オレたちは良い晩飯を楽しんで、寝酒に頼ることもなくしっかりと眠ったぞ。


 ……戦場で眠れる者は強さを得られるものだが、恐怖を抱き過ぎていると、この感情のせいで眠れなくなってしまう。神経はムダに過敏となり、影のなかに敵の姿を探すのだ。浅い眠りは悪夢と出会いやすくてね、戦場で腐っていく戦死者の姿を見ることもある。


 ヒトは意外と繊細なものであり、感情は戦士を守ってくれるとは限らない。ガルフ・コルテスの教えに忠実なオレたちと、お前らのあいだには大きな差があるのさ。


 引き絞っていた『竜吠えの鏑矢』から無骨な指を離す。


 この愉快な発明品は闇を貫きながら潮風を喰らった。笛に似た構造が機能を始め、敵の船団の上空に『ニセモノの歌』を流していく。


『きゃおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』


『……ぼく、こんなのじゃない!』


「うんうん。ちゃんと知ってるよ。もっと勇ましくてカッコいいもんねー」


 そう。やはり作り物ではあって、本物の竜の歌とはあまりにも違ってはいる。だが、肝心なのはオレたちにどう聞こえるかではなく、敵兵どもの耳にどう聞こえるかの方だ。ニセモノだと気づけるほどに、竜の歌を聞いているはずがない。


「かかったであります」


 キュレネイの声にうなずく。オレの目にも、それは映し出されている。敵の船団が、上空を流れ星のように駆け抜けた『竜吠えの鏑矢』に引かれて、無数の矢を撃ち放った。いるはずもない竜の姿を恐怖が見せている。


「撃ちまくっているな」


「竜を接近させないように、弾幕を作ろうというわけであります。間違いでもない判断。こちらの姿は闇に融けている」


「見えなくてもいいから、とにかく撃ちまくっていればー……たしかに近寄りにくくはあるよね」


『うん。てきとーなしゃげきでも。あれだけうっていたら、ちかよりにくい』


 合理的な防御ではあるのさ。だからこそ、指揮官も止められない。恐怖に駆られて、部下どもがムダに矢を放っていたとしても。


 矢の弾幕による防御は、竜への対策としては言わずもがな最も有効なものの一つじゃあるよ。だが、あまりにも高コストな反応だったな。『竜吠えの鏑矢』一つに向けて、ヤツらはどれだけの矢を放ってしまったことか。百や二百ではないぞ。


「ムダに撃たせたね!」


「ああ。まだまだ、これから使わせるぞ」


 恐怖は使うものだ。操られるものではない。オレたち猟兵にとってはね。鉄靴を使い、ゼファーに空を移動させる。敵の船団の東側へと向かう。こいつらの船速を遅くして、船団の形をストレッチしてやるために。


 矢を放たせてやるぞ。


 そうすれば、お前たちはオールを漕ぐ腕が減る。気ままな風に合わせて帆の形を変えるための腕の数も減る。


 遅くなるというわけさ。


 こちらも追いつかれるにしたってね、一斉に群がられるよりは分散した状態で襲われた方が守りやすくもある。さあて、『竜吠えの鏑矢』を使うが―――。


「―――提案であります。矢の速度が尽きるよりも前に、海へと落として欲しいであります」


「ククク!……ああ、ちょうどそう考えていたところだ」


「おそろいでありますな。それは嬉しい。ククク」


 悪人みたいな笑い方を真似られたよ。楽しいひと時じゃある。戦場であってもコミュニケーションを取ろうじゃないか。まるで日常であるかのように。そうすれば、恐怖なんぞに囚われることはなく、オレたちは『自由』でいられるんだ。


 腕の角度を変えてね。


 300メートルは飛距離を短くする。


 この高度だ。角度を選び、『雷』で筋力を強化して、きちんと風に乗せれば?……900メートルは軽々と飛ぶんだがな。さっきみたいに船団を横切るような勢いでね。


 だが。この射撃はさっきとは異なる恐怖を演出するためのものだ。


 長く撃つほどに『竜吠えの矢』は広く歌を流す。それだけ多くの敵兵の矢をムダ撃ちに誘うのは確かだが、この戦術は距離をムダにする価値も十分にあったよ。本当さ。証明することにしよう。


 指を離して、弦を暴れさせた。


『きゃおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおううう――――』


 歌の残響は、予想の通り短くてね。歌に誘われた矢も、当然ながら少なくなってしまうんだ。だが、それでもいい。新しい恐怖を、敵兵どもの心に呼び込めるのだから。


 東側の船どもが、一斉に明かりを灯す。


 甲板の上に兵士が増えたよ。矢を撃ちまくる弓兵の隊列だけではない。船の側面に、海へと突き出すように棒付きのランタンが突き出される。あるいはかがり火だったりたいまつだったりと、バリエーションはそれぞれにあったが、どれも意図することは同じ。


 船の側面にずらりと並べた長槍と銛を構えた兵士どものために、夜の色に染まった海面を照らしてやることだ。


 ああ。


 恐怖に反応して、怯えた戦士の腕どもが銛を海に打ち込み、槍で水面を突いていた。いるのはせいぜい、クジラか……あるいは、水死体に惹かれてやって来ていたサメどもだけさ。


「ルルーはいないのにね!」


「そう。いない。海中での戦いをしていたルルーシロアは、ここにいない。だが、途切れた『竜吠えの鏑矢』の残響の角度が、まるで海面に飛び込んだ竜の姿を想像させた」


 『想像力』というものは、ときどき戦士の敵になる。恐れを抱き過ぎているときは、こんな風に。使いこなせず、使われてしまうのだ戦士の方がね。


 波の影に竜を見て、サメを指さし叫ぶのだ。竜だ、竜だ。こっちに来ているぞ。全力で警戒し、行動を使いもする。消耗していくな、矢も銛も……長槍で海面を叩くことも難しい。水は固くてね。ほら、上手く打ち込まないと柄の方を曲げちまうぜ。


 それらは明らかに疲れる作業だった。長柄の鋼を支えたまま、海面をにらむ仕事も。弓を夜空に向けて、構え続けることも。


 さあ。オレたちの敵よ。どんどん使ってくれたまえ。集中力も体力も、矢も銛も槍も。多くを海に全力で放てばいい。その上で、心を恐怖に擦り減らせてくれるとありがたい。想像力に囚われて、間違った行動が増えていく。


 是非とも、その調子で疲れてくれよ。こちら以上に疲れてくれれば、より楽な戦いになる。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る