オレ、95歳で異世界転生。したら、神の仕事にスカウトされました

雨 杜和(あめ とわ)

第1話 異世界転生? オイオイオイ



 御年95歳だ。

 よく生きた。


 まあ、だからって、なぜ、こんな場所に来たんだとは思う。


 目覚めると、周囲はPM2・5が最大級に威力を発揮したように煙っている。

 その上、目の前では椅子にすわった男が長い足をスマートに組んでいた。


 いや、それがどうって別になんとも思っちゃいないが。ただ、足を組んで、スーツでもなく、かといってラフ過ぎる服装でもなく、全身を黒でキメた男ってな。


 オレの持論だが。

 こんな奴にロクな人間はいない! まちがいなく、女泣かせの薄っぺらな野郎にちがいない。


 それにしても、顔が認識できない。なぜぼやけているんだろう。


 モヤがかかっている感じか?


 これは老眼のせいじゃない。ひどい近眼の人間がメガネなしで見るようなボケ顔。あるいは、ピントの合わない望遠鏡で見た顔とも言える。服装なんかは、はっきり見えるので、そこが奇妙だった。


 だから、これは、わざと顔をぼかしているとしか思えない。そんなことができるなら、ここは異常な世界だ。


 男の背後には天井まで届く本棚があり、ぎっしりと本がつまっている。


 天国か?

 二十一世紀の天国って、こんな場所なんか。妙にお役所的な雰囲気なんだが。


「はじめまして、わたくしは神のお手伝いも兼業する『死神』でございます」


 神のお手伝い……?

 あはは、死神って言ってるよ。


 ふざけてるんだろうか。

 そう思うだろ? よお、そこの若造。オレも思ったわ。


「注目してください」と、黒づくめは言った。


 注目と言われても、オレは、さっきまで自宅の寝床で血反吐を吐いていたんだ。

 家族はいないから、いわゆる孤独死って奴だ。


 人生をおさらばしたら、間髪おかずに奇妙な廊下に立っていた。ちょっとだけマゴマゴして、目の前にあった扉をギギギって開けると、この黒服男がキザっぽく待っていたって訳さ。


 書斎のような場所といい、男といい、すこぶる驚きがない。

 驚けないぞ!

 長生きしすぎて、とんだ、すれっからしになったもんだ。目覚めたら、クソッたれな朝だったみたいに思える。


 こういう場合、じじとして数十年つちかったコツは持っている。


「はあ?」

「耳が遠いフリしても無駄ですから。あなたは寿命を全うしたのです。今は耳が聞こえます。いえ、若い時より聞こえているはずです」


 95年生きてきたじじだ。

 95年ってあれだよ。時代ガチャでいうなら、完全に貧乏くじのほう。


 戦争に向かう日本で、「欲しがりません勝つまでは」っていう青春時代を、ひたすら腹すかせて過ごし。


 戦後、食べ物がない時代を闇市でチョコを盗みながら、ひたすら腹をすかし。


 高度成長時代には、休みも取らずに、がむしゃらに働いて。


 この世を引退したら、今、死神を名乗るキザな男が目の前にいて、こう言うんだ。


「ご苦労さまでした。異世界への転生を希望なさいますか?」ってな。

 そりゃあ、「はあ?」、だろ?

「ですから、そこ、聞こえているでしょ」


 こいつ、若いんか? 


 せっかちな上に思いやりがない。聞こえないフリは最高の攻撃でもあるって知ってろよ。


「あのな。今更、そのわけがわかんない世界で、またぞろ腹をすかせたくないんじゃ」

「いえ、腹をすかせるじゃなく、働いてもらいます」

「仕事?」

「そうです。あなたは、この場所に来る栄光を勝ち得た、『その他』ケースの選ばれし人。異世界でのお仕事が待っております」

「頼んじゃおらんわ」

「役立つ妖精をひとり、おつけします」

「だから、頼んじゃおらんて」

「では、こちらにサインを。あ、そうそう、ご趣味としては巨乳ですか、貧乳ですか?」


 奇妙な石板が、いつのまにか眼前に浮いている。


 こういう契約書ってのにサインしたら、後は地獄だ。そういうのには、さんざん苦労してきたから腹の底から嫌なんだよ。


 詐欺まがいの50万円ローン組みの布団から、詐欺まがいの100万円のハンコ、ついでに教祖付きでローンを組んだ詐欺まがいの壺まで、一応、網羅して買わされてきた経験者だ。

 あなどるでない。


 離婚した妻の叫び声は今も耳に残っている。


『キャッ、あなたぁ!! なんで、なんで保証人なんかになったのよ。バカでしょ。バカよね』って。


 一千万円の借金を背負わされたとき、ほとほと妻に愛想を尽かされ、そのまま逃げられた。


 なけなしの財産、すべて持って逃げた、あの女。復讐ふくしゅうしてやると思っていたが、それも叶わなかった。どこで、どう生きてるんだか。いや、とっくに死んでるだろうな。


 ま、人のことを考えてもはじまらん。


 オレのクソったれな一生でだまされた三倍くらいは、だましてきた。

 そういうもんだ。

 騙すやつってのは、騙されやすいんだ。


 だから、骨身に染みている、契約書は地獄の一丁目。

 んなものに、サインなどするか。


 ちらっと見た。


[あなたの能力をお貸しください。その代わりに、あなたは万能老人スキルを得られます。その経験スキルを思う存分に活かせる仕事、名付けて『神のお仕事』。しかも妖精付き、美女。選択肢として巨乳か貧乳かを選べます]


 妖精付き?

 それも、美女。選択肢として、巨乳か貧乳か。

 いや、その選択肢。そもそも変でしょ。と、死神を見るとニヤリと笑いやがった。


「巨乳を選びましたね。残念です。在庫不足です」

「なら、なんで選ばせる」


 困ったように、男は下を向いた。


「それは、この世界最高神であらせられますアメ神さまが、世の中は公平であるべきという信念をお持ちで、その上で、常に在庫を処分しておられまして。畏れおおくも、わたくしめのような者が憶測でものを言うのもなんですが、巨乳になにかご不満を、あああぁぁ……」


 悲鳴を最後に死神と名乗ったキザ男がシュッと消えた。次に、その場に現れたのは知的な雰囲気までも漂わせた、完璧に愛らしい女の子だった。


 ショートカットの髪が似合っている。

 目が大きく、うるうるした顔は可憐だった。その顔を、わざと隠すように黒ぶちメガネをかけてはいるが。


 メガネを取ったら、おそらく速攻で気絶するレベルのかわいさだ。


「大変失礼いたしました。ただいま、接続が急に悪くなったようです。とりあえず、妖精ナンバー1のわたくしめが、引き続きご説明させていただきます。では、お受けくださったものとして」

「いや、受け取らん」

「ありがとうございます。妖精は、わたくしで良いということですね。では神の御使いさまナンバー1000209333 b」

「いや、だから。え? なに、その、長い番号は」

「そこは、無駄にお気になさらず」


 とまあ、こんな奇妙な話になった。

 95歳だ。

 ボケもせずに95歳に辿り着いた。そうなりゃ、翁レベルに人生経験も豊富であって、それこそ人生の含蓄がんちくなんて深い味わいを持っているって思うだろう。


 甘いな。


 人間ちゅうもんは、成長なんてせんのだよ。

 若い自分と老いた自分が成長というハチミツをまぶした言葉で、辻褄合わせをしようだって、そりゃ、しょせん無理な話で。


 多少は経験値があるってくらいだ。

 十代だろうが、五十代だろうが、九十代だろうが、本質なんて変わりゃあしない。泣きたくなるほど同じだよ。


 しかし、今、生まれてはじめて、オレの身に普通じゃないことが起きているのは理解できている。


 オレは奇妙な妖精によって、今後の予定を聞かされていたのだ。

 シュールすぎる。


 もう、こっから話すのやめようか。

 どう思う?

 あんた、知りたいって思う?


 いいよ、知りたいなら、がんばって話してみるよ。ただ、記憶にそって話すから、多少は盛るつもりだ。

 そこんとこは、我慢してほしい。

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