まりちゃんのこと

01

 まりちゃんはいつも、ふわふわ笑ってた。


「ピアノやめるんだ」

 急に私に向かってそう言ったときも、まりちゃんはふわふわ笑ってた。もう桜は散ってしまって、公園の生垣にはつつじの花がいっぱい咲いていた。

 まりちゃんと私はほとんど毎日、その横を通って学校に通っていた。まりちゃんが歩くと、茶色いランドセルの中で筆箱がカタカタ音をたてた。

「えっ、なに」

 急だったから何を言われたのかすぐにはわからなくて、私はまりちゃんにそう聞き返した。たぶんバカみたいな顔をしていたと思う。まりちゃんはふわふわのまま、「あおいちゃんがそんなに驚くの、めずらしいね」と言って、へへへっと笑った。

 まりちゃんのフルネームは、小早川まりあという。でも私は、保育園のときからずっとまりちゃんって呼んでいた。私のお母さんや、まりちゃんのママがそう呼んでいたからだ。

 まりちゃんはちっちゃくて、髪の色が明るい茶色で、色白で目が大きくって、いつ見てもお人形さんみたいにかわいい。でっかくてガサツな私とは正反対だ。勉強も運動も真ん中くらいだけど、ピアノはたぶん、五年生の中で――いや、全校でだって一番うまいと思う。少なくとも私はそう思っている。三歳のときから私と同じピアノ教室に通っていて、グランドピアノの前にちょこんと座る姿が、私は大好きだった。

「本当? まりちゃん、ピアノやめちゃうの?」

「うん」

「えっ、なんで?」

「へへへ、ちょっとね」

 そう言ってまりちゃんは首をかしげる。まりちゃんが何も言わないでふわふわ笑っているから、私も何も聞かないことにする。

 昔からそうだった。まりちゃんを問いつめたり、責めたり、そういうことが私はとても苦手だ。とはいえまりちゃんはいい子だから、そんなことをしなきゃならなくなったことは、ほぼないと言っていい。

 でも、今は何か言った方がいい気がする。まりちゃんはピアノが好きだった。てっきりずっと続けるだろうと思っていたのに、どうしてやめてしまうのか、納得がいかない。きっとまりちゃんだって、やめたくてやめるわけじゃないと思う――

 でも、まりちゃんのふわふわした笑顔を見てしまうと、なんだかそれ以上つっこめなくなってしまう。私は口をとがらせて、まりちゃんはちょっとうつむいて、ならんで公園の横を通りすぎた。


「なんか、大変みたいよ。小早川さんち」

 その日、お母さんがキッチンでおばあちゃんと話しているのを、私はこっそりと聞いた。

「あら、そう」

「どうするのかしらね、会社」

「小早川さんて、あおいのなかよしの子のうちでしょ」

「そう、まりちゃん」

 聞いていると、胸がどきどきした。「へへへ、ちょっとね」と言いながら笑っていたまりちゃんの顔を思い出した。

 磨りガラスの戸を開けておばあちゃんが出てきた。ぬすみ聞きがばれる前に、私はあわてて廊下の奥に逃げた。

 おばあちゃんは右足を引きずりながら、自分の部屋に戻っていく。少しして、お祈りをするおばあちゃんの声が、部屋の方から聞こえてきた。

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