『お前だけでも生き延びろ!』と言い残して早十年、愛弟子が俺好みの女に成長していた

ゆで魂

第1話 小心者な愛弟子

 コボルトの群れと対峙していた。

 痛いほどの殺気が肌をしつこく刺してくる。


 コボルトというのは低位の魔物だ。

 二足歩行しており、顔立ちはオオカミに似ている。

 普段なら山や洞窟に潜んでいるが、エサが足りなくなるとリスク覚悟で人里を襲うこともある。


 視界に映っているコボルトは七十体ほど。

 体の大きなリーダー格がいるから一家丸ごとと思われる。

 それぞれの手には石斧や盾が握られており、中には弓で狙ってくる個体もいる。


 グレイは大剣を一閃させた。

 飛びかかってきた勇敢な一体の首から上が吹き飛んだ。


 造作ぞうさもない敵だ。

 他に守るものがなければ、という条件付きではあるが。


「いいか、エリィ」


 背後で震えている銀髪の少女、弟子のエリシアに声をかける。


 お人形のような顔に淡いブルーの瞳、腰まである銀髪はゆるくウェーブしており、お城に住んでいそうな女の子と言えるだろう。

 フード付きのローブをまとっているが、本人がドジっ子なのも相まって、すそのところには多数の足跡が付いている。


 ママゴトに興じるのがお似合いのエリシアだが、今はグレイの弟子として各地を転々としつつ、戦いに必要な知識を蓄えていた。


 これは実戦訓練。

 油断すれば命を落とすと伝えたら、本人は唇まで青くしていた。


「教えた防護結界シールドをずっと張っておけ。俺の側から離れるな。あとコボルトは賢い。相手が臆していると判断すれば一気に攻めてくる」

「はい! 師匠! でもコボルトより師匠の方が怖いです!」

「そうかよ」


 グレイは乱れた髪をかき上げながらせないことが二つあると思った。


 群れの中にはメスのコボルトや子供のコボルトも含まれていた。

 これは珍しい現象だ。

 普段の狩りならオスだけが出てくる。

 メスが武器を取るケースもあるが、それは住処すみかを防衛するといった非常時のみ。


 そして解せないことの二点目。

 彼らは実力差を理解しているのだ。

 勝ち目が薄いと知りつつ、なおグレイに向かってくる。


 ありえない現象だろう。

 魔物は基本、自爆しないとされている。


 八体のコボルトが別々の方向から同時に飛びかかってきた。

 敵ながら見事なコンビネーションといったところか。


 グレイは左手で素早く魔法陣を描いた。

 魔力で錬成された八本の槍が地面から飛び出してきて、コボルトの体を空中にい止める。


「勇気は立派だが……」


 右手の大剣がうなる。


「それで勝てるほど甘くないぜ」


 八体のコボルトを寸断すると、ものすごい量の血が舞った。

 その一部はエリシアの防護結界シールドに降り注ぎ、ジュワッと肉の焼けるような音を奏でる。


 やはり解せない。

 リーダーは群れに退却の命令を出さない。


 すでに九体を殺した。

 いずれも主力の若いオスだ。

 これ以上戦闘を続けたら群れは再起不能のダメージを負うに決まっている。


 リーダー格と目があった。

 闘志の炎はいささかも衰えない。


「師匠〜! 血の臭いに酔いました〜! そろそろ限界です〜!」


 エリシアの目がくるくる回っている。

 八歳のお子様には刺激が強すぎたらしい。


「分かった。すぐに片付けてやる」


 グレイは飾らない言葉で告げると、左手でさっきよりも大きな魔法陣を描いた。

 地面から次々と槍が飛び出して、一撃で相手の急所をえぐっていった。


 まずは群れのリーダー。

 それから古傷のある老兵たち。


 ようやくグレイの魔法が収まった時、まともに立っているコボルトはおらず、ピクピクと痙攣けいれんしている個体ばかりとなる。


「ガルッ!」


 生き残りがいた。

 子供である、石斧を持つ手が震えている。

 懸命けんめいにグレイから何かを守ろうとしている。


「お前の母親か」

「ガルッ!」


 母らしき個体は死んでいた。

 コボルトは亡くなった仲間の死体を丁重に扱うという話を思い出した。


「やめておけ。お前じゃ俺には勝てない」

「ガルッ! ガルッ! ガルッ!」


 グレイは振り返った。

 戦闘の終わりに気づいたエリシアが防護結界シールドを解除したところだった。


「あの〜、師匠〜」

「どうした?」

「その子を殺しちゃうのは……その……」

「ちょうどいい。お前が殺してみろ、エリィ」

「ひぇ⁉︎」


 グレイが短剣を差し出すと、エリシアは嫌々と首を振った。


「いつか魔剣士になりたいのだろう。だったら平然と魔物を殺す必要がある」

「でも……その子は……」

「オスのコボルトだ。成長したら自分の群れを持つかもしれない。そうしたら人間を殺しにくる。親を人間に殺されたコボルトは特にな」


 エリシアは躊躇ためらいがちに短剣を受け取る。

 途中まで刃を抜いたが、パチンとさやに戻してしまう。


「やっぱりできません! 胸が痛いです!」

「そうかよ」


 弟子の手から短剣を取り上げたグレイは、大きな手でエリシアの頭をでておく。


「今の心、大切にしておけ。見境なく魔物を殺すようになったら、人間は魔物と変わらなくなる」

「ししょ〜」


 綺麗事なのは分かっている。

 ここで子供のコボルトを見逃してもどうせ死ぬ。

 二十七年生きてきたグレイだからこそ理解しているのであって、八歳のエリシアの頭では理解できないだろう。


 だから大人が教える。

 世界の優しさも、自然の厳しさも。


「帰るぞ。戦果を報告しよう」

「はい!」


 手を汚さずに済んだエリシアが明るく笑う。


 グレイは途中で足を止めた。

 三本足鴉ヘル・クロウの鳴き声がしたからだ。

 百を超える鳥影が山の向こうからやってきて、コボルトたちの墓場に降り立つ。


 一年に一回くらいのご馳走だろう。

 三本足鴉ヘル・クロウはコボルトを襲わないとされるが、相手が子供、ましてや単体なら話は別である。


「あっ!」


 エリシアの耳に断末魔が届いたらしい。

 目元をゴシゴシしている。


「戦って死んだ。勇敢な最期だ。だから泣くな」

「はい……」


 グレイたちが村里に着いた時、鳥影が山の向こうに帰っていくところであり、空は血のような茜色あかねいろに染まっていた。

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