六
うたが持つ霊視の能力は、もともとの素質ではない。十二年前、行方不明になり帰ってきた後で、身についた能力だ。
仁助がうたのために行方不明になった事件を調べていたように、宿禰もまた、なぜ霊視の能力が身についてしまったのかを、独自に調べていた。
深萩神社に眠る様々な書物を読んでも、途中で霊視の能力に目覚めたという現象については、何もなかった。そもそも超自然現象というのは、型にはまらない現象なのだから、調べてわかるくらいなら、うたは苦労をしなかっただろう。
宿禰も
うたがはじめて、知人以外の霊を見たのだ。確証はなかったが、うたは織本といたときに、霊視の能力が高まったのではないかと考えた。なぜそう思ったのかと問われれば、織本のうたに対する態度に釈然としないものがあって、うたではなく、他の誰かを見ているように感じられたからだ。
そこで宿禰は仮説を立てた。
もしかしたら、うたの中には別の誰かがいるのかもしれない。生者でなければ、もちろん目には見えない魂である。
霊に
ならばどういうことかと、宿禰はもう一度、書物を調べ始めた。
そこで見つけたのが、
「空蝉は、
「鷹取家……」
仁助にはその名に聞き覚えがなかった。
「かの関ケ原の合戦で
改易、つまりお家とり潰しのことである。
「須磨は、鷹取家の
「鷹取家の家紋は、三つ巴……私にわかることはそこまでです」
「どこかで見たような……」
いつだったか、黒羽織の背中に、その紋を見たことがあった。
(あ……!)
三つ巴は、兵馬の……西崎家の家紋である。
平素は足の速い仁助だが、薄雲一座に向かう足取りは、どことなく重かった。
うたのこともだが、もしや鷹取家の末裔は須磨だけではなく、兵馬もそうではないのか。
わからない……わからないけれど……
(とてつもなく、嫌な予感がする……)
事件の捜査のときは良くても、このときばかりは自分の勘が当たってくれるなと、仁助は必死に念じていた。
薄雲一座の芝居小屋にたどり着くも、人の
「ただいま休演中……次回公演は……」
小屋の入り口は閉じられ、代わりにいつ子が読み上げた紙が貼ってあった。
「裏に行くぞ」
伝吉も兎之介も、いつ子も環游も、うたに会いたい一心で、気持ちは
裏に回ると、一座の人間のみ使用しているのであろう、出入り口が確認できた。伝吉が手をかけると難なく開いたので、皆が様子を見ながら中に入る。
中はしんと静まり返っていた。小道具やらが所々に置いてあり、雑然とはしているが、音は聞こえない……と思っていたら、誰かの足音が聞こえた。仁助たちの前に姿を現したのは……
「「「うた!」」」
「うーちゃん!」
「嬢ちゃん!」
皆が
兎之介といつ子は泣きそうになりながら、うたに駆け寄った。
「よかった、無事で……早くかえ……」
兎之介がつかもうとした手を、うたは避けた。しかもうたは、
「貴方たちは、誰ですか……?」
一瞬で、その場に緊張が走った。
声も姿も、うたそのものなのに、彼女の言葉を誰も信じられないでいる。
「うた、何言って……」
「私はうたではありません……!」
とうとう逃げ出してしまったうたを、
「うた!」
また離れてしまう前に、うたに手を伸ばす。しかし仁助はうたに触れられなかった。
うたを
「八丁堀の旦那が、何の用ですかい?」
「お前……」
若い男だった。化粧映えもするであろう顔には、美しさがある。
「一応、薄雲一座の座長の
「俺たちはあの娘に用がある。……うたは、どうしてここにいるんだ」
「残念ながら、あの子はうたって名前じゃありませんよ。お
「てめぇ!旦那の前で嘘を吐くとは、いい度胸だぜ」
「嘘なんか吐いてませんよ。俺たちと一緒に旅をしてきた、一座の娘なんで。それに、さっきお蓉がうたじゃないって、言ってたじゃありませんか」
月臣に怪しい様子は見られなかったが、彼は役者だ。人を
だが、うたが否定したのも事実である。
仁助たちはなす
「あの人たちは……?」
次回公演に向けて一座は準備していたのだが、この日は月臣とお蓉を除いて、皆は出払っている。
突然の来客に、お蓉は困惑していた。
「江戸のお役人たちだ。行方不明になった娘を探しているようで、お前さんがその娘に似ていたから、勘違いしたんだとよ」
「……私は本当に、お蓉なんですか?」
彼女は記憶が欠落していた。
目覚めたら一座にいて、月臣からは自分が一座の一員で、お蓉という娘だと教えられた。しかし本人は、何も思い出せないままなのだ。
「そうだよ。ゆっくり思い出してくれればいい。ま、今は記憶よりも
「科白?」
「次の公演で、お蓉には巫女の役になってもらう」
「私、できません……」
記憶をなくす前はいざ知らず、記憶がない今、とても芝居にでることなどできないと、お蓉は固辞するが……
「大丈夫。科白は呪文だけだから。……とっておきのね」
「どうなってやがる……!」
兎之介の怒りは収まらなかった。
アワノウタをうたう巫女、それが薄雲一座の次回公演の演目であった。
深萩神社の儀式で神子を務めたうたは、儀式の最中、アワノウタをうたっている。当初、アワノウタは儀式でうたうと定められてはいなかったのだが、うたの機転によって、うたったという経緯がある。つまり、五十年に一度催される儀式の中で、昨年に神子を務めたうたの代の儀式を知らなければ、アワノウタをうたう巫女という発想は、得られるものではないのだ。
しかし、うたに関係があると一座に踏み込めば、うたそっくりの娘が、自分はうたではないと否定した。
「あれはうただ」
仁助はそう断言した。本物のうたを見分けられないほど、生半可な気持ちでうたを好いてはいないという自信と直感である。
「あいつら、記憶がねぇうたを騙してるんですよ」
「せっかく見つかったのに……」
伝吉も怒り、環游は嘆くように言った。
「でも、どうして記憶がないの……?」
痴呆になった、あるいは頭を強く打ったときに、記憶損失になってしまうことがあるが、前者では絶対にあり得なければ、頭部を怪我しているようにも見えなかった。
「うーちゃん、何も悪いことなんかしてないのに……」
様々な想いが交差してから五日後、変化という変化は現れなかった。
「一座の連中は口を
いつ子と環游の二人は、薄雲一座に下働きとして潜入していたのである。はじめにうたを訪ねに来た手前、断られると思ったが、月臣は一つ返事で承諾していた。
「そうか」
「…………」
伝吉はそれ以上を言うのをやめた。
淡白な仁助の返事は、彼の心情を表しているわけではない。無力さを噛みしめて、やっと出会ったのは、記憶の失った愛しい人だった。
冷静さを努めてはいるが、本音は計り知れない。
うたに空蝉の術を使ったのは須磨で、織本も噛んでいる。うたは空蝉によって何者かを隠され、その
この理不尽な仕打ちに、
もしもこのまま、記憶が戻らなければ……あるいは、何者かにとって代わられてしまったならば……
うたがうたでなくなることが、何よりも恐ろしい。
「何であいつらを雇ったんだ!」
舞台裏では、月臣の弟、
顔立ちが良く似ている二人であった。
「人手は多い方がいいだろ」
「兄貴は俺たちのことがばれても……」
そこまで言って、影臣がある視線に気づいた。振り返れば、物陰から様子を
うたはびくりとして、視線を下に落とす。
「お前の所為で、とんだ厄介だ!」
今度はうたに向けて悪態をついた影臣は、
月臣は苦笑いを浮かべて、うたに近づき、安心させるように優しく肩に触れる。
「あいつ、最近気が立ってるんだ」
「……影臣さんは前から、私のことが嫌いだったんですか?」
「そんなことないよ。今だって、お蓉のことを嫌っているわけじゃない」
影臣のことは、何一つ覚えていない。彼は、忘れられたことが気に食わないのではないかと考えるも、記憶が思い出せないのだから、どうしようもなかった。
「あの、今日は何日ですか?」
「二十一日だけど……」
「急がないと……」
お蓉は思い出して、月臣に頭を下げたあとで、小道具が置いてある場所から折り紙を拝借して、自身が起居している部屋に向かった。
その後は一心不乱に、折り鶴を作る。
なぜ二十一日に折り鶴を作るのか、お蓉にはわからない。作り方は覚えているのに、目的が思い出せないまま、誰かのために祈りを込めていた。
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