第37話 大ルーンの書:実験編

 俺たちは、市場から白紙の本を十数冊買い付けて、学院に戻ってきていた。


「じゃ、これ構築予定の大ルーン。ひとまず二冊」


「分かりました」


 俺たちは武器を用いない大ルーン研究という事で、森のいつもの場所でもなく、スノウのお茶会場でもなく、俺の部屋に集まっていた。


 本当は男子寮に女子を入れるのは禁止なんだけどな。まぁこのくらい良いだろ。やましいことなんかないし。あと他二人の追跡を躱すのにちょうどよいのだ。


 俺たちはとっくに大ルーンの書開発に夢中だったので、甘いムードなんてものとは無縁だった。少し前まで惚れた腫れたでガヤガヤしていたのは遥か過去のことだ。


 ということで、俺たちは白紙の書物三冊に、想定された大ルーンを印字し終わる。


「ゴット様、終わりました」


「お疲れ。―――さて、やるか。起動実験」


 俺はヤンナから受け取った大ルーンの書・試作一号の最後に排除ルーンを刻み、大ルーンとして成立させる。それから少し遠いところにおいて、指を鳴らした。


 俺の手元に、大ルーンの書が瞬間移動してくる。


「よし、まずはここまではいいな」


「はい! ……でも、こんなに買う必要があったのですか? 一度作ってしまえば、それで良い気がするのですが」


 積み上げた白紙の書を見て首を傾げるヤンナに「甘いな」と俺は首を振る。


「バグ―――この世界で言うところの、大ルーンの神罰を、ヤンナは甘く見てる。じゃあ、いいな? ここからは俺も未起動だ。やるぞ」


「は、はい。どうぞ」


 俺は、大ルーンの書を閉じる。これが閉じた瞬間に上手く消えれば成功だ。


 果たして、大ルーンの書は、ちゃんと消えた。光の粒子状に溶けて、消えていく。


「成功です! なぁんだ。ゴット様、心配しすぎですよ」


「……いや、失敗だ。見ろ」


「はい?」


 俺は本棚を指さす。本来なら、そこに大ルーンの書が移動するはずだったのだ。


 しかし、ない。


「……?」


 ヤンナは意味が分からず首を傾げている。俺は、無言で指をもう一度鳴らした。


 大ルーンの書は、現れない。


「えっ、何で。どういうことでしょう」


「恐らく転移先の指定が上手くいかなかったんだろうな。呼び戻しても反応がない辺り、無に帰してる可能性がある」


「無に……?」


「無に」


 大ルーンの書・試作一号はあえなく神罰バグで無に帰した。合掌。


「じゃあ次の奴行くぞ~」


「え、は、はい」


 ということで、大ルーンの書・試作二号である。場所の指定はもっと正確に記述したが、果たして。


「まずは呼ぶ」


 指を鳴らす。無事手元に白紙の大ルーンの書が現れる。


「これは問題ないですね。次から飛ばしてもよさそうです」


「安定はしてるな。けど手元が狂ってルーンを書き間違えたりするとこの時点で影響出るから、この確認過程は飛ばせないぞ」


「は、はい……もしかして、この作業って結構な沼なのでしょうか……?」


「気付いてしまったな」


 コード書くだけなら慣れたもんだが、まーバグがこわいのは常というもの。というかバグが起こっている内はマシなのだ。エラーというか根本的に矛盾があって起動しないのが一番キツイ。


 ということで、俺は心を無にしてパタンと大ルーンの書を閉じた。光の粒子と化して消える。


 そして俺たちは、揃って本棚を見た。大ルーンの書・試作二号が、本棚に斜めにめり込んでいる。


「……めり込んでますね」


「そうだな」


 俺は指を鳴らして呼び戻す。俺の手元に大ルーンの書は現れる。


 本の真ん中部分を、丸々失って。


「「……」」


 俺は無言で試作二号をごみ箱に捨てた。


「次行こう」


「あ、あの……もしかして、大ルーン構築って、思った以上に地味で苦行なのでは……」


「言うなッ! 俺たちはロマンに挑んでるんだ! 取り組んでる現実からは目を背けろ! 夢を見たまま心を無にして手を動かせ!」


「ひぃいい……」


 ということで、試作三号である。指鳴らしの召喚はOK。本閉じの転移もOK。


 ただし本は本棚ではなく天井にめり込んでいる。


「「……」」


 俺は指を鳴らす。無事に戻ってくる。もう一度本を閉じる。天井にめり込む。


「ゴット様、ヤンナは心が折れて来ました」


「大丈夫だ。いずれ何も感じなくなる」


「怖いですぅ……」


 とはいえ、いくつかの試行を試していくつか見えてきている。あとは少しルーンを書き直してやれば。


 俺は試作三号の大ルーンを書き直してから、本を閉じた。すると大ルーンの書は光の粒子となって消え、そして本棚に整理整頓させた風に収まる。


「あ……」


 そして指鳴らしをすると、無事に俺の手元に現れた。俺はニヤリ笑って、ヤンナを見る。


「今回は、上手くいったな」


「ゴット様!」


 ヤンナは満面の笑みで俺を見る。俺は軽く手を挙げ、ヤンナとハイタッチした。











 そんな風にヤンナと大ルーンの書の構築を行っていたある日のこと。


 ある程度大ルーンの書の構築が日常になってきて、フェリシーとかスノウとかも構える余裕が出てきた頃だ。


「ゴット様、ページの自動めくりの大ルーン構築について、ちょっと相談に乗ってもらってもいいですか?」


「ああ、見せてくれ」


 俺はヤンナに見せられた大ルーンを確認し、「あー、それはアレだよ。ページ数も固定で指定しちゃって~」とつらつら説明する。


「ああ! なるほど、そうするんですね! 分かりました」


 ヤンナは上機嫌で頷き、大ルーンを記述していく。おれはその様子を見て、ふと、ポツリと言っていた。


「しかし、知らなかったな。ヤンナも、結構ルーン魔法が好きだったんだな」


「え……?」


 しかし、俺の呟きに、ヤンナはキョトンとした様子で俺を見返してくる。


「あ、アレ。違うのか? 随分頑張ってるから、てっきり好きなのかと」


「あ、えと。確かに結構楽しかったりはするのですが、……ゴット様と一緒に、何かに一生懸命になれるのが、嬉しくて」


 ヤンナは、もじもじしながらそんなことを言う。俺はそれに言葉が詰まってしまって、「そう、か? なら、まぁ、いいんだが」と流してしまう。


 だが、やはりちょっとモヤモヤしたところがあって、俺はさらに聞いていた。


「……ごめん、ヤンナ。食い下がるようだが、いい機会だから聞かせてくれ」


「は、はい。何でしょう」


 俺が改まったから、ヤンナも姿勢を正して俺に向かってくれる。


 真摯ないい子だと思う。最初は慰謝料目的だなどと思っていた自分がバカバカしいほどに、ヤンナは素直ないい子だ。


 だからこそ、思うのだ。


「なぁ、ヤンナ。……お前は、何で俺のことを見限らなかったんだ?」


「え……?」


 俺の言葉の意図が分からない、という風に、ヤンナは何度かまばたきをする。


 俺はヤンナに敬意を払うからこそ、正面から問いただす。


「以前の俺は、クズだったはずだ。だから、あの時もシュテファンと一緒に居たと思ってた。つまり、シュテファンに俺のことを解決してもらおうと思ってたとか、そんな風に」


 俺が言うと、ヤンナは何度かまばたきをして、こう言った。


「えっと、色々と誤解がありそうなのですが、まず。その、シュ……何とかさん、とは、どなたのことなのでしょうか?」


「え?」


 俺はポカンとしてしまう。


「え、だから、前に俺が婚約破棄した時に、ヤンナと一緒に居た」


「……ああ! いえ、あの人は何でもないです」


「何でもないのか? ……でも、それを考えると、当時の俺の束縛を考えるとシュテファンと一緒に居るのは、かなり怖いところだったんじゃ」


 ヤンナから申し出た、とか言ってたし。


「それは、そうなのですが。……思い返すと、何故なのでしょう。分からないです」


「え?」


 ヤンナは、疑問に眉根を寄せて俺を見る。


「確かに、普通なら、私は決して自分から、学内を一緒に見て回る、なんてことは言いださなかったはずだと思います。なのに、なぜか当時の私は、彼を自ら誘って……何で……?」


 深刻そうな表情で言うから、俺も何だか不安になってくる。シュテファン。ブレイドルーンというゲームの主人公。奴には、何かそういう、他人に影響を及ぼすそれこれがあるのか。


「分かった。一旦、その話は置いておこうか。今回は関係ないしね」


「は、はい」


 それで、と俺は再度確認する。


「当時、クズだった俺を、ヤンナは何で見限らなかったんだ? ひどい奴のはずだった。今でこそいくらか改心したが、最近俺に接触してきたタイミングでは、そんなこと分からなかったはずだ」


 束縛、理想の押し付け、労いも感謝も言えない口。その時点でモラハラまみれのクソ野郎だったはず。そこに暴力が加わるのだから役満だ。正史通りしめやかに爆発四散しろ。


「なのに、ヤンナは俺のことを好きなままで居てくれた。好きになる理由も、いまだに好きでいてくれる理由も分からないんだ」


「……」


 ヤンナは、苦しさを堪えて説明する俺を、じっと見つめていた。それから、彼女らしい柔和な笑みを浮かべて、「分かりました。では、ご説明します」と語り掛けてくる。


「ヤンナがゴット様をお慕いし続けていた理由。それは、昔の約束があったからです」


「……約束」


「はい」


 ヤンナは、何か大事なものが宿っているような手つきで、そっと自身の胸に手を当てる。


「昔のこと。ゴット様はきっと覚えていないでしょう、遥か昔のこと。わたしたちが、三歳の頃です」


 うん。……三歳?


「ゴット様とヤンナの家は、もともと仲が良くて、その関係で、ゴット様もヤンナも当時から仲良く遊ぶような、そんな関係でした。そんな折、ゴット様は、ヤンナのことを好きだと言ってくださいました」


 子供同士のいたいけな告白だろう。


「それが嬉しくて、ヤンナは頷きました。そして、二人で誓ったのです。『将来大人になったら結婚しようね。幸せな夫婦になろうね』と」


「あ、ああ……」


 俺は、何だかヤバい匂いを感じ始める。


「ですから、ヤンナはそれがちゃんと実現するように取り計らいました。ゴット様の両親にも、ヤンナ自身の両親にも掛け合って、婚約を結びました。確かに最近はゴット様も少々をなさるようになりましたが、そんなことは些事にすぎません」


 俺は、はっきりとヤバいと理解する。


「えっ……と。じゃあ、その、俺を好きになったのは三歳の頃で、好きでい続けたのは、三歳の頃の、結婚の約束があったから、と……?」


「はいっ!」


 ヤンナは満面の笑みで笑う。俺の口端は引きつっている。


 ヤンナは、両手で頬を挟み、うっとりと続けた。


「婚約破棄の際は、三日三晩涙を濡らしたものですが、それでもこうして再びお傍にいられるようになったのですから、文句はありません。それに、今までべったりなのが良くなかったのでしょう。ゴット様は、ヤンナが少し見ない内に見違えるようになりました。男子三日会わざれば刮目してみよ、とはよく言ったものですね。本当に、本当に立派になられました。以前は貴族男子としては少し壮健さが足りないようにも、勉学に対して不真面目なようにも見えましたが、今では他生徒を薙ぎ払うほどの実力も、ルーン魔法の第一人者になりうる知識も備えておられます。ああ! 本当に、ヤンナは気を抜くと、その事が嬉しくて感涙してしまうほどなのです。こんなにも、こんなにもゴット様が立派になられて、信じてきてよかったと、ヤンナは――――」


 俺はヤンナが無限に話を続けるのを聞き、震えながらそっと体を背もたれに投げ出した。


 そして思うのだ。


 ヤンナ、恋愛感情激重娘だったのか、と。

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