第5場 ポンコツ
思ったよりも重いドアかもしれない。
ひんやりとする取っ手を下にして、ドアを押した。すると『キー』という鉄の掠れる甲高い音が一瞬響いた。
強い日差しが視界を覆った。
チカチカとしてめまいがして、一瞬立ち止まってしまった。二、三度瞬きを繰り返すと、視界が段々と屋上の風景を捉え始めた。逆光でよくわからないが、誰か先客がいるようだ。
わざわざ古めかしい手紙などという方法で俺を呼び出した誰かなのか?
途切れ途切れに、女の子の声が届いた。
「——そう——魔法使いなの」
「……?」
確かに今『魔法使い』という単語が聞こえた。
俺は無関心を装って、屋上へと足を踏み入れた。
すると、バタンと重いドアが閉まり、鈍い音が響いた。
話し声が止まった。
女性徒が俺の方へと向いた。数秒ほど、俺の全身を観察した後、思案しながら口を開いた。
「確か……クラスメイトで……隣の席の——赤洲くんだよね?」
「ああ……話の邪魔だったか?」
俺がそう尋ねた瞬間、今上は手に持っていたスマホをポケットへと入れたようだ。今上は一度明後日の方向へ視線を逸らして、俺へと戻した。たれ目を少し細めて、ニコッと微笑みを浮かべた。
「ううん。丁度終わったところだったから、問題ないかな」
「そうか」
「うん……」
「俺がここに来たのは——」
何から話せばいいかわからなくなって、一瞬言葉に詰まった。
とっさに言い訳がましいことが頭に浮かんだ。
『実は誰だかわからないが、差出人不明の相手から呼び出されてしまってーーその手紙には、妹の死と何か関係がありそうな文面であったからーー』
いやいや、これはないな。
妹の死について伝えたことでなんだというのか。
明らかにそのような重たいことを初対面のクラスメイトから言われたら、困惑するに違いない。
やはりさっきほど聞こえてきた『魔法使い』について問ただすべきか——
「ふふ、待って」
今上は言葉を遮って、俺に近づいた。
ふわりとクリーム色の髪が舞い、微かに甘い柑橘系の香りが運ばれてきた。
小さな桜色の唇に人差し指を当て、今上は右目をウインクした。
「私が魔法使いだってことは、内緒にしてね?」
「……」
なるほど、本題と言って相応しいのかわらないが、単刀直入に疑念をつぶそうとするとは予想外だ。てっきり誤魔化すかあるいは無視するかのどちらかだと思ったが、正体を隠す気はないということか。
だったら、俺も変に気を使う必要はないのかもしれない。
「うーん、沈黙は肯定と受け取ってもいいのかな?」と今上は首を少し傾けた。
「魔法使いの噂は、本当なのか?」
「あれ、やっぱり私が予想していた回答と違う。てっきり、『お前は中二病なのか!?』という少し大きなリアクションを期待していたのになー」
今上はキョトンと目を丸くして言った。
いらつく心を抑え込みながら、俺は呑気そうな今上の顔を数秒ほど凝視し続けた。すると、今上は俺のつまらない反応に不貞腐れたように、唇を曲げた。
「つれないなー。そんなんじゃ、モテないぞー?」
「御託はいらないから、答えてくれないか?」
「あーはいはい、答えるから、その怒った顔止めてくれるかな……?ほんと、みんなの言う通り『仏頂面の——』みたいね」
「最後の方が聞こえなかったのだが?」
「ううん、独り言だからなんでもないよ。クラスメイトからの評価を思い出しただけだから気にしないで」
「ああ、そうか。それで、俺の質問への回答は?」
「コホン……それで赤洲くんの言っている『噂』というのは、『願いをかなえてくれるか』どうかということでいいよね?」
「それ以外の噂でもあるのか?」
「うーん……内緒かな」と一瞬視線を外した後で、今上は微笑みを浮かべた。そして、突然右手を伸ばして、俺の頬に触れた。
目の前にいるこの転校生——自称魔法使いの今上麻白という女の真意が分からない。そもそも、一体何の目的があって、自分の正体を関係の薄いクラスメイトである俺に……いや、初対面の男に告げたのか。
いいや、そんなことはどうでもいい。
こいつが何を目的として俺に正体を告げようと関係ない。俺はただこいつを利用するだけだ。
少しひんやりとする小さな手を避けようとして、俺は一歩下がった。すると、今上もまた一歩前に踏み出した。俺と今上は世間で言うところのパーソナルスペースに収まったままだ。
「今上ーーお前が何をしたいのかわからないが……とりあえず、この手をどけてくれないか?」
「うん、もういいかな」と独り言のように呟いて、今上は俺の頬に触れていた右手を下した。そして、何もなかったかのように話し始めた。「それで、『願いをかなえてくれるのか』という質問だったよね?その質問に対する回答は、『もちろん!』と言いたいところだけど、条件があります!」
「どういった交換条件だ?金か?ならばいくら払えばいい?それとも命と引き換えか?」
「いやいや、現時点で『命』ほどの大きな代償は要らないから。それにまだ赤洲くんの願いを聞いていないのに、願いの代償に相応しい対価を決めることは出来ないよ?」
「なるほど、一応、取引条件として等価交換ということは噂通りみたいだな……」
「当たり前じゃない。私たち魔法使いは、契約を何よりも重んじるの。おいそれと嘘をついて、虚偽の契約でもしてしまったら、魂が消滅してしまうのよ。だから、そんな恐ろしいことはしないし、それにできないの」
よくわからないが、魔法を使うためには、いくらかの条件みたいなものがあるみたいだ。
いずれにしても、俺のやることは一つだ。
「そうか。それならば、まずは俺から願いを伝えればいいよな?」
「うん、さあ、どんとこい!」
「俺の願いは一つだ。俺の妹である赤洲藍香を殺した犯人を知りたい」
∞
今上は数秒間じっと俺の様子を窺うようにして凝視続けた。
おっとりとしたたれ目をすっと細めた後、今上は口を開いた。
「どうして最初にそれを願うの?」
「どういう意味だ?」
「普通は、『妹を生きかえらしたい』だったり『犯人を殺してほしい』とか願うんじゃないかな?それなのに赤洲くんは、『犯人を教えて欲しい』と言ったよね。それって——おかしくない?」
とんとんと唇に指をあてた後、今上は少し首を傾げた。おっとりとした表情とは裏腹に、今上の声色は少しきつかった。
どう答えればいいのかわからなかった。
ただ、何かを誤魔化すように言葉を返していた。
「普通、人を生き返らすことなんてできるわけないだろ?それが例え『魔法』などと言う得体のしれない力を利用したとしてもな。だから、なるべく可能性のあることを望んだだけだ。それに、俺はただ……なぜ藍香が死んだのか、その理由が知りたいんだ」
その上で、藍香が死んだ理由が理不尽なものならば、その犯人を殺す。それだけのことだ。
「……ふーん、そっか。まあ、赤洲くんが魔法について過度に期待していないだけましかな?」
「どういう意味だ?」
「ときどきさ、いるんだよねー。魔法を何でもできる万能の力だと勘違いしている人。そんな人に限って、必死になって頼んでくるの。『あの子を生き返らせて』だとか『不老不死にしてくれ』だとか『永遠の若さをくれ』だとか。私は『それは無理です』と返事をするの。そしたら、そういう人たちは必ずと言っていいほど、私を罵ってくるの。『嘘つき』だとか『魔女のくせにふざけるな』だとかね」
はかなげにそして何かを諦めたかのように、今上は乾いた笑顔を浮かべた。
そして、ため息をついたあとに言った。
「そんなこと当たり前なのにね。魔法が完全無敵のなんでも叶う特別な力なわけないもの。まるで全知全能の神様の能力じゃないんだから。全てが自分の思い通りになるはずないもの。それにさ、魔法を行使するためには、その願いに見合うだけの対価が必要になるの。例えば、普通に考えて『不老不死』の対価なんて、とてつもなく大きくなりそうな気がしない?だって、自然法則に逆らうほどの願いだよ?とてもじゃないけど、一般の人に代償が支払えるはずないじゃない?それこそ、霊力がとてつもなく多い人ならば、その霊力を使用すればいいけれど——」と今上は堪えていたものを吐き出すように話し続けようとして、やめた。そして、にこっと今上は微笑んだ。
「そう思うでしょ、赤洲くん?」
「ああ、そうだな。なんでも思い通りに行くことなんて、あるわけがない」
「そうそう」と今上は物わかりの良い子供をあやすように言った。
「それにしても、今上さん」
「何でしょうか、赤洲くん」
「俺は俺自身の願いごとを口にしたわけだけど……根本的な問題として、やはり今上さんが本当に魔女だということを信じられそうにない。差支えなければ、今ここで、証拠を見せてくれないか?」
俺の言葉を聞いた今上は、口元を押さえて、クスクスと笑った。
何が面白いのか分からないが、馬鹿にされたみたいで腹が立つ。
「それで、証拠はあるのか?まさかこれまでのやりとりがすべて嘘でしたとは言わないよな?」
「ふふふ、ごめんごめん。このタイミングで、魔法使いかどうか確認されるとは思わなかったから、おかしくて」
今上はまだ口元を押さえてクスクスと笑い続けた。そして数秒ほどしてから、言った。
「普通、はじめに質問するものじゃない?」
「それは、悪かったな。普通じゃなくて」
「もうー。拗ねないでよー」
「それで、証拠とやらを見せて頂けるのでしょうか、自称魔法使いさん?」
「赤洲くんって性格悪いって言われない?……まあいいよ。それじゃ、見せてあげる。驚かないでね?」
今上は、右手を空中へと伸ばして何か呪文のような言葉を発した。
その瞬間にパッと青白い光が周囲を覆った。青白い閃光によって、視界はチカチカと揺れた。
徐々に視界が回復していき、一度遠くのビルに視点を合わせようとした。何度か瞬きをしたら、視界は夕焼け空を映した。しかし、突然、夕焼けに染まっていた空が曇り始めた。
数秒ほどで、薄暗い雲があたり一面を覆った。
ピカッと少し先の空が光った。
そしてすぐに雷の唸る音が響いた。
雷の轟く音が響いたかと思ったら、ぽつぽつと雨音がし始めた。それから数秒ほどでザーッと雨が降ってきた。
「おい、今上?この天候を変えたのが魔法の効果なのか?」
「……」
「……」
放心していた今上は、伸ばしていた右手を下ろした。そして、極まり悪そうに、俺から視線を逸らした。
数秒してから、今上は乾いた声で呟いた。
「あはは……ごめん、魔法失敗しちゃったみたい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます