第2話 婚約破棄

 ぱたんと日記を閉じると、アスカは笑みを浮かべた。

 そして、彼女の前に座り込んだ少女の顔を覗き込んだ。

 俯き加減のアナスタシアに手を伸ばし、彼女の顎をクイと上げる。


 エメラルドグリーンの瞳から放たれたアスカの鋭い視線が、アナスタシアの青い瞳に向けられた。


 アナスタシアは青い瞳に涙を浮かべて、捕食者に睨まれた小動物のように肩を震わせている。


「アナスタシア。わたしの婚約者に手を出すなんて、いい度胸してるわねぇ」


 シンと静まり返るパーティー会場。そこにいた者は皆、固唾を呑んで事の成り行きを見守っていた。


「待て」


 アスカから見て正面奥から声がした。声の主は、金髪碧眼の男性。ブライトン王国第二王子ロビンだった。


 周囲の者たちが彼のために道を開ける。歩みを進める度に左右に割れる生徒たちの間を、ロビンは真っ直ぐ優雅に進みアスカの方へ近づいて行く。その後を追うように藍色の髪の護衛騎士が続いた。


 そしてロビンはアスカの前に立つと、涼やかな碧眼を彼女に向けた。


「その日記を、彼女に返してやってくれないか?」


「それだけですの? ロビン様」


 彼は一度視線を伏せてから、またアスカに視線を向けた。


「ああ、それだけだ。彼女の日記を返してくれ」


 ロビンの言葉を聞いたアスカは、殊更に不満げな表情を見せた。


「わたしは、貴方の婚約者ですのよ。それなのに別の女性と逢瀬を楽しむなんて。謝罪の言葉を頂きたいわ」


 そう言って、アナスタシアの日記をロビン差し出す。ロビンは、それを無言で受け取った。

 ロビンの表情を見るに、彼はアスカに謝罪するつもりはないらしい。

 アスカは、ロビン王子を睨んでいた。


 そんな彼女に構わず、ロビンはアナスタシアに近づく。それを見た骸骨騎士ファブレガスは、掴んでいたアナスタシアの手を離して解放した。


「アナスタシア、大丈夫か?」


「……はい」


 ロビンとアナスタシアが見つめ合う。ロビンはアナスタシアの肩を抱くと、アスカを睨みつけた。

 そして、ふたりの背後からロビンの護衛騎士ジョアンが歩み出る。


「アスカ様こそ、これまでアナスタシア様にずいぶん酷いことをされてきましたよね? 王子に謝罪を求める前に、アスカ様はアナスタシア様に謝罪すべきでは?」


 彼は髪の色と同じ藍色の瞳をアスカに向けて、強い口調でそう言った。


 アスカはこれまでに、アナスタシアの教科書を学園内の物置に隠したり、剣術の訓練と称してボコったり、森へピクニックに行ったときは彼女だけ置き去りにしたり……といった仕打ちを行ってきた。


 ジョアンにこれらの事実を並べ立てられ、視線をうろうろと泳がせるアスカ。

 けれども、すぐに開き直ったのか食って掛かるような姿勢でジョアンに詰め寄った。


「あ、貴方、何を証拠にそのようなことをおっしゃいますの!?」


「証拠も何も、私はいずれもこの目で見ていましたから」


 見下ろしながら真顔で答えるジョアンを睨みながら、アスカは軽く舌打ちした。


「貴方、王女のわたしに対し、不敬ではなくて? ロビン王子、この者に厳しい処分を求めますわ!」


「ジョアン、もういい」


 そう言って目を閉じると、ロビンは再びアスカに視線を向ける。すでに嫌悪の視線である。


「アスカ王女。私の気持ちは、先ほど貴女が読み上げたアナスタシアの日記にあるとおりだ。私は貴女と結婚する気はない。貴女との婚約を破棄する」


 パーティー会場は騒然となった。アスカは目を丸くしてロビンたちを見ている。


「何をおっしゃいますの? そんなことが、できるとでも?」


「ああ、問題ない。行こうアナスタシア」


 そう言うと、ロビンはアナスタシアをエスコートして会場を出て行く。

 その後を追う護衛騎士ジョアン。彼は一度振り返ってアスカを見てから、アナスタシアとロビンに続いて会場を後にした。


 アスカは会場から立ち去るふたりを見届けると、少し寂しそうな笑みを浮かべて睫毛を伏せた。


「アスカ様……」


 心配そうな表情でレイチェルが声をかける。


「私たちも行きましょう、ファブレガス、レイチェル」


 周りにいた者たちの視線を受けながら、アスカもパーティー会場を後にした。

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