永劫なる風化と再生

ポッサムマン

序章

 陸奥国■■郡勒尼ろくに村。戊辰の戦乱のさなか津軽兵と南部兵の激突に巻き込まれ一夜にして灰燼に帰し消え失せたその村の名を知るものは少ない。

 公的な文書に初めてその名が現れるのは永保年間に山門領、すなわち比叡山延暦寺の寺領荘園としてである。しかしながら、奥六郡以北への建郡は延久蝦夷合戦以降であるにもかかわらず、この時には既に村ができて数世代を経ていたようである。後三年の役以来新羅の海賊を先祖に持つという勒尼家が地頭として統治し、鎌倉、室町を通じて安東、南部と主家を転々とし元和偃武以降津軽藩に同村の肝煎に任じられて幕末に至った。多くの文書が散逸してしまっており詳細は不明ながらそれなりに鍛冶や行商で栄えていたようであり規模も大きかったようである。

 かつての村は今では藪となった高さ54mほどのなだらかな丘陵を中心に拡大していたようだ。村の鎮守堂であった明心寺は、伝承によればその開山の名をそのまま戴いたものという。明心寺はかろうじて戦火を逃れるも明治の御代に入り廃仏毀釈の嵐の中廃寺の憂き目にあい、かくしてこの村の痕跡を示すのは周囲の森に残る稲荷社ただ一つのみである。

 かつてはそれなりに繁栄して居り、長い歴史を持っていたにもかかわらずすっかり忘却され初めから存在しなかったかのように世人から無視され朽ちるに任せられているこの廃村の歴史に、筆者は俄然興味が沸いた。かの柳田國男も「埋もれて一生終わるであろう人に関する知識を残すのが民俗学」であると述べているように、かような歴史に残らず誰にも顧みられない事象に関する記憶を丹念に拾い上げ、そこに当時の人々の息吹を読み取りそれを後世に伝えることこそ史学に従事する者の本分であると考えるゆえである。

 以下に記すのは最後の肝煎である勒尼金右衛門正忠の三男であり当時を知る村人の数少ない生き残りの一人である古老の語った内容及び周辺の郷村に残る古文書や伝承を集成したものである。




                    昭和30年11月 H・Y記す









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