小惑星デー


 ~ 六月三十日(木) 小惑星デー ~

 ※四百四病しひゃくしびょう

  人がかかる病気のすべて




 梅雨という季節が。

 どうやら今年の暦には、行間に書かれていたようで。


 読み解く間もなく、真夏になった。

 痛いほどの日差しの中。


 狭い視界内だけを曖昧に認識しながら、慣れた道を歩く帰宅途中。


 そんな暑さでも、視線を向けずに意識できるすぐ隣というテリトリーから外へと駆け出して。

 俺を苛立たせるこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 余計なことしてないで。

 とっとと帰ろうよ。


 暑さで参っているせいで。

 口を尖らせるのも億劫な俺が、嫌々ながら顔をあげると。


 この暑い中。

 日向のベンチに腰かけた麦わら帽子の女の子に。


 話しかけようとしている秋乃の姿を見つけた。


「ひ、一人でどうしたの?」


 ゆっくりと、二度。

 同じ言葉を繰り返す秋乃に。


 女の子は麦わらを伏せたまま。


「しらないおとなと、おはなししちゃだめだから」


 小さな声でつぶやくと。


 秋乃は、俺に勢いよく振り向いて。

 その緩み切った顔で報告したのだった。


「いい子!」

「偉いなほんとに。じゃあ何を言っても無駄だから帰るぞ」


 いつもの助けてセンサーじゃなさそうだし。

 ちょっと強めに言ったら従うだろう。


 そう思っていた俺は。

 意外な行動をとった秋乃に。


 呆れるとともに。

 その成長ぶりに目を見張った。

 

「……じゃあ、お隣で本を読んでてもいい?」

「おかまいなく」


 少女の、妙なリアクションに苦笑いを浮かべながら。

 秋乃はお隣に腰かけて、読みかけの本をカバンから取り出したけど。


 この日差しの中だ。

 まるで読めないらしく、渋い顔で本を傾けながら、行を追っていた。



 ……子供が大好きなくせに、どう接したらいいのか分からない。


 秋乃のキャッチフレーズは、俺が知らない間に時代遅れになっていたようだ。


 自然に子供のテリトリーに踏み込んで。

 そして、少しの時間を同じベンチで過ごすと。


 当たり前のように会話を始めていたのだった。


「……お空を見てるの?」

「うん。まってるから」

「なにを待っているの?」


 こいつのセンサーの性能には。

 もはや疑う余地はない。


 すぐにバイバイと別れなかったからには。

 秋乃は、少女の助けて信号を受信したのだろう。


 でも、いつものように解決できずに。

 丸投げして来るに決まってる。


 はてさて。

 今日はどんな難問を俺に押し付ける気だ?


「あのね? おねがいをしなくちゃいけないの」

「お願い?」

「おとーさん、びょうきなの。だから、おねがいするの」


 そう言いながら、少女は空を見上げて。

 ギラギラの太陽に目を細める。


 えっと、それって。

 まさかとは思うが。


「ねえ、立哉君」

「お前も知っての通り、昼だってそこいらじゅうで発生してる」

「でも……」

「そうだな。見えないだろうな」


 お父さんの病気が治りますように。

 彼女は、流れ星にお願いしようと。


 こうして空を見上げていたようだ。


 でも、流れ星。

 つまり、宇宙じんが大気圏で発光する様子を。


 昼間に目で捉えることは難しい。


 よっぽど巨大な隕石でも落ちてこない限り。

 夜までこうしていなきゃいけなくなる。


「さすがに付き合えんぞ秋乃」

「でも……」

「この子が可愛いこととか面白いことしてくれるならともかく。お前から説得して諦めさせなさい」


 冷たいとは思うけどさ。

 お父さんの病気とやらを治せるはずもないし。

 今すぐ夜にすることもできないし。


 俺たちに出来ることは無い。


「あたしが!?」

「そう。宇宙塵は、昼間は見えないって教えてあげれば納得するだろ」

「それしってる。おとうさんがおしえてくれた」

「え?」


 流れ星の仕組みを知ってるってことか?

 目を丸くさせた俺たちの前で。


 少女は右手で胸をトントン叩くと。


「ワレワレハ。ウチュけほっ、けほっ」

「うはははははははははははは!!!」

「かわいい……」

「しかも面白いではやむを得ん。付き合ってあげるか」


 約束しちまったようなもんだからな。

 俺は、カバンを敷いて座り込んで。


 二人と同じように、空を見上げる。


 そして、じっと見ているうちに。

 目のチリか、光の残滓か。


 いくつも流れ星が現れているように感じて来たんだが。


 ……でも、すべての気のせいが。

 本物の流れ星のように一瞬で消える。


 今更ながら。

 もしも本物が見えたとしても……。


「おねがいは、みっついわないといけないの」

「も、物知り……」


 そう。

 そもそも流れ星に願い事って。


 それ自体が難問だってことを忘れてた。

 

「だかられんしゅうしとくんだって」

「練習? 分かった」

「さん、はい」

「流れ星が来ますように流れ星が来ますように流れ星が来ますように」

「うはははははははははははは!!!」


 もはや目的を見失ってる。

 そんな秋乃を俺が笑うと。

 女の子も一緒に笑い出した。


 今までしょんぼりしてた子が。

 多分、彼女のいつも通り。


 俺を見上げる素敵な笑顔。

 地上に光る流れ星。


「ああいたいた!」

「おとうさん!」


 そんな流れ星が。

 少女の一番のお願いを叶えてくれる。


 病気だったお父さんが。

 元気に走ってこちらに向かってちょっと待て。


「んな早く治るかい!」

「え?」

「あ、いえ……。この子が、お父さんが病気だって言ってたから……」


 俺の疑問に。

 あちゃあと表情で嘆いたお父さん。


 頭を掻きながら。

 言い辛そうにつぶやくには。


「お、お恥ずかしい……。水虫になった話をこの子に聞かれまして……」

「うはははははははははははは!!! なんじゃそりゃ!」

「た、立哉君……。笑っちゃダメ……」


 おっといかんいかん。

 俺は、お父さんに心からお詫びをして。


 もはや、お父さんしか目に入っていない女の子の背中にバイバイと声をかけると。

 そそくさとその場をあとにしたのだった。



 …………まあ。

 何事も無くて良かったかな。


 俺は、すっかり失っていた視界がいつも通り遠くまで広がっていることを感じながら。

 お隣りに目を向ける。


 すると、予想に反して。

 寂しそうな横顔が待っていた。


「あれ? どうした?」

「……流れ星が見たいって言われたときね?」

「ん?」

「あたし、叶えてあげられないから……。悲しくなった……」


 あらたに生まれた。


 『親切にしたのに悲しくなったこと』


 この間と同じように。

 また聞かれることになるのかな。


 その時、すぐに答えられるように。

 お前の代わりに。

 俺が覚えておこう。


 そう心に決めながら。

 元々の、『親切にしたのに悲しくなったこと』について考える。



 もう二年前か。

 甲斐ときけ子をくっ付けるために俺たちが取った作戦。


 秋乃に。

 無理に甲斐やきけ子のいい所を。


 陰でこっそり言わせたんだよな。


 ……そう言えば。


 褒め作戦が失敗したから。

 変更したプラン。


 『悪口を言う』


 これはカモフラージュで。


 『甲斐ときけ子を仲良くさせようとする』


 これを逆転させて。


 『甲斐ときけ子に、俺たちを仲良くさせようとする』


 そうし向けて、二人がいろいろ協力するようにしたんだった。


 悪口を言え。

 そんなの言えない。


 俺たち、示し合わせなしで連日大げんかしたんだよな。


 でも、俺は芝居のつもりだったんだけど。

 こいつが察してくれているか不安で不安で。


 毎日、家中に響き渡るほどのうめき声上げてたっけ。


「今更思い出した。口止めしとかないと」

「何を……?」

「…………教えましぇんので」

「なんで?」

「凜々花も答え知ってるけど、聞かないで」


 親切で。

 誰よりも親切で。


 そのくせこうして。

 年中泣いている。


 そんな秋乃だから。

 守ってあげたくて。


 そんな秋乃だから。

 ほんとはケンカなんてしたくなくて。


「八個目の課題か……」

「何の話?」

「…………もう、夏木たちの時みたいに。悪口言えなんて言わないから」

「親切にしたのに悲しくなったこと?」

「そう」


 誰かのことを悪く言う。

 そんなことができない秋乃だから。


 そんな秋乃だから。

 俺は、やっぱり。


 お前のことが。




 ……好きなんだ。




「八個目の課題……。やっぱ、頑張ろう」


 なんとか夏休みを恋人として過ごしたい。

 いくつも課題を抱えた俺だけど。


 頑張って恋人同士になろうと。

 そう心に決めたのだった。


「えっと……。親切にしたのに悲しくなったこと、なんだけど……」

「悪口言わせようとして悪かったって、本気で思ってる」

「そ、そうじゃなくて……」


 ん?


「なんだ? お前が探してた記憶って、夏木たちの時のことじゃなかったのか?」

「あ、合ってる……」

「だろ?」


 何やら眉根を寄せた秋乃が。

 一つため息を吐く。


 そして、困ったような笑顔を俺に向けながら。

 また、難問を俺に出してきたのだった。


「合ってるけど、そっちじゃないよ?」

「そっちじゃないって、どういうこと?」

「…………教えましぇんので」

「なんで」

「春姫も答え知ってるけど、聞かないで……」

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