最終話 海開き


 人が人を好きになるメカニズム。


 それは、誰かが。

 自分のことを好きになってくれたことが起点になっていて。


 自分が好かれると。

 その相手への好きが溜まって。


 お互いが好き同士になる。

 そんな仕組みになっている。


 この理屈で言えば。

 俺が好きになったあの人は。


 俺への好きが。

 少なくとも、半年分は溜まっているはずなのに。


 でも、そうは見えないなと。

 どうしてだろうと思いながら。


 扉を開いたその瞬間。


「なるほど。貯金箱にお金と約束手形がトントンで入っていくせいだ」


 制服の上から。

 水着を装着した。


 おバカな子が立っていたのだった。




 ~ 七月一日(金) 海開き ~

 ※悪口雑言あっこうぞうごん

  思う存分、悪口を言うこと。

  本来は、良くない事なんだが……。




 高校三年生ともなると。

 ジェンダー平等とは言っていられないことがいくつも出て来ると、俺は思う。


 そんなものの一つ。

 男女混合の水泳の授業中。


 本来なら、言葉にできない何かを意識しないために女子に近付くことはしないところだが。


「浮かれすぎるからそうやって聞き間違える」

「だって……」


 プール開きがよっぽど嬉しかったんだろう。

 朝からはしゃぎ放題の大騒ぎだったせいで。


 俺が、楽しみだなと口にした『海開き』を。

 『ウニヒラメ』と聞き間違えた挙句。


 ……まさか。

 そんなよくわからんカタカナ五文字の物体を現実世界に生み出すなんて。


「あと、ウニが八! ヒラメは三!」

「そっちにウニが浮かんでるわよ! 拓海の後ろ!」

「とったどー!」

「昼飯は獲れたて海鮮だー!」

「獲れたて、ではないんだけどな」


 ヒラメはしめてから結構経ってるだろうし。

 なんならウニは、お船に乗って浮かんでる。


 プールの前の授業をまるまるさぼって駅前まで行って。

 ヒラメとウニを買ってきて。


 水泳の授業が始まるなりプールに投げ込んで。

 ある意味職業体験の授業にしてしまったこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 叱りつけたい。

 なんなら背中を蹴飛ばしてプールに落としてやりたい。


 でも。 


「た、立哉君が楽しみだって言ったから……」


 そう、こいつは。

 俺の希望を叶えようとしてくれたんだ。


 もしもここで叱ったら。

 親切にしたのに悲しくさせてしまう。


「これが大人になるってことか……」


 時に不条理なお袋の癇癪も。

 柳に風と受け流し。


 自ら苦労を買って出る。

 そんな親父の姿と重なって。


「保坂。スクワットのペースが落ちているぞ?」

「なんであんたがいるんだ……」

「偶然、暇だったものでな」

「くそう」


 一か月前の俺なら。

 怒鳴り散らしていたかもしれない。


 でも、確実に変化した今。

 大人になった今。

 思うことと言えば。



 もうちょっと右に寄れ。

 そうすりゃプールに蹴落としてくれる。



 ……そんな邪なことを考えながら。

 顎から滴る汗がプールサイドに溜まるのを見つめていると。


 なんだか呆然とし始めて来た。


 もう、怒るのも馬鹿馬鹿しい。

 課題のことでも考えて、気を紛らわそう。


 自分の進路と記憶についてはさっぱり進展なし。

 そして、秋乃の料理をやめさせることもできずじまい。


 いくつかクリアーしたものもあるにはあるけど。

 そうだな、まずは……。


「今は体育なんてやってる場合じゃない。勉強しねえと」

「ふむ、その心意気はよし。誘惑に負けずに切磋琢磨しろ」

「ねえ、立哉君……」

「なんだ?」

「夏休み、遊びに行こうね?」

「君は悪魔なの? 却下だ却下」


 先生の話を聞いちゃいない。

 そんな秋乃をばっさり切り捨てると。

 途端に膨れるハリセンボン。


 ウニとヒラメで十分だ。

 これ以上異物を投げ込むな。


 ……ようやく全ての海鮮を回収し終えて。

 ラップに包まれた得物を囲んで大漁旗を掲げるクラスの連中。


 彼らに対して先生はため息を吐くと。

 体育教師にお詫びをしながら、全員へ雷を落とすために離れて行った。


 おいこら、このハリセンボンの処理をちょっとは手伝えよ。


 半ばお前のせいで怒らせちまったんだからな?


「……怒ってますか?」

「苦手な悪口を言いかけてるくらいには」

「ああ、丁度いいや。その件なんだけど」


 ここ最近の事件を経て。

 ひとつ思っていたことがあるんだ。


 俺たちは他に代えがたい友達同士で。

 しかも俺は、お前の彼氏だよな。


 だったら……。


「誤魔化そうとしてる? ごめんなさいって言える?」

「そうじゃなくて……。俺の悪口だけは、言っていいから」

「え?」

「怒ったり、反論したりするかもしれないけどさ。……気持ちを隠して我慢される方が、いやだ」


 俺の気持ちが伝わったのかどうなのか。


 パーカーの合わせをぎゅっと握りしめたまま。

 秋乃は返事をせずに、俯いたままだ。


 でも、お前がどう思っているのか。

 ちゃんと伝えてくれないと分からないように。


 俺がどう思っているのかも。

 この際はっきりと伝えておこう。


「秋乃は、俺の悪口を言っていい」

「でも……」

「その代わり、俺も秋乃の悪口を言う」

「え!? どうしてそんな意地悪するの……?」

「意地悪じゃない。これは、言わなきゃいけない悪口なんだよ」


 秋乃の隣に腰かけると。

 不満げな顔をしたまま、タオルで顔を拭いてくれた。


 そんな秋乃に伝えなければいけない事。


 三つ目の課題。

 秋乃の料理。


 これは、小手先でどうにかする問題じゃなく。

 誠実に向かい合うべきものだったようだ。


「……お前、料理人は向いてない」

「ほんと意地悪……。あたし、決めたのに……」

「春姫ちゃんに言われて慌てて決めたものだろ? それが証拠に、既に飽きてるだろお前」

「う……」

「他の道を、もう一度考えてみてくれ。そもそもお前に向いてねえ」

「向いてない?」

「まったく」


 てっきり膨れるものと思っていたが。

 秋乃は肩の力をストンと落として。


 大きくため息をつくと。

 柔らかく微笑んだ。


「ありがとう。……素敵な悪口だった」

「うん」

「じゃあ、あたしも悪口を言っていい?」

「もちろんだ」


 何でも言い合えるから。

 そこに愛情があるから。


 俺たちは友達で。


 そして俺は。

 お前の彼氏たりえるんだ。


 ……でも。

 どんな悪口が飛び出すんだ?


 あれこれ想像する俺に。

 秋乃がぶつけて来た言葉は。


「夏休み、海に行こうね」

「………………はい」


 身構えていたのに肩すかし。


 おかげで、さっき否定したのに。

 素直に思ったままの返事をしてしまった。


「やった……」

「やられました」


 それにしても。

 お前はほんとに悪口苦手なんだな。


 秋乃にとっての悪口は。

 おねだりで限界だったらしい。


 ……他人のことを悪く言えない。

 そんなこいつのことが、やっぱり好きだと改めて感じる。


 なんとか夏休みを恋人として過ごしたい。

 八つ目の課題も、急いでこなさないと。


 俺は、プールサイドで腹筋という古典的な罰を受けながら大騒ぎするみんなを。

 どこか遠くに感じながら。


 秋乃と二人の、かけがえのない空間を。

 もっと大切なものに変えていこうと。


 そう心に決めたのだった。




 のだが。




「……さっき、遊びに行こうねって言った時は却下したのに」

「うん?」

「水着は見たいんだ……」


 うわ。

 素直に言いたい事を口にするってのも考えものだな。


 さすがにここは誤魔化さねえと。


「いや違うぞ!? それはただの偶然! タイミングの問題!」

「すけべではなく?」

「断じて違う!」

「じゃあ、もうひとつ悪口言っていい?」

「どんとこい!

「夏休み、海に行こうね」




「………………はい」




「あはははははははははははは!!! やっぱりすけべだった!」



 ……ただのおねだりだと思っていたら。

 ほんとに悪口を言われることになったわけだが。


 どうしてだろう。

 秋乃との距離が縮まった気がして。


 すこし嬉しく感じている俺だった。



「た、立哉君……! すけべはほどほどに……!」

「いややっぱり頭きた!」



 そう。

 思ったままをぶつけ合おう。


 俺は、愛情をもって。


 秋乃を蹴とばして、プールに叩き落したのだった。




 秋乃は立哉を笑わせたい 第26笑


 =恋人(予定)の子と、

  過去の記憶を探しに行こう!=



 おしまい♪

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秋乃は立哉を笑わせたい 第26笑 如月 仁成 @hitomi_aki

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