桜は龍の夢に溺れ咲く

@kabuu

李の章

 カーテンの隙間から漏れる光が嫌いだった。ああ、今日も1日が始まるんだなって。

 ・・・この現実が夢だといいのにって、何度考えたのかな。


 私が朝起きてやることは顔を洗って、髪を纏めて2人分の朝ご飯の用意をすること。

 「・・・。」

 纏めた髪がベタついてる。調理前は念入りに手を洗わなくちゃ。洗面台に映る自分の顔は虚な目に隈も凄い。唇はカサカサ。

 1年前は鏡の前でどんな髪型にしようか、肌の弾力はどうか確認していたのに。

 「・・・ご飯、作らなきゃ。」

 小さな声でもいいから言葉を発しないと。本当に死んでるみたいになっちゃう。



 「おはようございます、李桜。」

 大きな欠伸をしながらキッチン兼リビングに入って来たお姉はシャツにショーパン姿のままTVのリモコンに手を伸ばす。

 「お姉おはようございます。コーヒーでいいですか?」

 「お願いします〜。」

 スマホを操作したお姉の邪魔にならないように、私は極力声をかけるの避けた。

 ワンプレートに纏めた朝食はバターロールとオムレツ。ササミのサラダ。お姉にはコーヒーを用意し、自分の分の朝食とお茶を向かいの席に並べた。

 「おや。今朝はオムレツですか。美味しそうですね。」

 プレートに乗ったオムレツの出来を褒めてくれたお姉に私は小さく、笑った。

 「いただきます。」

 「いただきます。」

 手を合わせ、互いにフォークを手に取る。室内には女性アナウンサーの笑い声が響くのみだ。

 会話らしい会話は無く、互いに朝食を食べ終える。お姉の食器を片付け、テーブルを拭いていると、番組が終わるところだった。


 『今日も良い1日を!いってらしゃいっ!』

 

 自然とリモコンを手にして電源ボタンを押していた。真っ暗な画面に映るのは生気のない幽霊みたいな顔の私。


 「李桜〜。行って来ますね〜。あ、帰りにスーパー寄りますけど何か買う物ありますか〜?」

 お姉が私を呼ぶ声が聞こえた。私は用意していたお弁当を持って玄関に向かう。朝の格好と違い、ナチュラルメイクに銀縁眼鏡。肩までの髪は後ろに1つに束ねただけのパンツスタイルがお姉には良く似合っている。

 「あー、忘れてましたねぇ。」

 お弁当を手渡すとお姉はバッグにしまった。  

 「・・・後でLINEします。」

 「了解しました〜。」

 手を振るお姉を見送る。ドアが閉まって暫くしてドアロックをかけた。

 食料品と日用品の在庫を確認して、各スーパーの底値を比較してお姉にLINEしなきゃ。その前に洗濯して。今日は天気が良いからシーツも洗いたいな。

 今日1日の予定を立てながら、どうしても虚しく悲しくなった。


 (・・・いつまで続けるのかな。)


 将来に対して不安がないわけでもない。漠然とした不安と憤り。

 どうしたら良いのかわからない。


ーーー


 洗濯機を回して、トイレ掃除をして。観葉植物の水やりを終えた時に洗濯機の終了の音が鳴る。バルコニーに出ると日差しが暖かくなっていた。

 この天気ならシーツもすぐに乾きそう。まずはシーツを干して、シワを伸ばして。これでお姉に気持ち良く休んでもらえる。

 枕カバーを干そうと顔を上げた時、向かいのアパートの住人と目が合った。40代後半のおばさん。眉を寄せて見ている。

 体が震えた。折角洗った枕カバーを落としてしまった。

 逃げるように室内に戻ると自室に駆け込んだ。

 (見ていた。不快げに。気味悪がるように。)

 ガチガチと奥歯が鳴った。震えが止まらない。


 どうして、どうして。そんな目で見るの。何が悪かったの?


 怖い。怖い。

 他人の目が怖い。


 無意識に体を抱くように蹲ったのは安心したいから。

 思い出したくない記憶が勝手に再生される。

 教室で水浸しになった私を蔑む視線。ニヤニヤと歪に笑うクラスメイト。切られるシャッター音。

 ・・・やめてよ、見ないでよ。

 

 ー♪〜♪♪


  スマホが、遠くで鳴っている気がする。

  

 ーーー


  

 気がつくともう陽が傾いていた。部屋の中が薄暗い。

 ようやく、落ち着いて息ができるようになった気がする。息が出来るようになると、節々に痛みが走った。数時間、同じ体制だったから仕方ない。

 私はゆっくりと体を動かした。ゴロンと横になりぼっ〜と天井を見上げる。少しずつ、痛みが和らいでいる。

 

 「李桜〜。ロック外してください〜。」


 2時間くらい経っただろうか。お姉の声に我に帰る。急いで玄関に行きロックを外した。

 「ご、ごめんなさ「見て下さいよぉ、半額のからあげゲットしちゃいました〜。ご飯にしましょうか。ほらほら〜、準備お願いしますね。僕、着替えて来ますから〜。」

 スーパーの袋の中身を満足そうに見せるお姉に笑って見せた。でも、きっと上手く笑えていない。顔が引き攣っているのがわかる。

 惣菜の入った袋を私に手渡すと姉は自室に向かった。その時に、ベッドシーツを剥がしたままだったことを思い出す。

 「お姉!」

 お姉が振り返る。言葉が詰まった。

 「どうしました?」

 「・・・」

 呼び止めたのに言葉が出なかった。前はもっと自然に出て来たのに。

 「・・・」

 気道が狭まったみたいにキュッと鳴る。フローリングを見つめたまま黙ってしまった。脳内で言葉を選んで、組み立てているとポンと頭を撫でられる。

 顔を勢いよく上げるとお姉は微笑んでいた。

 「唐揚げ5個入りなんですよ。李桜が3個食べて良いですよ、成長期ですからねえ。」

 「違っ、あと、あんま触んない方が・・・私、お風呂入ってなくて。」

 「おやおや。なら一緒にお風呂に入りましょうか。」

 微笑むお姉の優しさに私は何も言えなくて黙り込んでしまった。

 「たまには良いものですよ〜。」

 お姉はそう言って何度も頭を撫でてくれた。柔らかい掌の温かさにホッとすると同時に罪悪感が膨らんでいく。

 「お姉、あのね、・・・」

 「?」

 言葉を探す。お姉は私の言葉を待ってくれていた。急かすことなく、待ってくれている。仕事で疲れているのに、買い物にも行ってくれて。

 ・・・私が居る事でお姉の負担になっているはずなのに。

 「・・・お姉、・・・ごめ、・・・ごめんなさい。」

 その一言も声が震えてしまった。視界が滲む。スーパーの袋を持つ手に力が無意識に入る。

 「李桜は泣き虫ですねぇ。」

 お姉はそう言って私を抱きしめてくれた。私は本当に申し訳なくて、涙を止める事も出来なかった。

 「あらぁ、唐揚げ潰れちゃいましたねぇ。ま、お腹に入れば一緒ですか。」

 涙と鼻水で、更に不細工になっている私にお姉は聖母のような微笑みを向けてくれる。

 「お腹空きましたし、李桜は夕食の準備をして下さい。」

 「・・・ごめん、なさい。・・・準備できてなくて、・・・洗濯もできてなくて。」

 嗚咽混じりだったが、どうにか伝える事ができた。

 ずっと、家に居たのに何もできなかった。お姉は外で働いてくれていうのに。

 どうしてこうなちゃたんだろう。自分を責めても時間が戻る事もないのに。

 「それなら、カップ麺食べましょうよ!久々のカップ麺っ!確か、九州豚骨ラーメンがありましたよね!」

 瞳を輝かせお姉は小躍りしそうな勢いで喜んだ。私はそんなお姉にポカンとなった。肩の力が抜ける。

 「ほら李桜!カップ麺の準備!唐揚げはトースターで油落として下さいねっ!」

 お姉に背中を押されキッチンに追いやられる。私をキッチンに追いやるとお姉は着替えの為に自室に向かった。お姉に言われた通り、唐揚げをトースターに入れて九州限定のカップ麺にお湯とコーンスープのカップにお湯を注ぐ。ふと、バルコニーに視線が向いた。外はもう真っ暗だ。そっと、バルコニーに出て、手早くシーツを回収する。夜風に晒されたシーツは冷たい。洗濯籠に入ったままの服と枕カバーは明日もう一度洗い直そう。

 「折角乾燥機が付いてるんですから使ったら良いのに。」

 キャミソールにショートパンツに着替えたお姉がリビングに戻ってきた。お姉がTVをつけるとバラエティ番組の大きな笑い声が流れた。

 「・・・乾燥機だと、生地が痛むから。」

 乾燥機は極力使いたくない。生地の皺も増えるし、縮んでいる気がする。使いたくないけど、今日のような事になれば本末転倒だ。

 「僕なら面倒だから使いますけどねぇ。李桜はマメですから。そこはお任せしますよ。」

 そう言うお姉に私は笑ってみせた。多分、口元は変に引き攣っているかもだけど。

 「それより、カップ麺ですよ!ちょー人気でアンテナショップで漸く手に入れたんですから!ちょうど唐揚げも終わりましたよっ!」

 まるで子供のようにお姉がはしゃぐ。

 私達は席についた。テーブルにはカップ麺が2つ。唐揚げが5個お皿に乗っている。

 「いただきます。」

 「いただきます。」

 挨拶をして、私はパッケージを捲る。豚骨の独特の湯気が顔に掛かった。

 お姉はテレビを観ながら、ラーメンを啜り大笑いをしている。

 「あははっ!くっだらないですねぇ!ねぇ、李桜。」

 「うん、そうだね。」

 「チャンネル変えますよー?」

 「うん。」

 お姉はチャンネルを一通り変えて、同じ番組をもう一度見るようだった。

 必要以外には話しかけない。

 そんなお姉の姿を見る度に自分は大事にされている、愛されていると嬉しく感じる。ただ、

 

  お姉は明るく無理して接してくれているのではないかと、最低な事を考えている自分もいる。早くこの状況をどうにかしなさいと焦らされているようで。

 『優しさ』をこんなにも捻くれて受け取るなんて。

 ・・・本当に弱いダメな人間なんだ。私は。


ーーー


 お姉は言った事は曲げない。久しぶりに一緒に入浴した。

 お姉は妹の私から見ても見惚れる程綺麗な身体をしている。白い肌に細すぎない腕。ウエストからヒップラインの曲線は羨ましくて、触ってみたいと思う程。

 「もうちょっと欲しいんですけどねー。」

 胸を寄せ、お姉は唇を尖らせている。私はそれくらいでバランスが取れていると思うけど、お姉はもっと大きい方が良いみたい。

 それに比べて私は、筋肉もなくガリガリだ。肋骨が浮き出ている。

 最低限の栄養は摂っているつもりなんだけど。

 

 髪を洗い、体を洗って。お姉と湯船に浸かった。

 

 「気持ちいいですねぇ。あ、今度通販でお風呂で見れるTV買いましょうか。お風呂に入りながらアニメ観れるなんて、ホントに時代は変わりましたねぇ。」

 お姉はたまに古臭い発言をする。ドラマや漫画では美人でこーいうギャップがあるとモテモテのはずだ。今年で28歳だし、彼氏が居てもおかしく無い。

 

 「・・・お姉は、結婚とか、・・・考えないんですか?」

 私の事は気にしないで、幸せになってほしい。

 でも、まだ13歳の私は後5年は迷惑を掛けるかも知れない。自立しようにも、外に出るのが怖い。

 「結婚ですかぁ〜?そうですねぇ〜。」

 お姉は目を見開いた後、腕を組んで考える素振りを見せた。

 「皆僕を避けるもんですから、出会いなんて無いですし。今は仕事が楽しいですしぃー。」

 ふぅと溜息を吐いた姉が私は不思議だった。

 美人なお姉でも避けられる事があるんだ。

 「・・・その人達は、きっと見る目無いですね。」

 不意に出た言葉にお姉は目を細めた。

 「そうですよ。見る目が無いんですよ。」

 そう言ってお姉はガキ大将のように歯を見せて笑った。


ーーー


 入浴後は明日の朝食とお弁当の下拵えだ。

 冷蔵庫の中は調味料しか入っていない。野菜も今日で使い切っていた。

 (朝はホットケーキにしよう。お弁当は・・・作れない。)

 スマホにはお姉からのメッセージが入っていた。買い出しの件だ。

 申し訳ないと思う。これは嘘偽りない気持ちだ。でも、少しでも大丈夫な様子を見せないと更に心配されそうで、逆に迷惑になりそうで怖い。


 お姉は窓際に腰かけ、酎ハイを飲んでいた。

 『お月見』だそうだ。

 酎ハイ缶を片手に月を見上げているだけなのに、切り取られた絵画の様に美しい。スマホで写真を撮って、残したいくらいに。

 

 「・・・お姉。」

 声が震えた。お姉は私に振り変える。

 「ん?」

 月灯りに照らされたお姉の笑みはやっぱり綺麗で儚く見えた。

 「・・・これ。」

 買い物リストを手渡すとお姉は直ぐに目を通した。

 「カップ麺も買い足しましょうかねぇ。後はお菓子。サラダせんべいと李桜の好きなバニラプリンも。」

 クスクスとお姉が笑う。私は何でもいいから会話を続けようと口を開く。

 「お姉はサラダせんべい好きですね。昔から食べてますもんね。」

 夜中に1人で一袋食べ切るくらいお姉はサラダせんべいが好きだ。

 「ええ。大好きですよ。」

 その後は会話は続かなかった。

 

 ただ、居心地の悪い沈黙が流れた後、お姉が「明日は丁度外回りなので弁当はいりませんからゆっくり休むといいですよ。」と言った。私は頷いてリビングを出る。

 

 部屋に戻る前に明日こそは必ず洗濯しようと洗濯機の前に洗濯籠を置いた。


 お姉もお仕事頑張ってるから、私も家事を頑張らなきゃ。


 神夜月桜音(かぐやづきかのん)は美人で優しくて正義感の強い私の自慢の姉なのだ。


ーーー

 

 目が覚めると雨が降っていた。

 スマホの画面に10時12分。

 私はゆっくりとベッドから起き上がると、水を飲もうとキッチンに向かった。常温のミネラルウォーターをコップに注ぎ飲み干す。

 お姉の言ったとおり、『ゆっくり休む』ことが出来た。洗濯機を回して、リビングの掃除機をかけて。洗濯は浴室に干そう。その後はお米を炊いて。

 もし、夕方も雨が降っていたら買い物は控えるようお姉にLINEしよう。ネットスーパーを使うとか、話てみようかな。

 

 そんな事をダラダラと考えて、家事をこなした。

お腹はあまり空いていなかったからカップスープを飲んでソファに座る。雨はまだやんでいない。

 ボッーと窓に伝い流れる水滴を目で追った。


 ・・・ホントに何してるんだろう。


 本来なら学校で勉強している時間なのに。このままじゃ周りと差が開くばかりだ。


 (どうにか、どうにかしなきゃ。)


 不安と焦りで怖くなり、私は部屋に戻ると教科書を広げた。

 

 (できる事から始めないと。)


 この現実がどんなに嫌でも、私にはここしか居場所が無いんだから。


ーーー


 

 何から手を付けていいかわからないが、とりあえず国語の教科書を読む事にした。ただ、目で追うのではなく、声に出して読んだ。

 数学も少しだけだが解けた。わからない所は後でお姉に聞くか、ネット検索してしみよう。

 

 3時間程経っただろうか。肩が重い。

 グルグルと肩甲骨を動かして背筋を伸ばす。

 歴史は明日にしよう。

 頭を休ませようと、ベッドに横に仰向けになる。

 何だか、小さな達成感を感じる。

 スマホでアプリを開いた。日本の昔話が英訳されているものだ。

 昔話なら英語でも知っている単語を聞きながらあらすじがわかる。

 今日はどれにしようかな。少し迷って、『浦島太郎』を選んだ。

 スマホから流れてくる英語の響きが心地良くて、ウトウトしてしまう。

 

 きっと、リラックスできている証拠だ。


 そんな事を考えながら私はいつのまにか目を閉じていた。


 

 「・・・ん。」

 どうやらうたた寝していたようだ。無意識に手が目元に触れる、

 「あ、ダメだよっ!」

 はずだった。


 右手首が誰かに握られている。


 (えっ!?)


 驚きで声が出ない。そんな私に覆い被さるように金の瞳が覗いている。

 「あのね、目を擦るとじゅーけつしちゃうのっ!」

 夜色の髪をした男の子は少し怒ったような表情をしている。

 何?これはどういう事?何で部屋に居るの?泥棒?

 腕は掴まれたままだ。逃げようにも身体が重い。

 「綺麗な目なのにじゅーけつさせちゃダメぇ!」

 「ぇ?」

 この子はさっきから何を言ってるんだろう?

 ポカンとなった私を不法侵入?した男の子は「もう目擦ちゃダメ」と鼻を鳴らした。

 

 「・・・泥棒さん?」


 私はどうにか声に出した。昼間だし、空き巣?

 でも、泥棒ならどうしてわざと気付かれるような事をしたのだろう?服もダボっとした大きめだし、フードがついてる。・・・動きにくそう。

 

 世の泥棒事情には詳しくないが、今の泥棒は住人の様子を見に来るのかな?


 男の子は一瞬、金眼を見開きハッとなった。

 そして両手をあげて笑った。


 「オレ、夢魔なんだっー!」

 「・・・ムマ、君?」


 開放された右手を擦る。男の子が離れたので私は身体を起こした。


 「えっとね、夢魔っていう存在?オレもよくわかんないー。」

 男の子は腕を組んで考える素振りを見せる。

 「・・・夢魔って、悪魔?」

 漫画や小説で夢に出てくる悪魔の事を言ってるのだろうか?私もわけがわからない。


 「そう!えっちな事する悪魔っー!!」


 男の子は何故か喜んでいる。私は呆気に取られたままだ。


 「・・・なら、これは私の夢?」

 「そうだよっ!お散歩してたら、・・・ぁ!お名前教えてっー!」

 夢魔?は無邪気に笑いかけてくる。こういうのって教えて良いものなのかな?

 逡巡している私に夢魔は眉を段々と泣きそうな表情になっていく。

 「・・・ダメ?」

 潤んだ金眼に私は何もしてないはずなのに罪悪感を感じた。

 「・・・李桜です。」

 「りおんっー!!」

 名を教えると夢魔は両手を上げて喜んでいた。身体一杯に感情を現す夢魔を私はただただ見ていた。

 「あのね、オレ、お散歩してたらね、李桜が寝てたからお邪魔したのっ!李桜の寝顔が可愛いかったから見てたんだっー!!」

 一息に夢魔の子は喋りだした。言いたい事が全て言えたのか、満足気にも見える。

 それより、

 (・・・可愛い。)

 

 ドクンと心臓が脈打つ。血流が、血管を流れる血が熱い。

 

 ー可愛いと勘違いして調子乗んな、不細工。

 ー可愛いんだからさ、ウリでもやれよ。

 ー逆にさー、どんだけブスになるか記録するてか?


 「・・・。」

 嫌な記憶がリフレインする。忘れたいのに、小さなきっかけで思いだす。


 「どーしたの?お顔真っ青。」

 

 我に返ると夢魔の子は心配そうに私を見ていた。

 何と答えていいかわからず黙り俯く。

 「大丈夫?」

 「!」

 体を屈め夢魔の子は俯いた私を見上げる。私はびっくりして体を反らせ離れたが、彼は更に近付いて私の顔を覗き込んでくる。

 「や、見ないで・・・。」

 視線が、視線が怖い。顔を背け手で顔を覆った。


 「どうして?こんなに可愛いのに?」

 「・・・かわ、いくなんかっ!」

 やめてよ、聞きたくない。私が選んだ顔じゃないんだから。勝手に決めないで。区別しないで。

 

 「可愛いよ!李桜は可愛いっ!」


 両手を握られる。覆い隠す事が出来ず視界が開けた。そこには金眼を細めた夢魔の子が笑っていた。


 「・・・!」


 声が出ない。こんな綺麗な瞳見た事がなかった。

 夢魔の子はニッコリと笑うと私を抱きしめた。


 「李桜、もうすぐ目が覚めちゃう。オレ、もっとお話したいー。だから、」

 抱きしめたまま、残念そうに夢魔の子が呟いた。肩に掛かっていた息が、首に、耳元にかかる。変な感じがする。

 「・・・夜来るね。」

 ぴっちゃと水音が鼓膜に響いた。



 「・・・っ!!?」


 目一杯開いた視界が映したのは見慣れた天井だった。体を起こせばそこは自室のベッド。

 (・・・夢?)

 部屋には誰もいない。聞き流していた英語のアプリも終わっていて、スマホ画面は真っ暗だ。

 誰もいない。当然だ。居るわけがない。

 ・・・はずなのに。体が熱い。


 左耳には妙な生々しい感触が残っていて、動悸が収まらなかった。

 雨は上がっていて、夕日がカーテンの隙間から差していた。


ーーー


 夕食は簡単に炒飯だ。野菜の端を冷凍していて良かった。これでスープが作れる。


 「たっだいまでぇーすっ!」


 勢いよくリビングに入ってきたお姉のテンションは高い。ぁ、今日は金曜日だ。

 お姉は約束通り、バニラプリンを買ってきてくれた。

 「今日は炒飯ですかー。いいですねー。」

 フライパンを覗き込んだお姉は上機嫌だ。

 

 普段のスタイル(タンクトップにショートパンツ)に着替えたお姉は冷蔵庫から酎ハイを取り出し、豪快に喉を鳴らす。

 「ぷっはぁー!うっまい!」

 昭和?のオヤジスタイルで酎ハイを飲み干したお姉はテーブルに腰掛けた。私は炒飯と野菜スープを配膳する。

 「ありがとうございますー。美味しそうですねー。流石李桜ですー。」

 「・・・ありがとうございます。」

 「ではいただきまーす。」

 「・・・いただきます。」

 お姉に続いて手を合わせ、スプーンを手に取る。

 「う〜ん。美味しいですねぇ。」

 ほっぺが落ちそうとお姉は頬に手を添えた。

 「・・・良かったです。」

 大袈裟に喜んでくれるお姉に私はいつものように笑った。

 

 テレビの音がBGMのようにリビングに流れる。


 「ごちそーさまっ!さっ、別腹スイーツの時間ですよん♪」


 るんるん♬とお姉は冷蔵庫からバニラプリンを持ってきて、私に手渡した。

 「20%増量ですよ、お得ですっー!!」

 お姉は既にプリンを食べ始めている。

 パッケージを捲り、スプーンで掬い、口に運ぶ。

 ・・・久しぶりに食べると美味しい。

 

 プリンを食べて、夕食の後片付けをした。

 お姉は恒例の『お月見』中だ。

 「?」

 私は違和感を感じた。

 酎ハイ缶を手に月を眺めるお姉の横にはビールが置かれている。あと、サラダせんべい。

 ビールのCMではからあげや焼き鳥がよく映るので、揚げ物がビールと相性がいいと思っていたけど、違うのかな?

 サラダせんべいはお姉の好物だし、ビールと合うのかもしれない。

 

 月を眺めるお姉の横顔はやっぱり綺麗だ。

 

 お姉の姿に見惚れていたが、洗濯物を浴室に干したままだと思い出して私は洗濯物を取り込んだ。

 タオル、服と分けて畳む。それから畳んだ服をショーケースに戻したり、ハンガーにかけてしまった。

 リビングを覗くとお姉はまだお月見中だった。

 「おやすみ。お姉。」

 声を掛けたが、声量が小さかったのだろう、お姉からの返事は無かった。


 部屋に戻ってベッドに横になる。 

 今日も何もしない1日が終わる。


 ゴロンと横になりシーツのシワを眺める。

 (・・・。明日は土曜日だから、お姉にゆっくりしてもらおう。)

  きっと、お姉もそのつもりだ。

 

 昔、お姉の方がインドアだったような記憶がある。休日はよく、本を読んでいた。

 だから変わりに私がよく商店街で買い物していたっけ?

 (私が外に出れなくなちゃったから、お姉が代わりに。・・・駄目だな。嫌だな。)

 ネガティブな気持ちがぐるぐるとお腹に溜まっていく。押し潰されて、また溜まって。積み上がって、潰れて。

 考え過ぎているのだろうか。体は疲れているのに、脳だけが冴えているこの感じ。

 (・・・眠れないから不安になっちゃうのかな?不安だから眠れないのかな。それとも、変な時間にお昼寝したせい?・・・夢も変だったし。)

 

 現実味がなくて、頭がぼっ〜とする。

 学校に行かなくなって、不規則な生活になっている。お姉が見ていなければ食事は食べないし、体を動かす事もない。

 (このままじゃ、駄目なのはわかってる。わかってるけど、どうしたらいいの?) 

 1人になると考えるのは『未来への不安』

 不安に思うのに、どうして行動出来ないんだろう?

 ただ、シーツの皺を眺めていたら、朝になっていた。 

 本当に私は時間を無駄にしているダメな子だ。


ーーー


 今日は土曜日。

 外は、曇り。洗濯はまた浴室に干そうかな。

 朝ご飯は・・・きっと昼ご飯と一緒になるから、品数を増やしてみよう。豆腐ハンバーグにオムレツ。パプリカのサラダとか。カップスープも。

 お姉が昨日買い物してきてくれたので食材は充分だ。

 洗濯とリビングの掃除をして。調理の下拵えを終えた。時間は11時を過ぎている。お姉は起きてくる気配はない。私はソファに持たれてぼんやりしていた。

 (・・・だるい。昨日寝てないから。)

 お姉が起きて来るまで、少し、・・・。


 睡魔が、やってくる。



 「李桜ひーどーいっー!!」

 「!?」

 肩を揺さぶれた感覚に目が覚める。目の前には、夢魔の男の子がいた。怒っているのか、「いじわるっー!」とか「約束破ったっー!」と喚いている。

 「・・・私、何もしてない。」

 そう、何もしてないのに。意地悪なんて。

 夢魔の子は潤んだ金眼で私を見上げた。

 「うっ〜。夜来るって言ったのにぃー。李桜ずっーと起きてるから夢に入れなかったっー!」

 オレちゃんと言ったー!約束したっー!楽しみにしてたっー!

 両拳を作ってギャンギャンと喚いている。サイズの合わない大きめの服が夢魔の子を更に幼く見せている。まるで、商店街でみた母親におもちゃを強請る幼児のようだ。

 「ふふっ。・・・それは、ごめんなさい。」

 余りにも可笑しくて、謝る前に吹き出してしまった。

 「あー!李桜が笑ったっー!」

 両手を上げて飛び跳ねていた夢魔の子はニッコリ笑うと私を抱きしめた。

 「離して!」

 「ヤダー!ギューするのっー!!」

 力を込める夢魔に私は抵抗する事をやめた。夢魔はクスクスと楽しそうに笑っている。

 「オレね、李桜の匂い好きっー!良い匂いっー!」

 無邪気に笑っていたと思ったら急に擦り寄ってくる。匂いを嗅がれるなんて、恥ずかしい。

 「・・・や、やめて。」

 押しのけようと腕に力を入れるけど、距離を取る事は出来なかった。首元や肩、耳と露出した肌に当たる吐息が、ぞわぞわする。

 

 「お願い、恥ずかしいっ!」

  

 夢魔の子が離れていく。伝わって良かった。激しい鼓動を落ち着かせようと私は胸を押さえた。

 恥ずかしさから顔も耳も熱い。

 「・・・!」

 髪をかき上げられる。ビクンっと体が跳ねた。そっと上目に見上げると金眼と目が合う。

 感情の見えない、無機質な金の瞳。

 呼吸をするのも忘れるくらい、魅入ってしまう。

 「・・・お腹空いちゃった。」

 そう、呟いて。私の唇に彼の唇が触れる。



 「李桜。風邪引いちゃいますよぉ〜。」

 「!!」

 目を開けると、お姉が立っていた。

 驚いた私にお姉は困ったように眉を寄せている。

 「魘されてましたよ。また、嫌な夢でも見たんですか?」

 お姉が隣に腰掛ける。私は首を横に振った。

 「・・・嫌というか、・・・可笑しな夢でした。」

 「そうですか。」

 私の返事にお姉は微笑んでくれた。良かった、安心してくれてみたいで。

 「ハンバーグ、今焼きますね。」

 「焦らなくていいですよ〜。」

 立ち上がった私にお姉はいつものようにのほーんと返してくれた。それからお姉はテレビを点けて、スマホを眺めていた。

 

 私はコンロ前で少し考える。

 家事をして、お姉と過ごすのが私の日常。

 だったのに。

 (夢なのに、恥ずかしくて、苦しかった・・・。)

 まだ収まらない鼓動。子供みたいな仕草から、急に変わる、射抜くような金眼。

 

 『そう!えっちな事する悪魔っー!!』

 『・・・お腹空いちゃった。』


 「っ!」


 思い出すだけで、恥ずかしい。

 バクバクと鼓動は鳴り止まない。


 何で、あんな夢見ちゃうんだろ?夢魔って、・・・えっちな事するって。それって、・・・ドラマとか、漫画で見るような・・・。

 あの男の子は小学生みたいな感じなのに、急に眼の色が、雰囲気が変わる瞬間がある。

 怖いけど、見ていたい、変な感じ。

 「あ。」

 悶々と考えていたら、豆腐ハンバーグが焦げてしまった。


ーーー


 昼食後のお昼寝がお姉は好きだ。なので、現在進行系でソファでお昼真っ只中。

 

 体に良くないけど、気持ちいい贅沢な時間だと笑って教えてくれた。

 

 私は調理器具を片付けて食器を洗った。夕飯の下拵えをしようと髪を掻き上げる。左耳に触れた瞬間、脳裏に浮かんだのは夢魔の男の子。

 気にしないようにと考えれば考える程気になって仕方がなくなる。


 (・・・恥ずかしい。夢なんだから、自分の妄想なのに。夢魔なんて、居るはずない。なのに、こんな夢を見るなんて、・・・やっぱり、欲求不満ってやつなの?)

 

 クラスメートの嘲笑う声や蔑む視線の中、そんな事無いと思っていたのに。

 

 嫌な記憶がまた蘇る。


 自分の事なのに、わからない。私が変だから、・・・虐められたのかな。

 『虐められた』なんて、被害者が使う言葉。

 あの時はそう言われた。お姉もそう言っていたけど。もし、私自身がおかしかったら虐められて当然だったのかもしれない。


 (・・・今、眠って夢に夢魔が出て来なければ。お姉にまでも嘘吐いていたなんて考えたくないよ。)


 食器の片付けを終えると私は部屋に戻った。ベッドに横になりタオルケットを頭から被る。まだ昼間で眠れるかは分からなかったが、意識は深く深く落ちていった。


 

 「李桜っ〜!」


 目の前に夢魔の子がいる。やっぱり、私の方がおかしかった。

 「・・・ぅう。」

 視界が滲む。悔しい。

 「李桜!?どうしたの、何で??どこか痛いの?」

 夢魔の子が慌てている。これも、私の妄想。

 だって、私の夢だ。抑えていた、欲望が無意識が形になっただけ。

 「李桜??悲しいの?」

 悲しいのかと聞かれ。更に涙が溢れた。

 「・・・悲しいよ。だって、皆に言われた通りだった。自覚のないインランだって。・・・だから、夢魔が、夢に・・・現れる。そんな夢を見るんだ。嫌だよぉ。」

 何故だろう。私が『普通』と思っていた日常が急に壊れたあの時、他人が『私』を見る目が変わったのは、あっちの都合で勝手だと思っていたのに。


 『神夜月にも原因があるんじゃないか?他の子の行動ばかり責めるんじゃなく、自分の事も振り返ってみなさい。』


 先生の言った通りだった。


 「ぅ、「うわぁああぁん!!ごめんなさいぃー!!」

 自分の声より、大きな声に体がビクついた。

 夢魔の子が急に泣き出したのだ。うぐうぐと泣いてしまっている。・・・なんで、そっちが泣くの?

 声を出して泣きたいのは私。


 「何で、貴方が泣くの?・・・私が泣きたいっ!」

 「だって、だってぇ!!オレが来るから李桜嫌って!!李桜に嫌われるのやだぁ!!もうご飯1人で待つの暇ぁ!!!ヤダヤダ、李桜と遊びたいっー!!」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔で夢魔の子が泣いてる。

 私は呆気に取られて涙も引っ込んでしまった。

 「嫌いにならないで、お願いぃー!嫌だぁー!!」

 泣き止む所か酷くなっている気がする。・・・こうも泣かれてしまうと、自分の方が落ちついて冷静になってしまう。

 私の夢なのだから、夢魔の行動が子供なのも仕方ないのかな。

 ヤダヤダと泣いてる男の子に私はどうしたら良いのかわからない。でも、少し羨ましいと感じた。素直に思うままに泣けるなんて。私も、泣きたい。


 「李桜に嫌われるヤダー!!一緒に遊ぶのぉー!!」

 

 嫌われるのが、嫌だと。一緒に遊びたいと。


 私もそう思ってた。仲間外れにされるのは1人は嫌だと。でも、受け入れてもらえるかどころか突き放されてしまった。


 「私も、一緒に遊びたいっ!お話したいっ!!」


 1人で、お姉の帰りを待ちながら自分を責め続けるのはもう嫌だ。


 私達は気付いたら一緒に大声で泣いていた。人の目を気にせずに、声が枯れるまで。

 思う存分、泣いた。


 あれだけ泣いたのに、喉は痛くない。

 お姉が気付く事もない。

 私は部屋の中を見渡した。見慣れているはずの自分の部屋なのに、どことなくぼやけている感じがする。

 やっぱり、夢の中なんだ。



 「ふにゃぁ、・・・むに、みゃあ。」

 先に泣き疲れてダウンしたのは夢魔の男の子の方だった。頭が痛くなるくらいだったらしい。横になるように促すと、喜んで膝枕を求められてそのまま寝入ってしまった。

 ・・・休むように言った手前、私は断りきれず膝枕をしている。

 (夢魔って、夢の中で寝るものなのかな?)

 気持ち良さそうに寝ている横顔が微笑ましくて私は頭を撫でた。

 「・・・?」

 男の子の頭を撫でる掌が何かに触れる。何だろうか、小さく膨らんでいる?こぶ?にしては妙な感じだ。夜色の髪をかき分けると小さな突起物が見えた。こぶではない。

 

 「うにゃあっ!・・・??」

 

 夢魔は目を覚ますと両手で頭を抑えた。そして、首を傾げる。

 「角あるっ!」

 夢魔は安心したようで胸を撫で下ろした。どうやら、私が触っていたのは角のようだ。


 「・・・あ、勝手に触ってごめんなさい。」

 私が謝ると男の子は「だいじょーぶー!」と笑った。

 「オレね、夢魔なのに角も牙も爪も退化しちゃってるの。」

 あっーと大きく口開ける。確かに、牙らしい尖った歯は見えなかった。

 「だからね、吸血も出来ない。自分でご飯を食べるにはえっちするしかないんだ・・・。」

 しょぼんとしながら夢魔の子は話ている。

 今、この子すごい事言わなかった?

 

 「・・・それって。」

 私は少し戸惑ったが聞いた。しかし、その前に、

 「でもオレえっちの仕方とかわかんないの。聞いてもわかんない。だからご飯分けてもらってるの。」

 男の子は申し訳なさそうに続ける。

 「・・・わかんない?」

 私が繰り返した言葉に彼はうんうんと頷いた。

 「うん。よくわかんない。ちゅーしたり、舐めたら良いって聞いた。お股の」

 「ちょっと、待って!!」

 さっきから流れで話してるけど、この子は私の願望のはず。なら、私はそういう事がしたいって事?!

 恥ずかしくてもう聞きたく無いと耳を覆う。

 「そんな、イヤらしい事考えてるなんてっ!自分が信じられないっ!!」

 本当に恥ずかしい。私はそのまま、ベッドに倒れ込んでシーツで顔を覆った。

 興味が無いと言えば嘘だ。だって、気になる。体が変わっていくから。でも、こんなあっけからんと・・・

 「李桜?どーしたの??」

 夢魔の子は私の顔を覗こうとしているのか、左右から声が聞こえる。

 「りぃーおぉーんー。ねぇー?」

 名前を呼ばれても恥ずかしくて顔を上げられない。 

 暫くシーツに顔を突っ伏していた。諦めたのか、声が聞こえなくなった。

 「・・・?」

 あれだけしつこかった声が急に聞こえなくなると気になってしまう。

 そっと私は目線だけ上げた。

 

 「やっと顔上げたぁ〜!」

 「わぁ!?」

 「可愛いお顔みれた〜!」

 「っ、・・・。」


 目線の先にいた夢魔は逆さまだ。ふよふよと宙に浮いている。

 「もうちょっと遊びたいけど、もうすぐ李桜起きちゃうー。きょーは絶対寝てよ?李桜が寝ないと夢に入れないからねー。約束だよー。」

 逆さまの体制を変えて1回転するとポフっとベッドに座った。そのまま夢魔の子が話し続ける。

 「李桜?」

 (・・・妄想なんだから眠るのは関係ない気もする。)

 呆けた私に夢魔の子はむぅと頬を膨らませた。

 「約束してー!絶対眠ってー!!」

 また、駄々っ子のように騒ぎ出した夢魔に私は眉を寄せる。かまってほしいのか要求を通そうと手足をバタつかせている。

 「オレ夢魔なんだから、夢の中にしか入れないのっ!李桜の夢がいいっ!」

 段々と声が大きくなっている。

 (う〜ん。何でそんなにこだわるのかな?妄想ってこんなものなんだろうか。でも、妄想にしてはこの夢魔の男の子のキャラクターは良く作り込まれてるかも。)

 「妄想にしてはキャラクターもお話も良く出来てるから、日記にでも残しておこうかな。」

 「へ?」

 私が考えている事を告げると今度は夢魔の子の方がポカンとなってしまった。金眼が丸くなり、可愛い。

 「李桜何言ってるの?もーそーじゃないよ。これは夢。」

 「はい。夢ですよ。」

 頷いた私に夢魔の子は首を傾げた。そしてハッとなる。

 「オレは夢じゃないよ!夢魔っ!姿は見えないけど、現実にもいるのっ!夢の中じゃないとお話できないのっ!」

 必死になって一生懸命の姿がぼやけている。

 声も、聞き辛くなっていく。


 

 「・・・。」

 ぼんやりとだが、夢から覚めた事がわかる。

 視界に映る世界の輪郭がはっきりしていて、体を動かす感覚は刺激となっているからだ。

 スマホの表示は15時32分。

 1時間近く寝ていたようだ。

 「・・・。」

 必死だった夢魔の顔が脳裏から離れない。

 「・・・近くにいるの?」


 そう、問いかけても返事が返ってくる事はないのに。

 (・・・夢魔、か。)


 スマホで検索する。


 『夢魔(むま 〈インクブス ラテン語: incubus [ˈɪŋ.kʊ.bʊs]、インキュバス Incubus [ˈɪn.kjə.bəs] はラテン語の英語読み〉)は、古代ローマ神話とキリスト教の悪魔の一つ。淫魔(いんま)ともいう。夢の中に現れて性交を行うとされる下級の悪魔。』


 『インキュバスは男性型の悪魔で、睡眠中の女性を襲い精液を注ぎ込み、悪魔の子を妊娠させる。女性の姿をした(もしくは女性に変身した)夢魔は、サキュバス(英: Succubus)といい、睡眠中の男性を襲い、誘惑して精液を奪う。こちらの詳細は「サキュバス」を参照のこと。』


 『どちらも、自分と性交したくてたまらなくさせるために、襲われる人の理想の異性像で、服を着ず下半身は裸で現れる。そのため、その誘惑を拒否することは非常に困難だった。人の形態をとるだけでなく、標的となった人間の寝室には蝙蝠に化けて侵入するともされている。ただし、これらの姿を変える能力を剥がした正体は醜い怪物とも語られている。』


 『ルネサンス時代には「インキュバスは実際に女性を妊娠させるのか?」という議論が真面目に行われていた。というのも、この時代は生活環境の変化によって人々が性に奔放になり、都市部の若い(時には少女とも呼べるほどの年齢の)女性が父親不明の私生児を抱える例が多かったのである。』


 『当時のキリスト教の教義では婚前の性交渉はタブーとされていたため、女性が望まぬ子供を孕んだときには“インキュバスの仕業だ”とされて、不義密通の言い訳として大変役立ったようでー』


 (・・・。)

 夢魔って、西洋の悪魔なのに何で日本人の私の夢に出てくるんだろう?

 でも、変な気分になっちゃうのが夢魔の力ならそれはそうなのかな?だとしたら、そうであってほしい。 

 私の『生きていく世界』は現実だから。


 

ーーー


 リビングのソファではまだお姉が寝ていた。何故かサラダせんべいとアルバムを抱えているから1度は起きたのだろう。それに、ソファテーブルにコーラとジンジャーエール缶が置かれている。

 (お姉、ジンジャーエール飲むんだ。)

 コーラやコーヒーが好きだと思ってたけど。

 

 じっとお姉の寝顔を見る。上下する胸の動きに合わせて長い睫毛も揺れている。

 美人の寝顔って、ずっと見てられる。肌も綺麗だ。

 「・・・はるおみ。」

 桜色の唇が動いた。


 (・・・はるおみ?)


 聞いた事ない名前。親戚にも居なかったはず。

 誰だろうと思っているとお姉さんの目元に涙が溜まっている事に気付いた。

  

 (・・・泣いてるの?)

 

 悲しい夢でも見ているのかな?

 起こして上げた方がいいのだろうか。


 少し迷って、お姉の肩を揺さぶろうとした時、


 ーヒュウウゥ


 風が吹き抜けた。爽やかな、夏の匂いが鼻をかすめる。


 窓を開けっぱなしにしていたのかと振り返る。

 背後にはキッチン。リビングのドアも閉まっていた。

 目の前の窓も閉まっている。


 そこで、私は違和感を感じた。窓は正面にあるのに、背後から風を感じる事なんてないはずだ。


 「・・・ん。」


 お姉が寝返った。サラダせんべいとアルバムが滑り落ちる。

 床に散らばったサラダせんべいとアルバムを私は拾ってテーブルに乗せた。

 お姉はすぅすぅと寝息を立てている。

 目元に溜まっていた、涙の雫はなかった。

 (・・・見間違い?悲しい夢でなければ起こさなくてもいいよね。)


 私はそっとお姉の側を離れた。


ーーー


 

 お姉は夕方になっても起きなかった。

 ずっと寝ている。気になって、何度か顔を覗き込んだ。寝息が聞こえるのを確認して、離れる事を数回繰り返す。


 夕食はどうするんだろう。私は少し考えて、お握りを作った。

 お姉の好きなツナマヨとたまごふりかけだ。

 それと常温のミネラルウォーターをテーブルに置く。


 時刻は21時過ぎ。

 今夜は雲が少なく、月が良く見える。

 理科の授業で夏の星座を習った事を思い出した。

 教科書を読む事は家で出来ても、実験器具の使用は学校じゃないと出来ない。

 動画を見ても、触れないとわからない事もある。


 (・・・学校に行かなきゃ。でも、1年も行っていない。担任だと言う先生も1回しか話していないし。)


 またグルグルと不安が大きくなっていく。

 けれど、何故だろう。いつもより苦しく無い。

 きっと、これが気の持ちようというものだろうか。


 『オレ夢魔なんだから、夢の中にしか入れないのっ!李桜の夢がいいっ!』


 私も、寝よう。約束したから。


 リビングの電気は消す事にした。真っ暗になるかなと思ったけど、室内には月灯りが届いていた。

 お姉の寝顔が青い光に照らされていた。


ーーー


 部屋に戻って布団に入ってみるが、中々寝付けない。また昼寝をしたせいだろうか。

 

 (でも、寝ないと、夢でまた何か言われるのかな。)

 30分程経過したが、眠れない。

 (・・・どうしよう。)


 体を動かしたら眠りやすくなるけど、家事以外は体を動かす事もないし。 

 あ、そうだ。お風呂に入ってこよう。湯船に浸かればリラックス出来るかも。

 むくりと起き上がって私はお風呂の準備をする事にした。



 「ふぅー。」

 2日ぶりの入浴はさっぱりする。

 外に出なくなって、入浴回数は減った。・・・食事もだけど、なんか、申し訳なく感じてしまう。

 日常生活では最低限、生きていけるくらいでいい。だから、娯楽も必要ない。TVも見なくなったし、音楽も聴かない。

 

 スマホは連絡手段として必ず持つようにお姉に言われている。・・・お姉の方が充電忘れて電源落ちてる事が多いけども。

 

 「はあー、・・・気持ちいー。」

 ちゃぷっと水音が浴室に響く。

 (・・・お姉、まだ寝てたなぁ。今日はずっと寝てる。疲れが溜まっているのかな?大丈夫かなぁ。)

 お湯を肌に馴染ませようと左手を摩る。


 「わぁーい!今日はお風呂だぁ!!」

 「わぁああぁ!?」


 バシャと水飛沫が飛び散る。湯船から勢いよく現れたのは夢魔の男の子。


 (な、何で湯船の中からっ!!?って言うかっ!?)


 「出て行って下さいっ!!」

 水面を手で払い、水飛沫をかける。ポタポタと夜色の髪から滴り落ちる水滴。男の子はお湯が顔にかかり、ポカンと口を開けていた。

 「・・・。」

 「・・・ぁ。」

 びっくりして思いっきり水をかけてしまった。

 ・・・湯船の中から現れたから服も全部濡れているから、今更顔が濡れても問題無いように思うけど。

 

 「水かけっこだぁー!!」

 「きゃあっ!」


 何を勘違いしたかは知らないけど、バシャバシャと私に水をかけてきた。夢魔の子は両手で救って何度も私に水をかけてくるのだ。

 ・・・。もう、いい加減にして。

 

 「もうっ!やめてっ!」

 「やだー、やめないっー!!」


 ムキになって私も水をかける。夢魔は楽しそうに更に水をかける。互いに水を掛け合っているのに、湯船の水は一向に減らない。


 「・・・夢魔、さんが居るって事はここは夢?」

 私がそう聞くと夢魔の子は元気に頷いた。

 「そーだよー!夢の中っ!!」

 満足したのか男の子は湯船から出て水を吸った服をぎゅーと絞っている。

 (そっか、夢。いつの間に寝てたんだろ。)

 ボッーと湯船に浸かっていると不思議そうな男の子の金眼と目が合った。そういえば、この子の名前聞いた事ない。

 「あの、聞きたい事があるんですど。」

 「なぁーにー?」

 絞り終わったのか、夢だからか。夢魔の子の服は既に乾いている。

 「名前を教えてほしいです。」

 「名前?オレの?」

 きょとんと自身を指さす夢魔の子に私は頷いた。

 

 悪魔は『真の名前』は教えちゃいけないけど、個体を分ける名称はあるはず。

 「ぅ〜ん。」

 男の子は少し困った顔になった。やはり、聞いてはいけない事だったのだろうか。

 「オレね、李桜みたいな名前ないの。黒の同胞って呼ばれてるー。」

 しょんぼりと寂しそうに夢魔の子は答えた。

 (・・・黒の同胞?)

 そんな悪魔の名前聞いた事ない。

 「えっとね、いつも一緒に居る夢魔がいるの。大っきいの。オレにご飯わけてくれるし、物知り。・・・オレ達には最初から名前が無いんだって言ってた。」

 両手を動かして夢魔の男の子は一生懸命伝えようとしてくれる。

 「・・・名前が無いと不便ですよね。なら夢魔君って呼んだらいいですか?」

 「ぇ?う〜ん。でもオレ、夢魔っぽくないしー・・・。」

 確かに。夢魔というより、幼稚園児っぽい。私の感覚だけど。

 暫く考えていた夢魔の子はハッと顔を上げた。何か閃いたようだ。

 「ちょっと待ってて?聞いてくるからっ!」

 ね?と眉を下げて懇願する姿に私は笑って頷いた。

 「わかりました。待ちますね。」

 「うんっ!」

 ニコニコとご機嫌で夢魔の男の子はバスタブに近づいてくる。そして、

 「李桜も早く上がってっ!」

 私の腕を引っ張った。体が浮いてしまう。

 「や、・・・待って、服着てないっ!」

 (せめてタオルだけでもっ!)

 私の気持ちなんて知らないだろう。夢魔の子は「だいじょーぶっ!」と無邪気に笑っている。

 体が前のめりに倒れ、抱き止めらる。・・・濡れたまま、しかも裸。

 (肋骨の浮いた体を見られるなんて、恥ずかしいし、嫌だ。)

 恥ずかしさの所為で私はギュッと目を瞑った。


 「わぁ!オレ、太陽の下初めてっ!!李桜も見て!きれー。」

 感嘆の声に私は恐る恐る目を開ける。太陽?

 「ぇ・・・。」

 眼前は何処までも広がるラベンダー畑だった。

 (・・・お風呂場じゃない?)

 いつの間に移動したのか。地平線まで続く紫の花に私は息を飲んだ。

 「すごいねっー!お花いっぱぁーい!!」

 夢魔の子は私から離れ、両手を伸ばしくるくると回っている。4回転した時にバランスを崩し尻餅をついた。

 「あははっー!楽しいっー!ねぇ李桜っ!」

 夢魔の男の子に呼ばれ私は駆け寄った。金眼を細め、男の子は穏やかに笑った。

 「お洋服似合ってるっー!」

 

 そう言われ、俯くと私は白いワンピースを着ていた。視界に入る手の甲に骨に筋が浮かんでいない。腕もガリガリじゃない。

 腹部に手を当てる。いつも直ぐに触れる肋骨に触れない。次に顔に触れた。柔らかい、弾力。


 ・・・1年前の体?


 自身の体を触り確認する私を夢魔の子はニコニコと眺めていた。

 「李桜こっち来てー!お昼寝しよー!」

 「・・・うん。」

 断る理由は無い。

 私達は並んで寝そべった。現実世界ならラベンダーの花の上で仰向けになるなんて出来るわけがない。けれど、今は夢の中だ。花の上で寝そべっても、茎が折れる事も無いし、白のワンピースが汚れる事もない。


 「ゴロンゴロン楽しいっー!オレ、ここ好きっー!」

 両手足を伸ばし、夢魔の子は喜んでいる。私の夢の中は居心地が良いようだ。良かった。

 「青いお空に浮かぶ雲ってこんな感じなんだねー。」

 男の子は興味津々に青い、昼の空を見上げていた。

 「オレねー、お邪魔した夢の世界しかわかんないんだー。」

 お邪魔した夢。他の人はどんな夢を見ているのか少し気になる。

 「私の夢の他に、どんな夢にお邪魔したんですか?」

 なんとなく、会話の流れで聞いてみる。夢魔の子はえっとねー。と返事をした。

 「子どもの夢はねー、おもちゃとかりょーしんが出てくるの。空飛ぶ紙飛行機に乗ったり、ブロックで作ったお船で海に出たり。わくわくして楽しいの。お友達と遊んだり、怪物に追いかけられたりとかもあった。

 大人の夢はね、お金とか裸の女の人、マッチョばっか出てくるの。あとお洋服とか宝石。つまんないから夢に入るのやめたんだー。」

 聞いてみるとなかなか返事に困る内容だった。何というか、その人の嗜好がわかるというか。

 私が黙っていると、夢魔の子は私を見て笑った。


 「だからね、李桜に逢えて嬉しいっ!」


 夢魔の子の言葉はいつも真っ直ぐだ。私が望んでいる言葉をくれる。

 

 「・・・私も、嬉しい。」


 夢の中、目覚めるまで。こうして話しているだけで、楽しいのだ。自然と頬が綻んだ。上手く笑えた気がする。

 新緑の風が吹いた。柔らかい、懐かしい風。

 「・・・ねぇ李桜。」

 夢魔の子に呼ばれて、私は顔を上げる。

 「はい?・・・っ!」

 驚いて息が止まるかと思った。夢魔の子が私の目の前、本当に目と鼻の先に居るのだ。

 「・・・お腹空いちゃった。」

 無感情な金眼。初めて会った時の瞳だ。この瞳で見られると身体に力が入らなくなる。

 彼はそっと私の頬に触れた。体温は感じない。

 「・・・ご飯。」

 そう呟き、唇同士が触れる。私は目を開いたまま、抵抗出来なかった。

 (・・・今、キスしてる?)

 やはり体温は感じない。夢だから感じるわけないと冷静に考えていた。


ーぴちゃ


 水音が聞こえた瞬間。体が熱を持ったように熱くなった。それと同時に、

 「っ!!?」

 これまで感じた事の無い、感覚が全身を走り抜けた。

 「??!」

 震えが止まらない。体が熱い。

 耳に水音が響く度に頭の芯がぼんやりする。


 (・・・キスしてるんだ。大人の、舌が熱い。・・・あんなに嫌だったのに。)


 クラスメート達が罵しる度にそんなはずはないと思っていたのに。

 けれど、その罪悪感を忘れさせてくれるくらい、気持ち良い。

 「・・・はぁ、」

 唇が離れる。苦しくはなくて、・・・ただ、離れていく互いの瞳に名残惜しさが滲んでいた。

 無意識に指先に入っていた力が抜ける。

 「・・・甘くて美味しい。」

 夢魔の子はそう言って唇を舐めた。満足した金眼が私を射抜く。

 「李桜もっと食べたい。」

 背筋がゾワゾワする。・・・あの時もだが夢のはずなのに、感覚が生々しい。

 「・・・もう一回。」

 もう一度、互いの唇が触れる。力強く引き寄せられ、抱きしめられて。・・・もっと気持ち良くなりたいと思った。


ーーー

 

 「・・・ん。」

 

 ぼんやりとした気怠さの中、意識が浮上する。

 見慣れた室内に私は深く息を吐いた。

 (・・・ホントに夢だった。)

 覚えているのは、初めてキスをしたこと。

 (・・・嫌じゃ、なかった。それに、)


 『李桜に逢えて嬉しい』


 あの子は欲しかった言葉をくれる。

 夢は私だけの世界。私と彼だけの。

 私の現実は毎日変わり映えはない。それは私が望んだから。


 (こっちが夢だったらいいなぁ。)


 右手を伸ばす。筋張った手の甲を眺め、グーパーを繰り返してみた。何度か繰り返すと腕が疲れた。

 腕を上げる筋肉も落ちてる。不摂生な生活。

 

 ふと、脳裏を掠める。

 薄暗い、窓に鉄格子のある部屋。

 柵に囲われたベットの隣にある車椅子。

 

 ベッドには骨と皮だけの白髪の老婆が、

 いや、『お母さん』が寝ていた。


 焦点の合わない目で空虚を見つめ、言葉を発せずに涎を垂らして。


 『・・・ああ、まだ生きるんですね。』


 「・・・!!」

 一気に寒気を感じて血の気が引いていく。

 怖くなった。

 学校にも行けなくて、外出も何も出来なくて、

 それなのに入院なんて事になったらお姉に金銭面でも更に負担がかかる。

 お姉はやっと自由なったのに。


 (・・・自由。)


 これまで、答えを出す事拒否していた。

 無意識に甘えて思い込んでいた。

 

 気付いてしまえば、それは濁流となって押し寄せるのに。


 (・・・お姉に捨てられたら私、どうなるの?)


 きっと、私は1人で生きていけない。 

 お姉みたいにはなれないし、そしたらお母さんみたいになる?

 痩せこけた体で、眼球だけが盛り上がって点滴チューブがずっと繋がったまま。

 自分でも生きてるのか死んでるのかわからない。

 家族の負担になる存在。


 いや、だ。怖い。

 


 「お姉っ!!」

 恐怖が体の中を支配する。

 私は部屋を飛び出し、リビングに駆け込んだ。。ソファにお姉の姿はない。

 お姉の部屋にも姿が見えない。トイレもお風呂場も。

 ・・・お姉がいない。


 私は現実では、この世界でお姉が居なければ、

 ・・・死んでしまう?

 

 

 「おや、起きたんですね。」

 後ろからお姉の声がした。

 「お姉っ!!」

 振り返ってお姉の姿が視界に入ると安堵からだろうか涙が溢れてくる。

 「え?李桜どうしました?」

 私が急に泣き出してしまったからお姉もびっくりしたのだろう。お姉は私の背中をポンポンと叩いてくれた。

 「・・・怖くなって、しまって。何も、出来なくてごめんなさい。・・・役に立ちますから。」


 捨てないでほしい。お母さんみたいに、暗い部屋に預けないで。何でもするから。

 優しさに甘えて縋る私を許してほしい。 


 「・・・都合がいい事だってわかってます。でも、でも、」

 「さっきから何を言っているんですか?李桜は役に立っていますよ?」

 苦笑し、お姉は私を抱き締めてくれた。私も答えるようにお姉の背に手を回す。お姉の体温と匂いに安心して涙が止まった。

 「大丈夫、僕が守ってあげますから。」

 そう、お姉は微笑んでくれた。

 お姉は誰もが振り返る程美人で、バリキャリで。

 お母さんが亡くなった時、無理して私を引き取らなかったら違う人生があったかもしれないのに。 

 それなのに。

 私は邪魔しながら縋ってる。

 (ダメだ、きっとそれはダメだ。・・・今のままじゃ。私が、変わらなきゃ。)

 無理矢理嗚咽を押さ込み、私はお姉を真っ直ぐに見上げた。


 「私、外に出たいっ!」


 私は夢魔じゃない。現実も生きないと。ここで頑張らないと。甘えてばかりはいられない。

 答えはわかっていた。私次第だ。


 「なら、せっかくですしランチに行きましょう。」


 お姉の言葉に私は力強く頷いた。

 「李桜は最高の妹です。」

 そう言ってお姉はもう1度私を抱き締めてくれた。


ーーー


 

 1年振りの外出。不安な気持ちもあったけど、それを感じさせないかのようにお姉は私を風呂場に急かし、準備を進めた。

 「服は僕が用意しますからっ!」

 嬉しそうなお姉に私も落ちついていく。シャワーを浴びて、お姉が用意してくれた服に着替えようと手に取る。

 「・・・これ。」

 お姉が用意してくれたのは白いワンピースだ。

 裾の方に桜の刺繍がされていて、胸元のボタンは桜の花弁型だ。

 (夢で着ていたワンピースに似ている。)

 ワンピースを着てみる。着心地は悪く無い。

 けど、痩せた身体には似合わない気がする。


 「終わりましたかぁ〜?」

 「ぴゃぁ!?」

 脱衣所のドアが開き、お姉が入って来た。お姉は固まる私に近付くと全身をジッと見つめた。そしてニカッと笑って私の右手を掴んだ。


 「ふふ、ほら。行きますよ。」


 玄関まで手を引かれた後、私に淡いピンク色のカーディアンを着せてくれた。それから大きめのリボンのつば広の帽子を頭に乗せてくれる。

 「やっぱり、可愛いです。」

 お姉の言葉は嬉しかった。

 「・・・ありがと。」

 お姉は大きめの無地のTシャツにジーンズ姿でショルダーバッグを肩にかけている。

 「お姉はオシャレしないの?」

 スタイル抜群のお姉はどんな服も着こなしてしまう。なので、勿体無いと思う。

 「ええ。今日はエスコート役ですから。ずっと手を繋いでいましょうね。」

 お姉が得意気に左手を差し出す。心強い言葉に私は頷いてお姉の手を握った。

 「ゆっくりでいいですよ。」

 私は無言で頷いた。一歩一歩とお姉に手を引いてもらう。

 ガチャリと玄関ドアが開いた。一歩踏み出す。

 1年振りにマンションの廊下に出る事ができた。

 

 (・・・ぁれ?)


 拍子抜けだった。

 あんなに、怖かったのに。

 何だろう、この拍子抜けな感じは。

 

 茫然と立ち尽くす私にお姉は悪戯っ子の様に笑う。

 「一緒なら怖くないでしょう?」

 そう言って、顔の前に握った手を持ってきた。

 しっかりと握った手から感じる互いの体温。

 「はい。」

 つられて私も笑う事ができた。


 お姉の半歩後ろを歩く。マンションの住人の方々とすれ違ったが、つば広のハットなお陰で目線が合う事は無かった。


 「ほら、もう外ですよ。」


 エントランスを抜けて、オートロックの自動ドアを潜る。

 そっと顔を上げると優しいお姉の笑顔と視界に映る現実。

 暖かい日差しを遮る並木。車のエンジン音。色が、音が混ざり合う世界に五感が刺激される。


 「気分はどうです?」

 立ったままの私の顔をお姉が覗き込んだ。私は数回頷く。

 「・・・悪く、ないです。」

 「ふふっ。良かった。無理しないでくださいね〜。」

 頷いた私にお姉は微笑んだ。私は左手でハットのつばを抑え、お姉の手を握る右手に力を入れた。


 行き先は近くのファミレス。マンションから1キロくらいの距離にある。日曜の昼前は駅に向かう人達でやや人が多い。

 「・・・。」

 1年振りの外出は緊張もあったが精神的な事よりも肉体的な疲労が大きかった。

 思ったより、体力が落ちている。家事だけじゃダメなんだなと痛感する。


 「着きましたー。」

 お姉は私に視線を送った。私はそれに頷いて答える。自動ドアが開く。私はお姉の後に着いて中に入った。


 「2名様ですね、こちらへどうぞ。」

 店員さんが声を掛けてくれた。

 失礼だと思ったが私は顔を上げる事は出来なかった。店内はざわめいていた。ファミレスには数組のお客さんがいるようだ。

 「ゆっくりしたいので奥の方でお願いします。」

 お姉はそう言って私の手を引いて歩き出した。

 

 「さ、先に座りなさい。」

 お姉に言われた通り私は壁際の奥に座る。私の隣りにはお姉が座った。

 「李桜。もう帽子は取って。」

 「・・・はい。」

 私は頷いてハットを取る。狭まっていた視界が一気に広がっていく。

 「・・・。」

 目の前の壁には季節限定メニューのポスターがデカデカと貼られていた。

 照明の明るさも丁度良い。後ろでは家族連れのメニューを選ぶ楽しそうな声が聞こえる。


 「今はタッチパネルで注文できますからねぇ。便利ですー。さぁ、何にします?僕はー、チキンカツ定食、セットのドリンクはアイスティーにしよっと。デザートはいちごパフェにします。」

 手慣れたようにお姉はデバイス操作をしている。

 「・・・じゃあ、私はオムライス。」

 「飲み物はどうします?」

 「ぇっと、烏龍茶。」

 「食後のデザートは?」

 「・・・抹茶プリン。」

 「送信っと。」

 注文を終え、お姉さんはデバイスを定位置に戻した。そして、私の肩を抱き引き寄せた。


 「・・・よく、頑張りましたね。」


 一瞬、何を言われたか分からなかったが目頭が熱くなり、涙が溢れてきた。

 「後は食べて帰るだけです!」

 拳を見せ、お姉はニコニコしている。その意図を汲み取り私も拳を合わせた。

 お姉は満足そうに白い歯を見せて笑った。


ーーー


 ♪〜♬

 「オマタセイタシマシタ。ゴチュウモンノシナデゴザイマス」


 電子メロディと共に料理を運んで来たのロボットだった。『配膳ロボットのロボ太郎』と首?から下げたネームプレートに書かれている。


 「こっちが、僕のチキンカツで、はい李桜の分。」


 オムライスが目の前に置かれる湯気立って美味しそうだ。


 「では頂きます。」

 「・・・いただきます。」


 オムライスを口に運ぶ。・・・美味しい。

 味もそうだが、やはり家で食べるご飯とは違う。

 無音でも無く、ただ無意味に流すTVの音でも無く。隣の家族の会話も店内に時折響く呼び出し音も。

 これは社会の音。生きた音だ。その中での食事は1年ぶりだ。


 1年前は私も確かにその中に居た。『懐かしい』じゃなく『当たり前』だった。


 私は黙々とオムライスを食べた。

 お姉も何も言わずに食べ進めている。

 私達はデザートまで会話なく食べ終えて、混み始めたファミレスを出た。


 帰りも勿論、お姉は私の右手を握ってくれた。

 少しだけ、遠回りをしてマンションに向かった。


 帰宅後は緊張が解けたからか、どっと疲れを感じた。ソファに座るのもやっとだ。

 「やっぱこの格好ですねぇ!」

 いつの間にかTシャツとジーンズを脱いでお姉は隣に座っていた。お気に入りの猫のプリントのタンクトップにショーツ姿で。

 「・・・またそんな格好で。」

 「いいじゃないですか。誰も見てないですしぃー。」

 「・・・そうだけど。」

 「それより、来週ですよ。どこに行く考えておいて下さいねっ!出来ればデザートが美味しいところっ!」

 鼻先に人差し指を当てられる。

 「・・・わかりました。」

 圧に押され頷いた私にお姉は満足して笑った。

 

ーーー 


 「わぁー!今日はこーえんだっー!!」

 今夜の夢は外出時に見た公園だった。

 ブランコと滑り台の複合遊具。幼児向けの遊具なのに、階段が多かったり、私と同じくらいの身長の夢魔の子がトンネルを潜れるのは夢では色々調整されているからだろう。

 これなら、前聞いた『紙飛行機に乗って空を飛ぶ』事もできるかもしれない。

 

 「ねー!李桜も遊ぼっー!!」

 いつの間にか遊具の高い所に登った夢魔の子が私を見下ろしていた。私は頷いて独特の階段を登る。 

 

 「楽しいっー!オレ、ブランコ好きっー!」

 ブランコを大きく漕ぐ夢魔の子の隣で私もブランコを漕いだ。揺れる感覚が確かに楽しい。

 (公園でこんなに喜ぶなら遊園地とかの夢だったらもっと楽しむんだろうな。)

 

 とても楽しそうに遊んでいる夢魔の子を見ているとほんわかする。保育士さんもこんな気持ちなのかと考える。折角、夢魔の子が遊びに来てるんだから私も外出に慣れて色んな場所に行こ。


 そう、決めたのはいいけれど、『現実は甘くない。』


 「・・・はぁ。」

 今日、二度目の外出してわかった。

 お姉と一緒じゃなきゃ外出は難しい。お手洗いに行ったお姉を数分待っているだけで不安で胸が苦しくなり、足が竦む。その事を話すと『精神的な物ですから』とお姉は嫌な顔をせずに頭を撫でてくれた。

 いつまでもお姉におんぶに抱っこじゃいけないと思うのに、上手くいかない。

 買ってきた特売品の卵や牛乳を冷蔵庫にしまう。

 (2人で買い物に行けたから、特売品の卵も牛乳も2つ買えた。良かったと思う事にしなきゃ。うん。)

 そう、前向きに考えることにして片付けを再開する。

 次は野菜だ。キャベツ。人参。玉ねぎ。パプリカ。お姉の選んだ野菜達は艶々していて調理のしがいがある。料理は苦手なお姉だけど、新鮮野菜を選ぶ目は確かなのだ。

 「李桜〜。コーヒー下さいー。砂糖多めでー。あとチョコとかあります〜?」

 お姉に呼ばれたので、菓子棚の中を確認する。個包装されたチョコがあった。

 「コーヒーと一緒に持っていきますね。」

 「自分の分も忘れないでねー。」

 釘を刺されたようで、私はその愛情に思わず笑みが浮かんだ。


 お姉ご所望のコーヒーとチョコをトレイに乗せる。勿論、私の分も。

 「李桜、僕ずっと考えていたんですよ。週末外出するのもいいけど、李桜が無理しそうだなって。だから、」

 そう言ってお姉はタブレットの液晶を見せてくれた。

 

 『フリースクールのご案内』


 顔を上げるとお姉は目を細めて微笑んでいる。

 

 「今はオンラインで授業が受けられます。貴女は賢い子だから学力は問題ないでしょうしね。無理に必要以上の他人と関わる事もないし。どうです?」

 冗談っぽく、歯を見せて笑ったお姉が滲んでいく。

 「・・・ぅう、・・・おねぇ。」

 涙が溢れ出して止まらない。私の事、ちゃんと見てくれている。

 「慣れるまではもちろん一緒に外出します。今は短時間だけど、1日と増やして。旅行もしましょう。目標は高校デビューってやつですよ。」

 多分、いや絶対意味は違うと思う。

 「・・・がんばる。」

 お姉は笑って私を抱きしめてくれた。私もお姉を抱きしめた。

 頑張ろう。少しずつ。半歩ずつ。

 また、1人で外に出られるように。


 「ではコーヒータイムといきましょうか〜。」

 「・・・うん。」

 

 カシャン


 お姉がマグカップに触れるとカップが倒れてしまった。ドミノ倒しの様に私のマグカップもコーヒーが溢れている。

 マグカップはトレイに置かれていたのでテーブルを汚すこと無かった。

 私は胸を撫で下ろし、トレイを片付ける。

 コーヒー淹れなおさなきゃ。

 「直ぐに新しいコーヒーを、・・・お姉?」

 お姉はテーブルを見たまま固まっている。

 「お姉?」

 もう一度呼ぶとお姉は顔を上げた。

 「コーヒーではなく、ハーブティーにしましょうか。確かレモングラスがありましたよね。」

 「あ、はい。」

 私はマグカップをシンクに置いてティーポットを棚から出した。

 レモングラスのティーパックを2つポットに入れてお湯を淹れる。透明なガラスのティーポットの色が変わってくる。

 (・・・そろそろかな。)

 ティーパックを捨てようとした時、妙に肩が重くなった。

 今日は普段より、歩いたしそのせいかな。

 私はティーポットとカップをトレイに乗せてお姉の元に運んだ。今度はゆっくりとティータイムを楽しむ事が出来た。久しぶりにお姉の前で自然と笑えた気がする。


 夕食を一緒に食べて、お風呂に一緒に入って。

 今夜はぐっすり眠れそうだ。

 部屋に戻ってベッドで横になりゴロゴロしていた。 

 「・・・?」

 私は枕を持って部屋を出た。


 お姉の部屋に行き、ノックする。

 『李桜?どうぞ。』

 返事を待って部屋に入るとお姉もベッドで横になっていた。私はおずおずと近付いた。急に恥ずかしくなったのだ。

 「あの、ね?」

 「たまには一緒に寝ましょうか?」

 お姉の言葉に私は顔を上げた。笑顔で手招きするお姉に私は頷いた。

 「一緒に寝るなんて子供の頃に戻ったみたいですねぇ。」

 「うん。懐かしい。」

 「おやすみ李桜。」

 「おやすみお姉。」

 互いにクスクスと笑い合う。

 シングルベッドなので、互いに密着してしまう。体温を感じるのが私は心地良かった。

 ・・・今日は嬉しい事ばかり。明日から頑張らなきゃ。

 そう決意して、目を閉じる。



 「この子か。」

 「ねー、可愛いでしょー?」

 「そうだな。」 

 

 (・・・話し声が聞こえる。)


 「李桜、起きて〜!」

 「こら、無理に起こすな。」

 「だって李桜と遊びたいぃー!」

 「人間は俺達と違う。こうして夢に入るのも負担がかかってるんだぞ。特にお前は遊んでばかりだろ。」

 「じゃあ、えっちしたらいいのぉー?」

  

 (・・・んん?)

 

 「ま、そうなるか?」

 「じゃあきょーはえっちするっー!」


 (・・・んんん?!)


 「処女だろうし気をつけろよ。」

 「はぁーいっ!!」

 「あはは、元気がいいなぁー。」

 「えへへっー!」


 「ちょっと待ってぇ!!」


 ガバッと起き上がると二対の金眼と目があった。


 「李桜起きたっー!」

 「きゃあっ!?」

 毎回の事だが、夢魔の子は私に飛びついてくる。重さは感じないけど、びっくりはする。

 「もぅ、離してっ!動けない!」

 「やぁだー!離さないっー!」

 抱きついては戯れてくる姿はまるで子犬のようだ。やれやれと溜息を吐いた。

 「ぁ。」

 肩を落とした私を見ていたのは『大人の夢魔』だった。

 頭部には2本の角、口元には牙が覗いている。

 人間と違うと感じるのに、全く怖くなかった。

 きっと細めらた金眼は優し気だったからだ。

 

 「初めましてかな?」

 

 その人はそう言って苦笑した。

 私はただ見ているだけだった。金眼に夜色の瞳。長髪は後ろで束ねられている。

 服も、なんだろ西洋の騎士みたいな映画のものみたい。男の子はフードと言った軽装なのに。

 

 「そうだ、あのね李桜!オレ、名前付けてもらったー!」

 夢魔の男の子が顔を上げる。金眼がキラキラと輝いている。

 「ゆーまっ!名前ゆーまっ!!」

 「・・・ゆーま?」

 「うん、ゆーま!オレ、ゆーまっ!!」

 相当嬉しいのだろう、何度も名前を連呼している。私は男の人を見た。

 「ゆうま、だ。発音はしっかりな。」

 「ゆーうーまー。」

 一語ずつ繰り返している「ゆうま」に男の人は肩をすくめた。

 「じゃ、後で。」

 「ばいばぁーい、はるっー!」

 背中越しに穏やかに笑ってる「はる」と呼ばれた夢魔は消えた。

 ・・・ホントに悪魔なんだ。

 

 「李桜っ!オレの名前呼んでっー!」


 ニコニコと「ゆうま」は甘えてくる。私は頭を撫でて名前を呼んだ。

 「ゆうま?」

 「はぁーいっ!」

 元気に返事をするゆうまは幸せそう。本当に幼い子供みたい。擦り寄ってくる姿は猫みたいだ。

 「ねー、またお花畑いこっー?」

 ゆうまが上目遣いで甘えてくる。

 「お花。・・・ラベンダー畑のこと?」

 「うん!ラベンダー!!」

 にこっーとゆうまが笑う。私は少し困った。

 行こうと言われても。

 「あれは、ゆうまが連れて行ってくれたんじゃないの?」

 私は手を引っ張られただけのような気がする。

 「??」

 ゆうまはコテンと首を傾げている。

 「どうやって行くの?」

 至極当然の疑問を投げかける。

 間が開いた後、ゆうまはハッとなって私の両手を取った。

 「李桜の記憶から行くんだっ!」

 ニコニコと笑みを絶やさないゆうまにつられて私も笑ってしまった。

 うん、ゆうまが言うように楽しいなら良いかもしれない。

 

 ラベンダーの匂いに爽やかな風を感じる。柔らかな日差しも心地よい。

 私はまた白いワンピースを着ていた。

 風が吹く度にワンピースがふわりふわりと揺れる。ラベンダー畑も地平線まで続いていた。

 (・・・私の記憶って言ってたけど、ラベンダー畑に来た事はないし。)

 実際に訪れた事がなくても、テレビや写真で見ていたという事だろうか。

 (・・・ずっと続くラベンダー畑っていうのも現実味がない。)

 私がぼんやりと考えている前をゆうまが走っていく。

 「ちょうちょだっー!」

 どうやら蝶々を追いかけているらしい。

 う〜ん、やっぱり幼稚園児みたいで微笑ましい。

 

 ゆうまが遊んでいるのを座って眺める事にした。

 手持ち無沙汰なので、ラベンダーの花冠を作る事にした。

 茎同士を編み込みんでいくと何とか丸い形になっていく。

 「ゆうまー。」

 名前を呼ぶとゆうまは振り返って掛けてきた。

 「なぁにぃー?」

 「座ってください。」

 「うん?」

 言われた通りにゆうまは素直に隣に座る。私は持っていた花冠をゆうまの頭に乗せた。

 「??」

 不思議がるゆうまに私は笑った。

 「花冠です。手に取ってみて。」

 「うん。」

 ゆうまはまた素直に花冠を手に取った。

 「わぁああっ!すごい!これ李桜が作ったの!?」

 輪っかを覗いたり、横を見たり。ゆうまは色んな角度から花冠を興味津々で見ていた。

 こんなに喜んでくれるて、花冠を作って良かったと私も嬉しくなった。

 「気にいってもらえて良かった。」

 「へへっー!初めてもらったー!」

 花冠を掲げたり、頭に乗せたりゆうまは楽しそうだ。暫く、キラキラした金眼で見ていたが急に表情を曇らせた。

 「はるにも見せたいけどー、持って帰れないから残念。」

 ゆうまは花冠を悲しげに見ていた。

 「持って帰ってもいいんですよ?」

 「・・・夢の中の物は持って帰るのは禁止だってはるに言われてるんだ。」

 「・・・そうなんですか。」

 喜んで欲しくて作ったけれど、反対に悲しませてしまった。余計な親切になってしまった。

 「・・・ゆうま、ごめんね。」

 「ぁ、李桜違うの、嬉しいよ!とってもオレ嬉しい。オレの方こそ、ごめんなさあい!」

 頭を下げるゆうまに私もどうしていいかわからない。

 「ううん、ゆうまは悪くないっ!私、いつもおせっかいで皆に迷惑かけてるから。私が悪いから!」

 「違うっ!オレが悪いのっ!オレ、直ぐに言葉に出ちゃうから、注意されてるのに、いっつもダメなの!」


 「「ごめんなさいっ!」」

ーゴツンッ!!


 「いたっ!」

 「・・・うぅ〜、ごっつんこしたー。」


 同時に頭を下げた事で、お互いの額がぶつかる。無意識に声が出たが、夢のなので痛みはない。


 「・・・すごい、息ぴったし。」

 「そーだね、こんなごっつんこ初めて・・・。」

 おでこを抑え、互いに視線を交わす。そして、またタイミング良く互いに吹き出した。

 「ふふ。」

 「ぷっ、あははっ。」

 お腹を抱えて互いに笑いあう。そのまま私達はラベンダー畑に寝転んだ。

 

 「あははっー!楽しいっー!!」

 「ホントに楽しい。」

 今日のラベンダー畑に吹く風は春のそよ風のようで気持ち良い。つい、うとうとしてしまう。

 「李桜寝ちゃうのー?」

 ゆうまが頬杖をついて覗き込んでいる。

 「ぇ?・・・そうですね、気持ち良くて寝ちゃいそう・・・。」

 「そっかー。」

 「・・・ぅん。」

 夢の中で寝るのって、不思議だけど、心地良いのも確かだ。

 「眠ってる間にえっちしてもいいー?」

 

 ー間


 「ダメに決まってるでしょ!?」

 「えっ?!そうなのっ!!?」

 「何驚いてんですかっ!!」


 私が怒鳴るとゆうまは金眼を丸めて驚愕している。

 「だってはるがっー。」

 「人の所為にしないっ!」

 そう言うとゆうまはしゅんとなった。

 「じゃあ、ちゅーはいい?李桜とちゅーしてからはるの血苦くてー。」

 「へっ?」

 ぽかんとなる私にゆうまは考え込む素振りを見せた。腕を組んで、えっとぉーと言葉を選んでいる。

 「オレ、ご飯ははるから貰ってたってお話ししたでしょ?だからはるの血を飲んでたの。前は美味しかったんだけど、李桜とちゅーしてから李桜の体液が甘かったから「もういいですっ!!」

 ユウマの口を手で押さえる。恥ずかしい。こんな事平気で言うなんて、デリカシーとかない、・・・のかな、夢魔だし。

 「むがふが。」

 私は嘆息し、ゆうまの口から手を離した。

 「・・・夢魔さんだし、食事の為に夢に来るのは当たり前ですもんね。」

 「そーだよっ!ご飯貰うからえっちして気持ち良くなってもらうのー!ぎぶあんどていくー!!」

 両手を上げて喜ぶゆうまは自身の言葉を理解しているのかあやしい。

 「話はわかりましたけど、・・・えっちはダメです。・・・キスは、・・・ご飯なら仕方ないですから、いいですよ。」

 最後は恥ずかしさのあまり声が小さくなっていた。

 「なんでっー?」

 「・・・だって、ゆうまよくわかんないって言ってたし。」

 ゆうまの表情がハッとなり固まる。

 「・・・それに、そーいうのは好きな人としたいですし。」

 恥ずかしさと赤面で語尾がごにょごにょとなって消えていく。

 ・・・ちゃんと伝わったかな?

 そっと顔をあげるとゆうまはきょとーんとしていたが、にぱっと笑った。

 「それはだいじょーぶっ!」

 そう言ってゆうまは私を抱きしめた。

 「だ、だいじょうぶ?」

 何を言っているのか今度は私がポカンとなる番だった。

 「オレ達は好意のある人物の姿にしかならないからっ!だから、オレは李桜の好きな人っ!オレも李桜好きっ!だからえっちしてもだいじょーぶっ!!」

 「・・・。」

 (私の夢だからそうかもしれないけど〜・・・。)

 ご機嫌のゆうまの胸から抜け出せなくて、私はゆうまが満足するまで抱きしめられる事にした。

 

 「李桜良い匂い〜!」

 そう言ってゆうまは頬にキスをした。何度も頬にキスの嵐を降らせてくる。

 (・・・コミニケーションが激しいよぉ。)

 キスする事にも満足し、ゆうまはニッコリ微笑んだ。

 「李桜のお姉さん?も良い匂いしてたー。」

 「えっ!?お姉の夢にも入ったんですか!?」

 「ほへ?」

 私が勢いでゆうまの両肩を掴んだからか、ゆうまから変な声が出た。いや、それより、

 「お姉にもえっちな事してるの!?」

 「えっちはしてるよ?はるが。」

 「はる、が?」

 「うん。」

 

 言葉を無くした私をゆうまは小首をかしげて見ている。全身のチカラが抜ける。

 「はるがお邪魔してるからー。戻ってくると良い匂いなのー。血も良い匂いー。」

 「・・・。」

 夢魔の世界はよくわからないけど、あのはるって夢魔がお姉の夢に入って、・・・してるって事はわかった。

 「〜〜〜っ!!?」

 何か、凄い事を知ってしまった!?

 絶対に人に知られたくない、秘密にしたい事。

 それをこんな簡単に言っちゃうなんて。

 「李桜?」

 きょとんとゆうまが私を見上げる。純粋な無邪気な金眼。・・・夢魔っていうか、小悪魔だ。

 心を邪な気なく操る。

 「もしかして、コーヒー溢したの怒ってる?」

 黙ったままの私にゆうまは眉を寄せ瞳を潤ませた。

 「だってぇ、コーヒーは眠れなくなるって聞いたから。李桜が眠らないと、オレ、オレぇ・・・。」

 的外れな事を言いながら、金眼から大粒の涙が溢れさせる。

 「ごめんなぁさぁーあぁいいぃ!!!」

 ゆうまの謝罪が聞こえる。コーヒー?何の事?

 

 ・・・意識が浮上する。


 

 「・・・ぅ、う〜ん。」

 夜明け前の室内に次第に目が慣れてくる。 

 鳥の鳴き声も聞こえる。

 むくりと起き上がる。隣でお姉が寝ている。そーだ、昨日はお姉と一緒に寝たんだ。

 ・・・何だか、凄い事聞いたような気がしたけど、思い出せない。

 頭がぼんやりして重い。

 私は欠伸を噛み殺した。朝食とお弁当の準備しなくちゃ。

 枕を持ってお姉の部屋を出る事にした。



 朝食とお弁当を作り終え、時計を見ると7時前だ。

 そろそろお姉、起こさないと。

 テーブルに朝食を並べ終え私はテレビをつけた。

 

 「・・・ぉはようございますー。」

 お姉がのそのそとリビングにやってきた。

 椅子に座るとぼっーと朝食を見ている。

 「おはようございます。今日は目玉焼きとほうれん草ソテーです。鮭のふりかけも。」

 「・・・鮭ですか。」

 そう呟いてお姉は手を合わせた。

 「いただきましょうかー。」

 「うん。」

 いつもと違うお姉の様子に違和感を感じなくも無かったが、私はあまり深く聞くのはやめた。

 毎日同じ体調を維持するのは大変なんだ。

 

ーーー


 お姉を見送り、私はいつも通りの家事をこなす。昨日、フリースクールの事を聞いて気持ちが凄く楽になった。

 今日は家事を終えたら勉強して。少し、体を動かそうかな。動画を観ながらストレッチしてみよう。

 『月曜の朝』が前は苦手だった。無意味に始まってしまい、止める事がなく流れるだけの時間。

 けど、今日はわくわくできる。

 嬉しい。リビングの掃除も捗る。


ーがささっ


 掃除機に何かが詰まったようだ。私は慌てて電源を切った。ソファ下からクシャクシャになった紙が吸引口に吸い付いていた。

 (・・・これが原因かぁ。)

 何だろと広げてみる。

 

 「ぇ、なにこれ・・・。」


 それは12年前のネット新聞記事だった。

 『山林で転落兄弟死亡。』

 16歳の兄と3歳の弟。

 記事の下には兄の写真が載っている。

 「・・・ゆうま?」

 数人の子供達と一緒に写っているのはゆうまだ。

 

ーヒュウウゥ


 「あっ。」

 突風が吹き、手にしていた紙が飛んでいく。

 窓は開けてないに。

 記事はドアの隙間から外に飛んで行った。私は慌てて窓を開け下を覗く。ゴミ捨て場に落ちたようで、丁度ゴミ収集車が止まり持って行かれた。


 (また変な風だ。ちょっとしか開けて無かった窓の隙間から飛んでいくなんて絶対におかしい。)


 私はタブレットを立ち上げ、検索する事にした。

 『16年前 山林 兄弟死亡』

 覚えているキーワードを打ち込んでいく。


 タブレット画面はグルグルと更新中だ。

 ネット回線は問題ないのに、ページが表示されない。

 いつもなら直ぐに繋がるのに。

 画面上の時計が進んでいる事に私はもしかしたらと思った。

 「ゆうま?近くにいるの?なら邪魔しないで。」

 宙に向かって呼びかけた。

 タブレット画面に検索ページが直ぐに表示され

る。

 私は当時の記事を読んだ。


 『⚪︎⚪︎県××郡⚪︎⚪︎村の行方不明になっていた兄弟が山林にて遺体で見つかる。遺体は数日経っておりー』


 『16歳兄の腕には3歳の弟が抱かれてー』


 ネットには様々な情報が書かれていた。

 当時話題になっていたのか、スレッドがたっており、兄弟について色々な噂や憶測が書かれていた。

 その中には兄弟の写真が貼られている。


 龍宮 悠臣(16) 龍宮 悠真(3)


 「たつみや、はるおみ・・・。たつみやゆうま。」

 

 『・・・はるおみ。』


 お姉が呼んでいた名前。


 画像は高校の入学式だろうか。

 高校の正門前で友人と、小さい子を抱いている学生。学生は『悠臣』さん。抱かれているのが『悠真』。

 ならさっき私が見つけた記事の写真は『ゆうま』じゃない『はる』さんだ。


 タブレットの液晶画面はスリープになっていた。暗い画面に青ざめた私が映っている。

 

 ・・・お姉は何を知っているんだろう。


 静かな、音ない部屋で私は動けずにいた。


ーーー


 

 ガチャリと玄関が開いた。お姉が帰ってきた。

 「ただいまー。ねぇ、李桜っ!帰りにふらっーとコンビニに寄ったんですよ。そしたら感謝セールでロールケーキの生クリーム倍増しててー。」

 朝と違い、お姉のテンションは高い。

 お姉を見ているとさっきの『16年前の事故』の事ばかりを考える。

 「李桜?どうしました?」

 レジ袋を掲げて見せるお姉に私は言葉が出なかった。聞いていい事なのだろうか?

 

 昨日、夢で会ったのは亡くなった悠臣さんが大人になったような姿だった。

 角や牙が生えていたけど、髪も黒じゃ無かった。瞳も金色じゃないけど、写真の面影はあった。

 ゆうまを見る目もネットの写真に映っていたように慈愛に満ちて優しかった。

 ・・・知りたい。


 「・・・おかえりなさい。」

 色々考えたけど、結局私は何も聞く事は出来なかった。

 夕食を終えて、後片付けをする。

 (・・・気になる。でも、急に夢魔の話をするとか変だよね。そうだ、ゆうまに相談・・・した方がいい?)

 どんな返事が返ってくるかわからないけど今夜、話をしてみよう。それなら早く寝なきゃ。

 「お風呂終わりましたー。」

 タンクトップにショートパンツ姿でお姉がリビングにやってきてどかっとソファに勢いよく座った。

 「李桜も入ってきなさい。」

 ふぅーと長い息を吐き出したお姉に私は頷いた。

 「・・・。うん。お風呂入ったらもう寝るね。」

 「早いですねー。ではおやすみなさい。」

 振り返ったお姉は手を振ってニカっと笑った。


 その時、お姉の笑い方が最初に見た写真の龍宮悠臣さんに似ていると思った。



 お風呂を終え、ベッドに入る。シャワーだけだったけど、湯上がりだから直ぐに睡魔がやってきた。

 暗く、暗い闇に落ちていく。

 あたりを見渡しても音も、誰の気配も感じない。

 私は当ても無く歩いた。夢だし、ゆうまがひょこりと現れると思って信じていた。


 眼前に、白い光が見えた。


 (・・・こっちかな?)


 誘導されるように、光に向かって歩いて行く。

 視界が開けた。


 夜が明けていた。


ーーー


 ゆうまが夢に現れなくなって3日が過ぎた。

 お昼寝をしてもゆうまは現れない。私が『邪魔をしないで』と言ったからだろうか。

 ネットで16年前の山林事故の事を調べても詳しい事は出てこない。『不慮の事故』。それだけだ。

 スレッドには『可哀想』『ご冥福をお祈りします』の他に『子供だけで山に入るなんて自業自得』

『都会から転校して来て村八分』と心ない言葉の羅列もあり、読むのが苦しかった。

 (・・・死んでも、蔑まれるんだ。)

 世の中には『悪意』が溢れている。


 こそこそと調べているようで、罪悪感もあった。

 でも、聞いていいのか、黙っていた方がいいのか、どうしたらいいのかわからない。

 お姉と顔を合わす夕食時は普通に振る舞ったけど、勘の良いお姉の事だから何も言わないだけで、私の変化には気付いていると思う。



 5日経ってもゆうまは夢に現れない。

 少し寂しく感じる。

 それでも、朝はやって来て私の1日は始まっていく。

 変わった事は『フリースクール』の事くらいだろうか。

 学校に居場所がなければフリースクールは利用できる。フリースクールのオンライン授業を体験したり、カウセリングを受けたり。出席日数も交渉してくれるそうで中学卒業もできるみたい。

 もちろん、進路の相談も行なってもらえるそうだ。

 お姉とオンライン説明を受けた後、私はフリースクールを利用する事に決めた。勿論、お姉も喜んでくれた。


ーーー

 

 休日のお姉との外出も欠かしていない。午前中に買い物して、ランチを食べて帰る。

 「今日も沢山買えましたねー。」

 「うん。特売品のティシュも買えたし。洗剤も。」

 今日は喫茶店で軽めのランチ。お姉はたまごサンド、私はミネストローネを選んだ。

 「ねぇ、パフェも食べません?いちごパフェ美味しそうですよ?」

 アイスカフェオレをストローでかき混ぜていた私にお姉が話しかける。カラコロと氷がぶつかった。

 「私はお腹いっぱいだから。お姉は気にせず、食べたら?」

 そう答えるとお姉は不満そうに唇を尖らせた。

 「パフェは別腹でしょ?ほらミニサイズもありますしー。」

 確かにメニュー表にはミニサイズの表記もある。

 ミニサイズなら、・・・いけるかな?

 「じゃあ、・・・バナナチョコパフェのミニで。」

 「なら僕はいちごパフェにします。すいませーんっ!」

 お姉は店員さんを呼び止めパフェを注文した。

 窓には遮光シールが貼られていて、日差しが柔らいでいる。シールの隙間から外の様子が見えた。

 家族連れやカップルが行き交っている風景は現実なんだけど、自分と同じ世界の実感が湧かない。


 「お待たせしました〜。いちごパフェとミニバナナチョコパフェです。」


 店員さんが運んだパフェをお姉は笑顔で受け取る。そして一口食べた。

 「美味しいですー。クリームが上品っ!」

 絶賛し、今度はいちごと生クリームを掬った。

 「はい、あーん。」

 それを私の前にもってくる。

 「シェアしましょ!」

 お姉が私にパフェを勧めていた理由がわかった。


ーーー


 それからも私は土曜の午前中だけはお姉と外出するのを続けた。

 買い物も2人で行けば纏め買いもできる。特売品の『お一人限定』だって2個もゲットできる。

 帰りの散歩コースはお姉が決めていて、川沿いだったり、遊歩道のある公園だったり。1年振りの街並みはどこか少し変わっていた。

 知っているようで、知らない街。

 浦島太郎もこんな感じだったのかと感じる。

 それにこの数回の外出で私が気付いた事は『他人は思った以上に『私』という個人に興味はないという事だ。

 悪意ある興味の対象にさえならなければ、穏やかに生活は送れるかもしれない。それが、集団に馴染むコツなのかと。

 勉強以外にも学ぶ事は沢山あって、それは必ず教えてもらえる事じゃなくて、『経験』する事。

 見えない悪意から逃げる方法、見えない悪意の対処方。きっとそれは幾万通りあって、同じやり方は通用しない。だから、耐える強さも必要だし、・・・時には抗えない絶望を受け入れるしかない。きっと、それが運命だ。


ーーー


 外出した日は程よい疲れでぐっすり眠れる。

 目を閉じて、寝返りを打つ。

 「・・・?」

 頬に柔らかなモノが当たっている。くすぐったい。

 そっと目を開ける。夜色の綺麗な髪。

 「ゆうまっ!?」

 起き上がると隣でゆうまが寝ていた。

 「・・・むにぃ。」

 2週間ぶりのゆうまはむにゃむにゃと相変わらず変わった寝言を言っている。無邪気な寝顔を暫く見つめ私はそっと布団を掛け直した。

 「腹がいっぱいだからそっとやちょっとじゃ起きないさ。」

 部屋の隅から聞こえた声に私は振り返った。

闇に紛れた金眼に窓からの月灯りに照らさる夜色の長髪。

 「・・・はるおみ、さん?」

 私の声に、ゆっくりと近付いてくる人影。

 その人は初めて会った時のように、穏やかな微笑を浮かべていた。

 「そんなに似てるかぃ?」

 苦笑する『夢魔』に私は茫然となった。

 似ているかと聞かれても、私はわからない。

 『龍宮悠臣』に私は会った事がない。

 黙り込んだ私に『夢魔』は続けた。

 「今夜は一種の警告をしにきたんだ。」

 (・・・けいこく。)

 和かに話しかけているようなのに、空気が重々しく感じる。金眼が揺れる。私は喉がキュッと締まるのを感じた。

 「君のお姉さんは想いが強すぎる。どれだけ望んでも絶対に叶う事はない。心身を病むだけだ。」

 ーどれだけ望んでも絶対に叶う事はない。

 龍宮悠臣は死んでいるのだから。

 そう、聞こえる。

 「強過ぎる激情は誤った判断をさせる。・・・幸せになりたいだろ?」

 問いかけられているのに、断定されている。

 返答しない私に肯定と受け取ったのか、『夢魔』は笑った。そして頭を撫でてくれた。大きな安心できる手で。

 「もうすぐ、ゆうまも起きるだろう。夢魔が2匹も夢に入るのはリスクがある。俺はもう行くよ。」

 優しい瞳、穏やかな口調。良い人だ。

 「良い子だ。」

 ニカッと牙を見せた笑顔は『龍宮悠臣』その人だ。

 こんなにも似ているなんて信じられない。

 霞消えていく後ろ姿に言葉をかける事が出来なかった。


 「ふみぃ、・・・李桜っ!」

 ゆうまが飛び起き抱きついた。私はいつものようにされるがままになっていたが、どうしてだろう。

 「李桜?」

 あの笑顔が、切ない。

 「李桜?李桜?」

 ゆうまが何度も私の名を呼ぶ。不安気な金眼と目が合った瞬間、涙が溢れてきた。

 「・・・ゆぅまぁ。」

 自分で、感情コントロールが出来なくて。私は悠真に抱きついて泣いていた。

 「どうしたの?またはるにいじめられた?」

 「・・・ぅ、う〜。」

 「李桜いじめないって約束したのに!オレがはるボコっとくっ!」

 鼻息を荒くしながらもゆうまは私を慰めてくれている。

 「・・・ゆうまは知ってる?」

 「何を?」

 きょとんとゆうまが小首を傾げる。

 「・・・お姉とはるさんの事。」

 私がそう聞くとゆうまは少し眉を下げて頷いた。

 「はるがね、李桜のお姉さんの恋人に似てるってのは聞いたよ。」

 ・・・やっぱり。

 思った通りの答えだった。

 「『好き』の欲が強いと他の悪魔に騙されるから良くないんだって。人間は死んじゃったら生き返らない。自然の摂理を歪める事は何人にもできない。

って。紛い物の希望に縋っちゃダメって聞いたよ。」

 ゆうまは一生懸命に覚えてきた言葉を私に伝えてくれた。

 「なんか、楽しくないのは悲しいね。」

 しゅんとなったゆうまに私は「そうだね。」と頷いた。

 「ぁ、李桜、久しぶりっ!だっ!元気だった?ご飯食べてた?お風呂は?」

 にぱっと笑顔になり、質問責めのゆうまに私も笑顔で返した。

 「元気ですけど、今夜は色々あって疲れちゃった。一緒に横になろっか?」

 「なるっー!!」

 ゆうまは両手をあげて喜んだ。私が横になるとゆうまは布団を頭から被り、「かたつむりっー!」と遊んでいる。

 シングルのベッドのはずなのにゆうまがはしゃぐスペースがある。夢だと、物の作りも不明瞭だ。

 「やっぱり李桜の夢好きっ!」 

 そう言ってもらえると嬉しい。

 「ゆうまが急に来なくなったから、寂しかったですよ。」

 嬉しいのに、寂しかった分、いじわるしたくなるのは何でだろう?

 ちょっと拗ねたように言うとゆうまは「ぅー、だってぇ。」と拗ね返した。

 「仕方なかったのー。きゅーみんちゅーだったからー。」

 首を左右に振り答えるゆうまは『会いに来れなかったのは自分の意思ではない。』と言っているようだった。

 「・・・きゅーみん?」

 私が繰り返すとゆうまは「んだんだっ!」と腕を組んで頷いた。・・・どこで覚えてくるんだろう?

 意味がわからずポカンとする私にゆうまは得意気に話し始める。

 「オレ達は意識体なのっ!現実に居るけどふつーは見えない。だから夢の中、しんそー意識にお邪魔して、ご飯・・・エネルギーを分けてもらうんだー。」

 えっへんと腰に手を当てゆうまは鼻を鳴らした。

 「・・・普通は見えないけど、現実に居る。幽霊みたいな事?」

 前にもそんな話を聞いた気がする。

 「ゆーれいと夢魔の違い、よくわかんないけど、エネルギーをもらう事で『自我』を持つ事ができるのっ!自我ないとー、あっちいったりー、こっちいったりーでふらふら、ふわふわなんだって!迷子になるの怖いぃー!」

 嫌々と被りを振るゆうま。きっと、大事な話をしているんだと思う。・・・要領を掴めてないだけで。

 「オレもエネルギー切れ、えっと、お腹空いちゃってたから、『きゅーみんちゅー』だったんだー。繭の中で丸まって寝るの〜。李桜と一緒っー!」

 ニコニコとゆうまは話し続ける。

 ・・・うん、やっぱり理解できない。

 「オレはえっちしてないから、えいよーが足りないのー。」

 「・・・栄養?」

 「うん。せーめーりょく?を直接もらえてないからー。だから、きゅーみんしないと消えちゃうー。」

 しゅーんとゆうまは話していく。

 (・・・消える?)

 ゆうまの話し方では伝わって来ないがとても大事ではないだろうか?

 「・・・消えるって?」

 私の問いにゆうまは答えた。

 「ぜーんぶ無くなるんだって。えっとねー、人間で言う、死ぬってことみたい。」

 

 「そんなの嫌だっ!」

 

 私は叫んでいた。ゆうまが消える。死ぬ。

 もう会う事が出来なくなる。

 

 「・・・ゆうまに会えなくてホントに寂しかった。夢の中だけでも話をしたり、私に会いに来てくれるのが、嬉しかった。・・・でも、死んじゃったら、会えない。」

 

 親しい人が居なくなるのは怖い。お姉も悠臣さんの時にそうだったんだ。


 「うん、オレも李桜に会えないのヤダ。せっかく仲良くなれたんだもん。」

 

 ニコリと笑ってゆうまは私の手を握ってくれた。


 「これからも一緒っ!」

 「うんっ!」


 お互いの想いを共有できるってこんなに心地良いんだ。


 「じゃあ仲良し記念でえっちしよー!」

 「ちょ、ちょっとぉ!?」

 感極まったゆうまが飛び付いてきた。私は支えきれずベッドに倒れ込む。見上げた先のゆうまは満足そうに私を見下ろしている。

 「ちゃんと教えてもらったからだいじょーぶっ!!」

 そう言ってゆうまは私の肩に擦り寄ってきた。首筋に鼻が、息がかかってくすぐったい。

 「・・っ、まっててばぁ。」

 体が熱くなってくる。・・・この反応ってぇ。

 「待つのぉ?おあずけぇ?」

 潤んだ金眼に私は言葉を詰まらせてしまった。

 可愛い顔してやることえげつないんだから。

 「えっちダメならちゅーはいいよね!」

 言うが早いか。ゆうまは唇を重ねた。

 ーぴちゃ

 「・・・!?」

 水音が鼓膜に響くと体中が熱くなる。まるで、スイッチが入ったように。

 「・・・ふぅ、んっ。」

 何でだろう、前もそうだけどぼんやりする。ずっとこうしていたい。

 

 舌を絡める、混ざり合う唾液。

 息が、続かない・・・。


 「・・・ん。」


 長い、キスが終わる。唇の端をゆうまはペロリと舐めた。


 「えへへ。夢魔の体液には『媚薬』が混ざってるんだよー。気持ち良いでしょー?」 

 「・・・ぅん。」

 頭がぼっーとして何も考えられない。

 「李桜ー?すっごいえっちな顔してるー?」

 そんな事を言われても、わからない。触れられる度に体がビクッと反応してしまう。

 「オレ達ね、存在自体が不思議なんだってー。夢の中じゃなきゃ姿が現せない。でもね、人間じゃ無い事もあるの。犬さんとか猫さんとか。たまに考えるんだ、オレって何だろー?って。でもわかんなくてはるに聞いても困った顔するから聞くのやめたのー。」

 ぼっーとしている私に構わずゆうまは話し続ける。一気に話しかけられても整理できない。

 「オレとはるは繋がってるんだ。だから、オレは簡単に消えないみたいだけど、『きゅーみんちゅー』ははるも疲れちゃうみたい。だからね、自立できるよーになりたい!」

 ・・・自立。

 私もそう。お姉に護られてばかり。

 「・・・私も、自立したい。少しでも生きる力を身につけたい。」

 「李桜もオレと一緒っ!良かったー。」

 ニッコリとゆうまが無邪気に笑う。

 「いやよいやよも好きのうちっー!」

 両手をあげて喜んだゆうまが抱き付く。私に覆い被さるように。

 「ゆうま?」

 今度はどんな遊びなんだろうとゆうまを見上げる。

 ーゾクッ

 金眼が光っている。それも、怪しく。

 たまに見せるその眼光には抗えなくなる。

 「・・・えっちしよ?」

 そうか、今、ゆうまは欲情しているんだ。

 「・・・ぅん。」

 まだ、拙くて幼いけど。

 私達に出来る精一杯。

 怖いのも2人なら怖くないね。


 これは夢。

 夢だから。

 2人でみる夢。


ーーー


 朝日が眩しい。部屋が明るい。

 ・・・眠れない時みたいに頭が重く感じる。

 「・・・。」

 今、何時だろ?

 いつもより明るく感じるって事は寝坊したのかも。

 左手を動かし、スマホを探す。

 「・・・ぅそぉ。」

 スマホに表示された時間に私は布団から飛び起きた。

 『7時43分』

 寝坊したっ!?大変っ!!朝ごはん、お弁当っ!

 リビングにお姉はいない。私はお姉の部屋をノックする。鍵は掛かってないので、そのまま中に入った。

 「お姉っ!」

 「・・・くぅー。」

 お姉はまだ夢の中みたいだ。早く起きないとっ!遅刻っ!

 「お姉っ!!起きて〜!遅刻しちゃうから〜!」

 ゆさゆさとお姉を揺さぶる。お姉が起きる気配はない。

 「お姉ってばぁっ〜!」

 私は自身の失態に半泣きになっていた。

 どうしょう、どうしょう。アラームをかけ忘れるなんて。

 「お仕事に遅れるよぉ〜!」


 「んー?・・・りおん?・・・なに言ってるんですかぁ、きょーは日曜ですよ。」


 「え?」

 お姉はだるそうに前髪をかきあげスマホを確認する。そして、スマホ画面を印籠のように私に見せた。


 8時2分 日曜日


 そう、ディスプレイに浮かんでいる。


 「・・・ぇ?」

 「まったく、慌てん坊さんですねぇ。・・・ほら一緒に寝ましょう。」

 手を引っ張られ、私はベッドに沈み込んだ。

 「わぁ!?」

 「ふふ。抱き枕〜。」

 お姉が密着し、脚を絡めてくる。・・・動けない。

 そのままお姉は寝息を立ててしまった。

 肌が触れ合い、お互いの体温を感じる。

 私は日付を確認せずに焦った事が急に恥ずかしくなり、促されるまま目を閉じた。

 


 「よーこそ、にどねっ〜!」

 目の前でゆうまが両手をあげて私を迎えてくれる。

 「すぐに李桜に会えてオレ嬉しいっー!」

 両手を握りゆうまが上下にぶんぶん腕を振る。

 「わわ、あぶない!」

 勢いがあって私はバランスが崩れてしまった。

 「あ!ごめんっ!ほんちょーしじゃないもんね。」

 ごめんねとゆうまは両手を合わせて謝った。・・・本人は素直に反省していると思うけど。

 「・・・ほんちょうし。」

 何の事かと思ったが、直ぐに思い出すことが出来た。

 (多分、・・・あの事だよね?)

 「えっちの後は疲れるんでしょー?」

 (・・・やっぱり。)

 「オレは元気になったっー!」

 「・・・良かったですね。」

 嫌味ではなく、呆れてしまってそう返すしか無かったが、ゆうまは言葉通りに受け取って大喜びしている。

 「うん!ありがとー!李桜のおかげ!」

 ニッコリとゆうまは笑う。子供のように純粋に。

 この笑顔を見ると、注意しづらくなってしまうので私は困る。でも、


 「今夜はラベンダー畑行こうよっ!ちょうちょ追いかけたいっ!!」

 「うん。」

 ゆうまが右手を差し出し、小指を立てた。私も笑顔で自身の小指を絡める事ができた。

 楽しいや嬉しいの気持ちが勝るから不思議だ。


ーーー

 

 「・・・。」

 2度寝から目覚める。今度の頭の重さは寝過ぎた所為だ。

 隣で寝てたお姉はいなかった。

 (今、何時くらいだろ?)

 目元に手を持っていきそうになり、手を下げる。

 (目、こすちゃダメだよね。)

 初対面でゆうまに言われた事を思い出し、吹き出してしまった。

 頭ははまだ少しぼんやりするけど、喉も渇いたし。そういえば先週お姉が大量にアイスを買っていたから分けてもらおうと。

 


 「あーははっはっ!ドボンって!(笑)」


 お姉はリビングでバラエティ番組を見て大爆笑中だった。

 

 「おやおや。慌てん坊の次はお寝坊さんですねぇ。」

 「朝は起こしちゃってごめんね、お姉。」

 「うふふ。まぁまぁ。気にしないで下さいな。それより、李桜も一緒にテレビ見ましょうよぉ〜。」

 ソファからお姉が手招きしている。私は頷いてお冷凍庫からアイスバー2本持ってお姉の隣に座る。

 「ありがとう〜。気が効きますねぇ〜。」

 チョコ味のアイスを受け取り、お姉は美味しそうに咥えた。

 スポーツタイプのブラにショーツ姿をお姉は好んでいる。

 レースやリボンのついたブラとか似合うと思うんけど。

 (こんなに綺麗な体だったらなぁ。)

 お姉の体をチラチラと見てしまう。見てしまってゆうまの言葉を思い出した。恥ずかしくなり、そんな妄想を掻き消すように私はぶんぶんと顔を振った。

 「何してるんです?」

 「・・・気にしないで下さい。」

 首を傾げたお姉に私は俯いて答えた。

 

 暫く、お姉とバラエティ番組を見ていた。

 出演してる芸人は知らないし企画内容はピンとこない。

 「あははっ!やー、このドッキリいいですね!シリーズ化しないかなあ。ねぇ?」

 お姉に問われ私ははぁと頷いた。

 正直。バラエティ番組は好みがあると思っている。私はこのバラエティ番組はあんまり好きでなかった。なので、質問で返してしまった。

 「お姉はバラエティ以外って、ニュースしか見ませんよね。ドラマとか見ないんですか?」

 「連ドラはもう卒業しちゃいましたね。」

 (・・・卒業?)

 どういう事だろうと首を捻る。 

 「ふふ。笑いは健康に良いんですよー。僕、長生きしたいんです。李桜の孫ちゃんを見るまでは死ねませんよ。」

 「・・・はぁ。」

 (その前にお姉が先では?)

 その時だった。

 ピッピと番組に不釣り合いな音が流れて『速報』と文字がテレビ画面に浮かんだ。


 『◯◯県△△町にキャンプで訪れ行方不明になっていた兄弟が今朝、川沿い付近にて発見されました。』

 

 昨日、ネットにも上がっていたニュースだ。どうやら無事に見つかったようだ。良かった。

 

ーパチッ


 急に画面暗くなった。横を見るとお姉がリモコンを手にしていた。

 真っ直ぐにテレビ画面を見つめる瞳は暗く、感情が抜け落ちたように無表情だ。


 「・・・お姉?」


 恐る恐る声をかける。お姉は答えない。

 沈黙が続いた。私が居た堪れなくなり、声を掛けようとした時、

 「テレビも飽きましたし、お風呂入ってご飯にしましょーか!」

 ニカッとお姉が私に笑いかけた。

 「・・・ご飯、まだ作ってないよ?」

 「ならピザ頼みません?お風呂入ってる間に届きますよねー。」

 「じゃあ、ピザ注文しますね。」

 「ツナマヨコーンと照り焼きチキン、ナゲットとコーラお願いしますー。」

 そう小躍りしながらお姉はリビングを出ていった。明るく振る舞っている様がワザとらしく見えてしまう。私は気になってバスタオルを片付けるふりをして脱衣場に向かった。

 

 「っ、・・・ふっ、うぅ・・・。」


 お姉は声を殺して泣いていた。バスタオルを持つ手に力が入る。

 (・・・もしかしてさっきの兄弟がはるおみさんと重なったのかな?)

 私に隠れて泣いているんだ。知られたくないはず。でも、1人で泣かないで欲しい。お姉が辛い時はそばに居たい。

 (・・・声をかけるべき?)

 

 「・・・ふっ、うぇ・・・ど、して、・・・はるおみ・・・。」


 (やっぱり、はるおみさんの事なんだっ!)

 疑問が確信に変わった。私は衝動的に動いていた。

 「っ!?」

 後ろから抱きつかれたお姉の体は震えていた。

 「・・・り、お」

 「お姉っ!じゅ、っ!?」

 急に喉が引き攣り声が出なくなった。

 (・・・なん、で?)

 唇を動かしても、音が出ない。無理に出そうとすると喉の奥が痛くなる。

 「っ、・・・!」

 (苦しい。)

 ギュッと眼を瞑った。バニラの香りが鼻を掠める。

 「やめなさいっ!」

 「っ、かはっ!」

 お姉が叫ぶと圧迫感から開放された。空気を吸い込んだ瞬間に咽せてしまった。

 喉を摩る私を抱きしめお姉は宙を睨んでいた。

 「わかってますよ、あの人がもうこの世に居ない事くらいっ!だから、貴方を利用したい!お互い様でしょう!?」

 涙を流し、叫ぶお姉が私にはとても綺麗に映った。不謹慎かもしれない、酷い事かもしれない。けど、形容し難い程美しかった。

 「・・・李桜、大丈夫ですか?」

 泣きながら謝罪するお姉にしがみついて私は何度も頷いた。泣きじゃくる私の鼻にはずっとバニラの香りが漂っていた。


 2人して泣いた後、私はお姉に手を引かれ部屋について行った。

 ベッドに座るように促した後、お姉はクローゼットの上に置かれた段ボールと前にソファで見ていたアルバムを持ってきて、私の隣に座る。

 「悠真が来ていたのでしょ?」

 ゆうまの名に私は顔を上げる。お姉は力無く微笑んだ。

 「確か、悠真は李桜と同じ歳でしたから。」

 生きていれば。そうお姉は小さく呟いた。

 「・・・お姉はやっぱり、ゆうまの事知っていたの?」

 私の問いにお姉は申し訳なさそうな表情になる。

 「一度だけ、電話で話した声があるくらいですよ。それに、」

 一区切り置いてお姉が続けた。

 「李桜も悠真とは電話口で喋ってるんですよ。『一緒に遊ぼうね』って。」

 「・・・覚えてない。」

 そんな約束した覚えなんて、ない。

 「2歳くらいの時ですから、覚えてないのも仕方ありません。それに、叶う事はなかったから。」

 長い睫毛を伏せてお姉は話しを続けた。

 「・・・あの人も現れました?」

 『あの人』とは、はるおみさんの事だと察する。私は頷いた。

 「当時のままの姿ならまだ良かった。成長してるんですもの。それは期待しますよ。」

 確かにそうだ。ゆうまもはるおみさんも夢魔なのに人間の様に歳を取っている。

 「ゆうまも私と同じくらいの身長だった。中身は幼稚園児だったけど。くしゅっ!」

 何故か急に鼻がむず痒くなり、クシャミが出てしまった。

 「ふふ。悠真は成長が遅くてね、一語言葉を覚えたばかりだったんですよ。発語が遅くて心配してましたから。あー見えて極度のブラコンだったんですからねお兄さんは。」

 お姉は笑ってアルバムを拡げた。 

 写真の日付けは20年前くらいの物だ。

 細く白い指でお姉はゆっくりとページを巡る。

 「・・・あの人は、悠臣とは幼馴染みだったんです。当時はお互い1人っ子だったから一緒に遊んでいた。虫取りも木登りも教えてくれてたんですよ。活発な子だった。」

 写真にはタイヤのブランコに乗っている男の子とその隣に女の子が写っている。長髪の女の子はお姉だとわかる。男の子は、姿はゆうまに似ているがガキ大将のような雰囲気だ。

 「2人で写っているのは駄菓子屋のおばさんが撮ってくれた写真ですね。撮り合いっこみたいな感じだったから。他の写真は1人。ふざけてるからこんな顔のアップとかね。」

 懐かしむようにお姉は写真を指でなぞる。

 「カメラはね、悠臣の父の物でね。ネガだったんですよ。シャッターを押して巻いて、みたいな。・・・想像しにくいかな?」

 そう笑ってお姉はアルバムを渡してくれた。

 昔近所に住んでいた、男の子。

 ページをめくっていく。どの写真の中の悠臣さんも楽しそうに笑っていた。

 「・・・。」

 悠臣さんの写真より、お姉の何気ない表情の写真が多い事に気付いた。

 写真はアルバムの半分くらいで最後の写真はリュックを背負って笑う悠臣さんと俯いたお姉の写真だった。

 「それが2人で撮った最後の写真です。引越し当日のですね。」

 「引越し、したんですか?」

 「ええ、10歳の頃に。お父さんの田舎の方にね。」

 何も貼られていないページをめくっていくと数枚の紙が挟まれていた。

 リビングで寝ていたお姉が寝返って落としたものだ。あの時は全部拾ってアルバムに挟んだつもりだったが、1枚ソファ下に落ちていてそれを見てしまった。

 「その後は文通していたんです。文通は悠臣からの提案でね。じぃちゃんの畑の野菜が美味いからって手紙と一緒に収穫した野菜を送ってくれたりね。」

 そう笑ってお姉は段ボールを開けた。

 ファイルとお菓子缶が3個。それから中身はわからないが、ビニールに入ったもの。

 「これが僕が悠臣から受け取っていた手紙。こうしてちゃんとファイリングしてたんですよ。この僕が。」

 ファイルには手紙と封筒が仕分けされていた。最後に付け足したのはお姉なりの照れだろう。

 「お菓子缶に入っているのは僕が悠臣に送った手紙。そして、この新聞紙に包まれているのは悠臣が、・・・死んだ事も知らずに僕が送っていた手紙です。」

 お姉の話し方はまるで自分を責めているように聞こえた。

 「悠臣に送った手紙は彼が亡くなって彼の祖父母が僕に送ってくれたんです。手紙を送り続けて1年後に来た小包。そりゃあ嬉しかったですよ。

でも、宛名があの人の字じゃなかった。中を開けたら僕が送っていた手紙と『孫は不幸にあいました。』の祖父母の手紙。・・・信じられなかったですよ、本当に。どうにかなってしまいそうだった。」

 一体、どんな気持ちで祖父母は手紙をお姉に送ったんだろう。

 「・・・辛かった?」

 お姉は私の何倍も苦しくて辛かったはずなのに、ずっと我慢していたんだ。

 「どうでしょうねぇ?悠臣が死んだと知った時はお母も家を空けていて僕もバイトをしていたから。」

 確かに、一時期私は1人で過ごす事が多い時があった。

 「日々の生活に追われて、疲れて寝る。そんな毎日。大学を卒業して、就職して。これからって時にお母は入院。李桜との生活もあるし、自分を奮い立たせてきましたよ。」

 お姉は微笑んで簡単に話す。きっと私が想像すら出来ない苦労をしてきたはずなのに。

 (・・・私には教えたくないんだ。)

 それはお姉の優しさ。愛情だ。私が知りたくても、今じゃない。

 「・・・あの人、なんて言ってたんですか?」

 お姉の瞳に落胆の色が見えている。言わない方が良いのかな?少し迷ったが、私は伝えることにした。

 「・・・お姉さんは想いが強すぎる。どれだけ望んでも絶対に叶う事はない。心身を病むだけ。

 強過ぎる激情は誤った判断をさせる。・・・幸せになりたいだろ?って。」

 お姉は瞳を見開いた。やはり、ショックだったのだろうか?

 「あの夢魔さんは『そんなに似てるのか?』って言っていた。似てるだけじゃないの?ゆうまも、夢魔は好意を持った相手に見えるって。」

 私はこれまでの1番の疑問をお姉にぶつけた。

 必死な私にお姉は黙っていたが、

 「ふ、ふふっ。おかしっ。」

 「え?」

 口元を抑えてお姉は笑った。

 「あれは『悠臣』で間違いないでしょう。今度会ったら胸ぐら掴まえて僕が言ってやりますよ、『また幸せになりたい』と。」

 呆ける私の頭を撫でお姉はクスクス笑っている。

 「僕はね、あの人の癖は見抜けます。特に嘘をや隠し事はね。」

 「・・・ぅそ?」

 繰り返した私にお姉は頷いた。

 「さぁ、ピザを注文しましょう。僕はお風呂に入ってきますから。」

 話は終わりだとお姉は立ち上がった。

 「お姉待って。」

 私はお姉の腕を掴んだ。

 「大人の夢魔さんが悠臣さんなら、子供は悠真だよね?」

 シンと室内の空気が張り詰めた。

 「悠真、だよね?」

 確認するように繰り返す私にお姉は困った、なんとも言えない表情になっていた。

 「・・・あの人の言う、強過ぎる激情ならば悠真でしょうね。」

 そう言ってお姉は泣きそうな笑みを見せた。



 入浴を終えたお姉は普段の姿『私の姉として』の顔に戻っていた。言動も行動変えている。きっと、私は本当のお姉を、お姉の弱さを知らないんだ。

 

 ピザを食べ終えお姉はまたバラエティ番組を見て笑っていた。私はお風呂に入る。

 (・・・今日は色々な事がありすぎた。)

 沢山の事を知れた。泣いているお姉に飛び付かなかったら知らなかった事。ちょっとだけ、行動した事が答えに繋がった。

 (・・・良くも悪くも、だよね。)

 顔の半分まで湯船に浸かる。溢れたお湯は排水口に流れていく。

 (・・・また幸せになりたい。お姉は今、幸せじゃないんだ。どうしたら幸せになれるんだろ?)

 考えるが、答えは勿論でない。本人に聞くのが早いのだが、本当の事を教えてくれるとは限らない。

 頭がぼんやりしてきた。早く上がらないとのぼせてしまう。

 私がお風呂から上がりリビングに行くとお姉はまた月を眺め眺めながらビールを飲んでいた。


 部屋に戻り、スマホを充電する。アラームは2度チェックした。

 「・・・?」

 ベッドから甘い匂いがする。柔軟剤?は変えてないし、アロマも炊いてないのに。

 でも、安心する匂いだ。

 (ゆうまに会ったら、今日の事を話そう。)

 


 「はるボコったら怒られたぁ〜!」

 「・・・。」

 目を開けるとゆうまがわんわん泣きじゃくっていた。えっと、どうしたら?

 「はるが悪いのにぃー!!」

 抱き着いて泣いているゆうまに何を聞いても「はるがっー!」とはるおみさんにされた事しか言わないだろう。とりあえず、ゆうまが落ちつくまで待つ事にした。ら、

 「・・・むにゃあ。」

 「・・・。」

 予想通り、泣き疲れて寝てしまった。

 起こすのも忍びないので、起きるまで待つ事にする。

 (・・・私も話、聞いてもらいたかったな。)

 夜色の髪を撫でる。くすぐったそうにゆうまがみじろいだ。 

 ゆうまは感情表現が豊かで一緒に居て楽しい。

 最初こそ、色々・・・と苦手意識はあったけど、今は、心が安定した分言いたい事も言えるようになってきた気がする。

 (・・・そっか。)

 思い返せば、私は『聞く側』だった。友達の話を聞いているだけで、発信した事が無かった。

 学校で溜め込んでいた分を家では発散させていた。お姉にずっと話しかけていた。あの時はそれが当たり前だった。

 聞いてほしい、わかってほしい。と。

 お姉だけがわかってくれていた。

 だから、学校であの時何も言えなかった。

 

 「・・・。」


 私のせいじゃない。

 勝手にあっちが『付き合って。』と言ってきたんだ。それなのに、逆恨みみたいにある事ない事言いふらされて、・・・味方がいない事に絶望したんだ。

 心の中でどんなに違うと叫んでも、伝わらないのに。

 周りが全て自分を嫌悪しているんじゃ無いかと思って、卑屈になって・・・。視線を感じたら蹲るように身体が反応したのも被害妄想だ。頬を冷たいモノが伝う。

 「・・・ふにぃ。・・・おみず?」

 寝ていたゆうまが起きたようだ。

 でも、私は顔を下げる事が出来ない。

 「李桜?どうしたの!?」

 ゆうまが起き上がって、私の頬に触れる。

 「何で泣いてるの?」

 視界が滲んでいても、ゆうまが心配しているのは声でわかる。

 「泣かないで李桜。李桜は笑ってる方が可愛いよっ!」

 そう言ってゆうまが目尻に溜まった涙を舐めとった。いつもなら、きっと「離れて」と口にしていたと思う。一種の恥ずかしさで。

 でも、今自分の弱い部分を知ってしまった。

 「ねぇ、泣かないで?」

 上目遣いの金眼が不安気に問いかける。

 「大丈夫。ありがとうゆうま。」

 「んっ!」

 笑顔を作ればゆうまも笑顔で返してくれる。

 私には話しを聞いてもらえる人が2人もいる。幸せな事だ。感謝しないと。

 「ゆうまがいてくれて良かった。」

 「ほんとに?嬉しいぃー!」

 ゆうまの喜びの表現は両手を挙げる事だ。

 「うん。ゆうまに会えて幸せ、」


 『また幸せになりたい。』


 お姉のあの言葉って。


 「李桜?」

 言葉が途切れた私にゆうまは首を傾げた。

 「ねぇ、ゆうまは現実にも居るでしょ?どうしたら姿を見せてくれるの?!」

 もしかしたら、またお姉を『幸せ』にできるかも知れない。私の剣幕にゆうまは驚いていたが、少し考えてくれた。

 「・・・現実世界に姿を見せる方法はあるよ。でも、はるは絶対ダメって怒る。」

 俯いたゆうまはかなり落ち込んでいた。

 「オレ達が現実で実体化するにはしょーかんされるしかないんだ。・・・でも夢魔との契約はしょーかんしゃを狂わせるから、ダメって。他の夢魔とか騙してしょーかんされるけど、失敗して戻ってくのもいる。失敗したら消える事もあるし。」

 「・・・双方にリスクがあるんですね。」

 「多分、そう。」

 頷いたゆうまに私は聞いた。 

 「ゆうまは召喚方法知ってるんですか?」

 「うん。最初から知ってる。」

 夢魔のはるおみさんがお姉の知っている『悠臣』さんなら、弟の『悠真』に危険な事はさせないはず。ブラコンって言っていたし。恋人のお姉にもそうだ。それなら、

 

 「私が召喚します。」

 

 そう答えるとゆうまは金眼を見開いた。少し戸惑っているようで俯いている。

 「・・・でも、失敗する事もあるよ?しょーかんしゃは怪我するかも。」

 「危険は承知してます。」

 私の気持ちが固まっている事を理解してか、ゆうまは口を閉じたり、パクパクしたりしている。

 「はるおみさんを召喚して、お姉に会ってもらいたいんです。余計なお節介だけど、どうにかしてあげたい。少しの時間でもいい。だから、お願いゆうま。召喚方法を教えて下さい。」

 ゆうまに頭を下げる。するとゆうまは私の両肩を掴んだ。

 「はるじゃなくてオレをしょーかんして。」

 真っ直ぐなゆうまの金眼と目が合った。

 「オレとはるは繋がってるんだ。オレがしょーかんされれば、はるも引っ張られると思う。びょーんって!」

 真剣な眼差しで、でも内容は少し可笑しくて。

 「びょーん?」

 「そう、びょーん!」

 そう、更に金眼に力を入れて話すゆうまに私は我慢出来なくなった。吹き出してしまうのも仕方ないはず。

 「李桜、オレ真面目に言ってるのっ!」

 「・・・ご、ごめんなさい。わかってますけど。」

 プンスカとゆうまが怒る。私は笑いを抑えて向き直った。

 「じゃあ、召喚方法を・・・。」

 「その前にえっちが先っ!とぉーかこーかんっ!!」

 得意気に鼻を鳴らすゆうまに私は固まったが、確かに魔女が悪魔と契約するに身を差し出すのは本で読んだ事がある。

 「・・・この前で元気になったって。」

 「あれはあれ。これはこれ!」

 なんだか、覚えた言葉を使いたがってる子供の様だ。でも、そういう問題じゃない。

 「ゆうまは簡単に言うけど、私はとっても恥ずかしいんだからっ!」

 「産まれた時は皆裸ー!」

 「成長したら体は変わるのっ!プライベートゾーンは親でもむやみに見せたり触らせちゃダメなんだからっ!」

 きょととゆうまは首を傾げる。・・・多分、私の言ってる事理解してない。黙ったままだったゆうまが「うー。」と唸り、声を張り上げた。

 「みつに、・・・まじ?まじわれば、しょーかんのせいこーりつ上がるのっ!」

 両拳を作り力説するゆうまに半信半疑だったが、これ以上機嫌を損ねて拗ねらるのも面倒だったので頷く。・・・恥ずかしさはあるけど夢だから、痛くはない。寧ろ・・・

 「・・・でもあんまり見ないでくださいね。」

 「やったー!ご飯っー!!」

 (・・・ご飯って。)

 両手を上げて喜ぶゆうまにモヤっとしたが、これがゆうまなので仕方ない。

 素直な気持ちを表現できるゆうまが羨ましいけど、上手に付き合う事は時には本心を隠す事も必要なはず。

 

 怖いし、不安だけど。ゆうまと一緒なら大丈夫だよね、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 


 

 


 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 



 




 


 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 


 


 

 

 


 

 


 

 

 


 



 




 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


 

 

 


 

 

 


 


 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 




 

 



 

 

 


 




 

 


 

 

 

 

 


 


 


 


 

 


 

 

 

 


 

 

 


 

 

 

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