鯨の灯台

黒潮旗魚

推進

青く、広く、美しい。デッキから眺める海はまさに桃源郷を見ているようだった。天気は快晴、風向きは北東の風力は3、気持ちがよく眠たくなるような天気だった。

井原慎二(いはらしんじ)は延々と続く水平線を眺めながら、一人、缶コーヒーを飲んでいた。

「いたいた、井原さん、やっぱりここにいたんですか。」

急な後ろからの声に少し驚いた。

「なんだ川口か、サボってると船から下ろすぞ」

「それはあなたもでしょう。ベテラン船長とはいえ暇さえあればここに来て何もせずぼんやりとして、もう少し自覚持ってくださいよ」

「俺は見張りをしてるんだ。見張りは船乗りの基本だろ。」

慎二は慣れた言い回しで弁解した。

第8進鯨丸(しんげいまる)、1980年に竣工さされた大型貨物船だ。横浜を出発し瀬戸内海を通ってアメリカへと物資を運ぶ、日本と海外の物流を結ぶ重要な船である。

慎二が進鯨丸に乗り始めたのは2000年、当時慎二は20歳だった。短大を卒業し、3級海技士の免状を取ったばかりだった。乗り始めた当初は下っ端として乗っていたが乗船しながら1級海技士の免状を取り、経験を積んで35歳という若さで船長の座に着いた。近頃は少子高齢化で若い船員でも船長になれることが多くなってきているのであまり珍しいことではない。しかし商船の、しかも海外に渡る大型船の船長にこの若さでなることは、なかなか珍しいことだった。そのため慎二のことを尊敬する船員も少なくなかった。

「それにしてもいいですねー。僕も早く船長とかになりたいですよ。」

「てめぇなんかにこの船を預けられるか。あんまり調子こいたこと言ってるとサメの餌にするぞ。」

慎二は川口の頭を軽く叩いて言った。

「前々から聞きたかったこと、ひとつ聞いてもいいですか」

「なんだ」

「なんでそんな若さで船長になれたんですか?やっぱり才能ですか?」

「バカ言うな、俺に才能なんて微塵もなかった。ただ運が良くてな、俺が1級海技士を取った瞬間に前の船長がぽっくりいっちまったんだ。それで他に船長出来るやつ探したんだけどいなくて、それで俺になったんだ。」

慎二はぶっきらぼうに言った。川口は納得したかのようにうなづいた。そして軽く笑うと慎二の方を見てた。

「あとやっぱり彼女のおかげですか?」

バカにするように言った河口を慎二は勢いよく睨みつけた。

「あいつのことは口に出すな」

思ったより強い口調で言われたので川口は少し驚いた。その時遠くから、

「チーフ、少し来ていただいてもよろしいでしょうか?」

と、川口を呼ぶ声が聞こえた。

「ほら、呼ばれてるぞ。仕事ができねぇやつはすぐ船から下ろすからな。」

川口は大きく伸びをすると、軽く頭を下げて呼ばれた方へ向かっていった。

慎二はまた水平線に目を向けた。そして大きくため息をついた。

「あの野郎、思い出させやがって」

呆れたように言うとゆっくりと下を向いた。そして手帳から1枚の写真を取り出した。そこには髪の長い綺麗な顔立ちの女性と慎二が2人で映っている姿があった。その写真を見ながらまた大きくため息をついた。




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