白いノートに魔法を
キューイ
一年生編
第1話 吹き始めた風
木の板を大樹の枝からぶら下げた渡り廊下がある。今朝はそれがやけにガタガタ揺れる。少女が駆ける足のリズムと共に揺れる。少女は急いでいるのだ。長い桃色の髪を揺らして走っていた。
「おーいディア!そんなに急いで何処へ行くんだ」
「吟遊詩人が来てるの!聞き逃せないよ!」
ディアは質問してきた里の仲間にそう返すと、喧しく音を立てて再び走った。渡り廊下と言っても天井や壁があるわけではない。建物から建物に橋が伸びているだけだ。
ディアは橋から橋へと飛び移りながら里の入り口に向かう。普段なら渡り廊下が壊れるから飛び移るのはやめろと怒られてしまう。しかし今日は皆吟遊詩人の詩を聞きに行っているので、そんな野暮な注意をしてくる人はいなかった。
「急げ……急げ!」
彼女は笑みを抑えきれていない。里の中は楽しいが、彼女はどこか刺激を足りなく感じていた。そんな時に外界からやってきた詩人はどんなに刺激的な存在だろうか。
里の入り口近くに着くと、もうそこには里の仲間たちが人混みを作っていた。ディアは小柄な体躯を生かしてその群衆に体をねじ込み、いい位置を確保した。
時々額のツノが群を成す大人たちの顎や首を突いてしまいそうになるほどにそこは混み合っていた。
里を訪れた吟遊詩人は人が集まったのを見計らって息を吸い、大きな声を出した。
「風の魔人の里の皆様!私は詩人のトルバと申します!今日ここに歌いますは……人間たちが魔法の学舎を作った話であります!」
「魔法の……学舎?」
ディアは魔法というものをよく知らない。外の人間たちが生活を便利にしたり、戦闘に使うだとかそんな情報しか持っていないのだ。他の大人たちもディアと魔法の知識のレベルは同じようなものだ。
この状況においては吟遊詩人は圧倒的に優位である。観客が全く知らないことを歌うのだ。詩を刺激的にできる。
トルバと名乗る詩人は観客のざわめきがおさまった頃を見計らい、詩を紡ぎ始めた。
「人の力じゃ 岩割れず
人の腕では 空飛べず
ならば使わん 魔法の技を!
玉虫色の その技を
料理に使えば 火を点ける
洗濯に使えば 水を出す
皿洗いに 畑作に
その技使えば 皆笑顔
笑顔の花が 咲くならば
花園ふやすが 人の常
資本の力に 物言わせ
花園ふやす その校舎
タネ撒く力 授けよう……」
ディアは聞き入っていた。未知なる魔法の無限の可能性に完全に心を奪われていた。
詩人は他にも二、三ほど詩を歌ったが、最初の詩がディアの頭から離れなかった。
詩人が歌い終わる。人々は彼に少しばかりの金銭や食べ物を渡すと散り散りになっていった。しかしディアはその場から離れる気はなかった。
片付けをしようとしている詩人の視界にディアは飛び込んだ。
「お兄さん!さっきの魔法の学舎って本当?」
「ん?あぁ、本当さ。グリンの街に魔法学校ができたのさ。つい50年くらい前だ」
「50年前……お兄さん今何歳?」
「500歳」
ディアは頭を抱えた。自分たちよりも長命な魔人は自分達と時間のズレがあることを知っていた。トルバが魔人であることを、同じ魔人であるディアは気づかなかったのだ。詩人トルバにとっては50年というのは最近である。
「じゃ、じゃあ……もう学校は無くなってるかな?私行ってみたいんだけど……」
「まだあるさ。行ってみるといい。あの学校は出自や年齢は問わないらしいからな」
「うん!ありがとう!」
詩人はリュートをカバンに収めた。カバンを肩にかけると、彼はディアの頭に手を乗っけた。
「外の世界は楽しいぞ」
それだけ言うと、詩人は里の門に向かった。門番に会釈すると彼はあくびをしながら悠々と去っていった。
残ったディアの頭の中には彼の言葉が反響していた。その言葉はが夜になって布団をかぶる頃まで頭に残り続けた。
翌朝、ディアはいてもたってもいられなかった。弾かれるようにベッドから跳ね起きた。そして半ば顔を水瓶に突っ込むようにして顔を洗うと、昨日と同じように渡り廊下を踏み鳴らして駆け出した。
向かった先は族長の家である。里で唯一石造の堅牢な建物だ。そこのドアを壊しかねない勢いでディアはノックした。
「朝から喧しいやつだな。どうしたディア」
ボサボサの髪が大きなツノに絡まっている。そんな男がドアを上げた。ディアは彼に肉薄して言った。
「私、魔法学校に行きたいです!」
族長は目を丸くした。昨日までそんな素振りを見せなかったディアが突然そんなことを言い出すとは思ってもみなかったのだ。彼は口をモゴモゴさせ、頭をガシガシとかいた。そして小さく呟くように言った。
「ダメだ」
「何でですか?」
「風の魔人の里の次期族長候補のお前を易々と外に出すわけにはいかない」
「立派になって帰ってくるかもですよ?」
「……魔法なんて何に使うんだ?俺たちには風の魔人としての力があるだろ?飛べるし、耳もいい。風に乗せて言葉を誰かに送ることもできる」
「でも水の魔法でお皿洗えないし、熱の魔法で洗濯物乾かせないですもん!私はもっといろんなことができるようになりたい!いっぱい知りたい!」
ディアは頬を膨らませた。
彼女にとって世界は里の中でほとんど完結していた。しかしそこに吟遊詩人という外界から新たな風を吹き込む存在が出現した。彼女にとってそれは刺激的すぎた。彼女の知識欲を掻き立てるのにそれは十分すぎたのである。
「……ディア……族長として俺はお前が心配なんだ。外の世界は怖いかもしれないぞ?」
「面白いかもしれないじゃないですか」
「とにかくダメだ。家に帰って本でも読んでろ。この前大量に仕入れてやったろ」
「全部読みました!」
族長は頭を抱えた。彼は無尽蔵のディアの知識欲にかなりの頻度で悩まされているのだ。族長としての仕事の一、二割はディアの知識欲の暴走を抑えることだと言っても過言ではない。
「……とにかく帰れ。いるべき場所にいろ」
ディアはグッと拳を握りしめた。もう我慢ならなかった。うちに篭るばかり、里にそんな印象を抱いていた。彼女の知識欲はもう留まることを知らなかった。
「私のいるべき場所は……外!です!」
「おい……お前……待」
ディアは族長の家から出ると足に力を込めた。そして上に飛び上がる。本来ならば重量によって着地する筈だ。しかし風の魔人は風に乗る。ディアの体は空気の一部のようにふわりと浮き上がった。
族長は急いで彼女を追って家から出る。しかし彼女はもうすでに飛び去っており、豆粒のように小さくなっていた。
ディアは眼下に里を見据えていた。勢いに任せて家出してしまった。しかし彼女は後悔はしていなかった。どうしても魔法というものに興味があるのだ。
族長の言うこともわからなくはない。彼女は聞き分けのない子供ではないのだから。ただ知識欲が勝った。それだけの話だ。
ふと飛んでいるディアの耳に生暖かい風が触れた。そして小さく声が聞こえた。族長の声だ。風の魔人の力のひとつ、風に言葉を乗せる力だ。彼女の耳には族長の言葉が響いた。
「無事に帰ってこい。それだけだ……はぁ……」
ディアは笑い声を漏らした。そしてスピードを上げた。向かうはグリンの街。魔法学校のある街だ。
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