機械仕掛けの神が生まれた日

 困っている老婆がいた。老婆は不相応な量の荷物を抱えていて、案の定バランスを崩して荷物が道に散乱した。通行人はそんな老婆を白い目で見て通り過ぎる。老婆は「ごめんなさい」と何度も呟き落とした荷物を集めていた。そんな姿があまりにも惨めで、私は荷物を拾うのを手伝った。荷物を渡すと老婆はくしゃくしゃになった笑顔で「ありがとう」と答えた。

 私はそれが心底気持ち悪くて、不愉快だったので、黙って立ち去った。


 アタッチメントとは生まれながらに身につくものではない。成長の過程で身につくものである。私の両親は普通……いや恵まれている部類になると思う。教育熱心だが厳しすぎず、娯楽も共に楽しませてくれ、付き合いもよく、家族でよく他の家族たちと一緒に旅行などもしていた。きっと情緒豊かな大人に育つのだろうと周囲は思ったのだろう。

 私がアタッチメントを身につけたのは物心がついて少し経ってからだった思う。両親は私のアタッチメント覚醒に喜び、きっと立派な大人になるのだろうと大いに祝った。その日から、アタッチメントのレベル上げが日常に加わった。


 私は親の愛を自覚していた。無償の愛。だから私もそれに応えるのが嬉しくて、親を喜ばそうと頑張ってレベルを上げた。レベルが高いほど、社会的地位は高くなるので、レベルが上がる度に両親はとても喜んだ。



 レベルが上がる度に、悪夢を見ることが多くなった。



 私のアタッチメントは未来予知だった。少し先の未来が読める。両親は凄いことだと感激していた。だって未来が読めるのだもの、未来なんてほんの少しのことで狂うのに、見た未来は必ず実現する。


 それは未来予知だなんて言い方はあまりにも謙虚な言い回しで、現実的には因果律の確定、運命操作。その時は皆、その力の異常性に気が付かなかった。

 誰だって未来予知能力を持ったら一度はしたくなるのではないだろうか。未来予知の改変、予知した未来を起こさないように振る舞おうとした。そして知った。私の能力は未来予知でも、運命操作でもない。起こりうるあらゆる分岐した世界を知り、"どう行動すればその未来へと行き着くか"選択できる能力であると。まだ幼少であった私に世界の影響力なんてなく、そして純粋だった故に、分岐する未来がなかっただけで、成長し、行動を選択する、余計な心を持つが故に、予知する未来、起こりうる分岐した未来の数は連鎖的に増えていった。


 気づいたときにはもう遅かった。私はその力を自覚した日から、毎日殺された。他人の一挙一動で、余計なことを考え、それが最悪な未来へと発展する。友達が私を裏切るのは日常茶飯事だった。隣人が私に嫌がらせをするのは日常茶飯事だった。優しい両親が別人のように豹変した姿も何度も見た。それは実際には起きていない仮初の未来。だが予知という形で、私の脳裏に毎日焼き付く。毎日毎日毎日毎日。夢は記憶の整理という話を聞いたことがある。目を瞑り眠りに落ちても、世界は私を責め立てた。他人にとってはこの悪夢は妄想であっても、私にとっては現実だったのだ。成長するにつれ無限に入ってくる情報量、私はそれに耐えきれなかった。



 だから自殺という手段をとったのは、当たり前のことだと今でも思う。



 目が覚めた時、両親は涙を流して私に謝っていたか、それともヒステリックを起こして怒っていたか、もう覚えていない。だが分かったことはあった。数多の未来が見えるが故に、人の心の内まで、醜い本心まで全て行動を伴って見える。両親は、私を愛していたのではなく、皆に自慢できる、理想の家族を愛していたんだなって。だから私もこの場を上手く収めるために上手く未来を選択できたのだと思う。


 医者は両親に対して私の精神が衰弱していることを伝えた。私は両親が私に涙を流し謝罪をする未来を選択した。薬を貰う。アタッチメントを制御する薬。最大で一ヶ月も見えた未来は、三秒間に短縮された。これで私は悪夢から覚める。だが染みついた記憶は落ちないし、一度目覚めた能力はなくならず、薬を使っても三秒間先の未来が嫌でも見えてしまう。だから私はもう全てを諦めることにした。思い出、家族、友人、恋人、不可能だ。たった三秒間でも人はいくらでも変貌するのだから。そのことを他の誰よりも、私は知っていた。


 学生たるもの学校には行かなくてはいけない。授業は楽だった。だけど集団行動は本当に嫌だ。予知する未来で私は何度も殴られ蹴られ罵詈雑言を浴びさせられていた。そういうことにならない未来を毎回選択しても、その未来は決して消えない。それは人の本質だからだと理解している。優しい両親ですら豹変するというのに、どうして他人である彼らが私に対して何もしないと思えるのか。



 そんな形のない悪意に怯えながら、日々を過ごし、学年が上がってのことだった。新しいクラスメイトも今までと同じだ。私はただ耐えて、時間がすぎるのを待てばいい。期待はしない。どうせ同じことなのだから。そう思っていたはずなのに、彼はただ一人違っていた。境野連。無数に広がる未来の中で、一度たりとも私に危害を加えようとしなかった。


 他人に無関心なのか、あるいは底抜けに善人なのか。彼の近くにいるときだけ、私は世界の悪意に晒されなかった。だからだろう、私は不相応な願いを求めてしまった。もう何もかも手に入らない、そう思っていたのに。彼とずっと一緒にいたいと。同じ学校に通い、卒業しても連絡を取り合い、時には趣味の話で華を咲かせ、時には同じものを見て喜び、時には同じ辛さを共有したいと願ってしまった。今にしてみれば、これから起きた出来事は、不相応な願いをもった、私に対する罰だったのだと思う。


 彼ともっと一緒になりたい。そう考えた私はレベル検査からの班分けに期待した。私は薬の効果で低レベルの落ちこぼれ、六班に所属するのは目に見えている。だが彼はどうなのだろうか。私は彼のことを何も知らない。ひどいことだとは思っていたけど、彼が落ちこぼれであったらどれだけ嬉しいことかと思った。班を決めるのは一年に一回だ。神様に祈るとか、そういう不確かなことはしたくなかった。


 そして私の心が囁く。私の能力を使えば、そんなことは容易いと。いくつもの未来を辿り、好きな未来を選択する私ならそれができる。今まで私利私欲のために自分の能力を使ったことはなかった。でも彼のような人間とこの先、出会えるかは分からない。だから私は、これが運命だと信じて薬の服用をやめて、能力のリミッターを解除した。


 ─── ─  ──── ─


 私の能力は成長したこともあってか、更に進化していた。それは未来予知というものを既に超えていた。因果律の反転、運命改変、ありとあらゆる事象を自分の望む世界へ改変する能力。それは神にも等しい力だ。もっともその能力の器はひ弱な人間なのだが。


 登校するまで地獄の道のりだった。世界全てが私の敵だった。久しぶりの感覚、四方八方から悪意が私を殺す。だが私の心はかつてのように沈んではいなかった。彼に、境野連に会って、友達になる。そんな些細な願いが希望となって、私の心を照らしていた。


 教室の前まで来た。戸に手をかける。いよいよ始まるのだ、私の人生で初めて能力を私利私欲のために使うときが。教室に入り彼の姿を確認する。余計な情報が入らないように近づく。不自然な動きだが、今の私は必死だった。そして選択するのだ、彼が私と同じ6班になるように、あらゆる未来を否定して、改変する。どんな運命も全て書き換える。今の私には、それができた。


 「え……。」


 そして見てしまった。彼がどういう人間かを。彼はあらゆる世界線で何者かに殺害されていた。何者かという言い方をしたのは、その全てが人ではない、なにかおぞましい、化け物の類いだったからだ。彼は苦しみ嘆いていた。全ての未来で発狂し、嘘だと自分で自分を責めていた。最初に死ぬのは班分けをして試験をするとき。彼はあらゆる未来で2班に配属され、試験が終わったあと操り人形のように目が虚ろとなって、公園で一人死んでいた。


 まず私は彼の死そのものを因果律、運命改変をして書き換えることを試みた。結果は不可能だった。何故か彼の運命には干渉できなかった。

 次に死に向かう運命を改変すべく、私と同じ6班になるようにした。私利私欲だというのもある。でも、私は彼を助けたかった。世界で初めて、もしかしたら唯一になるかもしれない私の友達。失いたくなかった。


 頭痛がした。彼の運命を改変したことでまた未来が変わる。同じだった。6班になっても彼は死ぬ。だが一つ変わったことがあった。剣だ。なぜか剣は彼の死に対して訳知り顔だった。剣は何者なのか、一旦思考を切り替え、剣の未来を見た。そして剣が何者なのか全てを知った。


 私は剣に協力を呼び掛けた。私のアタッチメントを全て説明し、その場で運命を改変し、ありえない出来事を目の前で起こして見せた。剣は驚いた様子だった。「夢野さん、あなたの力は神にも届きうる。」と。そんなことはどうでも良かった。私は境野連の話をした。彼のことは全て知っている。助けになりたいと。剣は本部に掛け合うといってその場で話は終わった。


 だが無駄なことだ。私は未来を改変し、剣の所属する組織が本件について協力的になる未来を選択した。結果、私は剣の言う本部から薬をもらうことができた。


 「それは境野くん専用に作られた安定剤です。ご存知のとおり、彼の存在は非常に不安定なもので、いつ崩れるかも分からない。そんな危険な存在です。そんな彼を悪意ある何者かが利用しようとしている。ですがあなたならそれを回避できるかもしれません。三秒間という僅かな時間でも、彼が壊れてしまう前にその薬を使えば、安定し続けるはずです。ですが、それは同時に……。」


 悪意ある何者かに対して、自分以上に、真っ向からケンカを売ることになる。これがばれたら、真っ先に殺される。無惨に、むごたらしく。それでも良いのかと、剣は問う。


 私は迷いなく答えた。殺されることなんて慣れている。死ぬことよりも酷い悲惨な目には何度もあっている。でも、境野連、彼を失う悲劇は何事にも変えられない苦痛だ。彼が死んだ未来で、私は例外なしに泣き叫んでいた。何かに期待することなんてとうに諦めていたのに、悲しいなんて感情はとうの昔に捨て去ったと思ったのに。きっとこれから同じ班になって、彼と友達になった私は、人生で一番幸せなのだろう。


 だから、悩むことなんて何一つなかった。死ぬことよりも苦しいことが、世の中にあるのは、身をもって知っているから。

 剣は私の覚悟を理解してか、いくつもの注射器と錠剤を渡してくれた。まず錠剤、本当はこれを与えるのが一番良いのだが、錠剤など渡してはいそうですかと飲むものはいない。次に無痛針を使用した普段使い用。軽い精神崩壊を起こしそうになったときはこれを使えということだ。そしてもう一つはいかにも痛そうな大きなもの。緊急用だという。彼の身体が崩壊しそうになったときに使えという。私も何度か見た、発狂とともに訪れる滅び。それを防げる薬。

 これは罰だ。不相応に期待して友達を作ろうとした私への。結果として私は折角出会えた理解者を、騙して近づき、運命を弄び、手のひらで転がそうとしている。それは友達とは遥か遠いものだ。そして悪意ある何者かという存在にも命を狙われるようになる。

 至極当然の如く受けいれる。私にとって、彼のいない人生なんて、無意味だからだ。例え友達でなくても、彼が生きているだけで、そばにいるだけで私は幸せなのだから。

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