ずっと網膜に焼き付けて
狐死首丘、故郷への唄
「暖かくなると羽虫が増えて面倒だな。」
伊集院弦はソファに座り足を組んで優雅に読書をしていた。そして自分で淹れたスペシャルブレンドコーヒーを飲む。我ながら良い出来だ。
「宝塚の件は残念だった。彼女は若かった。期待していたんだがね。」
奥で黙り込む磯上を横目に弦は言葉を続けた。彼なりに慰めているつもりなのだろう。
「……いや、気遣いは不要だよ弦。亡霊というのは姿なきもの。彼女も覚悟はしていたはずさ。ただ俺の今抱いている感情は後悔……。月並みだけれど、大切なものというのは失ってこそ気がつくものだな。それよりも何か言いたいことがあるんだろ?」
磯上は立ち上がり、弦の隣に座る。
「羽虫の話さ。ワイルドハントが暴れている。彼らは市民を洗脳し自分たちの兵隊のようにしているようだ。目に余るので何人か始末したのだが数が多すぎる。」
弦は紙切れを取り出す。それは赤黒く輝いていた。ヴォーダンの作り出した呪符、それは簡易な恩恵もどきを与えるもの。だが所詮はもどき。本物には程遠い。手渡された呪符をつまむ。噂通り大したことのないものだ。
「らしくないじゃないか弦、こんなものを恐れてるのか?」
「無論、こんなもので我々を倒せるものではない。多勢に無勢という言葉もあるが、地べたを這う虫は空を舞う鷹に届かない。だが……。」
私の懸念は我々亡霊の目的成就に影響するかもしれないということだ。奴らは機を見て我々に宣戦布告をするだろう。当然返り討ちにするとして、そのとき何十人もの行方不明者が出るとあっては、隠蔽は困難、亡霊が表立つことは許されない。まだ。
「宝塚を間接的に殺害した連中は良いのか?」
磯上の話だと、死体が白い砂となって消えたという。更にその時、自我をまるで失っていたようだという話だ。
「まずワイルドハントの仕業でないのは明白だな。宝塚は若いが、そこまで良いようにやられる程、弱くはない。第三勢力……か。」
我々亡霊と同様に表立って活動しない組織。それはあってもおかしくない。だが磯上の言う話は情報がなさすぎる。そんな情報で探し出すなど、砂漠に落ちた石ころを探すようなものだ。磯上はまだ若い。実力は我々の頭領にふさわしいのだが、内面はまだ未熟な子供だ。だから、仲間が殺された程度で、こんな狼狽えるのだ。
「こちらも調査しておこう。それでワイルドハントだが……。」
「そんなに気になるなら、弦、お前に任せるよ。俺は宝塚を殺した相手を調べる。」
磯上は立ち去っていった。やれやれ、若いな。もっともあのくらいが組織の長には丁度いいのかもしれない。我々は粛々と亡霊の不都合を取り除くとしよう。
「ということだ。動くぞ。」
暗闇が動き出す。それは漆黒だった。それは照明に当てられ姿を現す。
「聞いていた。貴様と一緒に行動するのか?弦、いや『かたりつぐもの』と呼べば良いのか?どちらがいい。」
「弦で構わない。俺も君のことは『いきづまるもの』ではなく
正直な話、弦の人望は表社会とは対称的に亡霊内で皆無に等しい。だがこのカルマと呼ばれた男だけは別だった。弦と特別仲が良いというわけではないが、考え方が似通っているのだ。それは即ち、街に蔓延る羽虫に良い印象を抱いていないということだ。頭領の許可が下りた。ようやく羽虫を始末できるとなってはありがたい限りだ。弦は今も警察が捜索をしている身、故に自分は裏方に注力し、表立って活動できる協力者が欲しかった。
カルマは早速街へと向かった。目的はワイルドハントの雑兵ではなく、その元締めである。元締めは誰かは分からない、だが下っ端なら分かっている。弦のパーティーを襲ったもう一人の男。シンカ。顔も声も残っている。捕まえて尋問をして、吐かせれば良い。
───これは夢だ。
かつて見た懐かしい景色。一面に広がる提灯百合の花畑が風になびいて音を立てる。俺はいつもどおり、素振りをしたあと座禅を組み、精神統一をしている。後ろには父がいた。
父に連れられて村を歩く。皆、良い人だった。今年は豊作らしい。幼馴染がいた。いつの日か、俺は彼女に恋心を抱いていたが、結局思いは告げられなかった。家に帰ると母や弟たちが迎えてくれる。俺は長男で、父と一緒に皆を支えるのだ。誇り高き戦士として。近所のジロさんが今度結婚することになったようだ。何を隠そう彼と彼の嫁を手引きしたのは俺だ。照れながら報告するジロさんとその嫁、式では友人として挨拶も頼まれた。父に相談して何を話せば良いのか考え込んだが、他人事ながら、俺はとても嬉しかった。あぁ……こんな時間がいつまでも続けば良いのに。
そう、これは夢だ。俺は目を覚ます。側頭部に湿り気を感じた。手で触れるとそれは涙だった。あの日から修羅になると決めたのに、俺にはまだ、人の心が残っているんだ。
「なぁ、境野ちょっといいか?」
授業の間の休憩時間、高橋に話しかけられた。いつも昼や放課後一緒だがこの時間は珍しい。
「あ、あのさ……次の授業フケないか?別に難しい授業じゃないんだしよ……。」
サボりのお誘いだった。こんなこと初めてなので少し困惑しながら「どうして?」と聞き返す。
「ど、どうしてってその……ほら……あたし最近真面目に授業受けてるからさ……その……。」
高橋は目を逸らしてバツの悪そうな、何とも要領を得ない言い方で言葉を濁す。真面目なのはいい事ではないのか?
「あぁもう!良いから行こうぜ!なんだよ、あたしと一緒じゃ嫌だってのか!?」
手を掴んで、俺は無理やり引っ張られた。高橋の態度に、ここで本気で抵抗すると凄く気まずくなりそうだと思った俺は仕方なく、なすがままに高橋と一緒に学校を抜け出した。
「どこ行くんだよ、こんな時間、学生服姿で遊んでたら補導されるかもだし、少ししたら戻るぞ。」
「いいんだよ、それで。で、どこ行く?」
自分で誘っておいて行き先を決めてないのか……適当に公園に行くことにした。学校から近いし補導も中々されないだろう。そして今日は天気が良い。やることは一つなのだ。公園には子連れの親子がそれなりにいる。俺たちはそこから少し離れた場所の芝生があるところに移動し、寝転がる。
「することないし寝る。アラームは一時間後くらいで良いかな。」
「え、境野お前寝るのかよ……はぁ、まぁ良いか。」
だってすることないしノープランなんだから仕方ないじゃないか。そんなことを思ってると高橋も横に寝転がった。お前も寝るんじゃないか。
アラームが鳴り目を覚ます。高橋は既に起きていたようで、「おはようさん。」と声をかけられたので寝ぼけながら俺はあいさつを返した。学校は……丁度授業が終わる時間だ。俺たちはこっそりと学校へと戻った。クラスが騒がしい。何があったというのだろう。
聞いてみると定期試験の時期が発表されたそうだ。定期試験とは言葉の通り、学力試験である。必死に範囲を復習するものや、クラスの頭のいい奴にノートを借りようとするもの、その様子はこちらの世界でも変わらないのだなと思った。6班のみんなもそれは同じのようで珍しく俺と高橋を除く四人が集まっていた。
「さ、境野さんどこに行ってたんですか……た、高橋様も一緒なんですか……はぁ……友達のわたしを差し置いてまた……いいんです……わたし……面白くないですもんね……友達とテスト勉強……夢は夢のままなんですね……。」
一人帰ろうとする夢野を引き止める。そんなつもりはないと何度も説明するが、実際高橋と二人で抜け出したのは事実なので、何とも言い訳が難しい。
「そもそも高橋さん、最近は真面目に授業受けてたのに、どうして急にまた授業さぼったんだ?」
磯上は当然の疑問を投げかける。それは俺も気になっているのだが理由を教えてくれない。
「ふ、ふん!ど、どうせ最近の素行が良いから今回のクラス替えで自分が6班から別の班に移るかもしれないって考えたんでしょ……!だからわざと校則違反をしたのよ……!別の班に行ったら境野と話す機会も減るでしょうからね……!」
「は、はぁぁぁ!?ち、ち、違うし!!勝手なこと言ってんじゃねーよ、この妄想癖のヒス女!!!」
高橋は顔を真っ赤にして、次々と推理と言う名の妄想を口走るコトネの口を塞ぐ。まぁコトネが妄想癖なのは俺は痛いほど知ってるし、何なら未だに体操服を渡してくるから困ってる。いつか他人にバレると思うのだが、その時の言い訳をどうしようか、本気で悩みの種なのだ。
「ま、まぁそういうことだから2班の人たちと一緒にテスト勉強をしようという話になったのよ。」
断る理由はなかった。ただ磯上は相変わらず実家の手伝いが、剣と陽炎は普通に拒否し、有栖川と栗栖も今日は忙しいからということで欠席するそうだ。二階堂は特にこの勉強会には乗り気で今から教科書の準備をしている。勉強会は市立図書館でやるようだ。学校の図書室と違い比較的静かで、個室利用もできるので勉強に向いているとか。
市立図書館は平日の昼間ということもあって空いていたらしい。個室の予約は四人以上からということもあって簡単に出来た。自習室を見るとそこにはそれなりに人がいる。これでも空いている方で、土曜日とかは大体朝から満室で座れないらしい。
早速、俺たちは個室で教科書を開き、二階堂先生に色々と教えてもらいながら勉強会を始めた。俺は既にこれを習っていたはずなんだが……高校の授業はレベルが高い……ほとんど忘れているのが残念な限りだ。
図書館は飲食禁止なのだが、個室に限りパンやスナック菓子などの軽食に限り許される。俺は喉が渇いたので席を立ち自販機へと向かった。自販機のメニューを眺め……パッチがあったので硬貨を入れてボタンを押す。ここはセンスのいい館長がいるんだなと安心した。
「おや、同志。」
聞いた声がした。そこにはシンカが立っていた。俺は思わず身構える。
「そう、構えなくても良いでござるぞ。同志は元々敵ではない。拙者の邪魔をするなら斬らざるをえぬが……今は何もないでござる。お、それはパッチでござるな!いやぁここの自販機にもあるとは僥倖でござるぞ!」
嬉しそうにシンカは自販機の前に立ちパッチのボタンを押した。ガコンと音がしてドリンクが取り出し口に落とされた。シンカはそれを嬉々と受け取り蓋を開けて飲む。
「シンカはまだ人を殺し続けるのか?」
「殺すのは人ではござらん、亡霊でござる。だがその過程で犠牲が出るのは……拙者承知の上。修羅となった今、人殺しの罵りは甘んじて受け入れるでござるぞ。」
俺の質問にシンカは真剣な顔つきで答えた。シンカもまた亡霊に何か強い思い入れがあるようだった。
「安心しろ。貴様たちはもう殺す。地獄で存分に後悔をするといい。」
突然の声に俺とシンカは振り向く。そこには銀髪の男が立っていた。男は黙って背中を向ける。
「名乗ろう。俺の名は
その背中は服越しに鈍く輝いていた。恩恵の刻印……即ち亡霊の証である。そして世界は一変した。図書館だった居場所はなくなり、まったく別の空間が誕生したのだ。この感覚を俺は知っている。かつてナイ神父が作り上げた空間。
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