幽玄の黒き薔薇、胡蝶の夢

 流星群が止んだ。夜空は元の静寂を取り戻し、一面の星空と月明かりと大地を照らしていた。無限谷はその様子を見て安堵する。あの二人がやり遂げたのだと。B組のサブベースはもう無茶苦茶だ。恐らく今がメインベースを攻める最大の好機だろう。態勢を整えられる前に攻めなくては、無限谷はそう考え、境野たちとの合流をやめてB組のメインベースへと向かうことにした。だが突然一面が黒い薔薇に包まれる。薔薇の匂いが一面に包まれると、無限谷は事態を把握し即座に口元を手で覆った。この能力には覚えがあるのだ。

 「あの時のように防衛に専念すると思ったんだけど、今回は積極的なんだね。」

 黒薔薇幽子、B組1班である彼女が目の前に立っていた。その能力は黒薔薇の幻影と幻臭により見せる精神干渉。マトモな人間であるならば彼女の前にひれ伏すしか無い。

 「相変わらず、そのクソ下品なアタッチメントで私の前に現れるつもりでしたのね、今回こそは確実に殺してさしあげますわ。」

 一年前、彼女は無限谷の能力を知らなかった。故に完全な不意打ちだったのだ。突然全裸の男が現れ、自分たちの仲間を蹂躙し、メインベースを無茶苦茶にする様を。更に幽子はタイミングも悪かったのだ。あの時は無限谷の相棒である光田による光が上手くコントロールできてなくて、自分の至近距離で無限谷の逸物が……。それ以来、脳裏に焼き付く下劣な記憶。それを払拭するためだけに幽子は己を磨いてきたのだ。

 「悪いけど、今回は幽子ちゃんに付き合えないっしょ、レニーたちが作った機会を無駄にしたくないからね!」

 無限谷は幽子に向けて手を向けた。そして手以外の全てが爆発する。手は爆発を推進とし幽子へと飛んでいった。ロケットパンチ、無限谷の基本的な遠距離攻撃手段である。だがパンチは幽子の身体をすり抜け、虚空へと飛んでいった。既に幽子の攻撃は始まっていたのだ。黒薔薇の匂いによる幻覚効果、既に幽子の位置は正確に捉えられない、普通の人間だったらの話だが。

 無限谷のアタッチメントは自爆した瞬間身体の再生が始まり元の状態へと戻る。それは即ちあらゆるダメージからの回復を意味し、当然幻臭による精神干渉も正常化するのだ。宙を飛ぶ無限谷は幽子の位置を把握する。そして次は確実に倒すつもりで、至近距離で全身を自爆させた。無限谷の全細胞を爆発させる無限谷のもつ最高火力。それは周囲一帯に小型ミサイルを落としたような衝撃が入り、辺り一帯を吹き飛ばすのだ。そして恐るべきは、その気になればその場で再生した瞬間に更に自爆、これを繰り返し相手が倒れるまで無限に爆発し続けることも可能なのだ。

 幽子にはこの攻撃を回避する手段はない、それが無限谷の見立てだった。幽子の正面に立ち自爆を……しようと思ったのに何故か出来ない。そして無限谷は幽子に組み伏せられ押し倒される。

 「貴方の敗因は私を一年前のか弱い少女と同じと侮ったことですわ。アタッチメントのレベルは上がり能力は拡大していくもの、お気づきになって?貴方の能力は既に私の精神干渉により無効化されていたことに。そして、私の能力ではカバーできない憎い相手への攻撃方法については、こうして直接倒してしまえば問題なくてよ。」

 黒薔薇は幻覚、だが幻臭は更に前から展開されていたのだ。つまり無限谷はずっと黒薔薇による精神干渉を受け続け、既に能力を展開できないほどに精神を幽子に支配されていたのだ。本人にも自覚がないまま。故に抵抗しようにも出来ない。幽子は体格的に筋力がある方ではない。それでもこうして平均男子よりも遥かに鍛え抜かれた無限谷を押し倒せるのは、ひとえに精神干渉によるものなのだ。

 「えっと……見逃してもらえるなんてのはできない?」

 流石に無限谷もこの状態を挽回するのは難しかった。戦う前から既に術中にハマっている状態。どうしようもない。馬乗りにされた状態で無限谷は幽子に何度も殴られる。無限谷は自爆しても学章だけは残すようにヘアピンを付けてそれに学章を付けていた。つまり学章を破れば勝てるというのに、これまでの鬱憤を晴らすかのように。

 もっともその力は普通の少女によるものなので、無限谷にはさほどダメージもなく、本当に幽子の精神的快楽、ただそれだけのためだった。そう今、幽子は一年前敵わないどころかとんでもないセクハラをされた男を自分の自由に、生殺与奪権を掴んだ状態で好き放題にしている。そんな状況に興奮し、B組としての目的も対抗戦の意義も何もかも忘れ、ただ現状の快楽に身を委ねていた。

 

 だから気が付かなかったのだ、無限谷を助けに来た男が全力でこちらに向けて走ってきているのを。


 「うぉぉぉぉぉぉ!!無限谷!!!今助けるぞ!!!!」

 陽炎は幽子にドロップキックを決めた。突然の乱入に何も出来ず、幽子は数十メートルは吹き飛び転がる。

 「ジョー!!お前、おせぇぞ!なにしてたんよ!!」

 男の名は陽炎譲、無限谷と同じ2班。全学年の女子から疎まれている、汗臭い熱血漢であった。

 「なにしやがりますの!!?突然私たちの花園にやってきて!!ぶっ殺しますわよ!!!?」

 怒り狂った幽子は陽炎を睨みつけ即座に黒薔薇を展開した。既に術中にかかっていた無限谷に向けたものの比ではない。それは花園というより黒薔薇の山であった。薔薇の香りが、暴力的なまでに空間を埋め尽くす。無限谷は完全に動けなくなる。ただでさえ術中にかかっていたのに、ここまで濃厚な匂いを嗅がされては何も出来ない。

 「ジョー……そいつの能力は精神干渉だ……この匂いはやばい……。」

 最早、喋るのも困難な状況で、陽炎に能力を必死に伝えた。

 「なるほど!だから先程から薔薇を掴めないのだな!これは実物ではない!幻覚幻臭、それが女の能力の正体というわけか!!」

 「わかったからどうだって言うのかしら?私の能力は無限谷だから破れたの。貴方みたいな筋肉バカ何て格好のカモでしてよ?」

 ゆっくりと幽子は陽炎へと近づいていった。手にはより高濃度な黒薔薇の幻影、直接手に触れることでその作用は更に高まる。そんなことをするまでもなく、普通の人間ならばこの環境ではろくに動けないのだが、念押しである。だが幽子が陽炎に近づく前に、陽炎は動いた。それはまるで獣のように、鋭く、それでいて正確に。幽子に対してタックルを決めた。

 「ガッ!!な、なんで……!」

 「つかんだぞ!なるほど本体は確かに幻覚で違う位置にいるのだな!だが問題ない!俺の鍛え抜かれた筋肉は!五感を超越する!!!」

 そのまま幽子に対してジャーマンスープレックスをかました。鈍い地響きが聞こえる。女といえ容赦はない。それが陽炎であり、女子に嫌われている理由でもある。

 「む、握力が若干落ちているな……折角掴んだというのに外されてしまった……。」

 幽子は手に展開していた高濃度の幻臭を直接陽炎に当てて、手の力が緩んだ隙に陽炎から距離をとった。

 

 何なんですの、この男は……とっくに匂いは限界値のはず、精神干渉は既に支配の段階……なのに何故こうも平気で私の前に立っているのだ。幽子は戦慄する。初めて目にするタイプの相手に。

 「命令しますわ!今すぐその場に跪きなさい!!」

 幽子のその声に陽炎は身体をピクリと反応させる。精神支配を受けているのだ。今のは恐らく偶然、二度目はない。だがこのむさ苦しい男が次に何をするか分からない。だというのに、陽炎は身体をぷるぷると震えさせている。

 「駄目だ!その命令は筋肉が泣いている!!」

 そしてまるで拘束を振り払うように身体を翻した。筋肉が泣いている……?何を言っているのだろうか。

 「そんなこと知りませんわ!早く跪きなさい!」

 「その命令は俺の筋肉にそぐわないので却下する!事前に相談してもらい許可を得てからにしてもらおうか!!いいか女!!健全な筋肉にこそ健全な精神が宿ると言うだろう!即ち筋肉とは心なのだ!!お前がいくら精神を干渉しても、人の心までは変えられまい!!従って俺の筋肉は変わらないのだ!!!!!」

 確信した。この男は正気ではない。正気ではないものに精神干渉するなど、無意味なのだ。狂人に干渉する精神なんてものはない。即ち、自分の能力における最大の天敵、この男は狂いながら私の前に立ち戦うのだ。

 幽子の理解の範疇を超えた、その男陽炎は肩をぐるぐると振り回している。一体何をしようとしているのか。

 「無限谷!もうお前がどこにいるか分からないが!お前は丈夫だから大丈夫だよな!」

 「───なにを。」

 陽炎は振りかぶって地面を殴りつけた。瞬間、地面全てが吹き飛んだ。大地は揺れ、地割れが起き、地下の岩盤も破壊されたのか地面は隆起し岩盤が飛び出る。衝撃音に遅れてザザザという音が聞こえる。遠く離れた森の木々が陽炎の放った拳の衝撃波で揺れて、まるで暴風を受けたかのように揺れたのだ。近くにいた幽子はその衝撃をもろに受けて吹き飛んだ。衝撃波だけではない、飛び散る土砂、岩石……それら全てが直撃、学章が無ければ確実に死んでいた。当然学章は効力を失い破れ失格の合図となる。

 そしてそこには天変地異が起きたかのような大災害の跡地と、倒れた幽子と無限谷、その中心に佇む陽炎の姿だけが残った。

 「や、やりすぎだろジョー……し、死ぬかと思ったぞ……。」

 「安心しろ!お前は殺しても死なないだろ無限谷!」

 陽炎は瓦礫の中から這いずり出た無限谷の手をとり起こした。そして二人は目指す。B組のメインベースへと。C組の勝利のために。

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