崩れ去る聖域、忍び寄るもの

 「お兄ちゃん、おかえり。遅かったね。」

 自宅に帰るとサキが出迎えてくれた。カラオケ店のことを思い出す。

 「お前……そんなわけねぇだろ。」

 高橋は言った。妹のことを知らないなんてのはありえないと。悪ふざけで言うにも限度がないかと。

 「あ、あ、ありえるわ!あいつのやることだから存在しない妹をでっちあげることも……!きっと境野の母親は洗脳されたのよ!!」

 そして伊集院は取り乱す。それから話はまとまらず、結局解散することになった。妹の屈託の無い笑顔を見る。これが全てうそ……?きっと俺も母親のように、サキが家族であると思っていたのなら、何も感じなかっただろう。だが今の俺はその笑顔すら、何かを秘めているものに見えてしまう。

 「そうだ、お兄ちゃん……今日はお母さんは家に帰らないんだって。」

 リビングのソファに座る俺にキッチンで何かをしているサキは話しかける。母さんが帰らない……?そんなことは聞いていないが。スマホを見る。メッセージはない。

 「なんで?」

 俺は問いかけた、するとサキはわかんない、と返事をするだけだった。沈黙が続く。俺はいたたまれなくなってテレビを付けた。この時間はつまらないニュースしかないが、時計の針と、サキが何かを切り刻んでいる包丁の音だけが支配するこの空間に耐えられなかった。ちょうどローカルニュースをしている。

 「緊急ニュースです。本日、○○町で女性の死体が発見されました。死体は無残に切り刻まれており、遺体の一部は見つからない───。」

 「そんなつまらないニュース見るのやめなよ。」

 気づくとサキはリモコンを握ってテレビを切っていた。○○町ってこの町じゃないか。俺はスマホを取り出そうとするとサキに腕をつかまれた。

 「お兄ちゃん、こんなかわいい妹がいるのに、テレビを見たり、スマホをいじろうとしたり……失礼じゃない?」

 サキの表情が分からない。距離が近い。俺を押し倒すような形でサキはソファに座る俺に詰め寄ってきた。サキの吐息が顔にかかる。背中がヒヤリとした。

 「ねぇお兄ちゃん、今日は放課後、何をしてたの?」

 顔が近い。サキの透き通るような目が俺の目を見る。まるで万華鏡のように俺の目がサキの目に映り、俺の目にはサキの目が映る。

 「な、なにって……そんなことお前には関係なくないか……。」

 「当ててあげようか?」

 幼さが残るサキの顔が悪戯っぽく微笑み、妖艶さを感じさせた。当てる?今日の放課後、伊集院と話をしたことか、それとも伊集院と戦ったことか。いや、あの場には確かにあの場には誰もいなかった、誰も見えなかった聞こえなかった。知るはずがない。伊集院の言葉を思い出す。『存在しない妹』馬鹿らしい妄想だが、事実俺の目の前にいる。どう説明つければ良いのか分からない存在が目の前に。いや……本当は分かっているはずだ。説明なんてもう、とっくについていたことに。

 「あの女の人とデートしてたんでしょう!もう、わたしずっと探してたんだよ?結局一人で帰ったんだから。」

 「……は。」

 サキはそう言って立ち上がりキッチンへと戻っていった。未だにサキの熱を感じる。心臓がバクバクと脈打っている。俺は……何を考えていたんだ?伊集院に影響されすぎだ。確かにサキのことはほとんど知らない。だが一週間同じ屋根の下で過ごしていたじゃないか。その中でサキに悪意を感じただろうか、いや好意こそはあれど悪意なんてものはない。なにかの間違いだ。俺は親愛なる家族を疑ってしまったことに深く恥じ入った。

 サキの作った夕食を一緒に食べる。何度もテレビをつけようとしたが止められた。テレビなんかよりも私と話をしてよと不貞腐れながら。俺はサキと学校について色々と話をした。同級生のこと、生活のこと、今までのこと……。サキと初めて家族らしい話をした気がする。思えば今まで兄らしいことをしていなかったなと、そう思った。

 自室に戻り復習と予習をする。よく分からないところが出てきた。スマホで調べごとをするか……。そう思いポケットからスマホを取り出す。スマホはズタズタに傷だらけになっていた。

 「は?」

 俺は唖然とする。スマホが動かない。何でだ?電源を入れてもホーム画面に映らない、液晶が完全に壊れている。突然電話の音が鳴った。一階の卓上電話機からだ。そういえば昔は固定回線電話を引いていたなと思いながら電話機に向かい、コードレスの受話器をとる。

 「あぁ良かった。こっちだと通じるのね。」

 電話なので一瞬誰だか分からなかったがこの声はユーシーだ。

 「突然何の用?というか何で電話番号知ってるの。」

 「仁の記録にあなたの自宅の電話番号があったのよ、それよりどうしてスマホに……いえまぁそれはいいわ。ちょっと気になることがあって。窓に無数の手が張り付いていたことってないかしら?」

 背筋が凍る。何故今更そんな話を?何故ユーシーはそれを知っているのだ。俺は沈黙する。そしてそれを肯定と受け止めたのかユーシーは話を続けた。

 「あぁごめんなさい、怖がらせるつもりはなかったの。ただの確認。その"てがた"があったってことは安心して良いわ。仁の結界は機能しているのね。」

 「仁さんの結界って……?」

 「この間、教えたでしょう。仁の名刺に術がかけられているって。あいつの死後もそれが機能してるか確認したかったの。だってあなた……いえなんでも無いわ。」

 ユーシーの話には要領を得ない。そういえば仁は記録に残らないように大事なことは口頭で話していたと言っていた。これは固定回線の電話だ。例えば俺と仁の関係や亡霊について、電話で話すと亡霊に悟られる危険性がある。ユーシーはそれを懸念しているのだ。

 「それじゃあ切るわね。ところであなたのお家、もう少し静かにしたら良いんじゃない?近所に怒られても知らないわよ。」

 電話が切れた。静かに?何を言っているんだ。俺の家はずっと静かじゃないか。俺は受話器を電話機に置いた。静寂が自宅を支配する。何故か俺は気味が悪くなりテレビをつけようとする。

 『ピンポーン』

 突然インターホンが鳴った。俺は玄関へ向かう。こんな時間に誰だろうか。玄関を開けると、そこには息を切らせ、くたびれたスーツを着た中年がいた。

 「はぁ……めんどうくせぇ……なんでこんな子守をしないといかないんだ……。」

 中年はため息をついて家の中に上がり込んだ。

 「ちょ、ちょっとあんた誰だよ!勝手に家に入り込んで何のつもりだ!」

 俺の言葉を無視して男は二階の俺の部屋へとあがりこんだ。

 「ほら、見つけた。お前ちょっとは身辺気をつけたほうが良いぞ。」

 男は俺のベッドに手を突っ込んで何かを見つけ、それを俺に手渡した。何だこれ。

 「あとは……はぁ、うちの大将はどこでこんなの知ったんだかねぇ。」

 棚に手を突っ込み同じように何かを見つけて俺に手渡す。また分からないものだ。

 「いっとくが、それ警察に回しても無駄だぞ。まぁしたけりゃ勝手にすればいいけど。それじゃあな。」

 男は手を振って部屋から出ていき階段を下りる。

 「ちょ、ちょっと!なんなんだあんた!勝手に部屋を漁って!これは何なんだよ!!」

 「それ、盗聴器と盗撮器な。ほらこれ。」

 面倒くさそうに頭をかいてこちらに振り向き答えた。レシーバーのようなものを見せてツマミを回す。すると声が聞こえた。ここで話している声だ。

 「勘違いすんなよ、そいつは発信機だ。んで受信は周波数さえ分かれば誰でも聞ける。マジだって、そんな疑う顔すんなよ。何ならこれもやるぞ?俺の私物だから五千円でな。」

 そう言うと男は玄関から出ていった。

 「待てよ!あんた誰だ、誰に頼まれてこんなこと。」

 ユーシーが脳裏によぎった。アウトローな人物といえばまず彼女がよぎる。

 「匿名希望だとさ、そして俺も匿名希望。あーでも伝言があったわ。『これで借りは返したよ、俺の友人。』だとさ。匿名に感謝しろよー?」

 借りとは何だ、友人とは誰だ、まだ聞きたいことがあるが、男はもうこれ以上は話すつもりはないらしく、俺の声を無視して立ち去っていった。俺の手元には盗聴器と盗撮器が残る。一体どういうことなのだ。

 「お兄ちゃん、さっきの人だれ?」

 サキがパジャマ姿で様子を窺いに来た。見知らぬ男が突然来たのだ。ずっと部屋に閉じこもっていたのだろう。

 「分からない、匿名希望だって。」

 怯えるサキをなだめながら俺は盗聴器と盗撮器を破壊した。こんなものがあると知ったらサキも不安がるだろうから。

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