中編『ボク』
ボクは肉体的には女性であるけれど、しかし外見では男性を装っている。キミを騙していたようにね。
男装の理由を話しても構わないが些細な事だ。面白くもない、カビの生えた家訓、しきたりだと思ってくれたまえ。
幼少期のボクは男の格好をする、それが当然の事だと思っていた。疑いもしなかった。
ひたすらに能力を研ぎ澄まし、磨き上げることこそが一番大事。
そんなボクにとっては同年代の子供など実に知能の低いサルに等しいと見下してさえいた。
ボクが会話するのは常に教えを受ける教師。一日の終わりに習得した知識や技術を試すかのような父母との会話。
食事を楽しいと思った事もない。物語で、知識でしか家族の団欒を知らなかった。
ものを食べるという事は、車にガソリンを入れて動くようにするのと同じレベルのことという認識だ。食事をする際に会話をする意味が見出せなかった。食べるのに専念すれば効率がいいのに、と思っていたよ。
で……ボクはもう立派なコミュ障になっていた。
虐めを受ける事はあった。
しかし生憎と、幼少期から様々な事を学んでいたボクにとっては、体術も習い事の一つ。
大人になるに連れて違いの出る、男女の根源的な骨格差も子供の頃ではそう差はない。虐めを受けようとも実力で排除する事が可能だった。
実力で排除できない相手のならば、無視されることとなる。
頭脳明晰、容姿端麗。その振る舞いは孤高を好む美少年……そう、キミの良く知るボクはその頃形作られた。
寂しいとは思わなかったよ。
一度も食べた事のない食べ物の味を想像することができないのと同じように。
一度も友人を持ったこともないボクには、孤独の辛さや苦しさというものを真の意味で理解する事ができなかったんだ。
キミに対する印象は……黙秘する。……いや、わかった。言う、言うとも。
怒らないで聞いてくれ給え。
『うわぁ……なんて面倒くさい奴なんだろう』だ。ほら、傷ついたような顔をしないでくれ、ボクも……キミの悲しそうな顔を見るのは、辛い。
キミは執拗だった。やたらと話しかけてきたよね?
『なんだコイツ、ボクの事が好きなのか?』といぶかしむぐらいに熱心だったよ。
そうして、ボクを引っ張っていって無理やり他の同級生と会話させたりして。
ボクも恐る恐るではあったけど、人と会話する時はいつも緊張していたけど、誰かと話す事の楽しさを知っていった。
いつの頃だったかな。いつものように、キミはボクに話しかけてくれて。
そういえば、ボクはキミに話しかけられた最初の頃に。
『なんだコイツ、ボクの事が好きなのか?』とそう考えていた時期の事を思い出して……ああ、うん。
それが意識をするきっかけだったよ。
不自然なまでに心拍数が増大し、異常な体温の上昇と一つの事に対する思考の占拠。
そうと気づくと、始終キミの事ばかり考えていた。
そんなボクの気持ちを知ってか知らずか、キミはとてもひどいことをしたね?
とぼけなくてもいい、ボクも見知っている。
そうだ。キミが男性の友人Kくん(暑苦しいマッチョ体型だが魂がイケメン)の顔を札束で叩いたあの事件だ。
カビの生えた家訓ではあるけど、学業が成就されれば普通に性別を明かすことも認められている。
だけれども……そうだ、思い出すとなんだか腹が立ってきたぞ? キミは友人の顔を札束で叩いて同性を抱き締める薔薇の人だったのだから。
ボクは胸の中がくしゃくしゃした気持ちになった。
なんだか訳も変わらずあたり構わず怒鳴り散らしたくなった。
そうだ……その辺の頃からなんだか急におっぱいが大きくなった気がする。
キミが同性愛者であるのは……これはもう、仕方ないと思った。
そういう愛の形もあるだろう。
キミがボクの事を男と勘違いしてくれるなら……幼い頃から続けていた男装を止めるわけにはいかなかった。
嫌われるのがいやだ、キミの傍から離れたくない。
それなのに、男の装いを続けないといけなかったのに、その頃から二次性徴がやたら張り切って仕事をし始めた。
おっぱいが大きくなりはじめたんだ。
キミに嫌われるのは辛い。だからこの異性装の秘密を隠し通さなければならない。
そんな思いとは裏腹にボクのおっぱいは同年代の平均値を大きく上回って大きくなりだした。
まるでボク自身の肉体それ自体に裏切られたような気持ちだった。
……いや、逆かも知れないな。ボクは本当は女の子だと知られたい、そんな本心を裏切り続けていたのは自分自身の理性であり、肉体は心の中で鍵を閉めた本心に忠実であり続けたのかもしれない。
おかげでおっぱいが重くて肩が凝る。
キミのせいだ。
もみたまえ。
……違う! 胸じゃない! 肩だ!! にじり寄るな! 残念そうな顔をするな! 揉むのは後にしろ!
…………………………な、なんだその顔は。
……サラシを巻かないと。
もっと強く。
きつく。
そうしないと……キミとの関係が終わってしまう。
そう思っていたのに……キミが極秘裏に転校の手続きを進めていると知った時のボクの気持ちが想像できるかい?
サラシを巻いて、異性装をして。同性のフリをしてまでキミと仲良くなりたいと思っていたのに。
いい加減サラシを巻き続けるのも難しくなり続けていたのに……キミは遠く離れるという。
ふざけるな。なんだそれは。
……キミと出会う前のボクは、孤独を苦痛と感じたことはなかった。
周りの人間全てに一歩引いた振る舞いをして、内心では一段見下していた相手と仲良くする価値なんかないと思っていた。
あの頃のボクなら、キミがどこか遠いところに行こうとも『あ、そう』と一言で済ませただろう。
キミのせいだ。
孤独がいやだ。キミと離れ離れになるのは想像するだけでも辛い。
こんな気持ちにさせたのはキミのせいだ。
ボクに話しかけて、仲良くして、友達を作らせて――力づくに等しい強引なやり方でボクの心をかき乱しておいて……。
ボクを変えた本人自身が、何も言わずにどこか遠いところに行く?
『……どういう事だい?』
ボクはあの時、怒りと共にキミに尋ねた。
ふざけるな、と思ったよ。
許さない、と思ったよ。
だけれどもキミの返事はとてもひどいものだった。刃で斬られたって……あんなに傷つくことはなんだろう。
『君に関係ないだろう』
そうだよ……。
ボクはキミのただの友達だ……。
そうか、ボクはキミにとってはただの友達でしかなかったんだ。そう思った時の、ボクの落胆がどれほど大きかったのかキミに分かるかい?
ただの友人であっても、転校するとなれば相談ぐらいしてくれるだろう。ボクはキミにとっては、そんな相談をするにも値しない程度の存在だったのかい?
寂しくて、悲しくて……そっぽを向いて走り去るキミを追いかけることなんて……その時のボクにはできなかったんだ。
……できなかったんだ。
追いかけて。
捕まえて。
話をして。
キミと離れ離れになるのはいやだ、としがみついてみっともなく泣き喚いていたら、もうちょっとは変わっていたかも知れないけど。
それをして、余計に嫌われる事を考えたら足が竦んでしまったんだ。
もうこれで……キミとのご縁は……終わりだと、そう思っていたんだ。
ただまぁ……こんな風に大逆転の芽があるなんて――あのメールを受けた時は想像もできなかったけど。
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