黒髪少女の初恋物語2
「……」
自分と同い年の少女が、これまた同い年の少年の胸倉を軽々掴み上げ恫喝するという混沌極まった光景を、巳輪さんはさらに怯えた様子で眺めていた。
「……うっ。———はぁ」
先に折れたのは聖であった。
デリカシー無しの無神経な奴であったが、流石に同年代の少女からの視線は答えた様子で。
耐えかねた聖が、和希の胸倉から手を離す。
「あーあ、襟ぐちゃぐちゃになっちゃったねーか」
和希は聖に悪態を吐きながら、乱れた襟を手早く直す。
「あ、あの」
「「ん?」」
瞬間今しかないといった様子で、巳輪さんがカバンから一冊の雑誌を取り出した。
カラフルな色合いに、今時のファッション(今時のファッションというモノ自体を知らないため勝手にそう判断している)の服装を着こなした同年代の少女が表紙の雑誌。
そこにはでかでかと『週刊条穂供レディース』と書かれていた。
「お、おぅ」
思わず口から情けない声が漏れた。
本から溢れ出る、圧倒的『陽』のオーラに条件反射的に眼を細め、体を強張らせる。
(間違いない…。これが噂に聞くリア充御用達のファッション誌、とかいうやつ、か…)
いつも見ている古ぼけた
「うわっ、眩っ…」
隣では『なんちゃってリア充』の聖も、和希と似たような反応をしていた。
いくら外見を取り繕っても、結局はお前もこちら側なんだよ…。
和希は強がりな隣人を一瞥し、溜息を吐く。
「あのぅ、それで依頼なんですが…」
「…ああ、気にしないで。続けてくれて大丈夫だよ」
「は、はい、あの、それでですね」
そう言うと巳輪さんは慣れた手つきで雑誌のページをめくる。
己の記憶をなぞるように、流れるような動作で、粛々と紙片に指を走らせる。
和希達はその光景を黙って、見ていた。
部室内には彼女がページをめくる音だけが流れ———。
「……」
(———凄いな)
そして和希はその光景に対し、素直に感嘆した。
彼女が行っているのは、ただ雑誌のページをめくるという単純な動作。
だがそれだけで分かる。
彼女の『技量』の高さ。
今も彼女は眼の前でページをめくる。
一切の無駄が削除され、限界まで効率化された淀みのない手つきで。
その白く透き通った天女のような手と相まった動作。
それは、和希の眼に一種の生き物のように見えた。
優雅に洗練された動作は和希の意識の内側に容易に滑り込み、神経を直接的に愛撫するような不気味な快感を与える。
耳元で子守唄を聞かせられるような心地よさ。
そして時折行動の端々から感じる『鋭さ』。
(……まるでぇ、……蛇みたいだなぁ)
女性を例えるにしては少々無遠慮で、失礼かもしれない形容詞。
だが彼女を表すのにこれ以上無い位に、その『蛇』という言葉はしっくりきた。
『雑誌をめくる』という動作。
それを見せられただけで和希は彼女への警戒レベルを一段階強制的に下げさせられる。
時間の流れがゆっくりと、しかし確実に引き延ばされる感覚。
まるでサウナの中に入っている時の様に、和希の思考は謎の熱によって散乱し。
「———ヒュウ」
瞬間、耳朶を揺らす風切り音。
それが自分の呼吸音であることに気付くのに、和希はコンマ七秒の時間を要した。
(……え?)
そして自分の呼吸音にすら気付けなかった自分に戦慄した。
既に靄がかかっていたように、燻っていた思考はクリアに変わっていた。
代わりに額を冷汗が伝う。
眼鏡を押し上げ、左手の親指と人差し指で目頭を押さえる。
それだけでモノクロで霞んでいた視界に色が戻る。
(【
即座に和希は現状の『
少年は無意識の内に【
過去に仕込んでおいた、《精神汚染》関係からの防衛術。
それは仏教等における《瞑想》の応用技とでも言うのだろう。
まあ、半分以上原型は消えていたが。
本来の心を静めて無心になること、何も考えずリラックスすること。
心を静めて神に祈ったり何かに集中させること。
眼を閉じて深く静かに思いを巡らす
その中で和希が求めたのは一瞬の『思考の空白』。
所謂、『無の境地』を一時的、且つ瞬間的に再現すること。
結果出来上がったのが先程の風切り音の正体である『正しい呼吸法』による思考のリセット。
後は一定以上の《精神汚染》に
和希は未だ黙々とページをめくる巳輪の姿を確認すると、隣で大口を開けて呆けている(術中)の
「痛ッ! ん? は?」
「起きたか?」
「え? へ?」
「はぁ、……
「…ぶ、部活棟、だけど」
「はい、そうです。ここは部活棟です」
聖が正気に戻ったのを確認し、俺は眼前の黒髪少女に視線を戻す。
「あれぇ、おかしいな。ど、どこだっけ?」
巳輪は俺の視線に気づいてない様子で、雑誌のページを行ったり来たりを繰り返していた。
少々焦っているようには見えるが、他におかしい所は無い。俺達に【魅了】を掛けて何かしようとしている様子は無かったし、そこに嘘は見受けられなかった。
(えぇ、まさか【
和希の頬が無意識に引き攣る。
それ程までにこの事実は、和希の《術師》としての自信にくるものであった。
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