第10話 幼心が生み出した幻想

 深窓の令嬢とでも呼ぶべきような女が、ありふれた外観のマンションの前に、彫像のごとく佇んでいた。


 真っ白なつばの広い帽子と同色のサマードレス。余計な装飾を取り除いた装いは、素の美しさをより際立たせている。


 マンションのエントランスから出て来たゴシックロリータの幼女を見るなり、令嬢は皮肉げに口元を歪めた。


「何の変哲もないマンションに、天下の【世界最終】様がわざわざ訪れるだなんて、いったい中には何があるのだろうね」


「いらぬ詮索は命を縮めることになってよ? ノアお兄様――いいえ、今はノアお姉様かしら」


「どちらだって構いやしない。僕自身でさえよく分からないことを、とやかく言うつもりはないよ」


 小さな歩幅で道を進むカレンの隣に、女性体へと変じているノアが並んだ。


「けれど、正直なところまだ死にたくはないかな。アリア君に燃やされても仕方のない身の上とはいえ、この命は少しでも有意義に使わせてもらいたいものだ」


「そう、殊勝な心掛けね」


 独特の棘を含ませながら、基本的には和やかな二人のやり取りに割って入るかのごとく。


 人間のようでいて、どこか歪な存在が――ノアとカレンを切り刻もうと歩道の中央で双剣と共に踊った。


 その舞の完成を阻んだのは、カレンの大鎌である。


「さようなら、不快害虫」


 ズルリ、と。人型のカースの首へと大鎌の刃が滑り込む。


 カースは人に災厄をもたらす存在。


 その生命力、戦闘力は卓越したものがあれど、決して不死ではなかった。


 首と胴を断たれるという大きなダメージを受けたことで形を保てなくなった人型は、生命エネルギーたる瘴気を霧散させ、完全消滅した。


「……ふぅ」


 一仕事終えてスッキリしたと言わんばかりの、達成感に満ち溢れた面持ち。


 そんなカレンの傍らで事の推移を見守っていたノアは、別なる方向へと目線を向けた。


 現在、街を歩くノアとカレンは魔力で形作られた認識阻害の結界に包まれており、彼らの側に現れたカースも結界の効果からは逃れられない。


 一般からの目撃者が出る可能性は低いものの、カレンが戦闘を行ったことによる悪影響は、たとえ認識されてはおらずとも起こり得るのだ。


 いつも通り護衛がロザンナであれば、カレンは己の力を九割程度封じることで、周囲への悪影響を完璧に制御し、抑え込むことが出来た。


 しかし九割もの力を抑えるということは、本当の意味でただのか弱い幼女となり果てる。


 そして傍らにいるのがロザンナではなく、彼女より戦闘能力の低いノアである以上、世界をうっかり崩壊させないギリギリのライン――六割の封印に留めていた。


 程度が小さいとはいえど、たまたま居合わせた一般人が、皆一斉に体調不良を起こすくらいの悪影響は、それゆえに起こってしまう。


「――後始末といこうじゃないか」


 汎用性の高い魔力を操る【魔女】は、装飾銃を群衆へ向けた。


 人を癒やす魔力が散布され、貧血のような症状を起こしていた人間達は、元の健康的な肉体を取り戻す。


カースのみならず【世界最終】や赤薔薇商会に恨みを持つ夜の狩人ハンターさえもぞろぞろと。流石は女帝。人望が厚いようで何よりさ」


「褒め言葉として受け取っておくわ」


 二人が赤薔薇商会の本部を出てから、人及びカースを含め、通算七度目の襲撃であった。


「欲を言えば、私はロザンナお姉様の代わりを他ならぬノアお兄様に本日務めて欲しかったのだけれど。後始末ではなく」


「えぇ? 女帝の護衛なんて無理だよ、無理無理」


「それでも、昔はもう少し出来ていたでしょう?」


「……」


 二人は長い付き合いだ。


 だからこそ、互いの言葉に含まれる遠慮は極端に少ない。


カースとの戦いで傷付いた夜の狩人ハンターを癒やし、強化する【聖女】。あるいは仇を討つべく数多の夜の狩人ハンターを屠った【魔女】にして【雌狐】。


 ピクリ、と。ノアの眉が動いたのは、図星であった証拠。


「【世界最終】がかろうじて均衡を保たせている狂った世界の中、その体たらくで愛しい者を守り通せるとお思いかしら」


「随分と、知ったような口を聞いてくれる」


「知っているわよ。古くからの友人の弟であれば、親戚の子どものようなものだもの」


 されど表に出る変化をそれだけに留めたのは、貴種たる彼――または彼女のプライドゆえのことか。


「今のノアお兄様はかつてと比較して腕が鈍っていらっしゃられる。由々しき事態だわ」


「……戦う必要はないんだよ。僕が千里様とアリア君にしてやれることは、にえたり得ることだ」


「ふぅん。実家を継ぐつもりはないという理解でよろしくて?」


「黒魔女教会の長はマリアンヌで全てが事足りている。性能の劣る僕が彼女にしてやれるのは、緊急時の予備以外に最早何もない。ならば代替品は僕個人でなくともいいだろう。僕ら姉弟に近い血を持つ魔女だって、比較的緩やかではあれど調整済なのだから」


「悲しいことだわ。昔はおっしゃっていたのに」


 悲観的な物の捉え方をするノアに対して歯がゆいと思う部分があるのか、からかうようにカレンが言葉を続ける。


「『僕も姉様みたいになりたい。世界を守れる英雄に』」


「あのさぁ、女帝」


 全く似ていない自分の幼少時の物真似。


 ノアはため息を吐いて、呆れと否定の意思を言外に表す。


「おそらくアレだよ。幼い娘が父親に対して将来はパパのお嫁さんになるーとか言うやつ。泡のように儚く消える、幼心が生み出した幻想」


「そのたとえ話は実体験? それとも一般論かしら?」


「実体験であるはずがないだろう。アリア君は誕生してこの方、永遠の反抗期を迎えている」


 女性体となったことで育ったたわわな果実を、何故かノアは誇らしげに反らす。


「アリアお姉様がノアお兄様に反抗しておいでなのは、自我の確立という側面より、全身から漂うあなたの胡散臭さに大きな問題がおありなのよ」


「えぇっ!?」


 だが、容赦のない指摘がノアを襲う。


「僕のどこが胡散臭いというのさ」


「原因は明確でしょうに。そのキメラのごとき人格は、恐怖の対象となり得ることもあるわ」


 やれやれと首を振っているカレンではあるものの、そこにノアを責める類の感情は一切含まれていない。


 付き合いが長いからこそ、狂人のような振る舞いをする要因の全てがノア自身にはないことを知っていたのだ。


「――ところで、女帝」


 マキシ丈のサマードレスの裾を翻し、帽子のつばを押さえながら、ノアがカレンを見下ろした。


「帰り道はこちらで合っているのかい?」


 滅多に外へ出ないノア。


 けれど記憶力はずば抜けたものがあり、明らかに最初来た道とは異なる道を歩んでいることに気が付いたのだ。


「どうせだし寄り道していきましょう。ノアお兄様は滅多にお外へ出ないのだから、現代社会というものをたまには実地で学ぶといいわ」


 垂れ耳の兎のぬいぐるみを抱き締め、己を見下ろすノアを、愛らしい微笑みで見返した。


「具体的には何を?」


「右手に見えるは美味しいお蕎麦屋さん。さぁ、食べにいくわよ」


「ソバ?」


「日本料理の一つね」


 足取りがマンションへ向かう時よりも明らかに弾んでいる。


「……個人的な趣味で行きたいところを、僕を建前にしているだけじゃあないのかな?」


 思わずノアがジト目になってしまうのも仕方のないことで。


「私はか弱い幼女。難しいお話はよく分からないの」


「実に馬鹿げた冗談だ。あなたみたいな天上天下唯我独尊の幼女がいてたまるか」


 カレンとノアは言い合いを続けながら、レトロな店構えの蕎麦屋の暖簾のれんを潜った。

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