第16話 ……弾けて
掲げられた百合芽の右手。その上で花弁をほころばせる純白の百合から、紫のシャボン玉が放たれる。
禍々しい紫の中に詰められているのは、たっぷりの瘴気と毒。
彼女は二年B組のクラスメイトにいじめの報復を行うべく、世界に対して自身の悪意を余すことなく吐き出した。
元が人間であったとはいえど、産まれながらにあちら側へ反転していた彼女は、今ようやく本当の意味で、自分の本来の姿と役割を思い出したのかもしれない。
されど彼女の前に立ち塞がるのは、
百合芽と同じ境遇を有する少年は、二年B組のクラスメイトらを背後に置いて、自らの得物であるはずの刀をグラウンドに突き刺していた。
迎撃であれ防御であれ、どう考えても刀を十全に振るえやしないであろう体勢。
だが、決して千里はふざけているわけではない。
これこそが彼の全力、その一端だ。
「……弾けて」
紫のシャボン玉が今にも破裂せんとしている。
僅かな逡巡が百合芽の表情に浮かんだのは、クラスメイトへの攻撃に千里を巻き込んでしまうのを恐れてのことに違いない。
されど
「――ふっ」
短く息を吐き出す、千里。
刀をグラウンドに深々と突き刺したまま、百合芽の攻撃が世界を毒一色で染め上げる――後に確定として起こるはずであった事象そのものを断ち斬ったのだ。
全てが始まってしまうよりも早く、全てを斬ることで終わらせた。
「なっ……!?」
百合芽の
けれど、これまで強く己を人間であると思い込むようにしていたがゆえに、不幸体質に苦しめられてはいても、一般人としての生活を百合芽は長く過ごして来た。
対する千里は、かれこれもう五年程赤薔薇商会所属の
有り体に言って、年季が違う。
「身体がガラ空きだぜ?」
刀を振り抜いていないにも関わらず、あらゆる事象を超越したタイミングで攻撃が斬られ、不発に終わった。そんな予想外に狼狽する百合芽が無防備な姿を晒す。
もう一度、全てを両断する斬撃を世界に顕現させるべく、千里は強く念じた。
全てを斬り裂くことを是とする千里に斬れない対象があるはずもない。
彼の不可視の刃は、百合芽のもつれきった悪意や負の感情さえ真っ向から斬り払う。
他ならぬ千里自身の手によって、百合芽は暴走という名の
突然、力を失い倒れていく百合芽。
彼女を覆っていた蔓が途端に形を保てなくなったようで、見た目だけであればただの可愛らしい少女に戻っていた。
(別に羽衣が
無事、千里は百合芽を傷つけず、また他に犠牲者を出すこともなく事態を乗り切ってみせたのだ。
もつれきった悪意、及び負の感情が対象の先程の斬撃だ。百合芽の生命は一切脅かされていないが、あくまで応急処置に過ぎず、彼女の悪意や負の感情が完全に鎮まったわけではない。
だがしかし、百合芽が発揮していた異常なまでの攻撃性はひとまず失われたと考えて良いであろう。
「羽衣ぉ、立てるかぁ? んん?」
声をかけられた百合芽は、上手く力が入らないのか地にペタンと座り込み、呆然とした面持ちで千里を見上げている。
その顔は赤く染まっていたものの、絶妙に鈍いのみならず、アリア一筋を公言する千里が、彼女の頬を染める色彩の意味合いを正確に理解出来るはずがなかった。
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