第3話 つまり壁になれってことだ

「羽衣さん、これ――どうしたんです?」


 全授業が終了した放課後。クラスメイトの羽衣百合芽の席まで歩いていったところで、千里は露骨に眉根を寄せた。


「……いつものことだから、気にしないでいいよ」


 彼女の持ち物と思しきカバンに詰められたありったけのゴミと机に記された心無い言葉の数々。六時間目は科目によっては移動教室だったので、色々と隙が生まれやすい時間帯であったことは容易に察せられる。


「チッ。下劣な輩もいたもんだな」


 舌打ち混じりに千里は毒を吐いた。


「ふぇっ……?」


「ゴホンゴホン! 何でもありません」


 しかしその際に若干ではあるが素が出てしまい、慌てて苦し紛れの軌道修正を行う。


「御影君、私に何か用事でもあったの……?」


 困ったような微笑みで、全力で誤魔化しにかかった千里の挙動不審を受け流すかのように、百合芽は彼に問いかけた。


「はい、とても大切な用事です」


 敢えて神妙な面持ちで、千里が頷いた。


「俺の、御影千里の家に来てもらえませんか?」


 この問いかけに、群がるクラスメイト達を絶対零度の視線で黙らせた上で、粛々と彼の背後にはべるアリアが、緊張にゴクリと喉を鳴らした。


 御影千里の家はひるがえってアリアの家。カースを滅することを生業とする赤薔薇商会に二人が所属しているということは、家――もといその拠点には彼らが上司と仰ぐ【世界最終】の一角にして【人類を妄愛する至高の幼女】が待ち構えていることは、カースあるいは夜の狩人ハンターであれば最早常識。


 未だ正体不明の百合芽に対して揺さぶりをかけた千里。百合芽が発する次の言葉を彼はじっと警戒と共に待つ。


「御影君の……家? それって、一体どういう……」


 不思議そうに首を捻った後、何やらカッと百合芽の瞳が勢い良く見開かれた。


「そっか。つまり壁になれってことだ」


「……何がどうしてそうなりました?」


 いつものオドオドとした態度とは異なり、やけにはっきりとした物言いになったことに困惑しつつも、何とか千里は会話の続行を試みる。


「御影君と奈花都なはとさん、二人のいちゃいちゃを私に見せつけようって魂胆じゃないの?」


「違います!」


「ごめん。間違えちゃったかな。壁じゃなくて床ってこと? 大丈夫、安心して。私床になるのとっても得意だから。ほら」


「もうこいつと話すの嫌だーー!!」


 最終的には制服が汚れることも厭わず教室の床に這いつくばったのを受け、学校用の猫被りも忘れて千里はわめいてしまうのだ。






「旦那様、どうぞ」


「……助かる」


 自販機で購入したらしい冷えたスポーツドリンクを、先程まで取り乱していた千里に渡す。


 そのついでではあるものの、アリアは愛する夫に渡したのと同じものを、隣のベンチに腰掛ける百合芽の胸へ押し付けた。


「ひゃぁ……冷たっ」


 グイグイとアリアが彼女のふくよかな胸部にペットボトルを押し付けることで、柔らかな二つの果実は絶え間なく形を変え続ける。


「憎らしいまでに、大きな胸部ですね」


「ええっ……!?」


 無表情を是とするアリアから微かな怒気が発せられたことで、胸元のシャツを濡れ透けさせる百合芽は困惑するのだ。


「おい、羽衣」


 色々と面倒臭くなったらしい。


 粗野な態度を隠すことなく、されど一応眼鏡はかけたままで、スポーツドリンクを飲み終えた千里が改めて百合芽に向き直った。


「やっと素になった……で、本当は何の用だったのかな……?」


 クスリと、百合芽が微笑む。


 オドオドとした気弱な女子生徒、それが千里が百合芽に抱くイメージだ。けれども先程の滑稽な醜態は、もしかするとこちらの真意を見抜くための手段だったのではないか――と、どこか強かさの滲む笑みから彼はそう感じてしまった。


「まどろっこしいのは向いてねぇからな。何を隠そうおまえには、聞きてぇことが山程あって――」


 そしてようやく本題に入れると千里が確信したところで、晴天だったはずの空の下、何故か雨が彼らの上にだけ集中して降り出した。


 その雨が、肉と骨を抉る水の杭であることを先んじて察した千里は百合芽を庇うように抱え、アリアも彼に追随して大きく後方に飛んだ。


「怪我はないか、アリア」


「ご心配には及びません」


 淑やかな一礼を披露し、アリアは自らの無事を示した。


 ここが戦場であっても変わることのない淑女のごとき優雅さだ。


「あ……雨が当たっただけで……コンクリートが、えぐれ、えぇっ……!?」


 遅れて事態を把握した百合芽が実に一般人らしい反応を見せていた。


「おまえがどこの誰で何者かは知らんが、何も知らねぇって言い張るなら一応、プロとして答えといてやるさ」


 そんな人間だか夜の狩人ハンターだかカースだかまるで見当のつかない正体不明の同級生をひとまずアリアに預け、千里は右手を水平に掲げた。


「どんな形であれ人に災いをもたらす存在。ソレがカースだ」


 鞘に仕舞われていない剥き出しの刀が、千里の手に収まる。


「外からやって来たあいつらは、いつだって人間の根絶と世界の破壊を願ってやがる」


 再び雨――水の杭が降り出す。


 千里ではなく背後の百合芽を狙って。

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