検討
「オンライン上で、仲良くなった留学生が、実は存在していなかった。そんなことがどうして起こりえるのか、一緒に、考えてみましょう」
「必ず、何らかの誤解があるはずです」
そう言う小湊の脳裏には、『バニーレークは行方不明』という、古い映画のタイトルが浮かんでいた。
1960年代に公開された映画で、そのタイトルのとおり、行方不明になったバニー・レークを探す話だ。
アンー・レークは、最近ニューヨークから、ロンドンに引っ越してきたばかりのシングルマザー。
ある日、幼稚園に自分の娘ーバニー・レークーを迎えに行くが、彼女は姿を消していた。捜査に乗り出した警察は、娘の痕跡がまったくうかがえないことから、消えた娘というのは、アン・レークの妄想ではないかと疑い出す……
小湊は、もちろん現役で視聴した世代ではないが、謎めいた
あるいは、アメリカの作家、ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』も彷彿とさせる。これは、外出中に妻が殺されていた夫の話だ。行きずりで一夜を共にした女が夫の唯一のアリバイ証人だが、彼女は誰に聞いても存在を否定される、『幻の女』だった。
いずれも、主人公は、そんな人はいない、そんな人物はこの世に存在しない、と、自分の認識を否定される。
遠藤梓の話の場合も、それは孤独な大学生活が見せた妄想だ、として片づけてしまうのが、一番理に
その場合は、医療ケア等、しかるべき対応が必要になるが、もちろん本人を前にして、最初からそんな話をするわけにはいかない。
それに、小湊が思い浮かべた2作品は、いずれも、仕掛けのある話だった。
あり得る説明を、理論を見つけるのが、まずやるべきことだろう。
いずれにせよ、繊細な対応が求められる。
小湊は、緊張で喉をごくりとならした。
「まず、そもそもとして、前提が間違っていたのかもしれません」
「前提? 」
小湊の言葉に、遠藤梓は眉をひそめる。
小湊は、それに頷きを返して
「そのアリスという留学生は、本当に、岡島大学の学生だったのでしょうか? 」
「あたしが嘘をついていると!? 」
予想していたとおりの敏感な反応だったが、小湊はあくまで落ち着いた態度をつらぬき
「そうは言っていません。ただ、ある人が、実は存在していなかったというのは、やっぱりあり得ない事態です。なら、どこかに誤解があるはずです。そして、誤解というのは、事態の前提に生じやすい。この場合は、その学生が、岡島大学生であるという前提です」
「でも……」
そんなはずはない、と、遠藤梓が否定の言葉を放つより前に、小湊はその問を口にした。
「遠藤さん。あなたは、そのアリスさんと、主に何語で会話をしていたのですか? 」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「……会話をしていた言語? 」
「そうです。アリスさんとは、SNSでのやり取りから始まり、メッセージアプリや、オンライン会議システムで、話をされていたということでしたね。でも、そのやり取りが、どの言語で行われていたのかは、まだ正確にお聞きしていなかったと思いまして」
「……口頭でのやり取りは、主に英語でした。アリスは日本文学科で、SNSも日本語で呟いていたくらいだから、日本語の読み書きは、特に問題ないレベルでした。でも、実際の会話となると、苦しい場面があって。練習で、日本語で会話をしたこともあったけど、それ以外は、基本、英語でした」
「じゃあ、失礼ですが、遠藤さんの英語は、どのくらいのレベルですか? 」
「……何が言いたいんですか? 」
小湊の問いに直接は答えず、遠藤梓は、その瞳の不審の色を濃くした。
小湊は、手のひらが汗ばむのを感じた。言い方には気をつけねば。
「遠藤さんの第一言語は、日本語ですよね? 」
「……日本人ですから」
「人間、母国語に比べれば、第2言語の理解度は、劣るものだと思います。英語での会話が基本だったのであれば、お互い、誤解もあったのではないですか? 」
「……確かに、百パーセント、アリスの言っていることを理解できていたわけではありません」
「なら、岡島大学の学生というのも、英語という、他言語を介したコミュニケーションゆえの、誤解だったのかもしれない。それなら、講義の担当教員も、この学務課も、アリスさんのデータを持っていなかったというのは、当たり前でしょう? そもそも岡島大学の学生ではないのだから」
小湊の言葉は、遠藤梓の確信を、少しぐらつかせたようだった。
強く引き結んでいた唇はゆるめられ、瞳にも迷いが見える。
真相をさっそく探り当てたかと思えたが、残念ながら、遠藤梓の逡巡は、長くは続かなかった。
「……やっぱり、おかしい。そんなことは、ありえません」
「本当にそうですか? 英語で岡島大学と発音すると、まあ、『OKAJIMA UNIVERSITY』《オカジマ ユニバーシティ》になるでしょうが、一音取り違えたのかもしれませんよ。他の、似た名前の大学に」
「聞き違いはありえます。言葉の意味が分からなかったこともありました。でも、いくら英語でのやり取りでも、岡島大学の学生という、そんな、基本的すぎる事実まで、間違えるなんて、ありえません」
「確信がありますか? 」
「あります!! 前提に誤解があるはずっていうのは、確かにそうかもしれない。でも、これは、あまりにも、大前提すぎます。もし岡島大学の学生でなかったのなら、アリスとの会話には、つじつまの合わない箇所が多すぎる。受けている講義に、先生、大学への不満」
遠藤梓は実際に指折り数えて
「その誤解だけは、さすがにありません」
「……なるほど」
小湊は頷いた。
実際のところ、自分でも、岡島大学の学生という事実に誤解があったという説は、信じていなかった。
そのレベルで誤解があったのなら、いくらなんでも違和感が多すぎて、自然に気が付いただろう。
なら、と小湊は思考を進めて
「アリスさんは、実際には、来日していなかったのかもしれない」
次にありえる誤解を、口にしたのだった。
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