第19話 戦場の設定
このまま進軍して異民族の本拠地を攻撃するのも策としてはありなのだが、それでは異民族の反帝国感情を高めるだけだろう。
倒すなら軍だけだ。
しかも恐怖を植え付けるだけでよく、全滅まで追い込む必要はない。
斥候の第二便が到着した。
オサイン伯爵とアイネ子爵の軍はベジルサ侯国の門前で真っ向から異民族軍と戦っているという。
確かに騎士道としては理にかなっているのだろう。
しかしそれが戦局全般にわたって理にかなっているかは別の話だ。
こちらの行軍もすでに敵の斥候網に引っかかっているのは把握しているのだが、本拠地から兵が出撃してきた報はない。
やはりここを空にしてまで攻め入ったことになる。
であればなおさら私の策がハマることになるのだけど。
「敵本隊の斥候はおそらく第一便ののちに情報を伝えているでしょう。ですが本拠地からの早馬が敵本隊に救援を求めてこちらに向かってくるには、おそらく第三便を待たなければならないでしょう」
「ということはそろそろ迎撃の態勢を整えておきますか?」
「さようでございますね、ユーリマン伯爵。できればベジルサ侯国とこれから向かう敵本拠地の直線上に布陣したいところですね。さらに丘があればなお言うことはないのですが」
「どうしてですか? そこまで場所を選ぶ必要はないと存じますが」
「戦場を決めるのも先着した者の特権です。“故に善く戦う者は不敗の地に立ち、而して敵の敗を失わざるなり。この故に勝兵はまず勝ちてしかるのちに戦いを求め、敗兵はまず戦いてしかるのちに勝ちを求む。”と古の書物に書かれております」
『孫子の兵法』軍形篇第四にある言葉だ。
「ベルナー子爵夫人、なにを言いたいのかわかりかねるのですが……」
「確かに慣れない言葉ですものね。要は“戦巧者は自らを不敗の態勢において、敵のスキを逃さないものだ。このように勝つ者はまず勝利を手にしてから戦いに臨む。敗れる者はまず戦ってから勝機をつかもうとする。”ということです」
「なるほど。勝ちが決まっている状態で戦えば勝って当然。戦ってから勝ちを拾おうとする者はすでに敗れているということですか」
「平たく言えばそうなりますわ」
もうひとつ彼に教えておこう。
「さらに“故に善く敵を動かす者は、これに形すれば、敵必ずこれに従い、これに予うれば、敵必ずこれを取る。利を以てこれを動かし、卒を以てこれを待つ。”ともあります」
この言葉は『孫子の兵法』兵勢篇第五にある。
「その意味は?」
「“敵を動かすには、敵が動かざるをえない態勢を作り、餌をばら撒いて食いつかせる。利によって敵を誘い出し、精鋭を繰り出してこれを撃滅する”ということですわね」
「此度の戦いがまさにそれですな。敵の本拠地を突くと見せかければ敵軍は動かざるをえない。わが軍を倒そうとする敵をこちらへ誘い込んで一挙に撃滅する、というわけですな」
「さすがはパイアル公爵に次ぐ実力者ですわね。さようでございます。私は最初からこれを狙っていました。まさかオサイン伯爵が直接異民族軍を討ち果たそうとするとは思いませんでしたが」
「それだけ短慮にすぎたということでしょうか」
「私の立場ではあまり大きなことは申せません。それにオサイン伯爵が足止めしている間にこちらは迎撃の準備に勤しめる、と考えれば、案外と腹は立たないものです。まあできるだけ帝国兵に余計な死傷者を出さないでくださればよいのですが」
「難しいかもしれませんな」
左手を九十度挙げて前へ振ってボルウィックを招いた。
「このあたりが戦いに都合がよいかもしれません。ボルウィック、地図を見せてください」
羊皮紙に描かれた地図が広げられた。
手書きだから細かな地形はわからないが、おおよその方角も記されているし、この世界ではこの程度の地図で国を治められるのだろう。
「この丘の後ろに陣を築きましょう。戦場に罠や障害を設置して伏兵が潜める場所も探してください。そして近くの沢から水を汲んできて、皆で食事と休息をとります。あとは長駆して疲弊し空腹の敵軍を一気に蹴散らすのです。ユーリマン伯爵のご意見は?」
「その策を採用しましょう。私よりもよほど軍にお詳しいのですからな。陛下やパイアル公爵が気にかけるのも納得の手並みです」
「ありがとうございます。ではそのように致しましょう。ボルウィック、ウィケッドとバーニーズをここに」
今回、初めて軍全体を動かす機会を得た。
この好機を逃さず確実に勝利を収めれば、おそらくその次の戦において重要な地位を占めているはずだ。
駆けつけたウィケッドとバーニーズに宿営を指示したのち、ボルウィックを伴って伏兵の置けそうな場所を探しに出ることにした。
「ボルウィックはパイアル公爵からどの程度言われているのかしら。私の素性を調べるのもあなたの役目のひとつのはずですが」
「わかっておいででしたか」
「私は軍には詳しいですが政治はからっきしです。ですが、政治が軍を拘束してしまうと、戦いで足を引っ張られかねません。できれば軍事行動を起こしているときは政治から干渉されたくはないのですが」
「飼い犬の首輪を外すだけの度胸は侯爵閣下や皇帝陛下にもないと存じますが」
「でしょうね。でも“将、外にあっては、君命も受けざる所あり”といって、将兵の命を預かっている軍事指導者の行動を、本国から制限するべきではないのよ」
これは司馬遷『史記』孫子呉起列伝にある言葉だ。
「それとなく閣下と陛下の耳へ入るようにお願い致しますね」
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