第三章 戦術と伯爵
第17話 本拠地を叩く
セマティク帝国の隣に位置するベジルサ侯国から急使がやってきた。
異民族の襲撃を受けて救援を求めに来たのだ。
さっそく軍の頂点に位置する元帥でもあるパイアル公爵が、私たち四人の中隊長を招集した。
「此度の出撃は、ベジルサ侯国を救出することにある。どのように救い出すのか、卿らの見識を問いたい」
オサイン伯爵とアイネ子爵が手を挙げた。
「ただちにベジルサ侯国へ出撃して、異民族軍を蹴散らしてご覧に入れます」
「今、時間は宝石よりも貴重です。すぐに出兵しましょう!」
パイアル公爵配下のユーリマン伯爵もそれに同調した。
新参者の私は最後に発言を許された。
「ここはベジルサ侯国へ出兵するより、異民族の本拠地を叩くべきです」
「農家の小娘がなにを言うか! ここは義を示すためにもベジルサ侯国へ救援に向かわなければならんのだ!」
「まあまあオサイン伯爵も声を荒らげないでください。傍から見ると小娘を恫喝しているように映りますよ」
アイネ子爵がなだめようとしたが、オサイン伯爵の怒りは収まりそうにない。
「ベルナー子爵夫人はなにゆえに異民族の本拠地を叩くべきとおっしゃるのか」
ユーリマン伯爵が私の見解を問うている。
感情が出ないようゆっくりと丁寧な口調を意識した。
「今からベジルサ侯国へ出兵したとして、敵はわが軍を待ち構えて万全の態勢で迎え撃つでしょう。負けるとまでは申しませんが、苦戦は必至です」
「ベジルサ軍と内外から呼応して挟撃すれば、苦戦するとは思えませんが」
初対面のユーリマン伯爵だったが、意外と戦術眼のある人だな。
「挟撃しようとして各個撃破されるのがオチです。敵はわが軍が到着する前にベジルサ軍を強かに攻め続けるでしょう。そうなれば反撃するだけの兵力が残るかわかりません」
「各個撃破、ですか。どのようなものを言うのでしょうか?」
この世界には“各個撃破”の概念すらないのか。
大規模戦闘を数々繰り返しているはずなのに、そのような基礎すら知らないでよく生き延びられたものだ。
「こちら側が分散して敵を包囲しようとするとき、ひとつの軍にだけ攻撃を集中させて打ち倒してしまうのです。そうすれば数のうえでは同数でも、わがほうが四分割していたら、それぞれ四倍の敵と戦わざるをえません。皆様は四倍の敵に勝てますか?」
「わが軍ならばそれでも勝てるぞ、ベルナー子爵夫人」
「どのような戦い方をなさるのかをぜひ伺いたいものです、オサイン伯爵」
伯爵は気を悪くしたのか、説明をアイネ子爵に委ねた。
「敵は数こそ多いものの統制されておりません。軍律によって統率されたわが軍の敵ではないのです」
「ずいぶんとのんきなお話ですのね。それではわが軍はみすみす異民族軍を掃滅する好機を逃してしまいますわ」
「異民族軍を掃滅する好機、ですか」
「はい、此度は異民族軍が判断を誤ったのです。自ら瓦解するスキを見せてくれたのですから」
これまで会話に加わらなかったパイアル公爵が口を開く。
「そのために異民族の本拠地を攻撃する、というのはいささか発想が飛躍しているやに思えるが」
「もし私を信用していただけないのであれば、わが軍だけでも本拠地を攻めさせてくださいませ」
公爵がユーリマン伯爵に目配せをしたようだ。
「わかりました。それでしたらわが軍もベルナー子爵夫人とともに異民族の本拠地を攻めましょう。オサイン伯爵とアイネ子爵はいかがなさいますか?」
「われらはベジルサ侯国へ救援に向かう。もはや猶予はない。この戦でみすみす勝機を逃すとは、ベルナー子爵夫人も噂ほどではないな。アイネ子爵、ただちに軍を召集しなさい。ベジルサ救援に向かいます」
各個撃破の話を聞いていなかったのだろうか。
せっかくの軍を二等分にしてしまえば、数の有利を活かせないというのに。
アイネ子爵は側近を呼び寄せて軍召集へと走らせた。
「それでは私たちは出立致します。手柄を立てられなくても文句は聞きませんよ」
オサイン伯爵の物言いが癪に障ったが、ここで感情的になってはならない。
「私たちが手柄を立てても、文句は受け付けませんよ」
ふんと言って伯爵とアイネ子爵は慌ただしく会議室を出ていった。
場が静まると、公爵が尋ねてきた。
「ベルナー子爵夫人、そなたが申した異民族軍を瓦解する策とはどのようなものか」
「なに、単純な話です。いくら強がっていたところで、帰る家を失ってしまえば軍は流浪せざるをえません。それは異民族の指揮官も承知しているはずです」
「つまり、本拠地を落とされる前に軍を引き返さざるをえない、というわけですね、ベルナー子爵夫人」
そういうこと。
オサイン伯爵は「攻められたから救援に行く」という杓子定規な考え方をしているが、それがそもそも誤りなのだ。
ただ単に出征してきた敵軍を出先で倒す必要なんてありはしない。
本拠地を落とされると危機感を抱いたら、どんなに戦場で優勢を誇っていても軍を引き返す以外手段がなくなる。
さらにこちらは優位な立場を得て、たとえ倍する兵力であろうと容易に殲滅するだけの余裕が持てるのだ。
「ユーリマン伯爵、ベルナー子爵夫人の指揮下に入れ」
あごひげを撫でていたパイアル公爵が驚くべき提案をしてきた。
「閣下、よろしいのですか? 暗にオサイン伯爵だけでなく貴族全体を敵にまわす可能性もあるのですが」
「かまわん。どうせこの戦でベルナー子爵夫人はイーベル伯爵号を継ぐことになる。それを陛下も期待しておる」
「他ならぬ陛下の思し召しであれば、それに従いましょう」
ユーリマン伯爵がこちらを見た。
「では私たちはこれよりベルナー子爵夫人の指揮下に入ります。時間が惜しいのはこちらも同様です。ただちに軍を召集致しましょう」
持つべきものは物わかりのよい上司なのだと、ここでも痛感させられた。
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