第16話 結婚相手と矛盾
「アイネ子爵はおそらく政略結婚をよしとはしないでしょう。アンジェント侯爵から入れ知恵されているようだけど、本人にその気はないようだし。私ってそんなに魅力のない女なのかしら」
それはそれでちょっとつまらないな。
この先、軍師を目指すとしてもいずれ配偶者を持たなければならなくなるだろう。
人質として押さえておかないと、為政者は才ある者に離反されるのではないかと気が気でないからだ。
「子爵夫人はじゅうぶんにお美しいと思いますが、まだ成人を迎えておりません。これからの成長次第で引く手数多になるかと」
ボルウィックはお世辞がうまい。
剣闘士として活躍するには弁舌も巧みでなければならないのだろうか。
「いっそあなたを婿にとってもいいのよね」
「私を、ですか?」
「大陸随一の剣豪が夫なら、誘拐や暗殺を心配しなくて済むから」
「私は一介の剣闘士にすぎません。政略や軍略などには疎いのですが」
「まああなたはあくまでも私の護衛ですからね。近い人から見繕おうとするなら、あなたもじゅうぶん候補というだけよ」
やはり結婚はなるべくこの世界でしておきたかった。
女子高校生だったときはまだ結婚する年頃じゃなかったし、これといった候補もいなかった。
みんなと同じようにアイドルに夢中になっていて、結婚するならこの人、なんて夢も膨らんだわけだけど。
『孫子の兵法』オタクでも結婚をしたくないわけではなかった。
ただ、身分によってふさわしい相手は変わってくるからたいへんだ。
農家の娘では農家やよくて商家の息子と結婚するのが筋だろう。
子爵ともなれば、相手も貴族が当たり前。
先のアイネ子爵は、身分のうえでは釣り合いがとれているのだ。
しかし次の戦で軍功をあげれば爵位も上がることになる。
アンジェント侯爵のように爵位が極まってしまうまでは、おそらくそうなるはずだ。
オサイン伯爵は目覚ましい軍功を重ねていれば侯爵までいけるはずなのだが、連帯しているアンジェント侯爵と並ぶのを暗によしとしないようだ。
くだらない。本当にくだらない。
戦乱の世にあって親しい人のご機嫌とりに終始するのでは、出世などできようはずもない。
せっかく伯爵の身分を手にしているのなら、さらに上を目指さなければ好機を逸するだけではないか。
だからこそアンジェント侯爵は位が並ばれないよう、配下の昇進を操っているのかもしれない。
本当にくだらない。
私を見出した軍官吏のカイラムおじさんと、その報告を受けて実際に昇進させたパイアル公爵のように、才ある者を栄達させるのが上司が本来やるべき職責なのだ。
次の戦が始まるまでに、私が賜るはずのイーベル伯爵号について調べてみよう。
よほどの変人なのか、達観した人なのか。
世継ぎを置かずに死去してしまった。
伯爵家を取り潰さなければならない理由があったのだろうか。
たとえ理由があっても、せっかく手に入れた爵位を誰にも継がせずに廃れさせたのは実にもったいない。
もし有能な子爵や男爵がいたら、抜擢してでも伯爵家の栄誉をさらに価値あるものにするのが責務ではないのか。
そう考えると不思議なものだ。
私は知らぬ間に子爵夫人となり、次が廃されたイーベル伯爵号をいただくことになる。
つまり亡きイーベル伯爵は私のために伯爵号を温存していたかのような配慮を感じざるをえない。
それはパイアル公爵や皇帝陛下が裏事情を知っていて、イーベル伯爵のお考えどおり私に爵位が渡るよう計らっているのかもしれない。
ということは陛下にもパイアル閣下にも、私が異世界転生者であることがバレているのだろうか。
だから私を重用してくれるのだとしたら。
“完全に失われた書物”がそもそも存在せず、異世界の書物であることも知ってはいなくても察していそうだ。
となれば陛下や閣下が欲しいのは『孫子の兵法』であって私ではないのかもしれない。
これは『孫子の兵法』の“復元”は慎重に進めなければならないだろう。
完成した途端に斬り殺されない保証はどこにもないのだから。
考えてみれば孫武は後年不明だからまだよいのだが、「孫呉」と並び称される『呉子』を著した兵法家の呉起は法律と軍律を厳しく適用し、貴族に恨みを買ったがために王が代替わりしたときに貴族の手で車裂きの刑に処された。
私の異世界人生ももしかしたらそこまでなのかもしれない。
だからなるべく貴族と波風を立てたくないところだ。
今はアンジェント侯爵派から恨みを買っている。
だから、もし後ろ盾となっている陛下が倒れられたら、アンジェント侯爵派によって粛清される可能性もなくはない。
それまでに侯爵までたどり着けるか、国体を支える軍師として国内外から認められるかが、私のこれからを左右するだろう。
「まあ誰かと結婚するにしても、今は焦らないほうがよさそうね。爵位と役職が上がるにつれ、求婚者は増えていくでしょうし。自ら安売りする必要なんてないんだから」
ボルウィックが腰を折った。
「確かに、これから子爵夫人が栄達すれば、貴族だけでなく皇族からだって婚姻しようと殺到することでしょう」
「まさに『かぐや姫』のような世界だわね」
「かぐ、ひめ?」
おっといけない。また現実世界の言葉を使ってしまった。
気を許せる相手だと、つい考えもせずに口走ってしまう。
もし転生者とバレたら、どんな処罰が待っているのか。想像もしたくなかった。
望みがあるとすれば、皇帝陛下や公爵閣下が私の素性を知ったうえで重用してくれているときだけだろう。
知られていたくないようで、知られていたほうがよいというのは、甚だ矛盾した考え方だった。
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