秘めたる想い人 ①

「では、課題を言い渡す。テーマは『自分の住む地域にまつわる話』だ」

 教室中にブーイングの嵐が巻き起こった。

「課題の形式はレポート、模造紙、パソコンを用いたプレゼンテーション、動画の作成、なんでも自由。ただし提出期日だけは守るように。ちなみに発表持ち時間は5分以内だ。以上何か質問はあるか?」

 今年も恒例となった文化発表会がやってくる。

「彩夏は何について書く?」

 深彗は、彩夏を覗き込むように質問してきた。

「……銀杏地蔵について調べてみようかな」

「それ、いいね」

「深彗君はどうするの?引っ越してきたばかりだし……先生に相談してみたら」  

「そうだね。少し考えてみるよ」

「今日ね、街の図書館に行こうと思うんだけど……よかったら、一緒に行く?」

 人を誘うなんで小学生の時以来で少しドキドキした。

「僕は君と一緒ならばどこへでも行くよ」

 周りが聞いたら誤解を招くような発言がさらりと返ってきた為、彩夏は狼狽し頬を紅潮させながら周りに目を遣った。

 二人きりならば百歩譲ったとして、ここは皆のいる教室なのだ。誤解を招きかねない。

 彩夏は、深彗の突拍子もない発言にいまだ慣れることはなかった。想いを隠すことなくストレートに伝えてくる深彗は、それとなくほのめかすような表現で相手に伝える日本人とは違っていた。何気ない言葉に、ひやひやする彩夏だった。




 図書館には、電車で移動することになった。

 二人横並びに座る彩夏は、思わず居住まいを正した。彩夏の左は壁、そして右には深彗が座っている。彩夏の右肩も腕も腰までも隙間なく深彗に触れている。

 逃げる余地もない。今、彩夏の神経は深彗に触れている辺りに全集中している。

 ――なぜ、こうなった……? 

電車の一番隅っこに座ったというか、深彗に座らせられた彩夏。それにしても二人の距離が近い。彩夏は車内を見渡した。車内はこんなにも空いているというのに。

 まるで満員電車の中のように彩夏と深彗は密着した状態だ。彩夏を揶揄おうとわざとそうしているとしか思えなかった。

 気まぐれな深彗に、いつも振り回されてしまう彩夏。電車が揺れるたび深彗の荷重が彩夏にのしかかり、彼の温もりまでも伝わってくる。

 深彗は、長身のやせ型と思っていたけど意外と筋肉質だと感じた。いわゆる細マッチョというたぐいの。脱いだら案外いい身体していたりして……

 彩夏は深彗の身体を勝手に妄想し始めていることに気づき、慌てて頭を左右にブンブンと振り、よからぬ妄想を振り払おうとしていた。

 それに気づいた深彗はこちらを見てニヤリと笑った。

「彩夏……?今、変なこと考えていただろ」

「え⁉何でわかったの?」

 深彗に心の内を指摘され、図星だったので驚きを隠せなかった彩夏。言ってから、しまったとばかりに慌てふためいた挙げ句、苦しい弁解をする。

「違う!違うってば。そうゆうことじゃなくて……」

 急に深彗を意識し始めた彩夏は、頬を深紅の薔薇に染め心臓の鼓動が忙しかった。

 深彗は含みのある笑顔を浮かべながら

「君は今、僕を意識している」

 彩夏は視線を右往左往させると、両目をきつく瞑った。

 完全に深彗のペースに呑まれていた。

「もう、深彗君なんて、大嫌い!」

 口を尖らせ頬を膨らませる彩夏。

 深彗はそんな彩夏が愛おしく感じ、ずっと見つめていたいと思った。

 



「えっと……郷土資料集、伝説、昔話……この辺かな」

「彩夏、ここにもあるよ」

 踏み台を使用しないと手が届かない本を、深彗はいとも簡単にとってくれた。

 二人は、銀杏地蔵にまつわる資料をいくつか取り出し、向かい合って席につく。

「深彗君も手伝ってくれる?」

「うん」 

 深彗は手渡された資料に目を通す。二人は、銀杏地蔵の歴史が思っていた以上に古いことを知る。

「樹齢六百年……あの銀杏の木、そんな昔からあるんだ……」

 深彗は感慨深いといった口調で話した。

「あの木そんなに古いの?六百年前って、何時代かな……」

 携帯端末に目を落し画面に指を滑らせ検索する彩夏は、目を丸くして驚いた。

「え!室町時代?戦国時代よりも前なの?そんな昔からあの場所にあったってこと?」

「彩夏の住む地域は歴史が古いんだね」

 二人はその歴史の古さに驚くとともに、それまでこの地で暮らしてきた人々に想いを馳せると感慨深いものを感じていた。

「これだけ歴史が古ければ、いろいろな出来事も起こったでしょうね……」

 二人は手元の資料に目を通しながら意外な歴史を知ることになる。

「これって……!」突如、そう呟く深彗は両手で額を覆ったまま動きが止まった。

「??」 

 深彗は顔を歪め、苦しそうな表情に変わると遠くを見つめる目をしていた。

「深彗君、どうかした?」

 彩夏に声をかけられハッする深彗。

 深彗は今にも泣きだしそうな悲しい目でじっと彩夏を見つめた。

「ちょっと席を外すよ」

 そう言って席を離れた深彗は、戻ってこなかった。

 彩夏は一通り資料をまとめると深彗を探しに行くことにした。

 そういえば、彩夏は深彗の携帯番号を知らない。というより彼のことを全くと言っていい程知らなかった。

 彩夏は深彗の荷物も一緒に持つと広い館内を探し回った。深彗は図書館を出たオープンスペースのベンチに腰かけていた。

「見~つけた。深彗君、どうしたの?」

 深彗の表情はこれまでとはどこか違って見えた。

「彩夏、手伝ってあげられなくてごめん……」

「ううん、そんなことより、どうしたの?気分でも悪いの?」

「大丈夫。ただ……」

「ただ?」

 彩夏は前のめりになって、俯く深彗の顔を覗き込んだ。

「何でもない……」

 深彗は今何を言いかけたのだろう。彩夏は深彗が気になった。

「そういえば私、深彗君のこと何も知らない。教えてくれる?」

「それって、彩夏、僕に興味が湧いてきたってこと?」

「えっ?……まあ、色々と……」

 また深彗のペースに呑まれてしまいそうだった。

「ねえ、深彗君は海外で暮らしていたのに、どうして日本に来ることになったの?」

 深彗は暫く黙っていたが、語り始めた。

「……実は、自分でもよくわからないんだ」

「え?それって、どういうこと?」

「僕だけ日本に戻ることになり、母の親戚がいるこの街にやってきた。その後僕は突然意識を失い、病院に搬送され心肺停止状態に陥った。蘇生した時、それまでの記憶を覚えていなかった。自分は何者なのか、これまでどういう暮らしをしてきたか、自分の名前すら憶えていなかった。記憶喪失ってやつかな……」

「え!そんなドラマみたいなことって実際あるのね」

「僕はその後、リハビリを兼ねてこの街で暮らしていた。あの日散策していたらたまたま銀杏地蔵にたどり着いて、君が現れた。出会って早々、一撃されたけどね」

 そんな深刻な話だというのに深彗は明るく笑って見せた。

「うっ!」

 そんな状況下に置かれていた人を痴漢と間違えて蹴ってしまった彩夏は、罪悪感しかなかった。

「ただ、さっき……銀杏地蔵の歴史を読んでいるとき……」

 深彗は慈しむような眼差しで彩夏をじっと見つめてきた。

 光の当たり方によってはグリーンにもイエローにもブルーにも見てとれる不思議な瞳は、どこか悲しげで瞳の底は深い憂いの光を帯びていた。

 彩夏はそんな表情の深彗を初めて見て驚いた。

「深彗君、嫌なこと聞いてごめんね。私でよかったらなんでも言って。いつも深彗君に助けて貰ってばかりだから、何か恩返しができたらなって思っていたの」

「違うんだ!そんなことない。君はこれまで充分僕を救ってくれた。だから今度は僕が君に、恩返しをする番だ……」

 深彗は真剣な眼差しで彩夏に訴えてきた。

「?私は何も深彗君にしてあげてないよ」

 彩夏は眉根を下げ愛想笑いを浮かべた。

「あ、そうだ、深彗君にお願いがあるの……」

「お願い?珍しいね。で、君のお願いとやらは何?」

「あの、よかったら……携帯番号、交換しない?」

「うん!いいよ」

「こんなにいつも一緒にいるのに番号すら知らないなんて、私達……」

 クスクスと肩を揺らして小さく笑う彩夏は、以前に比べ明るくなった気がする。

「僕はてっきり、君に嫌われているから教えてもらえないと思っていたよ」

 彩夏は苦笑した。

「じゃあ交換……。あっ。深彗君の携帯、英語表示なのね」

「ああ、そうだね、日本語に換えないとね」

「二か国語話せるなんて凄い。私なんか日本語すらまともに話せないというのに」

 深彗のことを少しだけ知ることができた彩夏。また二人の距離が近くなった気がした。ただ、彩夏の家庭環境についてはまだ話すことはできなかった。

 



 深彗はバックの中から部屋の鍵を取り出した。鍵にはキーホルダー代わりに、一風変わった飾りがつけられている。深彗はその飾りをじっと見つめる。

 それは、揺れるたびに優しい音色を響かせた。




 僕は知っているよ


 本当の君の姿を


 弱い者に手を差し伸べる 優しい君を


 自己犠牲だって顧みず 勇敢な君を


 寂しがり屋で 泣き虫な君を


 だから僕はずっと君の傍にいたかった


 僕はそんな君を守ってあげたかったんだ








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