第4話 お呼ばれは隠れ蓑に
「母は刺繍が趣味なの。残念ながら、その才能は私には受け継がれなかったわ」
やんごとなき御方は、私を、立場上の御母上、血筋としては祖母である公爵夫人の刺繍仲間に、指名なさった。
やんごとなき御方のお言葉通り、公爵夫人は刺繍の名手として有名だ。ご年齢による目の衰えには逆らえず、最近の作品は、お若い頃ほどの緻密さはない。だが、経験に裏打ちされた素晴らしい色使いや、作品から伺い知れる針の運びは、本当に素晴らしい。
「若くはない母が、一緒に刺繍をしたいと言ってくれるのですけれど。私では、そのお願いを叶えてあげられないもの。お友達のあなたが、母の願いを叶えてくださったら嬉しいわ」
尊敬する方と、ご一緒に刺繍ができるという期待に、私は耳が疎かになっていたのだろう。いつの間にお友達になったのかという疑問は、帰ってから気付いた。
公爵夫人は、年の離れた刺繍仲間の私に、高位貴族の作法を、ご厚意で教えて下さった。本来は御令息であるやんごとなき御方を、理想の御令嬢に育て上げられた方のご指導は、素晴らしかった。両親と兄に、見違えたと褒められたほどだ。
世間では理想の御令嬢と名高い御方は、公爵家では騎士達と、乗馬と剣や弓や槍を稽古していた。
喉仏を凝視する私に、やんごとなき御方は、私を巻き込めば、稽古時間が増えると閃かれたそうだ。やんごとなき御方は、公爵夫人と私と一緒に刺繍を刺しているはずの時間に、騎士団と一緒に汗を流した。
稽古の後は、公爵夫人と私が刺繍をしているお部屋にいらっしゃった。刺繍でなく、稽古の後のお昼寝をなさるためだ。長椅子に身を横たえて、少々だらしなく、寛ぐご様子に、私も最初は驚いた。そういえば、兄もこうだったと思い出し、少し懐かしくなったりもした。
「困った子ね」
公爵夫人は、苦笑なさるだけだった。
「私達の選択が、正しかったのか、わからないのです」
その言葉に、公爵夫人の苦悩を感じた。
公爵夫妻は、やんごとなき御方を、生き延びさせるために、本人の意思とは関係なく令嬢として養育なさった。
お屋敷の外、学園では、やんごとなき御方は、ドレスに身を包み、扇で口元を隠しながら、常に穏やかに微笑んでおられる。お屋敷では、ご令息として、活発に過ごされている。
「学園でも、お屋敷でも、こうしてお元気に過ごしておられます」
間違っていないと思いますと、最後まで言わなかった私の言葉に、公爵夫人は微笑まれた。
秘密の共有は、人と人との距離を近づける。私はいつの間にか、やんごとなき御方の友人になり、親友になった。学園で、高貴な御令嬢として、振る舞うのが面倒だという愚痴に、私は笑った。
公爵家で、私がなすべきことも、少しずつ変化した。最初は、公爵夫人にご一緒させていただき、刺繍を刺し、親友の昼寝に付き合うだけだった。
「父と友人との話に、小娘の私が同席してもね。あなたも同席してくださると嬉しいわ」
穏やかな口調とは正反対の、必死の形相で断らないでくれと訴える親友の頼みだ。断ることなどできなかった。公爵様とご友人が、政治や経済に関してお話し合いをなさる席に、親友だけでなく、私も同席させられるようになった。
耳学問ではあるが、貧乏伯爵家の令嬢が、決して知ることのできないことを、学ばせていただいた。内容は決して口外できないことだった。透けて見える公爵様のお考えに、私は、背筋が寒くなった。
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