95話 「ルーベリー王国第一王女フィリア」



 ルーベリー王国第二都市マイア。その都市の北西に魔法アカデミーはあった。

 アカデミーの歴史は意外な程に浅く、せいぜい15年程度。ルーベリー王国がゴルディクスの科学力に対抗する為、魔法技術の発展を推し進める為に開校したものだ。

 だが、やはり15年程度ではさほど実のある成果は実現できておらず、成功を急ぐが故に力のある子供を強制的に入学させる等、やや強引な面が目立ちつつある。


 そして、その国の第一王女である少女……フィリアもまたこのアカデミーに通っていた。

 ただ、彼女が王女である事は、一部の教師を除いて知られてはいない。


 今日も寮を出てアカデミーの門を潜るフィリア。フィリアはいつも早目に登校する為、周りに生徒の影は全くと言っていいほど見かけない。

 だが、その門の陰に見知った存在の気配を感じて振り返った。


「またなの?」


 不機嫌さを隠しもせずにフィリアはその人物を睨み付ける。


「何度も言っているでしょう。私はお兄様が戻られるまで、王都に帰還するつもりはありません!」


 誰も近くに居ない事を確認し、いつものように怒鳴りつける。すると相手もいつものように抑揚も感じさせず、平坦な声で答えるのだった。


「……そのようですね。こちらの方でも、その意思をなるべく尊重しようという結論となりました」

「……ふぅん。ならいいけど、わざわざそれを知らせる為にこうして待ち伏せていたの?」

「いえ、今日はお別れに。私はこれから、第一王子の護衛の担当になりましたので、もう会う事も無いかと思われます」

「……ふぅん。ならいいけど、わざわざ伝えに来なくてもいいのに」

「姫様には代わりの護衛が付く事となりました。それが誰かは知らせる事は出来ませんが、どうかご安心を……」

「護衛なんかいらないって言ってるでしょう! 自分の身くらい自分で守れるもの!!」

「……姫様は自分の存在を軽んじておられる。姫様がもし亡くなられたら、父上や兄上が悲しむ事になりますよ」

「ふん! あんな私を置いていった家族なんて、悲しむはずが無いわ!」

「……とにかく、護衛はおりますが姫様もくれぐれもお気をつけてください」

「いいからさっさと行きなさいよ!」


 最後にフィリアが怒鳴ると、門の陰に存在していた影は、フッと気配を消した。

 

「いつもいつも勝手な奴!!」


 足元にあった石ころを、苛立ち紛れにその人物が居た場所へと蹴る。が、当然石はカランという音を立てて地面の上へと落ちるのだった。

 今のは、幼い頃から自分の護衛をしている“影”だ。ただ、フィリア自身は一度もその影の顔を見た事が無い。……声からして女性だと思われるが、年齢は幾つで何処からどうやって見守っているのか、本当の名前すらもフィリアは知ることが無かった。

 そのように幼い頃からの付き合いのある存在なのだが、フィリアは影が大嫌いだった。

 いや、影だけでなく父も弟も大嫌いだ。

 そして、一番上の兄も……


「みんなで私を置いて行く癖に」


 今でもはっきりと好きだと言えるのは、亡くなった母のみだ。だからこそ、亡くなった母の旧姓であるミラルを名乗り、こうして生きている。

 何故、何故あの時、父は、兄は、影は母を守ってくれなかったのか。そして、何故自分は母を守れなかったのか……。だからこそ、こうしてフィリアは力を身に着ける為に学んでいる。守られるのではなく、自分の力で大切な者を守る為に……。


「フィル! おっはよぅ!!」

「ひゃう!!」


 突如として背後から声が飛び、背中がポンと叩かれた。

 回想に入ろうと、トリップしかかっていたから余計に驚いたのである。

 振り返ると、同じクラスで隣の席の親友……ナティアがニコニコしながら立っていた。黒髪のショートカットで、頬の部分に多少のそばかすが目立つ、同い年の少女だ。


「な、なんだナティか……おはようございます」

「そんなびっくりするって事は……また面倒な事考えていたね。……さては今日の昼食とか?」


 ウケケ……とナティアが半笑いで言うと、フィリアは顔を赤くさせて反論するのだった。


「し、失礼な! いくら私でもいつも食事の事ばかり考えていません!」

「食事ってこんなに美味しいものでしたのっ!? ……って会った初日に言った言葉は忘れないよ」

「あ……それは、忘れていただけると嬉しいのですが……」

「あんな面白い事忘れるはずないでしょ! っていうか忘れたくないし」

「はぅぅぅ……」


 その当時の事を思いだすと、フィリアの顔はいつもに増して赤くなる。

 一年前、このアカデミーに入学したばかりの頃の事だ。身分を隠して入学したはいいのだが、同級生とどう接していいか分からなかった。

 そんな時、気軽に話しかけてきてくれたのがこのナティアである。


『あたしはナティアだよ。これからよろしくねー!』

『えっ! フィルって寮に住んでるの? 寂しくない?』

『フィルの髪の毛っていい匂いだよねー。くんかくんか』

『ねーねー。お昼ごはん一緒に食べようよ~』


 戸惑っている中、ぐいぐいとこちらのふところへと踏み込んできたのだ。

 確かにフィリアは戸惑ってはいたが、不思議と悪い気持ちでは無かった。むしろ、胸が暖かくなっていった。

 そして、言われるがままに食堂で共に昼食をとった時の事である。

 このアカデミーでは、弁当を持参していない生徒には食堂で定食が与えられるのだ。当然お金は掛かるのだが、安くてまぁまぁ美味しいと評判ではあった。

 そしてパクリとひと口食べて……


『えっと……これって何ですか?』

『何ってB定食だけど』

『いえ、それは自分で選んだから分かっています。これが庶民の方のお食事なのですか?』

『庶民って失礼だなー。確かに貴族のお嬢様から見たら貧相な料理かもだけど……』

『いえ、違うのです。お、美味しかったものですから……』

『え?』

『お食事がこんなに美味しいものだと初めて知りました!』


 とまぁ、こんな感じで大感激したのである。

 とは言え、別に王都にある王城では貧相な食事をとっていたわけでは無い。むしろ、豪華さだけで言えばその時食べたB定食なんぞ比較にならないものであった。

 だが、冷え切った家族の間での食事や、父が忙しい時のたった一人で食べる食事のなんと美味しくないものか。それが、気心の知れた者と共に初めて食べた事で、その食事の本当の味というものが理解出来たのだ。

 それだけで、フィリアにとってナティアはかけがえのない存在となった。


 だが、ナティアはフィリアが本当はこの国の王女だという事実を知らない。

 このアカデミーでのフィリアの名は“フィル・ミラル”。下級貴族の娘……そういう事になっている。アカデミーの敷地より少し離れた場所にある寮に住んでいるが、実際は寮では無く別宅のようなものだ。他に生徒が住んでいるわけでは無く、最低限の世話係が交代で務めている。……身分は隠しているが、仮にも王族であるから仕方ないのだ。


(……もし、お兄様が帰ってきて、城へ戻る事になったら……)


 王女である事がナティアにばれてしまう。もし、そんな事になれば今後身分を隠してアカデミーに通う事は不可能であろう。

 それに、王女である事を知られて、ナティアの態度が変わってしまうのが怖い。いやそもそも、また会えるかどうかも分からないのだ。


 嫌だ嫌だ嫌だ。


 もうあんな冷たい所に戻りたくない。

 優しくない父に、気の弱い二番目の兄。周りの者達は、父や兄に媚びへつらい、自分達の生活が豊かになる事しか考えていない。

 もう……嫌だ。


「どしたの? 何か不安な事でもあるの?」


 ポンポンと頭が軽く叩かれる。目の前には、心配そうなナティアの顔があった。

 陰鬱な顔をしていたか……と、フィリアは不安を頭の片隅に追いやる事にする。不安は不安だが、今そんな事を考えても仕方が無い。それに、どうせ自分の意思ではどうする事も出来ないのだ。


「大丈夫です。どうせ悩んでも仕方のない事ですから」

「そう? 話ぐらいなら聞くよ。誰かに愚痴ったらすっきりするって事もあるしさ」

「ありがとう。でも、大丈夫ですから」


 自分が王族である事、もうすぐ離れなくちゃいけない事……そんな事を相談できるはずもない。

 無理やり笑みを作り、ナティアに答えた。


「……そう。あ、そうそうフィル聞いた? 今日、うちのクラスに転入生が来るんだって」

「てんにゅーせい?」


 聞き覚えの無い言葉に、フィリアは首を傾げる。


「なんでもエメルディアから来たらしくて、魔法の才能が凄いからうちのアカデミーで面倒みる事になったらしいよ」

「エメルディアから?」


 あそこは魔法技術がこの国よりも発展している筈。

 ……発展と言っても、人族の国というくくりの中だけの話だが。魔法の本場と言ってもいい樹族の国なんかと比べると、大人と子供の差くらいはある。

 よくそんな国から、こんな中途半端な国に来る気になったものだ。

 特に興味は持てず、そのまま受け流そうとした……が、ふとある事に気づく。

 ……ひょっとして、その“てんにゅーせい”という存在は、フィリアの新しい護衛なのでは?


「そのてんにゅーせいって……女の子?」

「ううん、男の子だって話」

「ふ、ふぅん」


 今まで女性が護衛だったから、それはないかな……。いやいや、でもタイミングが良すぎるし。

 その後、色々と聞いてみるのだが、ナティア自身もあまり知らない為、それ以上の情報を得る事は出来なかった。




 そして遂に授業の時間となった。

 正直言って、このアカデミーでは一クラスの生徒自体が非常に少ない。それに、同年齢でクラスを区切っているのではなく、近い年齢で区切っているのだ。フィリアのクラスには、大体10歳~13歳程の年齢の男女が20人存在している。

 そのほとんどは貴族出身であり、中にはある程度裕福な一般家庭出身な者も居る。

 言ってはなんだが、貴族出身の者は選民意識が強く、傲慢な態度を取る者も多い。情けない事に、下級貴族や一般家庭出身の者達との格差は大きい。

 一般家庭出身のナティアと、家名が世間にはほとんど名を知られていないと思われているフィリア……ではなくフィルは、ほぼ孤立状態にあった。

 なのだが、あからさまに侮蔑ぶべつの目で見てくる者達が、実は王族に対してそんな無礼を働いているんだぞーと思うと、大して腹も立たない。ナティアも陰口や中傷は気にならないみたいなので、二人で孤立していても特に痛くも何ともないのであった。


 やがて教師が教壇に立ち、噂になっている事を話す。

 この教師は若い男であり、ちゃんとした魔術師でもある。一応ここの卒業生であり、生徒からの人気はそこそこという事らしいが、フィリアは興味が無い。


「既に知っている者も多いと思うが、今日よりしばらくの間転入生がこのクラスに入る。エメルディア王国のある貴族の子供との話だが、家に関する話題はしないように。下手すれば国際問題になるからな。くれぐれも対処には気をつけるようにしてくれよ」


 随分と警戒されるような事を言うものだとフィリアは呆れてしまう。そんな言い方では、腫れ物に触るみたいで孤立させてしまうだろう。

 恐らくあらかじめこのように釘を刺したのは、下手に扱って自分の問題にされては困るからだろう。その辺の大人の事情に関する仕組みが他の生徒達よりも詳しいと自負しているフィリアとしては、何だか情けない話である。


「それじゃ、入ってくれ」


 教師が促す訳だが、教室の扉の向こうからは何も姿を現さない。

 ……まさか見えない存在とかそういう訳じゃないよね?


 教室の方も1分、2分と一向に姿を現さない様子に、ざわざわと混乱した様子が見える。


「お、おーい。ルーク君、出ておいで……」


 教師が恐る恐る呼びかけると、ゆっくりと扉が開き、その隙間から何者かの顔が覗く。ただし半面だけ。


「……ど、どうもはじめまして……ルークです……」


 その状態のまま、そんな言葉を発した。

 だがいかんせん声が小さすぎる。大半の者は聞き取れなかったであろう。


「で、出来ればもう少し前に出てきてもらえるかな……」


 最初に比べると随分と態度が卑屈ひくつになっているな……と呆れるが、教師のその言葉に応じてゆっくりゆっくりとルークと言う名の少年が姿を現す。

 それにしても時間が掛かり過ぎた。

 このままでは一時限目が終了してしまうだろう……と思っていると、いきなりルーク少年が何者かに蹴飛ばされたかのように教室内へと飛び込んできた。廊下にまだ誰か居るのか? と思ったが、少なくともフィリアの位置からは誰かが居るようには見えない。


 ともあれ、ようやくルークと言う名の少年が全体像を現したのだった。


 その姿に、「おおー」という感嘆の声と「キャーッ!」という黄色い歓声が飛びそうになる。さすがに教室内だからか、ぐっと飲み込んだようだが。


 ……美少年だった。

 歳はフィリアよりも下のようで、ふわふわした金色の髪に、女の子と見間違う程の可愛らしい顔。オドオドした態度は、女性の母性本能を加速させるだろう。

 だが、城に居た頃にイケメンの騎士やら貴族の息子やらを見慣れているフィリアは、特に胸をときめかせる事は無かった。

 チラリと隣を見れば、特にナティアも恋に落ちた……と分かりやすい反応はしていない。何故だかフィリアはホッとしてしまう。

 だが、それ以外のほとんどの女子は、目をハートにしてルーク少年を見つめている。

 ここまでくると、自分達が異常なのではと勘違いしてしまうものだ。


「ど、どうもルークです。しばらくの間ですが、よよよ……よろしくおねがいします」


 ようやくある程度の声量で挨拶をする事に成功。

 しかし、あの様子ではアレが新しい護衛という事はあるまい。それだけ少しホッとした。


 その時……


「で、この子がそのお姫様でいいの?」

『渡されたデータと100%一致……間違い無いようですね』

「んじゃマーキングしといて」

『了解です』


 そんな声が背後から聞こえた。自慢じゃないが、耳はいいのである。そんな自分でも、ギリギリ聞き取れたレベルの声。

 急いで振り返ってみるが―――


「あれ? ……居ない」


 そこには誰も居なかった。

 フィリアの席は一番後ろであり、後ろにあるのは壁のみ。話をするような者は誰も居ない筈なのだが……。


「どしたの?」


 振り返ったまま首を傾げていると、ナティアが声を掛けて来た。

 とりあえずなんでもないと答えて正面を向く。

 教室内ではルーク少年の席を決める為にあれやこれやと騒いでいるようだが、フィリアとしては自分の席の近くでなければどこでもいいと思っていた。


 このような形で、ルーベリー王国第一王女フィリアの最後の学生生活が幕を挙げたのだった。


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