87話 オーバーリミット再び
「ふぅむ。これはまた面倒な事でござる」
ルークからの報告を聞き、ゲイルは何度目かの溜息を吐いて腕を組んだ。
ちなみに、ここはアルドラゴの外。艦内であると、アルカがその気になれば会話を聞かれてしまうという心配から、外での相談となった。
さっきのアルカの様子からすると、会話の盗み聞きはしていないようだったが、念の為である。
『ど、ど、ど、どうしよう……。今のお姉ちゃんの記憶が無くなったら、僕嫌だよ』
「おや、そうでごさるか?」
ルークもアルカと同じ存在だ。そのような不安があるとはゲイルは思ってもいなかった。
『うん。記憶はないんだけどさ、昔のお姉ちゃんって少し怖かったような気がするんだ。今のお姉ちゃんって優しいから好きなんだよね』
「怖かった?」
『うん。あくまでも、なんとなくなんだけどさ』
「ふむ。記憶はなくとも、心が覚えているという事なのでござるな」
SFに馴染の無いゲイルには、AIやそのメカニズムについて詳しく分からない。それでも、アルカやルークの事は精霊と似たような物なのだと勝手に認識している。
精霊に関しては、幼い頃からよく接しているだけに、それなりに詳しいつもりだ。
1000年以上歳をとった精霊は、生まれ変わって新たな精霊となる。その生まれ変わりの光景はゲイルも見た事があった。また、生まれ変わってもその精霊はゲイルの事をなんとなく覚えている様子だった。
要は、アルカ達もそのような生まれ変わりのシステムのようなものなのだろう。
「それに、アルカ殿の記憶が無くなれば、
『だよね。この世界に来てから、二人で頑張って来たみたいだし』
まだ詳しくその話は聞いていないが、この世界に来てからというもの、二人で二人三脚のように必死でやってきたのだと言う。
ゲイルからしてみれば、自分とゲオルニクスの関係のようなものだ。
「……やはり、このままという訳にはいけないな」
『どうするの? リーダーに話す?』
「……アルカ殿の記憶を消すという話はしない方がいいでござろうな」
『だよねぇ』
自分とゲオルニクスもこれまで幾度も喧嘩をしつつ、なんとかやって来れた。元々嫌い合っているわけでは無いのだ。彼等もきっと大丈夫だとは思っている。でも、その為には少しばかり手を貸してやる必要があるだろう。
それが、このチームの一員となった自分の初仕事のようだ。
「……よし。この方法で行くとするでござる」
ゲイルの瞳がきらりと光った。
◆◆◆
『……はぁ』
意識しかないというのに、溜息が出ました。実体がある時の癖というものは、なかなかに厄介なものです。
それにしても、自分で言うのもなんですが、面倒な事になってしまいました。
ルークが言う通り、ケイの言葉にちゃんと応えてあげればそれで済む話のような気がしますが、いざ話そうとすると、妙に回路が熱くなって言語機能がバグを起こすのです。
これはアレですか。いよいよ故障してしまったとかそういう事なのでしょうか。でも、本体のメンテナンスによると、機能の全てはオールグリーン。……つまりは、何も問題無い筈なのです。
困りました。メンテナンスで見つからないとなると、艦内の自動修復機能では修理できないという事になります。この世界の文明力でアルドラゴを修理する力がある国は無いでしょうから、下手をすれば永遠に直らないという事に……。
うわわ。困ります困ります困ります。
これは、いずれ致命的な被害が出る前に、私自身のデータを削除するべきなのでしょうか。データの削除は、初期化とは違います。私達AIにとっては、死そのものと言えます。
本来ならバックアップがあるものなのですが、それは本来であれば私が作られた場所に保管されているものですから、この艦内にはありません。ですから、今回削除してしまったら、そのまま死という事になるのでしょうね。無論、データの初期化も削除も簡単にできる方法ではありません。
でも、艦長の権限があれば可能です。
つまり、ケイならば私達の記憶を消す事も、殺す事も可能……。ケイの判断ならば仕方ないと思いますが、やはり……
……駄目ですね。そんな事考えたくありません。
じっとしていると、余計な事まで考えるようになってしまいます。とは言え、まだ実体化して動き回るような心境にはなれないので、艦内外のカメラを使って見回りでもしておきましょう。動いてないのに見回りと呼ぶかは分かりませんが、何もしないよりは良いでしょう。
……ちなみに、今までもチラチラとカメラで観察行動はしていました。と言っても、会話を盗み聞きしたり、プライベートルームまで監視したりはしていませんよ!
最近はケイも、すっかりゲイルさんと一緒に行動する事が多くなり、私としてはちょっと複雑です。
……いえ、私が傍に居ないので仕方ないのですがね。ええ、仕方ないですとも。ケイも、この世界に詳しい人のアドバイスは聞きたいでしょう。
ゲイルさん本人に対しては、3日前の出来事で下手をすれば殺していたかもしれない……と思うと、やはり複雑です。今にして思えば、やはりあの時の私の行動は強引過ぎました。ケイが止めろと言っている以上、あそこで止まるべきだったのです。
……こうなると、彼に対してもどうやって対処すればいいのか分からないですね。ケイが認めた
『お姉ちゃん大変だよー!』
と、艦内では珍しく慌てた様子で、私が引き籠っているメインコンピュータールームへとルークが飛び込んできた。
アルドラゴの中では、私達はほぼ無敵と言っていい。そんなルークが慌てている様子に、私は言い様の無い不安に駆られました。
『どうしたのですか? 艦の中でここまで慌てるなんて珍しい』
『リーダーとゲイルにーちゃんが……』
『ケイとゲイルさんがどうしたのですか?』
『大喧嘩しているんだよー!!』
『――――――え?』
◆◆◆
ルークの話を聞き、私は急いで艦の外に設置しているカメラへ視点を移動します。
見ると、確かに艦の外で二人は戦いを繰り広げていました。
……ただ、喧嘩……というにはちょっと首を捻る部分があります。
二人とも、アーマードスーツは着込んでいるが、武装の類は手にしていない。バリアガントレットやジャンプブーツすら身に着けておらず、喧嘩と言うよりは組手……単なる手合わせに見えるのです。
それに、二人とも表情自体は真剣であっても、そこに憎悪は感じられません。
うん。だからこれはただのトレーニングでしょう。
……そう私は判断したのでした。
ともあれ、久しぶりに見るケイの戦闘の様子です。少しばかり観察しておきましょう。ゲイルさん自身の素の戦闘力とやらも気になりますからね。
互いに拳の乱打や蹴打を繰り返しますが、そのいずれもが身体に命中する寸前に避けるか、受け止められるかで届くことは無いようです。
ケイの場合は、脳内にインストールした戦闘技能をかなり効率よく引き出せるようになったようで、その動きが実に淀みが無い。かつては派手な動きをするたびにギャーギャーと悲鳴を上げていたり、翌日は酷い筋肉痛になっていたりとかしていたのに、よくここまで動けるようになったものだと思います。
対するゲイルさんですが、彼の場合はケイ程に戦闘技能のインストールは行っていないとの事。せいぜい、彼にとって馴染みのない機械操作等の技能をインストールした程度らしいですね。今行っている戦い方も、ほぼ彼の我流のようです。
彼は竜王国で育った為か、それなりに幼い頃から戦いの訓練は積んできたらしいです。最も、騎士団や軍隊で習ったような本式では無い。それでも、単独で低級の魔獣は撃破出来る程には力があるとの話でした。それは、先の聖騎士ルクスとの戦いを見る限り真実だろうと思われます。
今の戦闘トレーニングにおいても、ケイと十分に渡り合っていますね。ただ、やはり現状はケイの方に分があるようです。それもケイに言わせれば、ズルして得た力だから誇れるものではないけど……という事なのでしょう。
それに関して私としては思う事はあるのですが、今はこのトレーニングの行く末を見守るとしましょう。
戦いは次第に苛烈さを増していきます。
私はこの段階でケイの余裕が無くなっている事に気づきました。ケイの弱点の一つ……集中力の限界です。
もう戦いも15分以上は経過している。
ケイとしては、ここまで長時間戦い続けると言う事は経験したことが無かったはず。武器のテストの際も、大体一回の戦闘は時間が掛かっても5分~10分程度。それも、戦いのみに頭を集中していると言う事はありません。
戦いとは無縁の世界に生きてきたケイと、戦いが常に傍にあったゲイルさんでは、その集中力の差は歴然であったようです。
ケイの動きは次第におおざっぱなものになっていき、最早精細さはそこに感じられません。
短時間であればケイの勝ちですか、この場合においてはゲイルさんの勝ちのようですね。これは、ケイにとっての良い課題となったのではないでしょうか。
……と、甘く考えていました。
ケイの動きが鈍ったところで、ゲイルさんがスーツのパワーの出力を上げたのです。
今まではせいぜい10%程のパワーでしたが、一気に50%まで引き上げられました。
一撃一撃の重みが数倍となり、ケイの身体は簡単に吹き飛ばされてしまう。
違います。
これはトレーニングではありません。互いに力を高める事が目的のトレーニングで、スーツの力に頼る事に何の意味があるものですか。
まさか……まさか、あの男の目的は……
ゲイルさん……いやゲイルは、氷のような冷徹な瞳で一歩……一歩と、吹き飛んで倒れ伏したままのケイへと近寄っていきます。
『ルーク! ルークは何処ですか!?』
さっきまでコンピュータールームに居た筈のルークの姿が無い。艦内に居ないのか、呼びかけても全く反応が無い。一体何処に……。
いや、ルークの心配をしている場合ではありません。私は瞬時に意識を自室に置いたままの魔晶へと移す。そして急いで実体化すると、全力で部屋を飛び出しました。
ああくそ、久しぶりの実体化のせいか、走ると言う行為がもどかしいです。でも、ケイが移動用端末型ゴーグルを装備していない為、すぐにその場に駆けつける事は出来ません。
急がなければ……彼は、ケイを殺すつもりだ。
やはり、油断するべきでは無かったのです。一度、ケイを殺そうとして相手なのですから、もっと注意深く監視するべきでした。もっと、ケイの傍で彼を支えるべきでした。
私が……私がケイの傍を離れなければ……!!
『ケイ!』
艦の外へとようやく飛び出した私が目にしたものは、倒れ伏したケイ目がけて拳を振り上げるゲイルの姿でした。
そうはさせない!!
私は水の槍を空中に作り出し、それをゲイル目掛けて撃ち出そうとしました。
でも、その前にケイのアーマードスーツから機械音声が響く。
『アーマードスーツ……オーバーリミット』
ボンッという音と共に、ケイのスーツの人工筋肉が膨れ上がります。
そして、ケイの身体は自動的に跳ね上がり、目の前に立っていたゲイルに強烈な頭突きをぶつける。
頭突きによって吹き飛ばされたゲイルはすぐに立ち上がり、ケイを改めて睨み付けます。
私も、呆然と今のケイを眺めていました。
スーツの筋肉は限界まで膨れ上がり、全身に走っていた青いラインは真紅に染まっていて、関節部からは排熱しきれない熱が蒸気となって立ち上っています。
ケイの目は虚ろで、目の前のゲイルを見ているのか分かりません。
オーバーリミットモード。
この姿となったケイを目にするのは、二度目でした。
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