序章 『アインウルフの帰還』 その2


 『カムラン寺院』の中庭を走り、ゼファーは夜空へと駆け上る。すっかりと『メイガーロフ』の天空を支配しているな。短い距離で加速しながら、夜風を吸い込みながら笛みたいに鳴る採風塔の周囲をぐるぐると旋回しながら上昇していく。


 よく晴れた寒い夜空だ。やはりワインは必須だったよ。抱き着いて温めてくれる猟兵女子はいないしな。オレは赤ワインに口をつける。ああ、夜風に若くてフルーティーな果実の香りが漂う……ゴクゴク飲んでやるのさ。胃袋からアルコールの熱量を体に伝えるために。


「はー……美味いな」


「なあ、サー・ストラウス、もう飲んじまったんだが」


「……そう言い出すと思ってな。ほらよ」


「おお!……ワインじゃないな……?」


「東のケットシーの山賊団が愛してやまない蒸留酒だとよ。サボテンって無数のトゲが生えた植物から作ったらしい」


「そいつは邪悪な植物だ。なんとも、辛口の酒になりそうだな」


「度数がキツイ割りには、純粋さも感じる味だったよ。味は自分の舌で知るといい」


 背後にいるギュスターブに、茶色い酒瓶を渡した。瓶のフタをひねる、ガラスとコルク栓が奏でる、キュッキュッという愛らしい音が聞こえてきた。


「ヘヘヘ。美味そうだな……んー……」


 ゴクゴクと一気飲みするバカな酒飲みの音が聞こえたな。


「ぶはああっ!?……おー……っ。ま、マジか……これ、スゲー……っ!!」


「サボテン酒の一気飲みか。それで死んだ兵士がいたって言い伝えを思い出したよ」


 マルケスが年長者らしく知識を披露する。


「……さ、先に言えって……っ。はああ、体が燃えちまいそうだっ!!」


「ちょうどいいな」


『ちょーどいいよねー。よぞらは、さむいもーん!』


「そ、そうだが……ふー……っ。うおおお!……はー……なんていうか、口と鼻から火でも噴きそうだ……っ」


「バカ飲みしなくて済んで良かったな」


「……サー・ストラウス、わざと黙っていたのか?」


「いいや。運命を観察していただけに過ぎんよ。酒飲みと珍酒が出会ったときの化学反応をな」


「そ、そうか?……あー。ダメだ……だいぶアタマが回んなくなって来たぞー」


「ゆっくりと星でも見ながら飲むといいよ、ギュスターブ」


「……そういうキザなのが、文明的ってことなのかよ?」


「そうかもしれないね。私は星の煌めきと、この若い赤ワインはよく合うと思うね」


「……マジかよ。じゃあ、オレには一生ムリだな……星なんて見て、何が楽しいんだよ?」


「キレイだぜ?」


「あー……サー・ストラウスが蛮族男子を裏切って、文明人ぶってやがる」


「オレはそこそこ洗練されているんだよ。酒の楽しみ方も、色々と分かっているのさ」


「マジか……星ねー……サー・ストラウスにも分かるんだから、オレも分かるようになるかな、練習次第では……」


 ギュスターブは失礼な発言をした後で、星を見て美しいと感じる練習を始めた。静かになるな。どうせ、そのうち眠っちまうパターンだよ。酔っ払いが星なんか見つめたときの末路なんて相場が決まっている。アドバイスをしておこう。


「ギュスターブ、お前は馬の背で眠って経験は少ないだろう?」


「……あんまり無いなー……眠って、ベヒーモスの背中から落っこちたことはある」


「墜落の前科者か」


「つい二週間前のことだ……その直後、うちのジャスカ姫さんの旦那に轢かれかけたこともあるよ」


「蟲となったままの哀れなロジン・ガードナーにか」


「ああ……動物の背中ってのは、温かくて、眠くなる……竜の背は、とくに温かいなー」


「確信が得られたよ。お前には最適のアドバイスだ。このロープで、ゼファーの鎧と自分のベルトでも結んでおくといい。眠ってゼファーの背から落ちないようにしちまうのさ」


「なるほど!……賢いな!……ていうかよ、サー・ストラウスやアインウルフは、竜や馬の背で眠っても、落ちないってのか?」


「当然だな」


「当然だよ」


『とーぜんだよねー。でも、ぎゅすたーぶ。あんしんしてね!……おっこちても、じめんにぶちあたってつぶれちゃうよりさきに、ぼくがかいしゅうするよー』


「……潰れるか……あー……夜だから地上が見えにくいけど、マトモに落ちたら死んじゃう高さだよな……」


『もんすたーをね、このたかさからおとすと、ばくはつするよ』


「……よし、結んでおこう!」


 アドバイスは聞くべきだな。ゼファーが回収のために飛んでやることは、避けるべき行為だ。スピードをムダに落としてしまうからな。


 ゼファーは北風に乗って加速している。このまま南下して、そこから内海の風を拾う。内海からは南風が上がってきているが、この北風と山肌にぶつかることで、東向きへと反れちまうのさ。


 そいつを見つけなくてはならん。潮の香りを帯びて、風がぶつかり合って、熱が生まれる場所をな……何とも見つけやすそうだ。『イルカルラ砂漠』の夜空は平和なものだし、山沿いに飛べば砂嵐に巻き込まれることもほとんどないさ。


 あの重たげな嵐は、あまり山登りが上手ではないようだからな。


 赤ワインを飲みながら、空について竜騎士らしい観察を続けたよ。夜の色を注がれた『メイガーロフ』の大地は青と赤が混ざって黒く濁って見えるな。焼け焦げた石……砂地から石ころだらけの荒野になる。


 バカな会話をしながらも、ゼファーは常に加速を続けていたからな。


「……そろそろ風が来るぞ、ゼファー。内海の方も、晴れていやがるからな」


『うん。しおかぜをさがすねー』


「においで、探るのかね?」


「ああ。潮風は空に巻き上がっても、においが染みついてやがるからな……それに、生暖かく、上向きに跳ねようとする……もうしばらく飛べば、南北の風が混ざって、熱を帯びる」


「……風が熱い?」


「わずかなものだがな。それを見つけて、お前の地元の方角へと飛ぶ」


「……つまり、私の地元は、『イルカルラ砂漠』の砂風と、内海からの風が混ざったものが注ぎ込んでいるのかね?」


「そうなる。肥沃な農地が生まれやすいだろうな……砂の風と湿り気が届く土地は、空から肥沃な土が降って来るのと同じものだ」


「……豊かな小麦の畑が、海のように広がっている……なるほどな。縁の深い土地だったのか、私の育った土地と……この『メイガーロフ』は……馬たちが強く育つ共通項も、もしかしてそこにあるのかな……」


「そこまでは分からん。馬の専門家であるお前に分からないことを、竜騎士であるオレが知るはずもない」


「たしかにね。でも……少し世界観が変わったよ。ありがとう、ソルジェくん」


「いいってことさ。空の持つ面白さが、少しでも伝わってくれたなら、竜騎士としては嬉しいもんだぜ」




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