エスパー父ちゃん、はじめての家族会議

よろず

前編

 最近、息子が俺へと向ける眼差しには疑いと、微かな期待が含まれている。


 遠くのほうからじっとこちらを見つめているかと思えば、声帯を使わずに


『父ちゃん! 父ちゃーん!』


 と俺を呼ぶ。

 それは心の声で、俺にしか聞こえないものだ。


 俺は、若い頃に起こしたバイク事故がきっかけで、テレパスが使えるようになった。

 それが異常だと理解しているから、普段は悟られないよう細心の注意を払っているのだけど……家の中で奥さんといると、ついつい気が抜けて。彼女の頭の中の声と会話してしまうことが、多々あった。


 それを産まれてからずっと見ていた息子は、俺に対して疑念を持ったようだ。


『レイさーん。どこー?』


 彼女も彼女で、当然のように頭の中で話し掛けてくるのも、良くないのだろう。

 だけどやっぱり、その声を無視はできなくて。


「ふうちゃん!」


 突然大声を出した父親に息子は驚いた様子だが、この程度ならセーフだろうと考えた俺。


 だけどその意図は、愛しい奥さんには伝わらない。


『お昼ごはんできたよー。父ちゃん大好きっ子のシンちゃんも一緒でしょう? 連れて来てねー』


 ガレージから叫んだ俺の声は、キッチンにいる彼女に聞こえていたはずだ。なのに俺にしかわからない方法で反応するのは、それが楽だからだろう。


 その後は、頭の中で彼女が歌う歌声が聞こえてきた。


 彼女はこうしていつも、俺が持つ秘密の能力を便利に使う。


しん。おいで。……たぶん、そろそろご飯だ」


 結局、俺は息子を手招きで呼び寄せ、ガレージから家の中へと入った。

 息子と一緒に洗面所で手洗いうがいをしてから、ダイニングに向かう。


「シンちゃん、おかえりー」

「ママー。お腹空いたー」

「お昼ごはんは冷やし中華でーす」

「ゴマのやつ?」

「みーんな、ゴマちゃんだよー」

「おそろいだね!」


 愛しい奥さんと息子がわちゃわちゃ抱き合うのを横目に見ながら俺は、床に座り込んで熱心にブロックで遊ぶ娘のもとへ歩み寄る。


「ご飯だぞー、うた。お、お城すごいじゃないか」


 三歳になった娘。

 息子は、来年小学校へ入学する。


『父ちゃん! だっこ!』


 傍目から見れば、無言の娘が両手を広げて俺を見つめているだけだ。

 だけど俺の頭の中には、娘の心の声が届いている。

 普通の親でも、子供にこの動作をされたら抱き上げるよなと考えながら、娘の小さな体を抱き上げた。


「れーいさん」

「父ちゃん!」


 背中に柔らかな温もりがぶつかって、足元には、小さな熱がしがみ付く。


『『だいすき!』』


 幸せな二重奏。

 思わず笑顔になった俺は、奥さんと息子へキスの雨を降らせた。


『うーちゃも、父ちゃんしゅき!』


 幸せいっぱいな俺の最近の悩みは、娘が、俺に対して声帯を使った会話をしようとしないことと、息子にエスパーだと疑われていることだ。

 


   ※



 子供たちが寝静まった、夜。

 

 束の間の夫婦の時間に、俺は子供たちのことを相談しようと口を開く。


「最近、しんがさ、疑ってるみたいなんだ」

 

 静かな寝室には二人分の寝息と、俺の頭の中にだけ響く、彼女の優しい歌声。


「何か、応えてあげた?」


 息子と娘の布団を整えてから、立ち上がった彼女が、寝室の入り口へ立つ俺のもとへと歩み寄る。

 その返答はまるで、俺が応えることを当然と思っているかのようだった。


 会話をする時、彼女の心は静かで。口に出す言葉と思考の差は、ほとんどない。


 寝室から出て、俺たちは隣の部屋のソファへと並んで腰掛ける。


「応えられないよ」


 俺の返答に、彼女は言葉と心で、「どうして?」と問う。


「まだ子供だ。外で話したら、困るだろう? 幼稚園とか、じいちゃんばあちゃんとか。……嘘つきって、傷つけられるかもしれない」

「そうならないように、教えてあげればいいんだよ」

「そんな簡単なことじゃ、ないだろう」


 父親は心の声が聞こえます、なんて。当事者の俺ですら、奥さんにしか話せていないのに。


 子供は純粋で、純粋だからこそ、残酷だから。

 俺や彼女の両親だって、想像力が豊かなんだなとか言って笑い飛ばすに決まっている。


 俺が原因で子供たちが傷つくのは、避けたい。


「シンちゃんは、話せばちゃーんと、わかる子だよ。子供だからって理由で対話を避けるんじゃなくて、わかるように教えてあげればいいと、私は思うな」


 だって、私とレイさんの子供だからと、彼女の心が自慢げに告げた。


「それと、うたも。俺には、普通の会話をしてくれないんだ」


 ぽすりと、彼女がいる側の肩が重みを受け止めた。

 俺は姿勢を変えて、ほっそりした肩に腕を回す。


「うん。気付いてた」


 その言葉に、俺は驚く。

 彼女は、普通の人だ。少し変わったところもあるけれど、テレパスは使えない。


「うーちゃん、私とシンちゃんには普通にお話しするんだよ。でもそうなる前は、たぶんだけど、考えてることが聞こえてるかなぁって、試してた」

「俺が、心の声に反応しちゃったからかな」

「子供って、敏感だからね。シンちゃんだって、話せるようになってきたばかりの頃に同じようなこと、してたよ」

「え? 全然、気付かなかった」

「はじめての子育てで、てんやわんやだったしねー。無意識の行動って、記憶には残らないよ」


 過去の自分を思い返してみれば確かに、何も考えず、心の声に反応してしまっていたような気がする。

 言葉がわからないうちは、そのほうが楽だからと。相手は子供だからと、もしかしたら、軽んじていたのかもしれない。


「……俺、どうしたらいいと思う?」


 頭を抱えた俺の隣で、彼女は静かに笑った。


『話せばいいんだよ』


 偽ることのできない心の声が、告げる。

 心の声は、思考がまとまる前の、ダイレクトな本音だ。


 彼女が身動ぎをする、微かな空気の振動音。


 答えを出せないでいる俺の唇を、彼女は優しく啄んだ。


 キスを深めようと身を寄せたが、するりと彼女は遠ざかる。


『今は、お話が先』


 声帯を震わせず、逃げた理由を彼女は告げた。悩む俺がかわいくてキスがしたくなっちゃったのと、愛らしい本音のおまけ付き。


「話さないとして、シンちゃんとうーちゃんの名前の由来は、なんて説明するの?」


 息子は、心と書いて「しん」。

 娘は、詩と書いて「うた」。


 心の中で歌う彼女と、その歌声に恋をした、心の声が聞こえる俺。

 そんな二人の子供だからと、彼女が決めた名前。


「親達に説明したのと同じで、それしかないと思ったからじゃ、駄目なのか?」

「じゃあ、私達の馴れ初めは? うーちゃんが大きくなったら、きっと興味を持つよ。女の子だもん」

「それも同じでいいだろう? 同じ通勤電車で、俺が一目惚れしたってやつ」

「全部、嘘ではないけど、真実でもないね」


 不満だと、彼女は表情と心の声で、告げた。


『今はまだ、もしかしてって思ってるだけだけど、シンちゃんは、わかっちゃうよ。うーちゃんも、そう。わかっちゃった時に嘘でごまかすのは、違うと思うんだ。それは、嘘つきって笑う人達と同じ。それかそれ以上に、二人を傷つけちゃうんじゃないかなぁ』


 俺の腕をそっとさすりながら、彼女の心が、俺を諭す。


『どうしてお外で言っちゃ駄目なのか、それも全部、話そうよ。わかってもらう努力を、親が放棄するのは、違うと思う』


 何となく、意識を隣の部屋へと向けてみる。


 聞こえるのは、空気を震わせる規則正しい寝息が二人分。

 夢を見ているのか、楽しそうな心の声も、聞こえてきた。


 俺は、彼女の顔を見つめる。


 それに気付いた彼女が、微笑を浮かべて俺の視線を受け止めた。


 彼女の心は、風のない日の湖面のように、凪いでいる。


「…………わかった」


 静かな室内には、俺の声だけが響いた。

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