仏師のたまごでしたが、悪役令嬢に転生したため気をしずめようと仏像を彫りまくっていたら、おかしなことになりました。

新 星緒

仏師のたまごでしたが、悪役令嬢に転生したため気をしずめようと仏像を彫りまくっていたら、おかしなことになりました。

 仏師という職業がある。仏像を専門に彫る彫刻家のことで、わたしはそのたまごだった。その道を志すようになったのは小学生のとき。

 育ててくれた祖母が神社仏閣がマニアで、彼女が好きなものをプレゼントしたいと考えたときに思い付いたのが仏像だった。でも高い、それなら自分で作っちゃえ! ということで図工の時間、木箱のフタに弥勒菩薩の顔を彫った。祖母はものすごく喜んでくれた。上手だ、センスがあると褒めてもくれた。

 単純なわたしは仏師になることを決めた。


 仏師への道はいくつかあるけど、わたしは祖母の希望で仏教芸術を教えてくれる大学に進学した。祖母はまたしても大喜び。わたし、大満足。

 だけどわたしの卒業を待たずして彼女は事故で亡くなった。それから間もなく、わたしも。


 今のわたしはドゥアリー・ロンタージュ。公爵家の長女で十四歳。どうやら異世界に転生をしたらしい。つい先日ひょんなことで前世の記憶がよみがえった。ここは友達に一度だけ熱く語られた乙女ゲームの世界だと思うのだ。そしてわたしは十中八九、悪役令嬢。王子の婚約者だし、意地悪な顔をしているから。


 どうせなら和風の異世界が良かったんだけど、そんな文句を言っている場合じゃない。悪役令嬢というのは最後に処刑されるものなんでしょ? よく知らないけど。友達がそう話していた気がする。


 今すぐ、ということはないと思う。恋愛ゲームなら年齢がもう少し上だと思うのだ。だとしても猶予はあまりない。前世のわたしはゲームの内容をよく知らないし、今のわたしは世間知らずの公爵令嬢。


 両親は社交に忙しくて顔を見かけるのは月に数度だから、頼れない。兄弟姉妹はいない。友達もゼロ。執事やメイド、家庭教師たちはいるけど、相談できるほどの仲じゃない。そもそも前世も今世も人見知りのコミュ症だもの。しかも短気で怒りっぽい。今のわたしは前世のわたしから見たら、ワガママで自分勝手すぎるし。もう処刑まで待ったなしじゃない?


 不安でおかしくなりそう。死ぬのは嫌だし、処刑だなんてもっと嫌。どうすればいい? わたしが助かる方法はある? 婚約を解消したいと執事や王子に言ってはみたけど相手にされなかったし、家出も考えたけど、たぶん実行翌日には野垂れ死んでいると思う。


 わたしにはこの世界でひとりで生きていける知恵も力もない。できることは貴族として生きるために必要なものだけ。あとは……そう、仏像を彫ること。


 まだたまごでしかなかったけど、祖母はわたしの作る仏像を好きだと言ってくれていた。彫っているときは一心不乱になるから余計なことは考えなくて済む。怒りや惑いがあればお顔に出てしまう。短気で怒りっぽいわたしは、仏像を彫っているときだけは感情を上手くコントロールできるようになっていた。

 いや、もしかしたら御仏のお導きで気持ちを凪ぐことができていたのかもしれない。





 不安でおかしくなりそうなわたしは、仏像彫りに逃避した。

 彫って彫って彫りまくって、心の平穏を得ようとしたのだ……。



 ◇◇



 前世の記憶がよみがえってから四年。今のわたしはわずか十八歳にして弟子を二十人も抱える『巨匠』だ。仏像を彫りまくっていたら、 欲しがる人たちが現れたので無償で譲った。わたしの目的は彫ることで、お金を稼ぐことじゃないから。そうしたら、わたしの知らないところで仏像は人気が出て国内はおろか外国にまで広まった。弟子志願がひとり来てふたり来て……。


『仏像が珍しいからだろう。すぐに人気は下火になる』


 わたしはそう考えて弟子をとったのだけど、ブームは去らず弟子は増える一方。今では屋敷のとなりに工房兼弟子用住居が立っている。それでわたしはいつの間にか、『巨匠』と呼ばれるようになった。

 前世では仏師のたまごでしかなかったわたしが『巨匠』だなんて、おこがましいにもほどがある。でも定着してしまった。工房の主なのだから『親方』と呼んでほしいと頼んでいるけど、スルーされている。


 だけど弟子たちはみんな可愛い。それぞれ得意なものや好みが違うから、象に乗っている帝釈天をひたすら練習する弟子や、螺髪らはつが素敵と如来ばかり作る弟子、千手観音に挑戦し続けている弟子なんかもいる。半数がわたしより年上だけど、どの弟子も愛しくて仕方ないし、彼らに対してだけはコミュ症を発揮することもない。




 彫る手を止めてノミを置き、荒削りの弥勒菩薩を目の高さに掲げる。触りながら目と手でバランスを確認。

 ――よし。


「ドゥアリー様」

 その声にはっとして見ると、斜め前に十一番弟子のベルトが立っていた。彼は工房の中で唯一わたしを『巨匠』と呼ばない。理由は分からない。でもわたしに敬意を払ってくれているのは確かで、ほかの弟子たちもそれを受け入れている。


 年は二十二歳。立ち振舞いや言葉遣いから貴族出身だと思われる。でもわたしの工房内は身分階級による上下関係はなしにしている。出身を言いたければ言えばいい。でも考慮はしない、というスタンス。それでベルトがわたしたちに伝えたのは名前と年齢だけだった。


「完成した? チェック?」と彼に尋ねる。

「違います、ドゥアリー様。今日は外出する日ですよ。そろそろ支度の時間じゃないのですか?」

「……忘れてた」

 弟子たちから笑い声や、『やっぱり』という声が上がる。ベルトもやれやれといった表情だ。無駄に美形だから、そんな表情でもカッコいいけどさ。


「……行かなきゃダメかな。中断したくないのだけど」

「ダメです。今日ばかりは何が何でも、ドゥアリー様をふんじばっても連れ出してくれとご両親に頼まれています」

「ええっ。いつの間に」

「まあまあ巨匠」と一番弟子が言う。「ご両親が工房を建ててくれたから巨匠も俺たちも、ブツゾウに集中できるんです。たまにはご両親の頼みを聞いてあげたらいいんじゃないですかね」

「そうかなぁ」窓の外を見る。「だって、あれだよ?」


 工房から数百メートル先には、こちらに向かって拝んでいる人たちがいる。彼らは新興宗教『ドゥアリー教』の信者で老若男女、貴族庶民、富豪貧乏ないまぜで、両手を合わせ頭を垂れて『ナムアミダブツー』と唱えているのだ。


 わたしが作った仏像は、この世界では異質だった。だって古い時代のヨーロッパをモデルにした異世界だもの。アジアやアフリカといった他地域の文化は皆無なのだ。だから仏像を見た人たちは初めて見るそれの説明を求めた。

 とはいえ『仏像は仏教という宗教のーー』なんて言ったところで、理解はされ難いだろうと思ったし、なにより面倒だった。だから『モチーフは夢の中で見た不思議な人たちで、彼らに話を聞いてもらったら心が軽くなった』と話した。


 仏像を彫ることでわたしの平穏を保っているのだから、あながち嘘ではない。それに彫り始めてからわたしのワガママが極端に減ったから、使用人たちはみな信じた。

 そうしたら仏像を信仰する人たちが現れ、次に彼らはわたしを導師と崇めるようになった――らしい。


 わたしは仏像を彫ることと弟子たちの指導で忙しくて、そんな状況になっているなんて全く知らなかった。いつの間にか『ドゥアリー教』と呼ばれるものができ、ロンタージュ家は聖地とされ、巡礼者がおしかけるようになっていたようだ。


 困った両親は工房の遠巻きの見学 (信者は拝礼と呼ぶらしい)を許可し、従僕を案内係として配置し (信者は御使みつかい様と呼ぶそうだ)、速やかに帰ってもらうための記念品配布 (仏像を彫るときに出る削りカスだけど信者は聖体拝礼と、以外略)を始めた。

 そうしたら余計に信者が増えてしまった。今では彼らはわたしを『教祖様』と呼んでいるという。弟子たちは『使徒様』……。


 いや、恐ろしいって!

 わたしはただの公爵令嬢だから!


 最近は両親も興が乗ってきたのか、巡礼者用の休憩所を建てたり、仏像ガイドブックやわたしの名言集 (仏像についての説明を集めたものらしい)を出版して無料配布をしたりしている。


 ……両親が一番恐ろしいかも。


「ご両親が見学場所を設けて記念品を配布しているからこそ、巡礼者が暴走しないのですよ」

 ベルトがそう言うと、弟子たちはみんなうなずいた。

「それに今日はドゥアリー様の婚約者の大切な日でしょう?」

「そうだっけ?」

 わたしの婚約者はコニョーメ王家の第一王子、タツィオ殿下だ。前世を思いだしてからは忙しくてあまり会っていない。


「今日はタツィオ殿下の十八歳の誕生日」とベルト。「つまり彼はこれで成人」

「おめでとう」

「本人に言ってください。――で、成人を機に立太子される。今日は二重のお祝いの日ですよ」

「……そういえば、そうだったような。――いけない、誕生日プレゼントを用意していない!」

「だと思って、俺が執事さんに手配を頼んでおきましたよ」

「うわあ、さすがベルト! 頼もしい!」

「ベルトは弟子なんですがねえ」と一番弟子。「ほぼ巨匠の秘書」

 弟子たちかうなずく。

 そのとおりなのでわたしもうなずく。彼はわたしの代わりに工房の経営や作品管理、来客の対応までしてくれている。

「屋敷の人たちも巨匠についてはベルトに頼りきりだから」と二番弟子。

 またみんながうなずく。


「それはごめん、ベルト」

「いいんですよ。ドゥアリー様にはブツゾウ制作に集中してもらいたいんですから。でも今日だけは、誕生会に出席してください」

「分かった分かった」


『片付けは俺たちが』と言う弟子たちに礼を言って工房を出る。とたんに見学者たちから悲鳴が上がる。

「教祖様ー!!」

「ありがたやー!!」

「ナムアミダブツー!!」

 ……これは初期に『心を落ち着かせる言葉だ』と、わたしがメイドに言ったのが広まってしまった。今ではドゥアリー教、唯一の祈りの言葉として定着しているらしい。


「教祖様ー!!」

「お美しいー!!」

「こっちを向いてー!!」

「手を振ってー!!」


 いや、おかしくない?

 となりを歩くベルトを見ると

「最近ではドゥアリー様と目が合うと幸せになれるとか、手を振ってもらえると心が洗われるとか言われているそうです」と言われた。

「なにそれ。本人置いてきぼりなんだけど」

 でも一応手を振る。黄色い悲鳴が上がった。まるでアイドルみたい。


「ドゥアリー様の神秘的な美しさが、噂をどんどん作りだしてしまうのですよ」とベルトが言う。

「ええ? 美の暴力かなってくらい美形のベルトにそんなことを言われてもなあ」

「えっ!」ベルトが足を止めた。まん丸な目でわたしを見ている。「俺のこと、美形だって思ってるんですか」

「誰がどう見たって、ベルトは美形でしょ。さらさらの銀髪も緑の瞳も」

「……ドゥアリー様は何も言わないから、俺の顔は好みじゃないのかと思っていた」


 気のせいかベルトが嬉しそうだ。そういえば、あまり彼を褒めたことがないかもしれない。仏像の出来はいつも称賛しているけど。


「ベルトの顔はキレイだと思うよ。わたしのお世話もよくやってくれるし、弟子たちをまとめるのも上手いし。――個性が強いみんなが、仲良くしていられるのはベルトのおかげだと思っている。あなたが来る前は、弟子たちのケンカがけっこうあったから」

「俺、役に立ってますか」

「もちろん!」

 ベルトが微笑む。

「――行きましょうか」


 彼のことは本当に名前と年齢しか知らない。出身地も家族も、工房に来る前に何をしていたのかも。他の弟子たちは、一緒に工房にこもっている間になんとなく分かってくる。会話の中に自然と出て来るから。ベルトにはそれがない。謎の人だ。だけど一番、わたしをよく見ている。だからわたしが好まない『巨匠』という呼び方をしないのだと思う。


 ――ベルトが弟子になって二年。いつまでここにいてくれるのだろう。なんとなくだけど、ベルトは本来はこんなところにいる人ではない気がするのだ。

 もっとも婚約者がいるわたしが、いつまで工房を開いていられるかも分からない。王子が立太子されたなら、そろそろ結婚をとなるのかもしれない。



 ◇◇



 支度を終えると、わたしは何ヵ月がぶりに令嬢らしい姿になっていた。普段は動きやすく汚れてもいい服、ということで一見庭師にしか見えない格好をしているから。髪も後ろでひとつに結んで終わり。だけど今日はひらひらのドレス、キラキラの装身具、ふわふわのヘアスタイル。四年の間にたくましくなった手は長手袋をはめて無骨さを隠した。

 鏡に映る自分の姿にみとれてしまう。


 ――ベルトに見てもらいたいな。


 そんな気持ちが湧き上がる。さっきみたいに褒めてもらいたい。

 彼はもう工房に戻ってしまっただろうか。何かあちらに行く口実はないかな。


 考えながら自室を出ると、そこには麗しく着飾ったベルトがいた。

「どうしたの、その服装!」

 そばにいたメイドが、はぁぁっとため息をついた。

「ベルトさんがエスコート兼秘書兼ボディーガードとして同行すると、執事長も旦那様も奥様も仰っていましたよ」

「あら?」

 そうだっけ? 外出は気乗りがしないから、聞いてなかったのかもしれない。

 ベルトは、『まったくこれだから』と苦笑している。

「ドゥアリー様は」とベルト。「工房にこもってばかりで公の場所に出ないだけでなく、来客と会うこともしないでしょう? 貴族の中には信者もいれば『ドゥアリー教』を異端視する者もいる。だから俺が一緒に行くんですよ」

「……そっか。ありがとう」


 そう言われてみると、そんな説明をされたような気がする。弟子をひとり連れていけ、と。

 だとしても王子の婚約者が他の男性のエスコートで誕生会に参加しても、いいのかな。しかもこんな美形。


 ま、いいか。両親がそうしろと言っているのだから。

「ではよろしくね」

「はい。本日はしっかりあなたを守りますから、ご安心を」

 ベルトは花がほころぶような笑みを浮かべた。

「それからドゥアリー様。今日は一段とお美しい」


 どくん、と心臓が大きく脈打つ。


「……ありがとう」


 欲しかった言葉をもらってしまった。嬉しい。



 ◇◇



 タツィオ殿下を祝う会が行われているのは王宮の大広間で、多くの招待客で賑わっていた。

 わたしはベルトの予想どおりに信者や批判派やらに次々と話しかけられたけど、全部彼がスマートに対処してくれた。やっぱりベルトは貴族出身にちがいないと思う。一方で、誰も彼を知らないから、貴族ではないのかもしれないとも思う。


 そんな謎の人ベルトに守られながら、婚約者の元へ行く。王と王妃、あとは知らない人たちに囲まれてタツィオ殿下はご機嫌そうだ。――記憶の中の彼よりだいぶ成長しているけど。ええと、最後に会ったのはいつだっけ?


 と、視線に気づいたのかタツィオ殿下がわたしを見た。とたんに彼は不快そうな顔になった。

「ようやく来たか!」叫ぶ殿下。

 まだ距離が少しあったけど、わたしは足を止めて礼をする。

「遅くなり申し訳ありません。このたびは――」

「ドゥアリー・ロンタージュ!」と殿下。

「はい」

「もう限界だ! どれだけ私を蔑ろにすれば気が済む。記念すべき会にこんな遅く来るなんて! 誰よりも先に来て祝うべきだろう」

「……申し訳ありません」


 一応、遅刻ではない。でもこの状況なら咎められても仕方ないと思う。実際、お呼ばれしていたのを忘れいたし。

 どこからともなく両親が出て来て、

「久しぶりに会う殿下のために、念入りに支度をしていたのです」

 とフォローをいれてくれる。


「うむ、まあ、確かに美しい」と王。

「普段は男みたいな格好で工房にこもっているとか」と王妃。「先日、あなたのブツゾウをひとつ入手しましたわ」にっこり。

 すかさずベルトが『ドゥアリー様初期のアシュラゾウらしいです』と小声で教えてくれる。

「お手元にお迎えくださり、恐悦至極でございます」

「母上っ!」と叫んだのはタツィオ殿下。

 叫ぶのが好きらしい。彼はわなわなと震えている。

「私は限界です。こんな、私を蔑ろにするような令嬢は王太子妃にふさわしくない。妃がズボンをはいて木くずまみれになっているなんて!」


 おや、よくご存知で。


「それに我が国の国教はトトプト教ですよ」と殿下は続ける。「妃が異端宗教の教祖だなんて、あり得ない!」

「わたしは教祖では――」

「しかも!」とタツィオ殿下はわたしの話にかぶせてきた。「彼女は私の可愛いリラに、信者を使って嫌がらせを繰り返している! 父上、母上、私はこの婚約を破棄します! そして」殿下はそばにいた令嬢を引き寄せ腰を抱いた。「真実の愛で結ばれたリラと結婚するのです」




 ……真実の愛?

 なんだかその言葉が引っかかる。なぜだろう。大事なことを忘れているような……


 ひとりでキャンキャン吠えている殿下を見ながら考える。と、

「大丈夫ですか」とベルトが声をかけてきた。わずかだけど表情に怒りが見える。「こんな場で婚約破棄を宣告するなんて、王太子とは思えない暴挙だ」


 そうねと答えようとして、突如として脳内にそれが降ってきた。


 ここは乙女ゲームの世界!

 わたしは悪役令嬢!


 すっかり忘れていた。仏像を彫り始めたのは不安を解消するためだったのに、夢中になりすぎて肝心のことが忘却の彼方に飛んでいたらしい。

 今はきっと、ゲームの断罪シーンだ。婚約破棄されたわたしに次に来るのは処刑宣告だろう。ヒロインをいじめた罪で。



 ――いや、待って。わたしはヒロインをいじめていない。そもそも四年間、ほぼ外出していないのだから不可能だよね。だけどさっきタツィオ殿下が『信者にやらせて』と言っていたような。

 いつしかタツィオ殿下対両親の口論が始まっている。


「わたしは信者にそんな指示は出していません」

「ドゥアリー様はそのようなことはいたしません」

 わたしとベルトの声が重なった。できる弟子はわたしを見て微笑み、それから王子に向き合う。

「ドゥアリー様はブツゾウ制作と二十人もの弟子の指導で大変に忙しいのです。そのような指示を出す以前に、婚約者に愛人がいることもご存じありません」

 わたし、うなずく。

「だがっ」と殿下。

「申し訳ありませんが」とベルト。「ドゥアリー様の頭の中はブツゾウでいっぱいで、殿下のでの字もございません。誕生日プレゼントは私が用意しましたし、彼女に今日の会を思い出させたのも、工房から引きずり出したのも私です。ですから当然、あなたの浮気なんて興味がないのです」


 なぜか胸を張り誇らしげに話すベルト。

 その暴露はよくないんじゃないかな。わたしの無実が証明されたとしても、不敬罪で処刑されてしまうかもしれない。でも事実だしなあ。


「――というか」とタツィオ殿下。「お前は誰だ」

「私はドゥアリー様の十一番弟子、ベルトランです」

 え、ベルトって『ベルト』じゃなかったの !?

 初耳だけど!


 驚いているわたしにベルトはもう一度、『任せて』といった微笑みを見せると再びタツィオ殿下に向き合う。

「殿下が仰る実行犯の信者とは誰でしょうか。ドゥアリー様は教祖に祭り上げられておりますがご本人にはその意志はなく、信者を名乗る方たちにお会いしたこともありません。代わりにロンタージュ家を訪れた巡礼者のリストならばあります。そのリストに名前が乗っている方なのでしょうか」


 タツィオ殿下がリラさんを見て

「名前は?」と尋ねる。が、

「分かりません。ドゥアリー様の信者としか名乗らないし、いつも顔を隠しています」

 とリラさんは困惑している。


「それに」とわたし。「仏像制作を生業にしたいので、婚約を解消していただけるのは助かります」

 何年か前に両親にも一度頼んだけど、断られた。よその娘に第一王子の妃の座を奪われるわけにはいかない、という理由だった。現に両親は

「ブツゾウと結婚は別だ」と顔をしかめた。

 

「つまりタツィオ殿下は」とまたベルト。「不確かな情報でドゥアリー様を非難した、ということですね」

「だがっ! リラが悪質な嫌がらせを受けたのも、犯人が信者だと名乗ったのも事実だ」

「ならば、あなたが不確かな情報で非難したのも事実だ」

「貴様」タツィオ殿下の顔が歪む。「たかが平民の分際で生意気な!」


 まずい、ベルトまでわたしの処刑に巻き込まれたら大変だ。

 彼の前に立ちタツィオ殿下の視線からベルトを守る。

「殿下を蔑ろにしていたことは事実に相違ありません。心の底よりお詫び申し上げます」膝を深く曲げ、頭を垂れる。「婚約破棄は謹んで――」


 カツカツと足音高く、ベルトがわたしの前に出る。

「そちらの令嬢が」と、わたしの謝罪を遮って声を張り上げる。「 嫌がらせを受けたのはどちらですか」

「……王宮や社交場です」リラさんが細い声で答えた。

「ならば犯人は上流階級の人間と考えて間違いないですね。リラ嬢はドゥアリー様と同時に上流階級の何者かをも告発なさった」

 広間がざわつく。

「さて」とベルト。「今ここに、信者の方はどれほどいらっしゃるか分かりませんが、その方々は全員容疑者だ」


 確かにそうだけども、わたしはベルトを巻き込みたくはない。彼を止めようとしたとき王が突然玉座から立ち上がった。


「近衛団長。この件について調査を開始せよ」そう命じると王はわたしを見て、微笑んだ。

「ドゥアリーは何も案ずることはない。恐らくそなたを陥れようとした者がいるのだろうが、我々はそなたの潔白を信じている」

「……ありがとうございます」

「タツィオは少々取り乱しているようだ。婚約は勿論継続」

 え。それは遠慮したい。

「結婚後も仏像制作を優先して構わぬ」

「本当ですか!」

「無論」と王は優しい顔でうなずく。「妃もそなたの作品が好きなようだ。ぜひその才能を生かし続けてほしい」


 となるとその問題は解決か。タツィオ殿下と夫婦になるのは微妙な気分だけど、工房を続けられるなら最悪の結婚ではない、よね。


 殿下は父親に猛抗議をしているけど、あしらわれている。両親は安堵の表情。わたしは……処刑される様子はなさそうだから喜ばなくてはいけないのかな。


「ただし」と王はベルトを見た。「そこの弟子は師を守ろうという心意気は立派だが、いささか問題があるようだ」

「そのとおり!」とタツィオ殿下が叫ぶ。「不敬罪だ!」

 まずい!

「彼は――」ベルトの前に出る。

 だけどベルトが腕を伸ばしてわたしを制した。

「ならば不敬ついでにもうひとつ」

「ベルト!」彼の袖を引っ張る。

「ドゥアリー様輿入れ後は」とベルトは続ける。「彼女と工房が制作したブツゾウを王家が独占販売をする計画のようですが、我々はまだなんの説明も受けておりません」


 なにそれ。

「なんの話?」

 ようやくベルトがわたしを見た。

「今言ったとおりですよ。既に陛下直属でそのための組織ができております」

 王を見ると、彼と妃は顔を強ばらせていた。両親は『聞いていない』と言っている。


 わたしたちの仏像は、今でも無料で譲渡している。だけどそれでは弟子たちが生活できないので、代わりにお布施をいただく。身分に合わせて目安はあるけど、強制ではない。誰でも手に入れられるようにと思ってこの方式にした。幸い弟子たちに毎月、お給金(という言い方は変だけど)を渡せるだけの収入はある。


 でもそれを王家が勝手に販売?


「そのために」とベルト。「あなたがタツィオ殿下と結婚してくれないと、彼らは困るのです。今やブツゾウは模倣品も出回るほど人気が加熱しています。ですがそれらはドゥアリー様の作品とは雲泥の差。だから『本物』にならばいくらでも金を払うという王侯貴族が山といるのです。一方でこの国の王室は贅沢三昧で資金繰りが厳しい」

「なるほど」

 わたしは王を見た。しっかり胸を張る。


「婚約は謹んで破棄いたします!」

 なんとなく言葉がおかしい気もするけど、構わない。

「わたしの弟子たちと作品を、金儲けの道具にしません!」


 なぜか拍手が起こり、『教祖様ー!』なんて叫び声もする。

 でも王と王妃の表情は険しいし両親も『勝手なことを言うな』と怒鳴る。タツィオ殿下だけは嬉しそうだけど。


「ねえ、ベルト」彼の袖を引っ張る。

「なんでしょう」

「大見栄を切ったのはいいけど、なんの考えもないの。どうしよう。どうすればあなたやみんなを守れる?」

 王は確実に悪いことを考えている。近衛団長を呼び寄せ額を付き合わせて密談を始めた。

「――きちんと手順を踏むつもりだったのですが」とベルト。

「なんの?」

 ベルトがまたしても微笑む。それから――。


「ロンタージュ公爵令嬢ドゥアリー様より、コニョーメ王室からの保護依頼を受けました」

 彼はそう高らかに宣言すると、『失礼』と一言、わたしを抱え上げた。そのまま踵を返し、すたすたと歩いていく。窓に向かって。

「ベルト?」

「脱出します」と小声のベルト。

 背後からは『どこへ行く』との声。

「ここは二階!」

「問題ありません」

 彼はそう答えるやいなや、軽々と窓枠を飛び越えた。思わず目をつむる。

 落下。 

 それから、ドン!と衝撃。


 恐る恐る目を開けると庭にいた。天国ではなさそうだ。頭上からは罵声が聞こえる。

「ベルト? 何が起こったの? 大丈夫?」

「ただ飛び降りただけです」

「ただって……」

 普通は骨折するのでは? 日本家屋の二階じゃないよ? 城だよ?

「鍛えてますから」

「なんで? というか、どうするの?」


 と、

「こっちです!」

 と遠くから声がした。見たことのない男性が手招きをしている。

「早く!」

 ベルトはわたしを抱えたまま走り出す。


「ご心配なく。あなたも弟子たちも守ります。――国は出ますが」

「ベルトは?」

「俺も出ますよ」

「ちがうの。ベルトは安全?」

 彼がちらりとわたしを見る。

「当然!」

 屈託のない笑みを向けられる。

「とりあえずおろして。自分で走れるから」

 彼は足を止めるとわたしをおろした。それから手を繋いで走り出す。



 ◇◇



 拍子抜けするほど簡単に王宮を出て、わたしは馬車に乗せられた。なんでも『万が一』を考えて、逃走ルートを確保していたらしい。


 ――というか疑問だらけだ。いったい何から聞けばいいのかも分からない。


「ええと。わたしたちはどこに向かっていて、みんなはどうなるの?」

「行く先はカルダサルです」

「カルダサル……」

 南にある帝国だ。領土も国力も我が国とは桁違いの強国。

「工房には別の者が向かってます。希望者は共にあちらへ」

「ベルトは何者なの?」


 尋ねてはみたものの、想像はつく。馬車は立派で従者も護衛もいる。万が一の状況を想定してこれだけのものを用意できたのだ。


「俺の名は、ベルトラン・オルベイユです」

「カルダサル帝国の王子なのね」

 確かオルベイユを名乗れるのは直系だけのはずだ。

「現皇帝の孫です。――あなたに謝らなければならない」

 そう言ってベルトは顔を曇らせた。

「元々の俺の使命は、ドゥアリー様を誘拐することだった」

「誘拐!」


 斜め上の理由すぎる。てっきり仏像を手に入れるためとか技術を盗むためとかを告白されるのだと思っていたのに。


「陛下はブツゾウを気に入っている。なんとしてでも全て欲しい」

「全て!」

「そう。だから最初は正式に国に招くつもりだった。だがあなたは王子の婚約者だった。カルダサルに永住してはくれないだろう。だから――」

「誘拐?」

 うなずくベルト。

「だけど来てみたら、ブツゾウの作者はまだたった十六の子供で、それなのに十人も弟子を抱えて楽しそうに作っている」ベルトが笑う。「これは誘拐はダメだと思った」

「どうして」

「無理やり連れて行ったら、あなたは今までのような顔のブツゾウは彫れなくなる」


 その言葉に胸を突かれた。


「……ベルトはよく見ているのね」

「……まあね」


 そういえばいつの間にか、彼の口調が違う。ベルトではなくベルトランの話し方なのだろう。


「――陛下にそう伝えたら納得してくれた。代わりに俺がここに残って、あなたをカルダサルに連れていく機会がないか様子を見ることにした。弟子たちはともかく、両親や婚約者との関係は悪そうだったからな」


 ベルトはわたしのことをよく理解してくれていると思っていた。だけどちがったのだ。対象物をつぶさに観察していただけ。わたしの信頼を得ようとしていただけ。

 それがどうして、こんなに苦しいのだろう。


「……ベルトは仏像は好きじゃなかった?」

「まさか! 騙す形になったのは申し訳ないと思う。でもブツゾウもブツゾウを彫ることも、工房の仲間もみんな好きだ」

「本当に?」

「勿論。だからあの工房で今の状態のまま、あなたがブツゾウ制作を続けられる方法を模索していた」

「そうなの?」

「だが王と王妃がブツゾウを独占しようと、カルダサルの穏便な提案も拒絶してきた。君と工房を守るためには一時国外退避かと考えて準備をしていたんだが」ベルトは恥ずかしそうな表情になった。「あのボンクラがあまりに愚かなことを言うから、頭に血が上ってしまった」


 それからベルトは、彫刻道具は別動隊が持ってくるとか、弟子たちとは以前からわたしの結婚によって工房が閉鎖された場合について話し合っていたとか、だからほぼ全員がカルダサルに来るだろうとか、わたしの気がかりをひとつひとつ丁寧に説明してくれた。


「ところで『カルダサルの穏便な提案』はどういうものだったの? わたしは何も聞いていないけど両親は知っていたのかな?」

「……公爵夫妻は乗り気だったが王室に拒まれて諦めたようだ」

 ベルトはそれだけ言うと車窓に顔を向けた。

 え、終わり? 『穏便な提案』の部分は? 政治的に明かせないのかな。



 ――ベルトはベルトランで王子だった。わたしの知らないことばかりで、この馬車は彼がベルトランでしかない馬車に向かっている。

 わたしとみんなと仏像を守るためだけど……。


「最後にもうひとつ質問をいいかな」

「どうぞ」とベルトがわたしを見る。

「もう一緒に仏像は作らない?」

 王子が王室に戻るならば、王子としての役割を果たさなければならないだろう。

「作りたい、と思っています」

「そっか」

 彼の願いと実際はきっとちがう。

 ベルトがいなくなったら、とはあまり考えたくない。ベルトはずっとわたしと工房を助けてくれていた。


「もし」とベルト。「あなたが俺がいないとブツゾウを作れないと言ってくれれば。陛下にとってはブツゾウが一番だから」

「分かった、そう話すね」

「即答、か」

 なぜかベルトは苦笑して、目を伏せた。


「ベルト?」

「――カルダサルがした提案ですが」彼はそう言って再びわたしを見た。弟子の口調に戻っている。「ドゥアリー・ロンタージュ公爵令嬢をカルダサルの王子妃に迎えたいからタツィオ王子との婚約を解消してほしい、代わりに小麦粉の関税を下げるというものでした。カルダサルの王子とは、俺のことです」

「……ベルトは、陛下のためにはわたしと結婚するのも厭わなかった、ということ?」

「違いますよ。タツィオの婚約者でブツゾウしか眼中にないあなたを手に入れるために、俺が祖父を利用したんです」


 それは……。

 急に胸がドキドキ鳴り始めた。


「ドゥアリー様。好きです」

 ベルトが立ち上がると床にひざまずいてわたしの手を取った。揺れる馬車の中なのに。


「あなたも弟子たちもブツゾウも俺が守ります。だからドゥアリー様を俺にください」

「……」

 こくりとうなずく。

 なのにベルトは不満そうな顔でため息をついた。

「分かっていないでしょう。俺は結婚を申し込んでいるんです。安易に答えないでちゃんと考え――」

「分かってるよ」ささやくような声しか出なかった。なのに心臓のほうはびっくりするぐらいにうるさい。「わたしはすごく、嬉しいみたい」


 取られた手を握り返す。


「ベルトがいなくなったらわたし、本当に仏像を作れなくなると思う」


 ベルトは瞬いて、それからこぼれるような笑顔になった。



 ◇◇



 それから二ヶ月後には母国はカルダサル帝国の属州になった。『穏便な提案』を拒絶したことに皇帝が激怒して、数万人規模の軍隊を派兵したのだ。といってもわたしたちと軍とは国境付近ですれ違ったから、その素早さから考えると前々から計画されていたことなのかもしれない。

 母国は戦うことなく白旗を上げ、王室は解体された。


 州王についたのはベルトで、居城の中に新しい工房を作ってくれた。そこでわたしは弟子たちと一緒に、以前と同じように仏像を作っている。十一番弟子だけはまったく同じという訳にはいかないけれど、それでもここの一員であることは変わらない。それにわたしは工房外で毎日会えるからいいのだ。




「そういえばリラさんに嫌がらせをした信者の件は解決したのかな」

「今ごろその話か?」

 ベルトがおかしそうに笑う。

「今日信者さんと話していて思いだしたの」

「なるほどね。あれは勿論、信者じゃない。リラの父親が友人にやらせていた」

「父親が? どうして?」

「娘が王子の愛人になったから、どうせなら妃にしたいと欲を出した」

「なるほどね」


 男爵家は取り潰されたという。


「リラさんはどうしてるのかな」

「聞いた話では平民になった元王子と共に暮らしているとか」

「そう。幸せだといいな」

 ぷっとベルトが笑う。

「人が良すぎる」

「だってわたしがタツィオ殿下をないがしろにしていたのは事実だから」

「向こうだってそうだ。――まあ、タツィオとあいつ好みのリラを引き合わせたのは、俺たちだが」

「え?」

「うん?」にっこりとベルト。「俺がドゥアリーを他の男に渡すはずがないだろ?」

 

 ベルトがわたしに回した腕に力を込めた。窓の外には夜のとばりが降りている。ベルトの公務も終わり、もうすることもない。従者たちも下がり貴重なふたりだけの時間だ。


「そろそろ妻といちゃいちゃタイムに入りたい。どうかな?」

 ベルトが――わたしの伴侶となったベルトがいたずら気な表情をしている。

「もうその時間なのだと思っていたけど」


 いくつも椅子があるのに、わたしが座らされているのはベルトの膝の上。ずっと、頭をなでなでかキスの雨かをされている。もっとも今夜に限ったことではないけど。


 最近気がついたのだけど、ベルトはけっこう愛が重いタイプみたい。それにもしかしたら彼もゲームのキャラクターだったのかもしれない。とんでもない美形だし。

 真実は分からない。でもそんなことはどうでもいい。


「ベルトはもっといちゃいちゃしたいの?」

 彼の首に腕を回す。

「いつでもそうだが?」

 ベルトはわたしを抱えて立ち上がった。向かうのは、となりの部屋。


 扉の脇のキャビネットには弥勒菩薩が一体ある。結婚祝いにと弟子たちがみんなで彫って贈ってくれたものだ。十九人もの手が入っているからちぐはぐな印象があるけれど、お顔はこの上なく幸せそうに微笑んでいる。


 ゲームの断罪に対してなんの対策もしなかったのに切り抜けられたのは、仏像たちのお導きのおかげだと思う。弥勒菩薩に心の中で手を合わせ、扉をくぐる。


「ベルト、扉は閉めてね」

「分かってる、『菩薩様に不謹慎な声は聞かせられないから』だろ」


 ベルトは弾んだ声でそう言うと、きっちり扉を閉めた。



 《終わり》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

仏師のたまごでしたが、悪役令嬢に転生したため気をしずめようと仏像を彫りまくっていたら、おかしなことになりました。 新 星緒 @nbtv

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ