101回目の婚約破棄宣言~王太子クリスピーノはいい加減、このループから抜け出したい~

新 星緒

101回目の婚約破棄宣言

「ダフネ・カスティッリョーネ! 君との婚約は破棄するっ!」

 僕にびしりと指を突きつけられたダフネの顔が強ばる。そこで僕は悟った。


 ――ああ、まただ。

 絶望でめまいがする。だが今は倒れている場合ではない。しっかり次の言葉を言うのだ。


「ぼ、ぼ、僕は真実の愛に目覚めたんだっ」


 しまった。噛んでしまった。その上、声がかすれている。あ、指も震えていた。さりげなく腕をおろす。

 と、視線を感じて僕に寄り添っているエリザを見た。僕の愛するエリザ。身分は男爵令嬢に過ぎないけれど、そんなことはたいした問題じゃない。僕たちは真実の愛で結ばれているのだから。彼女のためならカスティッリョーネ公爵家を敵に回すことも怖くない。

 だけど僕の愛しの人は顔をしかめていた。


「クリスピーノ。具合が悪いの?」


 心配しているというよりは、怒っている口調だ。周りの貴族たちがどよめく。『男爵令嬢のくせに敬語を使わないなんて』といった非難だ。だがそれは僕が許可したのだから、いいのだ。

 ただ、何も怒らなくても、とは思う。


「大丈夫」

 そう答えたものの、直後に大きなため息が出てしまった。

 少しくらい失敗したっていいじゃないか。エリザは知らないだろうけど、婚約破棄を告げるのはこれで101回目だ。一体どうなっている。


 僕以外は誰も気が付いていないらしいが、何故なのかずっとこの場面を繰り返し続けているのだ。破棄宣言をしてから五分くらい経つと、また宣言をしている最中に戻る。何がなんだか全く分からない。怖いし、疲れた。


 破棄宣言が悪いのだろうか。

 だけど大事なことだ。


 ダフネ・カスティッリョーネとの婚約は父上が決めた。当時僕たちは六歳で、ダフネは天使かと見紛うほどの美少女だった。正直に言おう。一目惚れだった。浮かれた僕は初対面したその日に彼女を誘って、庭園にある王国の守り神ファファータ像の前で永遠の愛を誓ったのだった。


 だけどそんな浮かれた気持ちはすぐに冷めてしまった。ダフネは何においても僕にまさった。勉学だけでなく、討論でも馬術でも剣術でも。そのせいで彼女は僕を見下しているのだろう。態度は常に冷淡で笑みを見せることもない。

 当然のこと、僕も彼女が嫌になった。


 なんとか婚約を解消したい。


 そう望んでも実現は難しい。きっとこのまま結婚するのだろうと諦めていた。

 ところが。三ヶ月ほど前に僕は運命の恋に落ちたのだ。それが男爵令嬢エリザ。ダフネとは正反対でふわふわで可愛らしく、何もできない女の子。僕が手取り足取り教えてあげないといけないし、エリザもそれを望んでくれている。


 彼女と会うためダフネを避け、公式の場にもエリザをエスコートするようになった。だってエリザはダフネと違って僕を必要としているから。


 そうするうちにエリザがダフネから嫌がらせを受けるようになってしまった。僕のいないところで陰湿に行われているらしい。エリザからそう聞いた。ダフネは認めようとしないけど、彼女の被害は大きい。


 エリザは可哀想だ。でもあの高慢なダフネが王太子妃の座を横取りされるのが嫌なのだと考えると、気分がいい。ようやっと彼女の鼻を明かせるときが来たのだ。


 どうすればより効果的に彼女にダメージを与えられるか。そう考えていたらエリザが素晴らしい提案をしてくれた。公衆の面前で婚約破棄を告げるというのだ。これほど彼女に恥をかかせられる行為は他にないだろう。僕はそれを実行することにしたのだが――。

 どういう訳だかループ地獄に陥ってしまったのだ。



 ダフネを見る。このあと彼女は完璧な礼をして

「承知いたしました」

 と震える声で答えるはずだ。これまでの100回はそうだった。さすがのダフネも屈辱のあまり、普段の静かな声を出せないのだろう。そう考えるとものすごく愉快だ。


 果たしてダフネは美しく礼をして、

「承知いたしました」と震える声で答えた。


 これから彼女は悄然とした足取りで広間を出ていく。それからエリザと僕は喜び合うのだ。

 この喜び合いの仕方を毎回変えてみている。言葉だったり仕草だったり。周りの人に声を掛けたりもしたし、ありとあらゆる変更をしているのだけど、気が付くとダフネに婚約破棄を告げる場面に戻っているのだ。


 ダフネは力ない足取りで大扉に向かっている。

 と、閃いた。

 今まではエリザとの行為を変えていたが効果はなかった。それではダフネならばどうだろう。

 彼女とは関わりあいたくないけど、ループを抜け出すことのほうが重要だ。


 エリザに、

「少し待っていてくれ」

 と告げて、広間を出たダフネを追おうと足を踏み出す。


「ちょっと待ってよ! 何で!」

 エリザの叫び声。振り返ると彼女は鬼のような形相をしていた。

「……すぐに戻る」

 初めて見る顔だ。まさかこれがエリザの本性なのだろうか。

 だとしても今はそれどころではない。何としてもループを抜け出さないといけないのだ。


 急いで廊下に出る。少し先にダフネがいる。だが、何をしているのだ? 彼女はどちらかの令嬢と手を取り合って踊っている。


 ――いや、違う。


 思わず足が止まる。令嬢の手に短剣がある。先ほどのエリザ以上に凄まじい形相だ。逃げ惑う貴族たち。廊下の奥から近衛兵が駆けてくる。なんだこの状況は。


「離して、邪魔をするならあなたも殺すっ」令嬢の叫び声。「浮気者クリスピーノを殺してやるんだからっ」


 あの女、ケイティだ!

 ケイティは三ヶ月ほと前に一度だけ言葉を交わした子爵令嬢だ。たまたま出会った彼女が可愛らしく見えたから、ついうっかり

「君のような人が婚約者だったら良かったのにな」

 と言ってしまった。だけどその三日後に僕はエリザに出会い、ケイティのことはすっかり忘れてしまったのだ。


 だがケイティのほうはそうではなかったらしい。王太子の寵愛を得られたと勘違いしたあげく、エリザが自分から僕を奪ったと思い込んだようだ。僕の寵愛を取り戻そうと、執拗にエリザと僕の周囲に出没するようになった。


 それゆえ王宮への立ち入りは禁じたのだが、ケイティはどうやってか入りこみ、ここまでたどり着いたらしい。ダフネは目敏いから彼女に気が付いたのかもしれない。だからといって何なんだ、この状況は……


 ダフネと目が合う。

「殿下、お逃げ下さい!」

 彼女が叫ぶ。そうだ、ケイティの目的は僕だ。ぼんやりしている場合じゃない。逃げなくては。広間に戻ろう。

 身を翻す。


 その時、

「ダフネ様っ!」

 との叫び声がいくつも上がった。振り返ると近衛兵に切られ崩れ落ちるケイティと、床に倒れているダフネが目に入った。ダフネの胸に短剣が深く刺さっている。近衛兵たちが彼女を取り囲み、血相を変えて

「しっかりして下さい」とか

「駄目だ、即死だ」とか叫んでいる。


 嘘だろ……


 膝の力が抜け床に座り込む。

 ダフネが殺された。嫌いだったダフネ。僕に微笑みもせず冷淡なダフネ。

 だけど婚約者としての付き合いは十年を越す。

 彼女が嫌いで憎い。だけど……


 耳の奥では『殿下、お逃げ下さい』というダフネの声が響き続けていた。




 ◇◇




「ダフネ・カスティッリョーネ! 君との婚約は破棄するっ!」

 そう叫んだ僕は、はっとした。また巻き戻っている。目前には顔を強ばらせたダフネが立っている。


 ――そうだ、やり直せるのだった。


 腹の底から安堵が湧き上がる。膝の力が抜けそうになるのを堪えて踏ん張る。


 いや、待て僕。落ち着いて考えるのだ。今こうしている間も、ケイティが僕を殺そうと広間を目指しているはずだ!


 そういえばループ100回までは婚約破棄宣言のあとにここでエリザといちゃいちゃしていたけど、その時に廊下が騒がしかった。気にしていなかったがあの騒ぎは、ケイティがダフネを殺したからだったのだ。


 ――ということは、もしや何度も時間を遡っている原因はダフネの死なのかもしれない。タイミング的にもぴったりだ。それならばダフネが――


 突如腕を強く揺さぶられた。

 見るとエリザが不満そうな顔で僕の腕を掴んでいる。

「どうして『真実の愛に目覚めた』と言ってくれないのよっ」

「……ああ。忘れていた」

 エリザの眉が跳ねあがる。

「ひどいわ、大事なことなのに」

「悪かった、だが……」

「早く彼女に告げて。さあ、早く」


 たった一度忘れたくらいで怒るなんて。こっちはそれどころじゃないのだ。僕の命がかかっているし、ループから抜け出すチャンスでもあるはず。それなのに。


 腹が立ってエリザから身を離す。だがそれが彼女の怒りを余計に煽ってしまったらしい。更に強く僕の腕を掴むと、エリザはダフネを睨み付けて

「私たちは真実の愛で結ばれているのよ」と傲然と言いはなった。

 その通りではあるけど。なんとなく不快だ。


 周りの貴族から『男爵令嬢がカスティッリョーネ公爵令嬢に無礼な態度をとるなんて』と非難の声が上がる。そうだ。確かに。昨日まで彼女はダフネに怯えて僕の後ろに隠れていたのに、この態度はエリザが僕に語ったダフネの傲慢な態度そのものじゃないか。


 一方でダフネは膝を曲げ美しい礼をする。エリザの態度を咎めないらしい。

 ――というか!


「婚約破棄とのこと、承知いたしました」

 ダフネの震える声でのいつものセリフ。


 まずい!

 彼女が広間を出たら、ケイティに殺される。――だがダフネ殺されなかったらどうなる。ケイティの目的は僕だ。僕の安全も確保しないと危険だ。


 そう考えているうちにダフネは扉に向かって行く。広間から出たら彼女は死ぬ。


 と、『殿下、お逃げ下さい』との声がよみがえった。

 なんでこのタイミングで。

 ――そういえばダフネは、屈辱を与えられた直後だというのに僕を逃がそうとしたのか?


 いや、今はそんなことはどうでもいい。


「待て、ダフネ!」

 僕はエリザを振り切り駆ける。足を止めた彼女に追い付くと、その肩を掴んだ。

「広間から出るな!」

 ダフネが顔を上げた。目が合う。彼女はひどく辛そうな表情をして、目には涙が浮かんでいた。すぐにうつむくダフネ。


 一瞬の出来事だったけど、たしかに見た。

 どうして彼女が泣く?

 屈辱で、という顔ではない。むしろ傷ついたような表情だった。

 というかダフネが泣くところなんて初めて見た。


「……ダフネ?」

 名前を呼ぶと彼女はびくりと体を揺らした。

「まさか君泣いて……」

 ふとダフネ越しに、大扉から広間に入ってくる令嬢が見えた。それはケイティだった。

「ケイッ……」

 思わず彼女の名前を叫びそうになったところでケイティと目が合った。とたんに彼女の顔が鬼になる。後ずさる僕。


「まあ、ケイティ様」

 ちょっとだけ震えたダフネの声。顔を上げケイティを見ている。

「何故ここへ?」

 ダフネが僕を見たので、『招待していない』と『危険だ』との意味をこめて首を左右に振った。

 その間にケイティが突進してくる。

「逃げろっ」

 僕はダフネの腕を掴んで走ろうとしたが、彼女はその手を振り切りケイティに向かう。

「ダフネ!」

「ケイティ様、落ち着いて」ダフネの静かな声。もう震えていない。「一旦ここはお引きになって。私でよければお話を伺います」

 じりじりと後退しながら、こちらに駆けてくる近衛たちを見る。まだケイティは剣を出してない。近衛がきっと間に合う。それに――。


 ダフネが殺されたって、次回がある。


 今回はループの原因に気づいたばかりだから、考えをまとめるのに時間がかかってしまった。失敗しても仕方ない。その代わりに次回なら、最初から対策を取れる。


 ケイティが短剣を取り出す。


「お逃げ下さい、殿下!」ダフネの叫び声。

 それと同時に彼女は刺された。一拍置いて近衛の剣に貫かれるケイティ。


 床に倒れたダフネが僕を見た。口が動いている。今回は即死ではないらしい。

 僕はそばに寄り、床に膝をつくと彼女を抱き上げた。

「……次は助ける。絶対にこのループから抜け出すからな」

 気が付くと、そう約束していた。ダフネなんて嫌いなはずなのに。


「殿下」弱々しい声。彼女の目から涙がこぼれる。「……わたくしはエリザ様に嫌がらせなんてしたことはございません。お願いです。信じて下さい」

「ダフネ?」

「本当です。初恋のあなたを盗られて悔しいですけど、嫌われていることは分かっていましたから意地悪なんてしません」

「え、ちょっと待って」


 ダフネにはここ最近何度か、『クリスピーノ殿下をお慕いしている』と言われた。だけどそれはエリザに夢中の僕の気を引きたくてのことだと思っていた。だって彼女は僕を好きな態度を見せたことがない。


「……お願いです、信じて……」

 ほとんど聞き取れない声。いつの間にか目は閉じていて、体はぐにゃりとしていてずり落ちそうだ。彼女は、今死ぬ間際なのだ。そう気づいた瞬間

「わ、分かった、信じる」

 僕は反射的にこたえていた。

 ダフネの口元がかすかに動く。微笑んだようだ。

 深く考えるのは後だ。すぐにループするだろうし。


 近衛やエリザが僕に向かって何かを言っている。だけど答える気にはならない。無駄だ。ループするのだから。

 カスティッリョーネ公爵夫妻が血相を変えてやって来た。娘を返せと僕に叫び、この浮気者、よくも娘を盾にしてくれたなとも詰る。それも聞き流す。それにしても――





 ――おかしくないか? どうしてループをしない。


 前回はダフネの死後すぐだった。今回はもうだいぶ時間が経っている。

 鼓動が早まる。

 まさか彼女は関係なかったのか。ループから抜け出してしまったのか。


 抱えているダフネを見る。血の気のない白い顔には涙のあとがあるけれど、表情は穏やかだ。とても殺されたようには見えない。息がないのは明らかだ。近衛が脈を見て、『お亡くなりになっている』と言ったのだから。

 周囲を見渡す。騒がしい人々。風景は変わらない。時間が普通に流れて行く。



「どうしてループしない!」

 僕は叫んだ。

「早くループしてくれ!」

 皆が口を閉じる。

「時間を巻き戻していたヤツ、聞こえないのか! 早く戻せ!」

 声の限りに叫ぶ。不安で押し潰されそうだ。早く、ループを。やり直してダフネを助けないと。彼女の話をもう一度聞きたい。

「早く! 頼む!」


「戻すつもりはない」

 聞き慣れない声がどこからかした。

「バカなことを言ってないで早く戻せ!」

「私はダフネのためにやり直させてやっていたのだ。もう必要はない」

「死んでいるんだぞ、必要だろうが!」

 首を巡らせるが、誰が喋っているのか分からない。


「彼女が悪霊化するのを阻止したかっただけだ。だからもう必要はない」

「……どういうことだ。というかお前は誰だ」


 突然、目の前に男が立った。古代人が着ていたというトーガを身にまとっている。どこかで見たような顔だが、誰かは分からない。しかも僕以外には見えていないようだ。


「ダフネはお前に信じてもらえないことが辛く、そのまま死ぬと未練が残り悪霊化するのだよ」と男が言う。「あまりに可哀想だろう。彼女はお前よりも王よりも私に祈りを捧げてくれたからな。悪霊にはしたくなかった」

「……お前は誰だ」

「まだ分かっておらんかったか。ファファータよ。この国の守り神だ」


 はっとした。確かにこの顔は庭にあるファファータ像の顔だ。ということは神だ。それなら時間を巻き戻せるのも分かる。


「ようやくお前が『信じる』といったから、もう時間を巻き戻す必要はなくなったのだ。分かったか、無能の王子よ」

「全く分からない!」

 叫ぶと守り神は眉をひそめた。

「これが我が国の次期王とは情けないことよ」

「何でダフネが悪霊化する、時間を戻さない、死んでいるのに助けないのか!」


 顔をしかめたままの守り神は右腕を上げてさっと振った。やかましく喚いていた近衛や貴族たちがぴたりと動きを止める。


「ダフネは真に可哀想な娘よ」とファファータ。「お前がいたずらに私に永遠の愛を誓ったばかりに、初恋を拗らせてしまった。毛嫌いされても邪険に扱われてもお前を嫌いになれず苦しみ、いつかは優しいお前に戻ってくれるとの望みを捨てることができなかった」

「……彼女は本当に僕を想っていたのか」


「お前はなぜそこの」と守り神はエリザを手で示した。彼女はダフネを支えている僕の腕を、悪鬼の形相で掴んでいる姿のまま固まっている。「娘の言葉は信じるのに、ダフネのことは信じないのだ」

「……彼女は僕を見下している」


「愚か者め!」ファファータが叫ぶとビリビリと空気が震えた。「それはお前の劣等感による自己保身の幻だ。敵わないことを認めたくないばかりに、彼女を悪者にして己のプライドを守っているだけ」

「そんなことはない!」

「ダフネはお前の役に立ちたい一心で努力を重ねただけなのだぞ。なぜ分からぬ」


 ちらりと腕の中の彼女を見る。


「いいや、僕を見下していた! 笑みもみせずに態度は冷たかった!」

「お前は……」守り神は嘆息した。「実に酷い人間だな。お前が彼女に言ったのだぞ。『僕の前で笑うな、胡散臭い笑顔が気持ち悪い』『馴れ馴れしくするな、僕は王太子だぞ、無礼者め』と。十二歳の誕生日を祝った日のことだ」


 なんだそれは。覚えにない。


「側仕えの者たちに聞いてみるがよい。あまりに無体な言い様に、お前の人望が急落した出来事ゆえ皆覚えているだろう」


 鼓動が激しくなる。


「僕が本当にそう言ったのか」

「そうだと言っている。ダフネの無念はお前に信じてもらえないことであって、死んだことに対してではない。何故だか分かるか。彼女は消えて無くなりたいほど失意の底にあったからだ」


 消えて?

 再びダフネを見る。穏やかに見える表情。僕に信じてもらえたなら、それで満足だとでも言うのか?


「……どうして彼女を信じられる。それではエリザが嘘をついていることになるじゃないか」

 そう言いながらもダフネとエリザ、どちらが真実を口にしていたのか、答えは目の前に出ている。


「好みの女は盲目的に信じる。客観的に考えようとしない」ファファータは左腕を振った。その手の中に書類の束が現れた。「これはダフネが集めた、エリザが嘘をついた証拠だ。だが彼女はお前が自ら目を覚ましてくれることを願い、見せることを躊躇った」


 ダフネがガタガタと揺れている。いや違う。僕が震えているのだ。

 疑いようがなない。僕は過ちをおかした。取り返しのつかないことをしたのだ。


「……頼む……いえ、お願いします。時間を巻き戻して下さい。彼女ときちんと話をしたい」

「私が代償なしに巻き戻せる時間は五分だ」と守り神。「今それをしたところで、ダフネが死んだ後にしか戻れぬ」

「そんな!」


 それなら何故長々と話をしたのだと責めようとして、はっとした。神は『代償なしに』と言った。


「ファファータ様。代償とは何でしょうか。生け贄ですか」

「そんなもので国を守れるか、阿呆め」

「国を守れる代償?」

 守り神はそうだと答える。だがそんなものが存在するのだろうか。

「お前は無能だ、クリスピーノ。国王に相応しくない。お前の王太子の位ならば代償として受けとるぞ」

「は……?」


 王太子の位? それはつまり僕は王になれないということだ。


「嫌ならばよい」

 守り神が右腕を振る。やかましいざわめきが戻り、エリザに体を揺さぶられる。

「早くダフネを両親に返してやれ。お前に彼女を抱きしめる資格はない」

 神が消えようとしている!


「待てっ!」

 考えるより先に口が動く。

「それでいい、だから時を戻してくれ!」

 守り神がおもむろにうなずき右手を上げる。

「十年前、婚約をしたときに頼む!」

「十年前だと!? なんと図々しい。その代償では足りぬ!」

「毎日国家安泰を祈る!」

「……まあよいか。その代わり……」


 ファファータは言葉を濁し、指をパチンと鳴らした。



 ◇◇



「こちらが娘のダフネです」

 僕の目の前に、天使のような美少女が立っている。蜂蜜色の柔らかな髪、大きな目に浮かぶ深い緑色の瞳。


 ダフネだ!

 初めて会ったときのダフネ!

 僕は十年前に戻ったのだ。


 六歳とは思えない、完璧な礼をするダフネは緊張しているようで表情が強ばっている。

 僕はこんなに可愛い彼女を、自分より優れていることに嫉妬して邪険にしたのだ。



『君を苦しめてすまなかった』

 心の中で、死んでしまったダフネに謝る。僕にできる償いはただひとつだけ。


 今度は絶対に間違わない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

101回目の婚約破棄宣言~王太子クリスピーノはいい加減、このループから抜け出したい~ 新 星緒 @nbtv

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ