ヘラクレス座・かんむり座グレートウォール

小富 百(コトミ モモ)

短編




 あの街はひとびとが山と海を併用するような街だった。そんな街に私はきっちりきっぱり二年居て、毎日山へ仕事にゆきお戯れには海へ赴いた。

 ある時山のひとは言った。「薄切りにした蛸が旨い、なんと言っても酒に合う」

 ある時海のひとは言った。「ぼたん鍋が食べたいわ。そろそろ罠を仕掛ける季節」

 私はどちらにもはあと曖昧な返事をしては山と海の狭間でくらくら暮らしていた。ふたつを繋ぐ河川の錦鯉が好きだった。彼らは自身の美しさに終ぞ気付かず一生を終える、どんなに悪食であろうとも誰もそれを咎めない。丹頂の赤がどんなに血の色に似ていようとも誰も彼らを嫌わない。

 一度昼に山へ入った時、檻に掛かった猪を見た。食い荒らされたさつまいもを見て思わず美味しそうとぼやいた。すると一緒に居た男が「そりゃそうだ。俺が捌くんだから血の一滴まで無駄にしないよ」と答えた。あんなに旨そうなさつまいもが最期の晩餐だった猪だ、それはそれは酷く旨いに決まってる。別れ際男から土産で椎茸を貰った、その日の夜にバターと醤油が切れてしまった。

 夜に海へ遊びに訪れた時、向かいの浜辺で弾ける季節外れの火花を見た。がらんごろんと遠くの方から三両列車がやってきた。一緒に居た女が「きっと前世で良いことをしたのね」と笑った。はあ、と私は曖昧な返事をした。「あの列車に乗りさえすれば、あのひと達には毎夜優しい海が待ってる」女は笑いながら言い、波の上をゆきっぱなしの船がゆく。もう戻って来られないのならばそこはもう夜の天国だろうと私は裸足で砂の上を歩いた。

 山と海の美しい街。それを覆う美しい空が好き。光の少ないその街は昼の月がぽっかりと太陽にお辞儀して、夜に歯ブラシを咥えゴミ捨てにゆくと私は毎回違う星と星とで仲良しの三角形を作ってしまう。犬とか赤ん坊とかその他諸々、中身が純粋なもの達と触れ合うと自分の中身の汚さが溢れてしまうのが怖かった。けれど私はこの街で美しいものふたつの狭間に棲まい暮らし、確かにあの時息をしていた。山に入って鹿の角を拾い、海に入って入江を泳いだ。歩みの中で南天を手折り、防波堤で脚の鱗を撫ぜた。それが私の掌の中、ただひたすらに零したくない未だ夢に見る数々。美しい、私が確かに息をした場所。

 山と海の狭間、それを覆う空は私の体に染み込んできっとこれからも離れることは決してない。それがあの街。あの日々を生きた私の全て。

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ヘラクレス座・かんむり座グレートウォール 小富 百(コトミ モモ) @cotomi_momo

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