出会いは小さな喫茶店~互いの顔を知らない夫婦は恋をする~
さとう
第1話、アデリーナ
「オルステッド帝国の、ルクシオン公爵家……ですか?」
小国であるササライ王国の公爵、シシリー家。
シシリー家次女のアデリーナは、父が言ったことをそのまま復唱した。
シシリー公爵ことアルバンは、娘のアデリーナに冷たい目を向けながら言う。
「そうだ。ルクシオン公爵の花嫁にお前が選ばれた。光栄に思うのだな」
「そんな……!! ルクシオン公爵って、まさか」
「そう、帝国の英雄だ。オルステッド王国とササライ王国の国境付近にある『魔穴』を閉じ、魔獣の王と大量の魔獣を殲滅した、帝国最強のソードマスター……魔獣の王の存在に、ササライ王国は長年悩まされていたことは知っているだろう? それを、ルクシオン公爵が数年かけ、ようやく殲滅したのだ。ササライ王国はオルステッド王国に謝礼を送らねばならん」
「ま、まさか……それが、花嫁?」
「そうだ。ルクシオン公爵は長年、最前線で戦っておられた。二十五歳となり、未だに婚約者がいない。そこで、ササライ王国がルクシオン公爵に『花嫁』をプレゼントするというわけだ。ササライ王国、オルステッド帝国の友好にも繋がる」
と、ここでアデリーナは口を挟む。
「それではまるで、生贄ではありませんか!!」
「口を慎め!! 生贄だと? 大型魔獣を殲滅した英雄に嫁げるのだ。これが名誉以外の何であると言うのだ!!」
「……っ」
父アルバンは、知っていて言わない。
ルクシオン公爵は確かに英雄だ。だが……アデリーナですら知っている『噂』があった。
『戦場の竜』という異名のほかにもう一つ。『冷血公爵』……女を嫌い、心を許した者もいない、血に飢えた狂犬という噂を。
ルクシオン公爵に色仕掛けをした娼婦の両腕を切り落としたとか、陰口を叩いたメイドの首を切り落とし屋敷前に晒したとか、そんな噂が多くある。
二十五で婚約者がいないのも、誰もがルクシオン公爵を恐れていたからだ。
オルステッド王家ですら持て余す、ルクシオン公爵。そういう家に、アデリーナは嫁がされようとしている。
「オルステッド帝国の了解はすでに取っている。アデリーナ、出発の支度をしてルクシオン公爵家へ向かえ」
「そんな……私は」
「アデリーナ。これは決定事項だ。それとも、シシリー家に未練でもあるのか?」
「…………」
父アルバンは、冷たく笑った。
馬鹿にするような笑い。
まるで、「最後くらい素直に言うことを聞き役に立て」と言わんばかりの、冷たい笑み。
アルバンは、付け足すように言う。
「忘れていまい。お前と、お前の母をここに住ませ、食わせてやった恩を」
「……っ」
「ふ、恩に報いる時が来たぞ? アデリーナ」
「……失礼します」
ドレスの裾を持ち上げ一礼し、アデリーナは父アルバンの執務室を出た。
◇◇◇◇◇
アデリーナ。
ササライ王国、シシリー公爵家の次女。
三人兄弟の真ん中で、上には兄、下には妹がいる。
だが、兄と妹と血は繋がっていない。
アデリーナの母は平民で、踊り子だった。
たまたま踊りを見に来た父アルバンと一夜を過ごし、アデリーナが生まれた。
アデリーナは、自室のベッドに身を投げ出す。
「あーあっ……家を出ようと計画してたのに、パァになっちゃった」
アデリーナは十七歳。
十八で成人するので、成人したらシシリー公爵家を出て、平民としてパン屋辺りで働き暮らそうと思っていた時に、この話だ。
ゴロンと仰向けになり、天井を見上げる。
「……結婚、かぁ」
夢を見ていなかったわけじゃない。
平民としてパン屋で働き、常連の男性といい雰囲気になり、プロポーズ……結婚し、子供を産み、町の片隅に小さなパン屋を経営し、幸せに暮らす……そんな妄想をしたこともあった。
「はぁ~……ルクシオン公爵って、何なのよもう」
長いプラチナシルバーの髪をかき上げる。
奇しくも、この美しい髪色は父譲りだった。今では嫌悪しか感じないが。
ルクシオン公爵家。
オルステッド帝国の二大公爵家の一つ。英雄。そして、冷血公爵。
「……やだな」
ポツリと弱音を吐くと、部屋のドアがノックされた。
適当に返事をすると、黒髪を束ねた眼鏡のメイドが入ってきた。
「失礼します。お嬢様、荷造りが終わりました」
「早いわね……エレン」
「はい。その……お嬢様の荷物は、あまり多くないので」
「そ……お疲れ様」
アデリーナ付きのメイド、エレンは申し訳なさそうだった。
私物が少ないのも、アデリーナが使えるお金がほとんどないからだ。公爵家が貧乏というわけではない。むしろ、ササライ王国の中ではトップクラスに裕福だ。
だが、半分が平民の子であるアデリーナは、公爵家で冷遇されていた。よくしてくれるのは、メイドのエレンだけだった。
「お嬢様。私はお嬢様と一緒に行きますからね!」
「ありがと、エレン」
「はい!」
十六の若さなのに、人生を捨てるつもりなのだろうか……と、アデリーナは思う。
せめて、エレンが不自由しないくらいは上手くやりたい。
曲がりなりにも、アデリーナはルクシオン公爵夫人となるのだから。
アデリーナはベッドから起き上がり、胸を張る。
「エレン、出発はいつ?」
「四日後です」
「わかった。じゃあ、明日は買い物に行きましょう。たぶん、もうササライ王国に戻ることはないでしょうしね」
「お嬢様……」
すると、ドアがノックされた。
エレンが素早く対応すると、エレンを押しのけ一人の男性が入ってきた。
ガズロン。アデリーナの兄であり、シシリー公爵家の次期当主だ。
「よう、アデリーナ。聞いたぜ? 冷血公爵の元に嫁ぐんだってな」
「お兄様……」
「ふん。我が家もようやく厄介払いができて嬉しいぜ。知ってるか? 冷血公爵は女の首を絞めながら抱くのが趣味だってよ。ああ、死んでも戻ってくるなよ? お前は」
「お兄様」
「あん?」
「申し訳ございません。少し休みたいので……」
「……まぁいい。あと四日だ。せいぜい、覚悟しておくんだな」
ガズロンはニヤニヤしながら退出した。
アデリーナは盛大にため息を吐く。
「シシリー公爵家の未来は真っ暗ねぇ……」
と、またしてもドアがノックされた。
アデリーナはため息を吐き、頭を押さえる。
エレンが対応すると、入ってきたのはアデリーナの妹、ルシアだった。
「お姉様……」
「ルシア……何か用?」
「いえ。お姉様にお別れをしに」
「……まだ四日あるけど」
「申し訳ございません。実は、明日からバロン……王太子殿下に狩猟に誘われてまして。十日ほど留守にします」
「そう。怪我しないように楽しんでね」
「はい。ふふ、お姉様もお気を付けて」
ルシアは笑っていた。だが、その笑みは嘲笑っているようにしか見えない。
ササライ王国の王太子バロン。ルシアは、彼の婚約者候補筆頭。狩猟に誘われたというのも真実である。
別れをしに来たにしては、全く悲しんでいない。
「何か欲しい物はありますか? 私にできることなら何でも」
「……別に、ないわ」
「そうですか」
憐れんでいるような声だった。
最後だから優しくしているような、格上が格下に施す慈悲のような行動だ。
それがたまらなく不快。アデリーナはルシアをジッと見る。
「では最後に。お姉様、ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
「ふふふ。実は私……平民生まれのお姉様のこと、そんなに好きではありませんでした」
そう言って、ルシアは部屋を出た。
なかなかイライラする捨て台詞だった。
そして、入れ替わるようにルシアが入って来る。
「アデリーナ様、大丈夫ですか?」
「ええ。すっごく疲れたけどね……エレン、お茶をお願い」
「は、はい」
アデリーナは、窓際の椅子に座り、何度目かのため息を吐いた。
「まぁ……この家から出られるだけでも、よしとしましょうかね」
アデリーナは、窓の外を見つめ、大きく伸びをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます