第5話 ゴールデンウィーク

「あれ? 穂地槍ほちやりじゃないか?」

 という声で僕は顔を上げた。


 今日は4月29日の金曜日。ゴールデンウィークの初日です。


 昨日の夜から自宅のPCで映画でも見ようと思っていたのに、突然PCが動かなくなってしまったので、今日は秋葉原まで新しいPCを見に行こうと思って、大宮駅から京浜東北線の電車に乗っていた所です。


 僕はスマホで色々なPCの情報を見ていた時に声を掛けられ、顔を上げるとそこには山本部長が立っていた。


「あ、部長じゃないですか」

 と僕は言った。山本部長も

「おう、奇遇だな。お前はこれからどこに行くんだ?」

 と訊いてくる。


「秋葉原です」

 と僕が言うと、山本部長は僕の全身をまじまじと見て


「そうか、好きそうだもんな」

 とよく分からない事を言った。


 別にそこまでPCが好きな訳でも無いんだけどな。


 と僕は思いながら、

「座りますか?」

 と訊いてみた。すると部長は

「いや、次の川口駅で降りるからいいよ」

 と言った。


 そうしていると

「次は、川口~、川口で御座います。お出口右側になります」

 と車掌のアナウンスが聞こえた。


 やがて電車が減速してゆき、駅のホームに入ったのが車窓の景色からも分かる。


 そして電車が停止すると、

「じゃあな」

 と言って山本部長が駅のホームに降りて行った。

 僕の隣に座っていた男の人も降りていって、入れ違いに乗車してきた髪の長い女性が隣の席に座った。


 とたんにフワッと甘い香りがする。


 あ・・・、これって花頼さんと同じシャンプーの匂いだ。


 と思って隣に座った女性の顔を見ると、花頼さんじゃなかった。

 そして、その女性の前には背の高い男性が居て、吊革を持って僕の方を見ていた。


 僕がその男性の方を見ると、

「あんま人の彼女をジロジロ見ないでくれる?」

 と言われた。


 ああ・・・、そうか。


 と僕は思って、

「あ、あの。こちらどうぞ」

 と言って席を立つ事にした。


「お、サンキュー」

 と言って背の高い男性が席に着いた。


 そのカップルは肩を寄せ合って座っていて、多分、お似合いのカップルなんだろなぁと思った。


 僕は彼女が出来た事が無い。


 風俗にも行った事が無いので、女性の事があまりよく解らない。


 僕が知ってるのは、女子の身体はおっぱいが柔らかいって事だけだ。


 高校までは共学だったけど、昔から、あまり女子と話す機会は無かったと思う。


 小中学校の体育祭では、フォークダンスで男女が輪になって踊ったけど、僕の手を掴んだ女子は一人も居なくて、理由が分からなくて少し寂しかった。


 バレンタインデーとかにみんなにチョコレートを配ってる女子が居たけど、僕は貰った事が無い。


 友達はいたけど、よく頭を小突かれたり、ノートや教科書に落書きをされたりした事があって、何度かノートが使えなくなった事があった。


 両親は「気にするな」って言って新しいノートを買ってくれたし、僕もあまり気にならなかった。


 ただ、どうしてみんながそういう事をするのかが分からなかっただけだ。


 でも、今の会社に入って24年。


 僕は決まったお得意先にパンフレットや注文書を届けて、商品の説明をするだけのやりがいがある仕事に就く事ができた。


 就職氷河期で、同級生たちは半分も就職できなかったみたいだから、僕は運がいいと思う。


 会社の中では、社長がよく話しかけてくれた。


 後から入社した後輩の山本君も、今では山本部長になって、それから僕に話しかけてくれる様になった。


 吉田君はまだあまり話しかけて来ないし、他の社員もあまり話しかけて来ない。


 だけど、花頼さんは別だ。


 2年前に入社した、若くて美人の花頼さん。


 僕にも分け隔て無く接してくれて、毎朝コーヒーを淹れてくれるし、僕だけにマグカップで淹れてくれる。


 僕はそんな花頼さんの事を考えると心臓の鼓動が激しくなって、時々胸が痛くなるほどだ。

 多分、これは「恋」だと思うんだけど、僕は今まで恋をした事が無かったから、これが本当に恋なのかどうかが良く分からない。


 もし間違ってたら大変なので、花頼さんに迷惑を掛けない様に、僕は毎日花頼さんが幸せになる様にと祈りながら仕事を頑張っている。


 だけど、少しは恋について勉強しようと、恋愛映画というのを見ようと思ったのに、PCが止まってしまって駄目になってしまった。


 何だかノートPCのキーボード辺りがすごく膨らんでた気がするから、きっとそれが原因だと思う。


 早く、新しいPCを買わないとな・・・


「次は、秋葉原~、秋葉原で御座います。お出口右側が開きます」

 という車掌の声が聞こえた。


 電車が減速を始め、ホームに入っていく。


 窓から見える秋葉原のビル群が日の光を浴びて反射光が眩しい。


 やがて電車が停止し、扉が開いて皆がホームに降りて行く。


 今日は定期券じゃないから、一番端の改札を通らなくちゃ。


 僕は一番端の駅員が居る改札を通り、駅員にスイカと身分証を渡した。


 駅員は、僕の身分証を見て、電車賃の割引をしてから乗り越し料金を精算してくれる。


 そしてスイカと身分証を返してもらった。


 ほんと便利だよね、身分証って。


 子どもの頃からずっと持ってた身分証。

 両親からも「肌身離さず持ってなさい」と言われて、今もちゃんと持ってるものだ。


 2年に一度は身分証が新しくなってる気がする。


 身分証の表紙に書いてる「精神障害者保健福祉手帳 2級」の意味は分からないけど、これが無いと電車の運賃が高くなるらしいから気を付けないといけない。


 いつの間にか駅を出たみたいだ。

 沢山のネオンが光っていて、沢山の人が歩いている。


 僕は秋葉原の街に足を進めた。


 さあ、僕はこれからPCを買います。


 そして家に帰って、恋について勉強したいと思います。

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