第5話 実験

 厳重なセキュリティを抜けた先にあったのは、まるで古代の闘技場を思わせるかのようなすり鉢状の空間だった。


 段ごとに設置された座席は円を描き、それら全てが中央にある直径10メートルほどの円柱状の空間に向かっている。天井にはいくつもの大きなモニターがあり、それらは席に座ると丁度見やすくなるように勾配をつけて設置されていた。


 この場には既に100人以上の人たちが待機しており、実験が始まるのを各々雑談を交わしながら待っている。その中から1人、コチラに向かって手を振る人物がいた。


「ほら、あそこだってさ」


 ここまで俺を案内してきた彼女はそう言うと、俺の手を引いて手を振る人物のもとへと駆けていった。


「席取り任務ご苦労さま! みっちゃん!」

「お安い御用です、エレナさん!」


 大したキレもない敬礼を交えつつこのやり取りをした彼女らは、刹那の間を置いて同時に小さく吹き出した。


「あははは。ごめんね、急にお願いしちゃって」

「いいよいいよ。それよりそちらの方が例の――」

「そうそう。クゥくんこと、誇優雨くん!」

「またすごいネーミングだね……」


 女子同士といえども、この人のネーミングセンスの無さについては俺と同じ認識を持っているらしい。至極当然のことだとは思うが。


 初対面のおだやかな物腰をした女性は、ほんのりと茶色っぽさを纏った黒基調のショートヘアを持ち、それが毛先の方で内側へ緩やかに弧を描いているのが特徴的な人だ。背丈はこの3人の中で最も低いが、太めの縁を持つ眼鏡が妙に白衣とマッチしており、ザ・科学者といった雰囲気を醸し出している。


 そんな彼女は俺の方へ向き直ると、丁寧にお辞儀をしながらこう自己紹介した。


「実験担当班の天野あまの美華みかです。よろしくお願いします」

「ど、どうも。ヴェータ・E・誇優雨です」


 あまりの礼儀正しさにこちらもついかしこまってしまう。今日の案内役さんと比べると、初対面の印象は天と地ほどの差がある。この人となら、さほど神経をすり減らさずに付き合っていくことが可能かもしれない。


「ねぇクゥくん、今すごーく失礼なこと考えてなかった?」

「え? いや、別に……」


 これが女の直感というものなのだろうか。目の当たりにしたのは今のが初めてだったが、なかなかに恐ろしい。


「ふぅ~ん? まぁいっか。とりあえず座ろっ」


 彼女は訝しそうにしていたが、一応追求は免れたらしい。俺は安堵しながら最前列に確保された席につく。


 ここにはざっと見積もっても1000人以上は座れそうな座席数があるので、100人程度では持て余しているというのが実情だ。しかし最前列の席ともなると、3つ連続して空いた席を確保するには多少の配慮が必要になるらしい。


「そういえば、美華さんは実験担当班なのにここにいても大丈夫なんですか?」


 ここが実験を行うための場所ではなく、実験を観察するための場所だということは流石の俺でも察しがついていた。


「私はエレナ担当の実験班に所属しているので、今日はこっちにいても大丈夫なんです」


 なるほど。どうやら被検体には専属の実験班というものがつくらしい。


「そそ、私の命はみっちゃんに預けてるから!」

「大げさだよ、もぅ……。私は助手程度の立場なんだから」


 “命を預けている”という表現が果たして冗談なのかそのままの意味なのか。あまり訊きたくないので他のことに思考を巡らせる。


 そういえば天野美華という漢字のみの名前というのはこのご時世なかなかに珍しい。


 一度崩壊したあとの世界では人種はもとより、文化も入り乱れていき、自分の名前もそうだが、漢字とアルファベットが入り混じっていても1つの名前として成立してしまう。昔の人達から見ればさぞカオスなネーミングなことだろう。


 唯一標準化されていることがあるとすれば、名前を構成するのがファーストネーム・ミドルネーム・ラストネームの3要素以内に収まっているという点が挙げられるが、この点に関しても、ファーストネームとラストネームのどちらもがファミリーネームになり得るという綻びが生じている。


 また、このエデンに存続する人類の血統の半数以上は、比較的多く生き残ったとされる崩壊前の世界の東洋人に由来するとされている。漢字のみで構成されたミドルネームもない名前を持っているということは、世界の崩壊を生き延びた同じ東洋人同士で脈々とその家系を紡いできているという可能性が高い。


 しかし純血を守ることにどれほどの意味があるのか、俺には疑問に思えてならない。もしも彼女がそういう家系に生まれたのだとすれば、なんとも不憫な境遇なことだ。


「それにしてもやっぱ寒いね~ここ。カイロ持ってくればよかったかも~」

「最近の天気だと外も寒いから、それが影響してるのかもね」


 俺の思考を他所に他愛もない会話をする女性陣。しかしそれを耳にした俺もまた、思い出したかのように寒さを感じ始めた。


 下の階層へいくにつれて徐々に気温が下がっていったことと、借りたダウンコートの保温性のおかげで意識させられるまで気温変化に気づかなかったのだろう。今後この場所に来ることが増えるようならば、あの薄いジャンバーでは心許ないところだ。


 そう思っていたところへ、冒頭に若干のノイズを伴いながら放送が入った。


『これより第138回離体りたい実験を行います』


 この場の空気に一瞬にして緊張が走ったかと思うと、人々の視線は一斉に中央へと向かった。俺もその視線につられるようにして中央を見る。


 すると、大きな円形空間の中心から鈍色をした直径2mほどの円柱状のカプセルが回転を伴いながら生えてきた。それは4mほどの高さに達したところで成長を止めると、次の瞬間、上半分の鈍色が全てフェードアウトするように消えてその中にあるものをさらけ出した。


「ッ――!」


 俺はその光景に言葉を失った。その中に入っていたのは俺の知っているあの男だった。


 飾り気のない白い服に身を包んだ彼は、カプセルの底面に足をついておらず、体をカプセルの中央に固定されている。体には人工呼吸器を始めとしたあらゆる機材が装着されており、そこから伸びる無数のコードや管が彼の足の下へと伸びていた。


 また、時折発生する気泡のようなものはカプセルの中が液体で満たされていることを何よりも雄弁に語っており、その液体の色なのかカプセル自体の色なのか、その中は若干黄色っぽく目に写った。


 だが問題はその光景の与える衝撃にこそあった。この非現実的な光景を初めて目の当たりにして戦慄しない者などいるだろうか。いや、いるはずがない。俺の背中には冷たく嫌な汗が走った。


 次に、天井に設置されたモニターたちが一斉に起動し、あらゆるパラメータを表示し始める。その殆どは俺には理解できないものだったが、体温や心拍数など、一般的な知識で理解できるものもあった。


 しかしそのパラメータを見るなり、俺の隣に座っていた彼女は驚きと焦りを感じさせる声を挙げた。


「なんで投与量抑えてないのよっ……! レギ……!」


 見ると、彼女は不安の表情を浮かべつつ、席から腰を浮かせていた。


 そんな彼女を、彼女専属の実験担当員が横からそっと宥める。


「大丈夫。大丈夫だから。落ち着こう? エレナ」


 宥められ、多少落ち着きを取り戻す彼女ではあったが、不安を完全には払拭できていないようだった。その証拠に、彼女は小さくこう吐き捨てた。


「なんで無茶するのよ……バカッ!」


 この実験にどのような事情があるのか、無論俺は知る由もないが、どうやらいつもとは勝手が違うらしいという事は彼女の素振りから推測できた。


 しかし一体これから何が起こるのだろう。もしかすると明日は我が身となるかもしれない出来事が目の前で起きている。少しでもその実態を把握せねばならない。


 そんな思いで中央のカプセルと天井のモニターを交互に注視していると、モニターの数値が徐々にある方向に向かって変化していくのがわかった。最初はただの誤差だろうと思っていたのだが、それは少しずつ、しかし確実にその値を変動させていた。


(心拍数が……低下している……?)


 同時に血圧や体温などのパラメータも下がっているのが確認でき、それらは加速度的に変動を大きくし始めた。また、それに呼応するように数多ある他のパラメータもせわしなく数値を変動させており、その具体的な意味こそ理解はできないが、直感的に、それらが良くない方向へと変動していることだけは認識できた。


「どう……なってんだ……?」


 俺はその恐ろしい現実に思わず声を漏らしていた。それは実験なんて生易しいものでは到底なく、ただ安楽死を執行しているように見えてならなかったからだ。


 こんなことをする理由など、とてもではないが常人に推し量ることは不可能だ。俺の手は自然と拳をつくっており、その中ではじわじわと気持ち悪い汗が滲んできていた。


「これが被検体だっていうのかよ……?」


 そう呟く俺の汗ばんだ拳の上に、先刻席を立ちかけた彼女がそっと横から手を添えてきた。


「クゥくん、落ち着いて」


 しかしその言葉とは裏腹に、彼女の目は不安の色を伴いながら一心にモニターのみを見据えていた。こんな状況下でそんな宥め方をされたところで落ち着けるわけがない。


 目の前の現実にひたすら困惑と不安を募らせるばかりの俺だったが、数値の変動が次第に収束していくことに、かろうじて気づくことができた。


 最終的にそれらはほとんど変動しなくなり、安定した数値をとるようなった。だがその安定した数字というのは、もはや人間のそれとは到底思えないようなものだった。


心拍数:8

体温:11


 もはや生きているのかどうかすら疑うレベルだ。もしかするとこんなことを故意にさせている神化技術派というのは本当に気が狂った異端者の集まりなのかもしれない。


 無論、カプセルの中にいる彼は以前にも同様の実験をこなしてきたはずで、こんな状況になっても十中八九生還することができるのかもしれない。しかし、他の人間で同様の事象が成立するなんていう確証はないのではないだろうか。


「まじかよ……」


 自らの理解を遥かに超越した事象を前に、恐怖しているとも放心しているともつかない奇妙で不快な感覚に陥る。


 この時点で、集中は完全に途切れており、頭上のモニターが”asphyxia”を表示していることなど、俺には到底気づけるはずもなかった。

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楽園で終焉~エデンでエンド~ INUKORO @novelist_inukoro

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