第4話 4周目

 私はゆっくりと顔を上げる。 

 四度目のバスの座席。 四度目の流れるトンネルの風景。

 

 「は、ははは」


 思わず渇いた笑いが漏れる。 前回は困惑が強かったけど、今回は完全に乾燥した声だと自分でも分かった。 少しの間、現実逃避する為に笑い続け――大きな溜息を吐く。

 いくら笑ってもいくら現実逃避しても目の前の状況は変わらない以上、動かなければならない。


 まずはトンネルから逃げる事は無理だ。 そのまま走り抜けられるならどうにかなるかもしれないけどバスがトンネルを塞ぐ形で横転しているので登るのに時間がかかる上、さっき私を潰した奴がいるからどうにもならない。 そして楢木が戻って来る事も期待できないと二重の意味で悪いニュースだ。


 かと言ってホテルに残るのは自殺行為。 少なくとも二十時前まで部屋に残っていれば確実に殺される。

 二十時前に部屋を出て行った文江が殺されている時点で十五分――いや、三十分は危険と考えた方がいい。

 つまり十九時半以降は危険という訳だ。 逃げるにしても準備をするにしてもそれより早い時間にホテルを出ておかないと不味い。 次に考えるのは逃げる為の情報だ。 どこへ逃げれば、何処へ行けば逃げられるか、見知らぬ土地では右も左も分からない。 普段なら文明の利器であるスマートフォンを使う所なのだけれど、地図アプリを起動させるけど圏外なので地図情報を取得できないのだ。


 何でもできるはずの万能情報端末は電波という情報を得る為の媒体がないと欠片も役に立たない。

 まずはこの街の地図を手に入れる必要がある。 それに関しては当てがあった。

 ホテルのフロントだ。 あそこなら観光客を案内する必要があるので地図ぐらいは常備しているはず。

 

 ないならコンビニを漁ればいい。 人が居るかもしれないとは考えなかった。

 前の回で散々走ったにもかかわらず車はおろか通行人すら見かけなかったのだ。 居る訳がない。

 居るなら助けを求められるので居てくれた方が好都合だが、期待はしない方が良いだろう。


 脱出のプランを練るにもこの街の地形を知らなければ話にならない。

 そうと決まれば早速行動だ。 今回でこの訳の分からない状況を終わらせる。

 バスが目的地に到着し、お決まりの点呼と連絡が取れないので戻る旨を伝えて楢木はバスで去って行く。 私は文江にトイレに行くと荷物を押し付けてしばらく時間を潰してフロントから人が消えるまで待つ。


 皆、疲れているのか早々に部屋へと向かうのでそこまで待つ必要はなかった。

 誰も居なくなったフロントを漁って地図を探す。 片端から引き出しを開けてひっくり返すが、観光客に配る様な簡単な地図しかない。 私が欲しいのは細かい道まで記された詳細な地図だ。


 絶対にあるはずだとやや乱暴に漁っていると少し離れた所で電子音。 エレベーターが到着した音だ。

 最初に頭を叩き潰された事を思い出してびくりと身を震わせる。 咄嗟にカウンターの下に身を隠して様子を窺う。 出て来たのは訳の分からない存在ではなく――一人の男子だった。


 廊下を挟んで向かいの席に座ってスマホで録画していた座間だ。

 座間は何故か中身を部屋に置いて来たのか萎んだ鞄を背負ってホテルから外に出ようとしていた。

 着いて早々にホテルから出て行こうとする事に若干の違和感を覚えたけど、構っても居られないので無視してやり過ごす。 座間は私の見ている間にホテルの正面入り口から外へ出て行った。


 静かになった所で地図探しを再開。 目当ての地図は少し後に見つかった。

 私は地図を広げて現在地と移動ルートを確認する。 この端境町はそう広くはない。

 丸一日あれば一周できるだろう。 何かしらの移動手段があればの話だが。


 外に出る方法は大きく分けて三つ。 まずは車両を使っての移動。

 これは使えない。 トンネルは既に塞がっており、他にはないのでどうにもならないのだ。

 次に電車。 この街は山に囲まれた場所に存在し、駅もなんと一ヶ所と利用客はこの街の住民かこの街に用事がある人間だけだ。 線路の上を歩けば行けるかもしれない。 候補としてはありだけどここからだと少し遠い上、山をくり抜いたトンネルを抜ける必要がある。 こちらは塞がれてはいないだろうけど、トンネルを通る事に少し抵抗があった。 何しろさっき潰されたばかりなのだ仕方がない。


 最後がハイキングコース、要は山道だ。 この修学旅行の予定の大半はハイキング。

 つまりは山歩き。 半日近くかけて紅葉を眺める事になっていた。

 この街の目玉である以上は山道はある程度舗装されていると見ていい。 観光案内用のパンフに掲載されている写真を見る限り道はしっかりしていそうだ。 数少ない観光資源らしく力を入れている感じはする。


 その証拠にこの街の東西南北の四方に舗装された大きな道のほか山に入る為の細かい入口がいくつかあった。 地図を見る限りだと街の外縁を歩いているとどこかしらの入口にぶつかる。

 このホテルは街の南寄りに存在するので入るなら南の山道を目指すべきだ。 地図によれば山を越えれば街の外にも出られる。 持ち歩くには大きすぎるのでスマホで地図を撮影してホテルを出た。


 文江達の事を考えなかった訳じゃないけど、地図を探すのに時間を使いすぎた事もあって彼女達に説明している時間が惜しい。 申し訳ないけど私は自分が助かる事しか考えられなかった。

 

 

 スマホの時刻表示は18:45。 地図を探すのに手間取った事もあって辺りはもう暗くなり始めている。 

 時間をかけ過ぎると完全に真っ暗に――いや、もう日の出ている内に抜けるのは無理だ。

 色褪せた簡単な地図が描かれた案内板の前を通って山道へと足を踏み入れる。

 

 しっかりと舗装はされているけど手入れは行き届いていないのか、よくよく見てみるとあちこちに亀裂が入ったりしていた。 歩き易ければ特に気にもならないので黙々と歩く。

 薄暗い上、この纏わりつくような霧が鬱陶しい。 それでも助かるかもしれないと考えると歩く為の原動力になった。 前方、数メートル先も見通せないこの状況ではスマホのライトも余り役には立たないので、足元だけを照らして進み続ける。 静かだった。 虫の声すらせず、聞こえるのは自分の足音だけ。


 このまま進めば助かる。 絶対に助かる。 何の問題もない。 

 何せ変な何かが居る気配はないのだから。 周囲の草むらで何かが移動するようなガサガサといった音が聞こえたけど風の音だ間違いない。 黙々と歩く。 音が増えたような気がするけどきっと風が強くなっただけで気のせいだ。


 それでも念の為、そう念の為に早足で歩く。 向こうに気付かれていると認識されたくない。 

 いや、風の音なのだから大丈夫に決っている。 ガサガサと音が私を取り囲むように近づいてきた。 

 その数を増やしながら。 気のせいだ。 考える必要はない。 考えるな考えるな。


 歩く足が徐々に早まっているけど先を急ぎたいだけであって他意はない。

 必死に進む事にだけ集中しろと言い聞かせていたが――


 「――っ!」


 ――我慢できなくなって私は駆け出した。


 同時に待っていましたとばかりに物音が大きくなる。 息を切らしながら私は必死に走った。

 もう形振り構っていられない。 逃げなければ。 捕まれば私は間違いなく殺される。

 何も考えられない。 息を切らしてひたすらに前へ前へと――


 「何で私がこんな――」


 ――思わず叫ぼうとしたけどそれは最後まで形にならなかった。

 ヒュっと風を切るような音を耳が拾いいきなり視界が回転。

 くるくると回る視界と浮遊感。 体の間隔が全て消え失せて着地。 ゴロゴロと転がり、視界が幕がかかったようにすーっと暗くなる。 何が起こったのだろうかとぼんやり考え――最後に私が見たものは首のない体だった。

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