15 罠
腕時計を見ると、私たちが部屋の前についてから十分以上が経過している。
マイカには事前に、部屋に入って三分以内にドアを開けるように言っていた。多少の誤差はあれど、流石に約束の時間を七分も過ぎるのはおかしい。
背筋に冷たい汗が這う。淳樹がマイカを襲っているのではないか。だとしたら早急に助けなければならない。
私は急いで立ち上がり、ドアを思い切り叩いた。しかし反応はない。事前の下調べで、入り口のドアと部屋のドアの両方がある部屋を選んでいたから聞こえないのかもしれない。
本来は淳樹から気づかれずに入り口のドアを開けるためにあえて選んだ間取りなのに、完全に裏目に出ている。
「マイカの罠だったりして」
華奈がドライアイスのように冷え切った口調で呟いた。
「ほんとは有里に見せびらかしたかったんじゃない? 淳樹との関係をさ」
「そんな……」
「二度目の不倫相手もマイカだったんじゃない?」
「え……」
「この前あたしを振った人もさ、一回目と二回目の浮気相手同じ人だったんだよね。実際は二回じゃなくて頻繁にずっと会ってたの。それであたしの方がフラれたってわけ」
華奈が表情を歪めた。彼女が自殺未遂するまで追い込まれた理由は、本気だった相手に複数回浮気されたからだった。しかも、身体の関係だけじゃなく、心まで相手に持っていかれていた。
そんなこと知らなかった。私が華奈を知ろうとしなかったせいだ。
「ごめんね有里。マイカに騙されたあたしが悪い。正妻にマウントとるためだけに利用されてバカだった。傷つけて、ほんとにごめん」
華奈はいつになく殊勝な面持ちで謝罪の意を述べた。目に雫を携えている。
マイカに騙された。その可能性を真剣に考えたら、頭が真っ白になった。あのラブホテルの日に語っていたことは、全部嘘だったの?
「もう帰ろう。中に入ったらマイカの思うツボだもん」
華奈は床にカメラを投げつけ、エレベーターの方へ踵を返した。カメラの落下音が静寂を切り裂く。
気持ちは痛いほどわかった。人は裏切られた回数だけ、心の傷口は深くなる。十四人に浮気されて傷心の彼女にさらに無駄な傷を負わせてしまったのは私のせいだ。
だから私が華奈を止める権利はない。
でも――
「有里も帰ろう。離婚の手続き手伝うよ」
既にエレベーターに乗り、開くボタンを押しながら私を待つ華奈。その声は震えている。
私は頭を下げて謝った。そして、自分の気持ちを伝えた。
「私、マイカのことを信じたいのかもしれない。華奈には悪いことしたから、私一人でなんとかする。本当にごめん」
『ツグナイます』と言ったマイカの表情が脳裏に浮かぶ。
私はまだ、マイカのことを信じたかった。ラブホテルで打ち明けてくれた言葉がどうしても嘘に思えなかったから。
怪我をした私を助けてくれた彼女が、親の不倫で苦しんだ彼女が嘘をつくはずがないと思ってしまった。
夫の元不倫相手を信用するなんて頭が沸いていると華奈に罵倒されるかもしれないけど、本能がそう叫んでいる。
「そっか……有里らしいね」
頭を上げたときには、エレベーターのドアはぴたりと閉じていた。
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