Dawn

イキリ虻

Dawn

「もうそろそろさ、終わりにしようよ。こういうの。」


 ある朝、起き出すと君が言った。リビングには2人分の朝食が整然と置かれている。


「こういうの、って?」

「わからないの?」


 だって、当たり前じゃないか。僕と君に共通して、終わりにするべきことがない。


「はあ…本当は気付いてるんじゃないの?」

「だから気付いてるって何に?はっきり言ってくれないとわからないよ」

「もう、逃げるのはやめなよ。」

「だから逃げって何なんだよ!はっきり言わないとわからないって言ってるだろ!」

「あはは…初めて見たね。慎二が怒鳴ってるところ」

「え?」


 そうか、今僕は怒鳴ってしまったのか。感情は外に出さないようにしていたのに。君の前では嫌なことなんてなかったのに。


「ま、私がはっきり言えたら苦労しないんだけどね…うん。この話はいいや。じゃあ今日デートしない?久しぶりに。」

「…まあ、いいけど。」


 ちょうどよく今日は休日だ。まあ、多少の引っ掛かりはあるが…





「で、なんでデートって言ってここ?」


 僕たちがやってきたのは、楠市。僕たちの通っていた高校がある街だ。並んでぶらぶらと歩いていると、見覚えのある風景が…


「ん?いや、なんか懐かしいなーって思ってさ。たまにはこうやって回顧するのもいいんじゃない?あ!ほらあの神社!懐かしー!」

「ああ、そういえばあそこの夏祭りに参加したっけ…人ごみにもまれて散々だったのは覚えてるよ。」

「またそういう嫌な思い出ばっかり…ま、そこも君の特長だけどね。」

「ほんとに長所かな?正直この性分で得をした覚えはないんだけど。」

「まあ、いいところだと思う。少なくとも私はそういうとこ好きだよ。」

「せっかくだしお参りでもしていこうか」

「えー?お参りかー…ほら、私って存在が邪悪だからさ、神社みたいな神聖な場所行くと消滅したりしないかなぁ…って不安になったり。」

「…なわけないよ。そんなオカルティックな話あるわけないじゃん。」


 一瞬、小苗なら本当に消えてしまいかねないな、と思ってしまったのは置いておいて。


「ま、そういうことならいっか。あ、ちゃんと手水舎でお清めしてから行くんだよ。」

「わかってるよ。小苗も忘れないでね。」

「はーいはい。」


 そうして体を清め、本殿に向かう。五円玉を投げ入れ、二礼二拍。『これからも小苗と仲良くできるように』、と祈りを込めて深く一拝。


「どんなことお願いしたの?」

「まあ、ありきたりなことだよ。小苗は?」

「うん?まあ、私は君と違って非凡なことをお祈りしたかな。」

「あー…はいはい。そういうのいいから。」

「うるさいなぁ!ほんとに非凡なんだからね!」





「…で、ここ?」


 しばらく思い出の場所を回った後、高校生の頃僕が一人暮らしをしていた家の前に着いた。


「そ。懐かしいでしょ?思えばいろいろあったよね。」


 …いろいろ、と言われて何かを思い出しそうになった。この記憶を引っ張り出してしまっては、何かが終わってしまう。なんとなく、そんな危機感を感じてそれを封じ込める。飲み込んでいる間は僕が僕でいられる。


「あ、そろそろ思い出してきた?朝言ってたこと。」

「やめてくれ…」

「そうやって逃げるのは簡単だけどさ、そろそろこのままじゃまずいと思うんだよね。」

「お願いだから…」

「じゃあ、質問です。『あの日』から、私に触ったことはあった?」

「…」

「食材は何人分買ってた?」

「わかったから…」

「あと、私と出かけるとき、店とかでは何人だって言ってた?」

「もういいから…」

「あはは、もう気付いてるみたいだね。」

「でも…」

「『小苗は目の前にいるじゃないか』…って?その言い訳もういいよ。聞き飽きた。」


 だって、認めたくない。認めたら終わってしまうじゃないか。終わらせたくない。一生、の世界にいたい。


「君が本当はあの日に死んでるなんて…気付いてたよ。葬式にも出たしさ。でもさ…でも…」

「はあ…そういうところだよね。私は君のそういうところ好きだけどね。でも、そろそろ終わりにしようよ。君のために、さ。」

「最初に呪いを置いていったのは小苗の方だったくせに…」

「だってあの直後に死ぬなんて思ってなかったんだもーん。わたしは悪くないですー」

「でも…僕は嫌だよ。君を失いたくない。世界って辛いからさ…逃げ場が欲しいんだ…」

「新しい彼女でも作ったら?」

「あっさり言うけどさ…」

「慎二なら大丈夫だよ。あ、でも今度はこうなっちゃだめだよ?」

「嫌だ。」

「そうやって、また逃げるんだ。今はまだ逃げても許されるかもしれないけどさ、そのうちダメになるときが来るよ?」

「でも…逃げられるうちくらいは…」

「でさ、そのダメになるときってのが今だと思うんだよね…だって要は私って君の深層心理みたいなものだよ?ダメだって気付いてるんでしょ?」

「…そういうの、事実陳列罪っていうんだよ」

「だからさ、私はもう行くから。」

そういって、小苗は道路に飛び出していく。

「待って!」


 僕も飛び出そうとするが、横目に見えたトラックに足をすくませてしまう。あの日と同じ。あの日、小苗を轢いたのもトラックだった。

 そのトラックが、僕が生み出していた幻想を、目の前でかき消していく。あの日と違ってクラクションを鳴らす様子もブレーキを踏む様子もない。

 消滅する直前、小苗は僕の方を向いて、満面の笑みで

「じゃあね、頑張って」


 と、言葉を投げかけてきた。

 しばらくその場で呆然としていた僕は、ふと我に返って。


「うん…頑張るよ。ばいばい。」


 と、虚空に向かって手を振り、その場を後にした。

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Dawn イキリ虻 @YHz_Ikiri

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