就活旅行記
原田雪
第1章 小さくて不自然な世界
第1話 夜を生きる
真っ暗な部屋の中に、一本のか弱い光がさしこんでいる。
重たいカーテンの、ほんの少しの隙間から入り込んでいたのは、月明かりだった。
ベッドに横たわりながら、その光を見つめるのは若いけれど覇気のない女性。
「いま、何時かしら……」
彼女は現在、おおよそ自分の名前とは真逆のような昼夜逆転の生活をしていて、ひどく荒んで疲れきっていた。だって彼女はすでに3時間近く、その月明かりを見つめている。
「起きたのは夜の6時過ぎだったから、今は7時くらいでしょう」と時計を見ると、もう9時を回っていた。3時間、月明かりを見つめていただけなのに、彼女の脳は果てしない数式を解き続けたように疲労していた。
その疲労感を全身に巡らせて中和させながら、のろのろとベッドから降りる。
学生ばかりが住む小さなワンルーム、1階の角部屋、家賃は49,000円。カーテンを開ければ目の前に公園がある。ただ広いだけで、遊具もベンチすらないただの広場を、朝陽はとりあえず公園と呼んだ。彼女はそこに、もう4年も住んでいる。
「エサ、買いにかなきゃ……」
声に出さず、唇だけを動かした。
大学の4年生になってから、少しずつ狂っていった。
原因は分かっている。
就職活動だ。
大学3年生の夏からスタートして、未だどこからも内定をもらっていない。つい先日20社目の面接に行ってきたけれど、なんとなくダメな気がする。
内定をもらえないことは悲しいけれど、それよりもずっと絶望的で、朝陽が最も恐怖しているのはその先だった。
就職なんてしたくない。とりあえず事務職を希望しているけれど、別に事務じゃなくても良いし、そもそも入りたい会社なんてないし、別にやりたいこともなかった。
でも、みんながリクルートスーツを着て説明会に行くものだから、なんとなくそうしなければならないような気がした。
適当にシャワーを浴びて、Tシャツとデニムに着替える。
朝陽の真っ黒な髪は肩につかないほどの長さなので、無理やりポニーテールにすると毛先が鳥の巣みたいになる。だけど今の彼女にとってそんなことはどうでも良くて、玄関に置いているバッグをつかむとアパートを出た。
彼女の不規則な生活の中で、唯一規則的に行われていることがある。
それは、コンビニに行って自分の食料(夜のコンビニは品ぞろえが悪いので、大抵カップ麺かスナック菓子だ)、と猫用のエサを購入し、公園の野良猫にあげること。
「今日も元気にしてた?」
真っ白な猫の頬を撫でると、気持ちよさそうに目を細めた。魚の形をした弾力のある粒を、持参したお皿に注ぐ。勢いよく食べる猫の頭を撫でながら、朝陽は呟いた。
「なんかもう、疲れちゃったなぁ……」
そんな朝陽の顔を見て、猫は「みゃん」と鳴いた。
すっかり日が昇り、皆が活動しはじめたころに眠りにつく。
深緑の重たいカーテンは、遮光性が抜群で昼間でもすぐに夜にしてくれる。
カーテンを閉めて、自分の手で夜を作り出すその瞬間、朝陽は逃亡しているような気分になる。実際、太陽から逃げたかったし、昼間に活動する当たり前の人々を見たくなかった。
エアコンを入れて、布団をかぶる。
こうして簡単に、彼女の時間は夜になる。
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